故郷(ふるさと)ってなんだろう
上伊那地方に配布されているフリーパーパー『週刊いな』1/7号
地域おこし協力隊員の“心のふるさと”紹介します!という頁に中川村の協力隊として掲載されました。
長く住んだ東京を離れて、半年が過ぎ、何年も前に両親も亡くなっているので、リアルな実家もない私にとって、果たして故郷とはどこなのか、初めて考えることになりました。
故郷とは帰る場所
私の帰る場所はどこなのか。
千葉の実家を出て一人暮らしを始めた時が20代後半、まずはじめは叔母の住む江戸川区に3年住み、その後、多忙のために終電を逃すことが多くなったので、“渋谷界隈からタクシーでも1,500円以内で帰れるところ”という条件で物件を探して、中目黒にたどり着きました。
当時は今ほどトレンド上位な街でもなく、恵比寿・広尾に比べて下町っぽい風情があり、高架下に小さな飲み屋が軒を連ねる私好みの居心地のよい夜の街
社会人として私を育ててくれたのが渋谷なら、
ホームタウン中目黒は戦場のような職場から戦線離脱した私を支えてくれた多くの人々と出会えた場所。
夜も昼もなく、お盆も正月もなく、土日の休みも有給休暇もなく、働きに働いた30代、
3次会で『飲むなら中目』なぜなら這ってでも帰れるから(笑)と、
そんな毎日でしたが、ついに自分で飲み屋をオープンすることになり、中目黒から歩いて20分の住宅街にカウンターバーを開業しました。
(このいきさつは長くなるので今回は割愛)
家族以上に濃密な職場環境を離れて、たった一人で店を出すのは、あれはあれで、第二の実家からの自立だったのかもしれないと懐かしく思い出されます。
クルクルという名前のバーのママとなり、芸能界という戦場から、戦線離脱した私を受け止めて、癒やし、支えてくれたのは常連の皆さんでした。
年齢も仕事も生まれたところも、時には生まれた国すら異なる面白い人たちと出会い、生き方も考え方も文化の違いも知りました。
どうかすると、年々凝り固まって偏りがちな自分自身の価値観に根底から揺さぶりをかけてくれるようなバカらしくも愛しいたくさんの人物との交流によって、
私という人間は一皮もふた皮も剥けて、ひとかどのものになった。と思っています。
故郷は人がつくり人を育てる場所
私にとっての故郷は場所のことを指すのではなくて『人』
そして、私を育ててくれた人そのものが、心のふるさとなのだと
今回、この取材であらためて知ることができました。
そして、
芽ネギうずら食べたくなった。
『週刊いな』の東谷さん、散らかりまくった私の話の落としどころを決めてくださって、本当に
ありがとうございました。
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