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足立紳・晃子夫妻の話

足立さんの小説『それでも俺は、妻としたい』発売に伴い、足立夫妻と鼎談しました。掲載は小説新潮11月号の特集「足立紳の世界」です。

鼎談の流れで、帯文まで寄せることになりました。

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同情するなら……の続きは「させてくれ!」です。ははは。アホだな。どんな小説かというと。

Sex or Die!! 同情するならさせてくれ! 人気映画脚本家による(ほぼ)実録夫婦小説! 齢40を迎え未だ年収50万円。売れない脚本家の俺は、自らのゴミ化を妻に悟られぬようにと愛情表現の一環として毎夜セックスに励んでいたのだが、近頃は「ヤダ」の一言で拒絶されるようになった。……そう、俺は妻の巨乳を3か月も触らせてもらえてないのだ。とことん呆れ、笑い、ちょっぴり泣ける、狂い咲き夫婦道!

足立夫妻そのまんまじゃないか!という内容でした。夫がひどすぎてツッコミどころ満載の爆笑エロ小説です。鼎談では数多のツッコミどころを拾いつつ、読者や関係者の皆さんが謎に思っているであろう「妻・晃子」を解明すべく務めました。なかなか興味深い鼎談になっていると思うので、小説と合わせて読んでみてください。

ややこしいので勝手に整理しておくと、2020年公開の映画『喜劇 愛妻物語』と本書は似ているようで違う話。喜劇愛妻物語の元は『乳房に蚊』という小説で、映画化に伴って改題されている。こちらはどんな話かというと……

結婚10年。「女房とのセックス」のハードルがここまで高くなろうとは...。稼ぎもない、甲斐性もない、無職同然の脚本家のダメ夫にようやく仕事のチャンスが舞い込んだかに見えた。働き者でしっかり者の妻、5歳の娘とともに四国へ取材旅行に向かうのだが。どんなに激しく罵り合おうとも、夫婦の関係を諦めない男女をコミカルに描く人間賛歌小説。

だそうな。ややこしい。どちらもフィクションの体をとってはいるが、ほぼほぼ足立夫妻の話であり、映画になった方は親子で取材旅行に行く話で、『それでも俺は、妻としたい』は手を替え品を替えセックスをお願いする夫の話である。

そもそもなぜ私が、足立夫妻と鼎談することになったのか。

8月のある日、足立さんからメールが届いた。新潮社から小説の単行本が出るにあたり、妻と三人で鼎談してくれないかという話だった。メールには「野木が脚本以外の仕事は断っていることを承知で不躾なお願いで申し訳ないのですが、、、。」「忙しいだろうし、脚本以外はやらないということもあると思います。が、検討の余地はあるでしょうか?」「俺がパンの品出しも出来ないショボい人間であることでいいから一緒に話してもらえたらありがたいですがいかがでしょうか?」「何年も会っていないのに不躾なお願いで本当にごめんなさい!」と何重にも遠慮しつつ、最後には「断られても少し恨むだけなので、ちょっとそういうのはということであれば遠慮なく断ってください!」という、潔いようでまったく潔くないメールだった。ああ、足立さんだなあ……と懐かしく思った。

足立さんは映画学校の一学年上の先輩で、私は先輩たちの集まりによく顔を出していたので、足立さんも奥様の晃子さんのこともよく知っていた。晃子さんにプロレスのチケットをとってもらったこともあったな。その頃、足立さんは晃子さんのヒモだった。専業主夫ではない、まごうことなきヒモだったのである。前述の「パンの品出しもできない」というのは、ヒモだった足立さんが百円ショップで一時期働いていた時、いかにバイトが辛いか、いかにパンを棚に詰めることが難しく苦痛であるかを熱心に語っていたことに起因する。毎日のバイトが辛いという話ならともかく、週にたった一度、ほんの8時間程度の百円ショップのバイトに対して延々文句を言い、しかもバイト後は晃子さんに足を揉ませていると聞いて心底呆れた。晃子さんは、脚本家として鳴かず飛ばずの足立さんに代わり、プロレス団体の会社でフルタイムで働きながら、子育てに家事にとフル回転していた。その晃子さんに、足を揉ませるとは……!今回の小説は、その頃の夫(足立さん)側の苦悩と焦燥と「それでも妻としたいのだ!」という熱い思いが、爆笑を禁じ得ない筆致で赤裸々に綴られている。

当時、私たちの周りには脚本や小説といった文筆業で食っていきたい映画学校の卒業生たちが大勢いた。みんな総じて貧しく、バイトで食いつないで原稿を書く生活。そんな中、足立さんは羨望の的だった。「俺も足立みたいに、奥さんに養ってもらって脚本を書きたい!」という彼らに、「いやいや、ないから。あの二人は特殊事例だよ。夢見てる暇があったら書いたほうがいいよ」と身もふたもないことを言っていた私。かくいう私も、派遣で食いつなぎながら脚本賞に応募を続けていた一人だ。6年目にしてようやく大賞を受賞した拙作『さよならロビンソンクルーソー』は貢ぐ男と貢ぐ女の話で、「ダメ夫を養う妻(晃子さん)」「彼女に貢ぐ男子」「男に一千万突っ込んだ女」という三者三様の友人たちへの「なぜ?」という想いから生み出した物語だった。物語の最後、主人公と彼女の関係は破綻するが、菊地凛子さん演じる貢ぐ女は、貢ぐ女のまま楽しそうに終わる。なぜそうしたのかといえば、果たして晃子さんを否定していいものだろうか?と思ったからだった。なんだかんだ言いつつも足立夫妻は、足立夫妻として成立しているように見えた。それが正解なのかはわからなかったけれど。これが2010年頃の話。

そして2014年、第一回松田優作賞に輝いた足立さんの脚本、『百円の恋』が映画化。安藤サクラさんの名演とともに足立紳の名前が一躍知れ渡ることになった。泥沼のような現状から抜け出すべく立ち上がり、暗いトンネルを抜けて光り輝くリングに出て行く一子の姿は、足立紳そのものだ。セコンドは晃子さん。日本アカデミー賞で最優秀脚本賞をとったときは、テレビの前で拍手してしまった。作品賞グランプリもとってほしかった。それに値する作品だったと思う。

それからは互いに忙しく長いこと会っていなかったが、鼎談のために送ってもらった『それでも俺は、妻としたい』のゲラを読んだら、一気にいろいろなことが蘇った。お宅にお邪魔するのも10年ぶりくらい。二人ともまったく変わっておらず、相変わらずバカでハッピーな夫婦だった。このnoteのトップ画像が鼎談場所となった足立家で、映画『喜劇 愛妻物語』でも主人公夫婦の自宅として使ったそうな。なんという省エネ。なんという飾りいらず。撮影は暑くて大変だったらしいが、脚本を書くより監督が楽しいという足立さんは嬉しそうだった。酒を飲みながらの鼎談はぐだぐだと続き、私が「正直、この二人が結果を出したのは奇跡だと思う。この人たち絶対ダメだと思ってたもん」と言ったら、足立さんも「思うよね。俺もダメだと思ってた」と言う。ところが晃子さんは、「私はなんとかなると思ってた」と言うのだ。足立さんもポジティブだが、晃子さんもかなりのものだ。一体そこに何があるのか。詳しくは小説と鼎談をごらんあれ。晃子さんはすっぽん鍋を振舞ってくれて、新潮社の人が帰った後も延々と話し続け、気づけば深夜一時をまわっていた。帰りのタクシーの中、酔った頭で「あのとき物語の中で、彼らを否定しなくてよかった」とぼんやりと思った。