あとがきについて 上
いらない。ケツ穴の回りの毛くらいに必要ない。脱毛という自然に身を任せることができず、人間改良に手を差し伸べなければならないなんたる屈辱。しかし、この毛は不必要であり、消滅しなければならない。高齢になって白髪で表れてきたら笑止千万。孫に顔をみせれたものでない。
それ以上に前々から思っていたことが主題である。
多くの小説や論評の巻末にある、「あとがき」は必要なのであろうか。
「あとがき」に対する不満と、もし「あとがき」が存在し得るものとするならば、あとがきの存在意義を私なりにつらつらと書いていこうと思う。
不満といっても、現存する名だたる著者の作品の「あとがき」というものは、自身で訂正することもできるし、敬意を払われ、書かれているものも多いため、それまで文章に憤りは感じない。しかし、「依頼されては仕方ない」とみせる立場や「作者と私はここまで仲良いのですよ。」と読者さまご覧のとおり、仲良いぞみたいに連想させるような、自慰行為を見せられている気がして、いい気はしない。読まないのが正解であるな、と考えるくらいである。
疲れたから、続きはまた明日。さて私に明日は来るのか。
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