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楽園 ウクレレフェスティバル

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 ハワイもどうやら異常気象らしい。まだ梅雨明け前のうっとうしい日本を抜けだしてホノルル空港に降りたった僕たちを迎えたのは、なんとたたきつけるようなすさまじいあらしだった。雨は決して珍しくはないが、この季節にこんな暴風雨というのは、聞いたことがない。

 何よりも僕は次の日の天気が気掛かりだった。晴れてくれないと困る、と空をおおいつくす雲を見上げながらなかば祈るような気持ちだった。というのは、今回の旅行の目的は、翌日、つまり七月二十五日に行われるウクレレフェスティバルの取材だったからだ。

 今年で二十三回目を迎えるウクレレフェスティバルは、いかにもハワイらしい祭典である。毎年七月の最終日曜日、ワイキキビーチのはずれ、カピオラニ公園の野外ステージで、地元のウクレレスクールの子供たちを中心に行われる。世界一のウクレレ弾き、オータサンことハーブ太田さんをはじめ、毎年いろいろなゲストを迎えて、華やかでリラックスしたステージが繰り広げられる。観客は客席となる広い芝生で、さらにくつろぐ。バーベキューや日光浴をしながら、演奏を楽しむのだ。まさに楽園の中の楽園、といった感じのイベントだ。

 しかし、雨の場合どうするのか、と関係者に聞いたところ、雨天順延とか、テントを張り巡らすとかいった対策は何一つないとのこと。晴れるように祈ろう、と言われた。やっぱりハワイだ、と僕は思った。

 そして当日、そんな心配はどこへ行ったか、鼻の頭の皮が二枚むけるほどの強い日が差していた。

 フェスティバルは午前十時半に始まった。オータサンとライル・リッツの演奏や、ポンシー・ポンセのステージも盛り上がったが、主役は何といっても子供たちだった。三百人もの子供たちがおそろいのTシャツでステージに並び、ウクレレを弾くのだ。軽くて小さいウクレレ は、四、五歳の子供たちの小さな手にもぴったりだ。一生懸命弾いている姿はほんとにかわいらしい。出番前の子供に心境をたずねたら、ベリー・ナーバス、という答えだった。当たり前か。練習したんだろうな。

 ハワイではメーンランド同様、ドラッグや飲酒その他の青少年による犯罪が増えているという。そんなものよりも、ウクレレによって音楽の楽しさを知ってほしい、とウクレレフェスティバルのプロデューサーであり、ハワイで一番大きなウクレレスクールの校長先生でもあるロイ・佐久間氏は言う。自身が昔、オータサンのウクレレを聞いたことによって、非行の道に走らずにすんだという経験を持っている。その話で、このフェスティバルが子供たちのイベントである、という意味がよく分かった。

 ウクレレという楽器自体の歴史はたかだか百年くらいのものだそうだ。それがこんなにもハワイの中の人々に愛されるようになったのは、自身でウクレレを奏で、作詞、作曲もしたというカウカウア王はじめ、何人かの音楽好きの王様の功績でもある。しかし、この楽器を広めたのは、佐久間氏のように音楽の中に幸せや希望を見いだしていた人たちであるということは間違いない。

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