英語でJAZZを歌う伊藤君子は真の”歌い手”だ。
【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】
この4、5年、一時は下火だったジャズが再び注目を集めている。
その原因はいくつか考えられる。某大手企業をはじめとして、ジャズコンサートをスポンサードしたり、CMに使ったりする企業が増えたことや、美人ジャズシンガーと呼ばれるような人たちが何人か登場して人気を博したこともそのひとつかもしれない。
ジャズを下火にしたポピュラー音楽やロックが、過度の演出や、情報過多によって、密度を失ってしまったせいもあるだろう。身近で直接的な感動が求められているのだ。
小さなジャズクラブやライブハウスで、演奏のダイナミズムを満喫するのは、このうえなくぜいたくな楽しみだと僕は思う。
実をいうと昨年来、月に何度かは夕食後テレビやビデオを観るかわりに、夜遅く始まるジャズのライブを聴きに行く、という日をつくるようにしている。
ワンドリンクと軽いつまみだけ注文して、あとは音楽に聴きいる。人気のあるミュージシャンが出演する日でも、満員でお断りということはまずない。客はだいたいが勤め帰りの人たちで、適度にアルコールも入ってリラックスしている。こんなに手軽に良質の音楽が手に入っていいんだろうか、という気にさえなる。それほど、時に素晴らしい演奏にめぐりあえたりすることがあるのだ。
そういう時は本当に得した気分になる。代えがたいほど価値のあるものをもらったように感じる。
ジャズだから、というのではなく、こういう気分にさせられるものが「音楽」なんだよなあ、と改めて思う。
さて、僕がもっとも足繁く通ったのは、伊藤君子とペコバンドのライブである。伊藤君子といえば、ジャズに詳しい人ならおそらく知らない人はいないだろうが、このところ目の離せないシンガーでもある。すでに彼女のアルバムはアメリカでもリリースされ、ビルボードの上位にランクされるという実績もある。
これがどんなにすごいことなのかというと、確かに日本のジャズミュージシャンでも、アメリカで成功を収めた人はいる。リズム感がどうの、感覚がどうのといわれながらも、日本から素晴らしいミュージシャンは生まれているわけだ。
しかし、いままでアメリカで成功したのは、ジャズの中でも、インストルメンタル奏者がほとんどだった。ジャズボーカルで同じ功績を残そうとするのは、実はたいへんなことなのだ。
ポピュラーやロックでもいえることだが、アメリカのマーケットに進出しようとする時に、言葉の違いはいまだに大きな問題だとされている。以前は日本語で押し通すか、英語の詞を歌うか、などという議論もあったが、これだけ英語文化が浸透してきて、英語で歌うことの不自然さが特に最近なくなってきているのではないだろうか。
しかし、単に英語で歌っているから、伊藤君子の歌がアメリカに受け入れられたのではない。それはいうまでもないことだ。
おそらく彼女の魅力は、ジャズシンガーである前に、真の”歌い手”である、ということなのだと思う。それはどういうことかというと、歌詞にどれだけのエネルギーとニュアンスをこめて歌えるか、つまりソウルを込められるかが歌手の資源であるということだ。
特に、日本語に比べると、英語の表現自体はずいぶんシンプルである。そういったシンプルな言葉ほど、実は表現力を必要とするのではないだろうか。そして、その表現力が歌手の個性でもあるのだという気がする。
ペコさん(伊藤君子の相性です)は、とても歌の詞を大切にしている。その詞が創り出そうとしている世界、色彩や陰影を自分なりにつかんでから歌う。そのために何度も何度も紙に英語の詞を書いてみるのだっという。
しかし、もともと彼女の持っている感受性(そういえば彼女は美大を卒業している)がなければ、歌詞はただ理解されただけで終わってしまうのかもしれない。それが彼女の歌によって具現化されなければ、歌は歌ですらありえない。
それを考えると、人間というのは”感受性”のフィルターを持っていて、それ以外はただ空っぽのいれものなのじゃないだろうかという気がする。しかも、それが空であればあるほど、感受性のフィルターは磨かれるのかもしれない。
六本木の駅のすぐ近くに「アルフィー」や「ボディ&ソウル」というジャズクラブがある。それらの店で、月に2〜3度、伊藤君子&ペコバンドの演奏を聴くことができる。
同じ人のライブを何度も聴くっていうのはそうできることではないが、ジャズだったらいろんな意味で可能だ。日によって、雰囲気がずいぶん違ったりする。演奏や歌が生き物だということをわかって楽しい。もちろんそれを感じる自分自身もそのたびに違っているのかもしれない。
とりあえず、伊藤君子をてっとり早く知るのはライブが一番いいだろう。それから3月21日(当時)に発売される「ア・ナチュラル・ウーマン」なり、この「フォロー・ミー」を手にする。順番は別にどっちでもいいのだろうが、音楽はめいっぱい楽しめるものだということだけは確かだ。