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旧友がくれた1枚のCD。

【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】 

 彼が、伊集加代子のファースト・アルバム『マイ・トリビュート』を僕のところに送ってきたのは、89年の春のことだった。

 伊集加代子といえば、日本の音楽ディレクターでその名を知らない者はいないほどのシンガーである。なぜ音楽番組に出ないか、世間にはその名が知られていないのか、というと、彼女が第一線で活躍し続けてきたのが、常にコーラス・シンガーとして、だったからだ。

 彼女の経歴は古い。なにしろ、僕がその名を知ったのも、高校時代に買った大滝詠一のソロアルバムにおいてだった。そのときの彼女のグループ「シンガーズ・スリー」は、すでに当時でもベテランで、日本で唯一、黒人っぽいコーラスができるグループとして知られていた。

 他にも、実をいうとネスカフェのCMや11PMのテーマ曲などで、名前は知られなくとも彼女の歌声は、日本じゅうに流れていたのだ。

 その伊集加代子が、ゴスペルの曲をカバーしたアルバムをリリースした。50歳を過ぎてからの初ソロアルバムである。流行のコンピュータはいっさい使わず、生バンドとストリングスの演奏、コーラスにはブレッド&バター、ハイファイ・セットといった信じられないほど豪華な面々が参加している。本当にそれだけでも贅沢なアルバムだが、伊集加代子は曲に敬愛をこめ、さらに深く優しく歌っている。特に「エブリシング・チェンジド」の歌とストリングスの情感は背筋に来る。

 その泣けちまうストリングス・アレンジを始めとしてアルバム中の全曲を編曲したのが彼だった。

 彼の名前は藤野浩一。実をいうと、僕とは小学校から高校までの同期生なのだ。しかし、同じクラスになったことがなかったせいもあって、高校までほとんど話をした記憶がない。ただ、よく憶えているのは、彼がプラモデル屋の息子だったことだ。僕らがなけなしのこづかいをはたいて買った(彼の店から)紙と竹ひごの模型飛行機を飛ばす横で、彼は高価なUコンの飛行機を器用に操っていた。僕が大学ノートにマンガを描いている頃、彼は庭に大きなアンテナを立て、アマチュア無線で各地の人々と話をしていた。そして、僕がギターでようやくG7のコードを覚えた頃、彼はブラスバンド部の花形として、トランペットのソロを吹いていたのだった。つまり、今から考えても、彼に比べて自分の子供っぽさを感じずにいられない。彼はそういう少年だった。高校時代には彼にジャズのレコードを借り、変拍子についてのレクチャーまで受けた記憶がある。

 高校を卒業して彼と再び会うまで、10年近くのブランクがあった。彼が音大に入ったのは知っていた。先生にトランペットの吹き方を変えられてしまったら、全然吹けなくなって、ついにトランペットを断念した、という噂を聞いた。歌手のバッグバンドをやり出したというのも耳にした。

 10年後、彼と再び会ったのはテレビ局の楽屋だった。僕らのバンドの活躍を知っていた彼は「すっかり追い越されちゃったな」と屈託のない顔で笑った。

 そして、またしばらく音信が途絶え、89年の春になって今度はレコーディング・スタジオのロビーで彼の顔を見つけた。超アイドル歌手Nのバックの仕事を8年めでやめた、と言っていた。そこで、伊集加代子のアルバムの話を聞いたのだ。

 自分の夢に忠実に、そして必然みたいに音楽に接している彼を見ると、自分がまるで、”中途半端”に思われる。昔からそうだが、彼の屈託のない強さに僕は敬服し続けているのだ。

 彼が語ってくれたこのアルバムのエピソードがある。10曲全部を作詞作曲したのは、ゴスペル歌手で作曲家としても有名なアンドレア・クロウチである。このアルバムをリリースするにあたって、手紙で彼の承認を得なければならなかった。やがて来た返事には、このアルバムがもう1枚作れる以上の額の使用料を請求されていた。確かに初めてカーネギーホールで公演した歌手で、映画「カラー・パープル」の作曲でグラミーにノミネートされ、彼の曲はプレスリーやジョー・サンプル、ポール・サイモンといった人たちがとりあげている。いわば大物なのだ。当然の金額なのかもしれなかった。

 とにかく聞いてもらおうと、録音したテープがアメリカに送られた。そして帰って来たクロウチ氏の答えは「お金はいらない」だった。その素晴らしさに感動したのだ。ただし、条件がある、と手紙にあった。それは何かというと、そのオケ、つまりアレンジメントを使わせてくれ、ということだった。もちろん、使用料も払う、というおまけつきで……。

 と、まあこんなふうに、1枚のアルバムとはいえ、いくつものストーリーがその裏には隠されている。もちろん、そんなことをいちいち知る必要はない。存在だけで充分感動させてくれるのが音楽というものだ。

関口コメント:
藤野くんとはあれから仕事もいくつか一緒にできた。つい3年くらい前にも品川の新幹線ホームでばったり会った。熱海に住んで、東京への往復で仕事することが多いらしい。小さな町で生まれた二人がいろんなところでばったり出会うのってなんだかいいなと思う。

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