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仕事の前に逃げ出す場所

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 テレビゲームの音楽をCDで発売するためのレコーディングが始まろうとしている。今は資料作りやジャケットのデザイン打ち合わせやらで慌ただしい。

 そんな風に仕事が忙しくなってくると、僕は”どこかへ行きたい”病が始まる。そんな余裕などどこにもないときに限って旅行したくなるのだ。雑誌で温泉の記事が目に付く。テレビのCMにも、ああ、ハワイで撮ってるなあ、と目を引かれる。該当の旅行パンフをつい持ち帰ってしまう。マウイ島じゃ、三月までしか鯨を見る事はできないんだよなあ、とか、この時期の京都はひっそりとしてていいだろうなあ、とか、寒いうちはいろんなものがおいしいんだよな、スキーもできるし、ああ北海道かあ、などと考える。

 これも精神的逃避というやつかもしれない。例えば僕が机に向かって仕事をする場合、まず部屋の掃除をして、さらに机の上をきれいに整理しないと仕事を始める気にならない。その話を友人にしたら、それは一種の逃避だと指摘された。確かにそうだ。机の上が汚くて気になる、ということを口実に少しでも仕事を先延ばしにしたいとどこかで思っているからである。

 しかし、それも毎回恒例になってくると、仕事に入るために欠かす事のできない一種の儀式となる。それさえやれば仕事に集中できる、という自己暗示でもある。まったくかわいらしい逃避、である。

 しかし、そんなかわいい逃避に比べて「旅に出たい」と思う逃避はいささか露骨というか、そのまんまだ。これを儀式として実践しようものなら、つまり、目前の仕事をほったらかして旅に出たりしたら、たちまち僕は信用のない男になってしまうだろう。

 そんなバカな事は多分しないだろうと自分では思う。が、例えば僕の場合、作用に対して反作用があるように、「さあ、仕事するぞ」という意気込みと同じ量だけ「逃げ出したい」という衝動が湧いてしまうとする。そこに責任感やプライドやいろんな重しが加わる事によって、かろうじて仕事を遂行しているのかもしれないという気もするのだ。その力関係が崩れたら…。そんな事を思うとかなり自分の足元が心もとなくなってくる。

「家出」あるいは「蒸発」してしまった人の中にはそうやってバランスの糸がぷっつり切れた人もいるに違いない。なにしろ日本中で家出人、蒸発者を含めて、行方の知れなくなった人は一万人以上いる。でも、それがもっと大切なもの、自分の精神のバランスを保つ唯一の方法だとしたら、それは実践した方がいいと僕は思う。そして隠れる所がある国はまだ健康なのかもしれないなとも。

 それにしても逃げ出した人たちはどうやって暮らしているのだろう。僕だったら南の島で魚でも釣って暮らすかな。クルーザーがあったら、一カ月かけて近海マグロを一匹釣り上げただけで悠々暮らしていけるという話も聞いたことがある。それもいいなあ。しかし、困るのは、そんな生活からも逃げ出したくなったときにどうするか、だな。うん、それは困る…。

 とまあ、いつものように一通りそんな事を考え尽くして、僕はもう一つの儀式を終えるわけだ。さあて、仕事しようっと。

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