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僕の習いごと

【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】

 うちの愛犬はふだんはおとなしいが、吠えると、小さな体の割に大声を出して人を驚かせる。振り向いた人が「どんな犬かと思った」と笑うほどだ。まるで身体全体を振動させて発声しているようだ。これが人間並みの体つきだったら、かなりの声量だ。うらやましい。「いいわね、グーッド!」と僕のボイス・トレーニングの先生ならきっと言うだろう。

 僕がボイス・トレーニングに通いだしてからかれこれ五、六年たつ。マン・ツー・マンで教えてくれる先生は僕と同い年、昔はロック・バンドのボーカルをやっていて、その後、アメリカで本格的にボイス・トレーニングの勉強をした女性である。

 ボイス・トレーニングというものをもう少し説明すると、基本的には発生の基礎訓練である。たとえば腹式呼吸の発声のための腹筋の使い方や、通称、裏声といわれるファルセット(ヘッド・ボイス)と地声(チェスト・ボイス)を切れ目なくつなげたり、高い音域を太く発声する方法を身に着けたりするわけだ。

 と書くとたいそうに聞こえるが、難しくはない。週一回通っている僕の場合。スタジオに入って先生とまず世間話、「このあいだ京都に行ってきてさぁ」などと言いながら、首と肩を回す。それからおもむろに「あー、うー、あー」とか「いいいいいー、おおおおーっ」などとスケール(音階)に合わせて発声する。なかには「ぶぶぶ」とか「みゃみゃみゃ」とか、思い切り変な声を出す訓練もある。最初ははっきりいって恥ずかしかった。これが何の訓練になるんだろう、と疑問だった。そのへんはいまだよく分からないままの劣等生だが、声を出す事自体はだんだん快感になってきている。トレーニングの方は、合間に深呼吸と世間話をはさんでいろんなスケールの連続、それが四十五分間。最後には息も切れていたりする。寝不足だったりすると結構きつい。テーブルにあるお菓子をつまんでレッスンは終了である。

 僕のほかに通っているのはプロの歌い手ばかりだ。若いバンドから演歌歌手まで、書き連ねても、絶対に信じてもらえないようなすごい顔ぶれである。生徒たちに対して、先生は歌だけでなく仕事や人生の相談にものる。だれが呼んだか「音楽業界の駆け込み寺」。確かに”ボーカルセラピー”という看板がついているだけある。

 「リラックス、そして息を深く吸い入れることが何より大事、そしたら、声っていうのは思っているより楽に出るものなのよ」と彼女は言う。その通りで、体が少しでもこわばっていると、声をのびやかに出す事はできない。張り上げようとすると喉が閉まってよけいに高い声は出ないのだ。それまで体にしみついていた発声法がいかに不自由なものであったかをすこしずつ思い知ることになる。逆にいえば結果的に僕は自分を少し自由にすることができた。音域は広がったし、声量も増した。作曲にも幅が出てきた気がする。しかし、僕にとって最もうれしかったのは、「自分はまともな声が出ない」と思い込んでいたその固定概念から解き放たれた事だ。ボイス・トレーニング教室の劣等生どころか、僕は人生の劣等生だと時々思う。つまり、音楽に教わるものはまだまだたくさんある。

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