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天国に近い世界。
【1989年にVIP通信でスタートした連載を原文のまま掲載】
古代において音楽は、療法としても使われたといわれる。神智学者で教育学者でもあるR・シュタイナーは、子供の気質を4つに分け、それぞれがバランスよく成長するために必要な音楽がある、といっている。たとえば、ゆううつ気質には弦楽器の曲を聴かせたほうがいいとか、粘液質の子どもは打楽器が向いている、などというように。
そういったことと関連するのかはわからないが、僕個人としては弦楽器の音色が好きだ。特に、人間の声域に近いといわれるチェロの音などは、身体に響き渡ってゆさぶられる、そんな感覚がたまらない。
しかし、季節によっても好みが変わるような気もする。特に、秋から冬にかけてはやけに弦楽器の音が恋しくなるのだ。
お茶の水の小さなホールへ、チェロとピアノの演奏会を聴きに行ったのも、たしか秋の深まった日だったと思う。
クラシック音楽のことはあまり詳しくないので、たいていは高校の同級生であるピアニストの女のコから勧められたものを観に行くことにしていた。だから、予備知識や過度の期待なしに聴くことになる。その方がフラットな状態で演奏を楽しめるような気もするから、僕にとってはよかったのだ。
しかし、その夜は特別だった。というのは、ステージでピアノを弾いたのが当の彼女だったからだ。しかも、メインの方のチェリストは彼女の師である青木十朗氏だった。青木氏は名演奏家として、そして現在、一流オーケストラで活躍中のトップチェリストたちを育てあげたことでも知られている。
僕も彼女づてにそれらの話を聞き、テープやレコードなどで氏の演奏に触れてもいた。しかし、実際に生の演奏を聴くのは初めてだったから、いやがうえにも期待せずにはいられなかった。
青木氏はすでに70歳をとうに越え、彼女とは親子以上に年齢のへだたりがある。オフステージで拝見する限り、年相応の好々爺(こうこうや)にもみうけられる。しかし、ひとたびチェロを構えて演奏を始めるや、その姿は20〜30歳は若くみえる。まして、目をとじて聴いたとしたら、エネルギッシュでロマンチシズムあふれたその演奏は、年齢を推測することさえ不可能にしてしまうだろう。
特に、アンコールでやった「白鳥」には圧倒された。アドリブ部分はジャズのようにさえ聴こえる。これは音楽そのものだと感じた。もちろん、その前にコンサートの間中、鳥肌やら涙やらに、知らぬ間にみまわれていたのだけれど。
彼女のピアノもコンサートがすすむにつれ、力強く聞こえ出していた。それはまさしく彼女だけが生み出す音であり、音楽の雲の上に乗った彼女自身ともいえるものだった。
もしかしたら、音楽は魂だけを取り出せるメディアなのかもしれないな、とふと思った。
そのコンサートから少したって聴いたのが、ヨーヨー・マとステファン・グラッペリの共演アルバムだった。タイトルになっている『エニシング・ゴウズ』は、もちろんコール・ポーターがミュージカル用に作ったあの”エニシング・ゴウズ”である。つまり、このアルバムはほとんど(10曲中7曲)コール・ポーターの曲を取りあげて作ったものだ。ヨーヨー・マとステファン・グラッペリ、コール・ポーター。この三者の組み合わせは、実に楽しそうな匂いがするなと思って手に入れた。そして、予想を裏切ることなく、このアルバムはずいぶん長い間、わが家の愛聴盤になっているわけだ。
チェロ奏者のヨーヨー・マは僕と同い年(’55年生まれ)だが、ヴァイオリンのステファン・グラッペリはすでに80歳を越えている。お爺さんと孫、くらいの年齢差である。
しかも、ヨーヨー・マといえばクラシック音楽、かたやステファン・グラッペリは、ジャズヴァイオリン。そして、中国系アメリカンとフランス人。人種も国籍も異なっている。
それほどに違うこのふたりの組み合わせは、ほとんど奇跡に近いような気もするが、それでこんなに自然で素敵なアルバムが作れてしまうというのはまさしく魔法そのものでしかない。
ステファン・グラッペリのヴァイオリンは、せつないほどに軽やかだ。宙に浮かんばかりの軽いステップで、まさしく踊っているようだ。
80歳を過ぎた本人は、それほど軽快には踊れないに違いないが、魂が踊っているんだなあ、と僕には思えてしまうのだ。
そうすると、身体の老いに魂を同意させてしまった、つまり、身も心も老いきってしまう人は、みすみす軽いはずの魂に重しをつけて、オリの中に閉じこめているようなものなのかもしれない、などということまで考えてしまう。
音楽というメディアの中では、年齢も国境も人種も存在しないのだろう。お互いへのリスペクトと透徹した個性があるのみだ。
それは、考えてみると理想的な世界なのかもしれない。ずいぶん楽に生きられそうな気がする。限りなく天国に近い。