真っ赤な車に乗って
【1993年に新潟日報でスタートした連載を原文のまま掲載】
車のディーラーから車検の知らせが届いた。今の車に乗り始めてから三年もたってしまったわけだ。あの車とのお付き合いもはや三年、と思うとやけに短かった気がする。というのも、いまだに駐車場や路上にとめてある愛車に向き合う度に、どきりとするからである。しかし、それが新鮮な感動かといえば少し違うような気がする。ちょっとした違和感といったほうが正しいかもしれない。
なにしろ真っ赤なワゴンである。それも目に痛いような派手な赤なのである。スペインの牛だったら、迷わず突進してきそうな赤である。シロかクロかはっきりしなさい、と言われた時でも、これは赤ですと言えるような赤なのである。
免許を取った時に、三十歳という免許取得には遅まきと言わざるを得ない年齢のせいもあって、まわりからは「よしなさい」の声が合唱状態だったが、この車を買ったときも同様だった。「よしなさい」とか「どうしてこんな色を」とかさんざん言われたものだ。
もちろん「きれいだ」「かわいい」という声もなかったわけではない。僕も、絶対にきれいな色だし、デザインともマッチしていて抜群にかわいい車だと今でも信じている。
しかし、それが似合う、似合わないというのは別な話だ、とまわりの人たちは口をそろえる。つまり、おまえには似合わない、というのだ。
ほっといてくれと僕は言うしかなかった。ほかに反論のすべがなかったせいもある。
小さい時のことをふと思い出した。当時の僕は赤は女の子の色だと思い込んでいた。そんな色のものを身に付けるのはとても恥ずかしいことだと信じ込んでいたのだ。新しく買ってもらったサンダルの模様の中にほんの少し赤い色が入っていただけで、僕は保育園に行かない、とダダをこねたものだった。そのころ毎日の送り迎えがこの真っ赤なワゴンだったら、と考えると恐ろしい。間違いなく登校拒否児になっていただろうな。
その僕があえて赤い車を選んだのにはたいした意味はない。ワゴンがとにかく欲しかったのだが、ダーク系の色だとまさに商用車、という感じになりそうだったからである。
それから、何年も車に乗ってやっと最近気付いたことだが、僕自身、あまり運転することは好きではないようだ。特に都内の運転は、である。気乗りしないときの運転はやはり危ないに違いない。そんなときはこの車に向かい合うと、結構しゃんとしたりする。目が覚める気がするのだ。意外な「赤」の効用だった。
かといって、もちろん部屋中を真っ赤にしようとは思わない。色は生活のめりはりでもあるのだから。
「色」が精神に及ぼす効果は相当に研究されているらしい。しかし、T・P・Oによって必要な色を選ぶのは、その人自身。つまり、僕にとって赤は運転の色、なわけだ。さしずめ緑は散歩の色かもしれない。スカイブルーは昼寝の色だろうか。もちろんこれは僕の個人的な処方箋でしかない。運転大好きで興奮し過ぎる人には、心安らぐ色をお勧めしたい。
この真っ赤なボルボのワゴンとはもう何回か車検を迎えるまでお付き合いしそうな気がする。次の車は今のところ考え付かない。
関口コメント:
結局、真っ赤なボルボ240ワゴンとは正味20年以上の付き合いとなった。出産後の長男を産院から乗せて帰ったりしたいろんな思い出がたくさん刻まれたボルボは、僕が首と腰を悪くして、低い天井の車に乗り込みにくくなってしまったことから数年前に手放すことになった。他にももちろん電気系統や冷房やサスペンション、手がかかる時期を迎えてはいた。恵比寿の立体パーキングに入れようとした際に係の若造に、「クラシックカーですねぇ!」と言われてハッとしたこともあった。それでも生涯で一番思い入れの深い車だったことは間違いない。
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