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関口和之『アーカイブ』

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自称ウクレリアン・関口和之の過去のコラムや作品などを掲載します。
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#CAZ

ONE

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  ニューヨークのダウンタウン、アスタープレイス駅の近くで、僕は一人の女の子を見かけた。  ダンスシューズの入った大きな黒いバッグをかかえ、もう一方の手に下げたビニール袋には、彼女が初めて作った野菜スープが入っていた。おそらく、ボーイフレンドの部屋にスープを届けた後で、スタジオへいつものレッスンに出かけるのだろう。まるで歩くことや呼吸することが即ち生きることなのだというように軽

LISTEN TO THE MUSIC

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  最近、ジャズ・クラブやライブ・ハウスによく出かける。いろんな意味で、昨今の大ホールのコンサートに欠如しているものがそこにはある、と僕は思う。  先日も六本木のピットインで大村憲司バンドを見た。メインの大村さんをはじめ、メンバーは息の合ったベテランぞろい。和気あいあいとしたなかにも、それぞれの個性がはっとするような輝きを放つ、本当にのびのびと楽しいライブだった。しかも真近でそう

I WANNA BE FREE

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】 「英語塾に行きたい」と自分から言い出したのは、たしか小学校5年生の時だったと思う。たいした意味はなかった。あのクネクネした字で自分の名前が書けたらカッコイイな、と思っただけだ。さらに、その決心と同時に本屋で和英辞典を買った。これはけっこう遊べた。「ゾウはエレファントっていうんだぜ」とか「ヒポポタマスってなんだか知ってるか」などと面白がっていたのだが、それもそのうちもの足りなくな

SILENCE IS GOLDEN

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  おとなしい。口数が少ない。寡黙。口が重い。静か。口下手。寡言。温厚。ーーこれだけいろんな表現があるのに、僕に向かって投げられるのはいつも「ムクチなんですね」のひと言。  このムクチという言葉自体、ずいぶんホラー的で乱暴な言葉だとかねてから思っていたが、こんな言葉でひとくくりにされた日には、おとないい人も口数が少ない人も寡黙な人も怒り出すゾ!ーーなんてことはないだろうが、要する

BORN TO BE WILD

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  1枚の写真がある。  木もれ陽のかかる田舎道をバックに、3歳の男の子と4歳の女の子が並んでいる。半ズボン姿で色白な男の子は、所在なそうにしゃがんでいる。その後ろに立っている女の子は、水玉模様のワンピース姿。男の子の貧弱な身体に比べると、明らかに骨太。なによりも、まんべんなく日焼けしたその顔が、黒光りしているのが印象的だ。  なんの説明もなければ、誰も2人が姉弟だと気づきはしな

THE LETTER

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  友人の奥さんは夜中に手紙を書く。”趣味”で書いてるんじゃない、と本人はいうそうだが、とにかく気がつくと誰かしらに手紙を書いているらしい。書いている最中は真剣そのもの。友達が話しかけても答えてはもらえない。何度も消したり直したりしながら、ようやく書き終わると、「ああ、疲れた」と一大仕事を終えて精魂つきはてたという顔で、布団にもぐり込むのだそうだ。  だからこそ、彼女の手紙には

DANCE WITH ME

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  「踊り子になりたかったの」  ここ数年の間、女の子から聞いた台詞の中で最も気に入っているひとつがこれだ。台詞の当人は楽器店で働く、見る限り普通の女性である。 「クラシック・バレエでもジプシーダンスでも何でもよかったんだけど……踊り子ってのに憧れてたのよね」  と彼女は言う。「踊り子」という言葉の響きも新鮮だったけれど、僕はその、漠然とした夢自体がとても気に入ってしまった。  

YOU'VE GOT A FRIEND

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】   半年に一度、あるいは年に一度の割合で、思い出したように電話してくる男がいる。大学の同級生だったそいつは、群馬県にある会社に勤めていて、ここ数年顔を合わせていない。といっても、実際は思い出したから僕に電話してきたわけではない。彼らにとっては、毎回正当な理由があるのだ。  あれは何年前だったか、久しぶりに聞く声が懐かしくて「仕事はどうなの?」とか「あいつどうしてる?」などと会話

YOUR SONG「僕の歌は君の歌」

「川沿いに見える赤い屋根が僕の家だった」小さい頃、まわりが畑や空き地だったこともあって、僕の家はわりあい遠くからも目立って見えた。赤い瓦ぶきのの屋根は小さな町の中では珍しく、緑の庭木に埋まった赤い屋根と白い漆喰の壁は、遠目に見るとおとぎ話さながらに愛らしかった。少なくともその頃の僕は、そんな風に思って誇らしかったのだ。  その瓦が意外に色あせていてサラサラと愛想のない感触だということを知ったのは、初めてその屋根にのぼったときだった。晴れわたったその午後の興奮をよく憶えている。

NO REPLY

【雑誌「CAZ」にて1989年に連載スタートした「プライベートソングズ」を原文のまま掲載します】  最近、3人の女の子の電話が音信不通だ。というのは、回線が切れてたり、電話機が故障しているわけではなく、向こうから電話もかかってこなければ、こちらがかけても返事なし、なわけだ。はやりの留守番電話の応答でもない。アドレス帳に書かれた電話番号をまわすと、例の、 「この電話番号は現在使われておりません。もう一度お確かめになっておかけ直し下さい」 という抑揚のないテープの声が流れる。つ