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辛くて苦しくて眠れなかったから

最近、何か特定の出来事が起きたときではなく色々な場面で、辛くて苦しくて心臓あたりがギュンッと痛くなり泣きたくなることが頻繁にあった。
そして夜布団に入ってから漠然とした不安や恐怖を感じて辛くて苦しくて、外が明るくなるまで眠れない日もしょっちゅうあったし、寝付くまで2時間くらいかかるのが普通な日常だった。

でも昨日の夜はやり切った達成感に近しいものと共に気持ちよく眠りにつけた。結構すぐ眠りにつけた気がしている。




そして何より衝撃を受けたのは今日の元気さ。


1番びっくりしたのはサークルで、「日立産業制御ソリューションズの広告流れてくる?」って話をできたとき。

こんな雑な本当の"雑"談を自分から始められた。しかもどう思われるか不安って感情がゼロだった。何も考えず気づいたら話し始めていた。

いつからだろう、どう思われるかを常に考えてひとことふたこと話すのにも苦しさを感じていた。
だからこそ、いわゆる"普通に"話をできた瞬間に感動した。
「雑談できる人はどんなこと考えながら話してるんだろう?」とか思ってたけど、何も考えてなかった。何も考えていないという感覚をしっかり感じ取れた。


今日1日を振り返るとやっぱりびっくりするほど元気だったなと思う。

朝ご飯のあと普段ならもう一度寝るのに、今日は片付けしちゃったり、いつのか分からない洗い物をしたり、久しぶりにお茶を作ったり、溜めていたタスクを消化したり、しかも雑にこなすのではなく丁寧に作業したり、乃慧にしては有意義すぎる時間を過ごせた。

そして5限の授業に対面で出席したのだけど、授業の時間を有効活用して1ヶ月以上前のLINEを返したり、溜めていた家計簿を記入したり、これまた有意義な時間だった。授業聞かないの当たり前だと思ってるのは見逃してください...

そしてその後のサークルで上に書いた出来事が起き、その瞬間以外でもいつもより自分から人に話しかけられているように感じた。

そして(そしてばっかり使ってるの気に食わんけどそれ以外の言葉が思い浮かばない)、サークルからの帰り道、電車に乗ってからしたこと。

確認事項があり少々めんどいLINEが来ているのが目に入った。いつもならめんどいから後回し。当たり前のように。

でも今日は違った。今からでも確認できるじゃん。LINE開いて、確認して(音源だったからわざわざイヤホン取り出してまで)、その調子で他のLINEも少し返信した。

授業中に返信できるのはやることがなくて暇だから。電車に乗ってるときはスマホいじりたいし本読みたいし寝たいしやりたいこといっぱいあるのに、少々めんどいLINEの返信をすんなりできた。

これの何がすごいんって思うあなた。あなたはめちゃくちゃすごいよ。LINEが来たら、まず来てることを確認し、内容を読んで理解し、確認事項があれば確認し、返信する内容を考える、返信する文章を考え、通常送信かサイレント送信か考えて、送信する。こんなにも行程があるLINEの返信をノンストレスでできる人が本当にこの世に存在しているんだとしたら大尊敬する。

「やることがいっぱいあるとパニックになって結果全てを放棄する」
という性質?性格?の持ち主なので、LINEも苦手なことの1つなんだよね。

でも今日はそれができた。1つじゃなく複数で。しかもノンストレスに近い状態で。これは本当に奇跡みたいなこと。


今日のことをたくさん書いたけど、つまりは急に精神的に元気になったことにびっくりしたって話。

なんで眠れないくらい辛くて苦しかった状況から急に元気になったのかってのが問題だよね。




それは昨日の夜ママとパパ宛に手紙を書いたから。

1時間以上かけてB5サイズ9枚分。

こんな辛い思いしてるよってこと。
こんな夢抱いてるよってこと。


昨日の夜、そろそろ寝ようかなと思い始めたときはいつも通りわけのわからない苦しさを抱えていた。

わけのわからない不安をせめてわけのわかる不安に変えたいと思い、頭の中にあるものをとにかく紙に書き出す。後から見返したら読めないような字でぐちゃぐちゃでもいいからとにかく書く。いつも通りそんなことをしていた。


でも、頭ではわかっても心ではわからない不安。やっぱり苦しさは残ったまま、むしろどんどん考えてしまってさらに苦しくなった気もするそんなとき、ふと『親が死ぬまでにしたい55のこと』という本が目についた。

とあるきっかけで春頃にこれを読んだのだけど、そのとき本に書いてある55のこと以外で自分がしたいことを本の中に少し書いていたのでそれを見返してみた。


「手紙を書く」「夢を語る」


この2つを見たとき、20歳の誕生日でも成人式でも手紙を渡そうとしたのに勇気がなくて書くことすらできなかったことへの強い後悔が出てきたからなのか、絶対にやりたいことだと思った。

少し前にパパから電話があって、大学ちゃんと行ってるの?って聞かれたときに、咄嗟に「うん」って嘘をついてしまったことを後悔していたのもあって、


"ママとパパには本当の乃慧を知っていて欲しい"

という感情が生まれた。


手紙でどんなことを伝えたいかな?
どうやって書き出したらいいんだろう?

そんなことを考えていたら、いつか書こうじゃなくて今書いちゃえばいいじゃんって思った。

でも便箋を用意して書くのはなんか違う。下書きのようなものを書きたいだけ。
だから、さっきまで雑に思いのままをぶつけていたノートの新しいページを開き、シャーペンから太めのボールペンに持ち替え、「ママとパパへ」と書き始めた。

ある程度伝えたいことを考えていたから、
次から次へと筆が進み、気づけば9枚分書いていた。

本当の乃慧を知って欲しいから手紙を書いている。
大学に行けていないことに苦しんでいる。
眠れない夜がある。
でも夢がある。

ママとパパに知って欲しい乃慧のこと、誰かに聞いて欲しかったこと、色々と書いて最後はポンコツかましながら終えた。(「2024年6月17日 濱口乃慧。」と書いた。名前の後に「。」をつけた。)

書き終わったことだし、気づけば3時を過ぎているし、「寝るか」と電気を消して仰向けになった瞬間、久しぶりの感覚を味わった。


苦しくない。

1日が終わって寝るんだ。今日も生き切った。

そんなような感覚だったと思う。すごいよく頑張った日に味わうような感覚。久しぶりに辛くも苦しくもなく寝られる。それがどれだけ嬉しかったことか。



こんなことがありました。

きっと、
分かってもらいにくいことを伝えたいから自分の考えを頭の中で整理しながら丁寧に書き綴った。
それが乃慧を救ってくれた。

いつものように雑に全てを書き殴るのも大事だけど、ゆっくり整理しながらアウトプットするのも大事なのだなと。手紙を書くことで一緒に頭の中も整理されるのだと思う。

そしてよくある手紙のWSというのはこのためなのかなと、やっと分かった。


辛くて苦しくて眠れなかったどん底の乃慧を救ってくれたのは手紙を書くことだったというお話でした。

たまたまかもしれない。いや絶対にたまたまだ。

でもまたどん底へ落ちたとき、きっといつか這い上がれる時が来ると少しは信じられるようになるだろう。
「自信がついた」とは到底言えないけど、自信をつける準備くらいは始められたかな。

ママとパパへ書いた手紙は2人のもとに渡るのか分からない。まだ2人に渡す勇気はない。

いつか本当の乃慧を知ってもらって、本当の乃慧を応援してもらえますように。


心が元気でいられること。これがどれだけ幸せなのか分かりすぎるくらいに分かった。

明日になればもうこの元気は無くなっているかもしれないけど、とりあえずは今のこの元気でいられる時間を大切に生きようと思う。

元気にさせてくれたすべてのヒト、モノ、コト、そして自分、本当にありがとう。


幸せです。

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