人と関わるのが怖い。何も話せない。
人と関わるのが怖い。
強くそう感じることが頻繁にあって、当たり前のように人と関わり会話することに苦手意識がある。
他人と会話をするとき、やはり自分1人の問題ではないから、
この発言をしたら相手を傷つけてしまうんじゃないか?
この発言をしたら場を冷めさせてしまうんじゃないか?
そんなことを考えると、出てきそうだった言葉も全て引っ込んでいくんだよね。
そんなこと気にせずとりあえず思ったままに伝えてみればいいじゃんと思う反面、誰かがぼそっと言った一言がずっと自分の中に残り続けてそれが負荷になったという感覚が残っているようで。具体的にどんな記憶と言われると思い出せないのだけど。
だから、自分が軽はずみに発言することで相手を深く長く傷つけてしまう可能性を考えてしまうと本当に何も発言できなくなるんだよね。
相手がどんな人かを読み取るのもすごく苦手だから、出会って日が浅い人なんてものは上部だけの教科書に書いてあるような会話しかできないわけで。出会って長い人、たとえば家族や小中学校からの友達でさえも、会話というのは難しいなと感じることは多くて。
東京に来てから少し感じているのは、東京の人という括りにしていいのか分からないけど、東京に来てから出会った多くの人は乃慧にとって話すテンポがとっても速くて、いかに自分の発言を短く伝えられるかってことを常に考えている感覚があるのね。だからふと思ったことを一旦脳内で再生して必要なところだけ取り出して伝えたり、話し始めてしまったらできるだけ端折りながら伝えたり。
でも、わかりやすく伝えるのが苦手というか、自分にとっての当たり前と周りの人にとっての当たり前にどのくらい差があるのかをうまく掴めなくて、端折ってしまったら伝わらなくなる部分を端折ってしまって、うまく伝えられないし、あとはシンプルに"普通"とはズレてる人間なのでうまく感情を共有することもできず、とにかく伝わらないわけですね。
たまたまなのかもしれないけど、三重で出会った人、東京で出会った三重出身の人たちはなぜか話のテンポが比較的合う気がしていて、話しやすいなと感じることが多い気がする。
話が右往左往してしまうが、端的に伝えることがすごく苦手なのは、考えすぎてるからこそ考えすぎた経緯を説明しないと正確に伝えられないということがあると思うんだよね。だからこうやってnoteなどの文章を利用すると、ゆっくり丁寧に長く細かく伝えられるから、しっかり読んでくれた人にはわかってもらえることもあるのかなと思ってる。
という、最近感じているモヤモヤを少し言語化してみたけど、いくら自分の状況がわかっても解決策は何も出てこず、自分の状況を把握する一方で苦しむばかり。
やっぱり、楽しそうに会話できる人には憧れるし、何か言葉をかけてあげたいのに何も言葉が出てこない自分に腹立つようなときもあるし。
怖いなら苦手ならただただ向き合い続けるしかないのだとも思うけど、ただただ向き合うってどうすればいいの。テキトーに何も考えずに会話してしまえばきっと誰かを傷つけてしまうから。
もし何かちっちゃなことでもほんの少しでも解決に繋がるかもしれないことがあるなら教えてくださいというヘルプnoteでありながら、自分の苦手ととことん向き合ってより自分を苦しめるnoteでもありながら。いつか怖がらずに純粋に楽しみながら会話できる日が訪れますように。