DTMを始めました*.∗̥⁺
2018年はプライベートでは手術で入院したり、いろいろと心も身体も辛いことがあって、そんな中、心の中ではDAWの勉強を少しずつ始めていこう…という想いがありました。
作曲は中学生の頃、アイドルに憧れて芸能事務所を応募したりしていた友達がいて、その友達の書いた詞に、メロディーをつけたのが一番最初だったかもしれません(*´_`*)
自分は、その頃作曲にはあまり興味はなく、物語をよくノートに書いていました。
小さな頃から音楽が大好きでしたが、楽器を持っていませんでした。親友のお姉さんがアップライトピアノを持っていて、お家に遊びに行った時、ピアノを見て『すごい…』って思ったのを今でも覚えています。小学校の1年生くらいでした。
小学3年生の時、引っ越しして新しい家に住み始めた時、親が誰かから中古でオルガンを頂いたみたいで、部屋に置いていました。母が良く弾いていたので、わたしも真似をしてそのうち両手で弾けるようになりました。
この頃、引っ越しのストレスから体調を崩し、学校に行くのが怖くて行けなくなってしまった時期が何ヵ月かありました。
この頃も辛かったなあ…
5年生の時、仲良しの友達がエレクトーンを習っていて、その演奏を聴いてすごく感動しました…その時から、シンセサイザーの響きに惹かれていったような気がします。
友達と同じピアノ教室に通いたくて、親に何度もお願いをして、習わせてもらうことができました(月謝が高く、なかなかokしてもらえませんでした💦)
初めはエレクトーンがなくて、オルガンに足を載せてベースを弾いていました(*ToT)子供ってすごい…
実はその頃は楽譜がちゃんと読めなかったのですが、その教室では楽譜の読み方は教えてもらえなくて、先生が最初弾くのを聴かせてくれるので、これを練習してきてね、みたいな感じでした。
だからほぼ耳コピで弾いていたみたいな感じでした(*´_`*)
でも、その音楽教室には大きなグランドピアノや、エレクトーンも何台かあって、本当に憧れの場所でした。
6年生の時、親の薦めでもう少し月謝のリーズナブルなヤマハ音楽教室に移りました。
そこで優しいお姉さんのような先生に楽譜の読み方をきちんと教えてもらって、学ぶことができました。
この頃は家に中古のエレクトーンみたいなもの(エレクトーンではない)があったのですが、
教室で使うヤマハのエレクトーンの音や鍵盤の感触がすごく好きで憧れていました…音色もどんどん増えていってて、鍵盤が3段とかでとにかくすごかったです。演奏の途中で音色を代えたり、リズムを入れたり、発表会の前はそんな練習も沢山しました。
音大に行きたいと小学6年生までは思っていましたが、中学生の頃はすでに看護師になると決めていました。いろいろ考えてそれが一番現実的だと思っていたみたいです。
中学生の頃は、吹奏楽部に入ったことで習い事に行けなくなってしまい、ヤマハ音楽教室を辞めなくてはいけなくなってしまいました。
そこから、高校時代は吹奏楽部と人数の少ない合唱部にも在籍していました。後半は母の病気で部活には行けなくなってしまいましたが(ฅω`*)
高校生時代、自分の音楽観を全く変えてしまうアーティストに巡りあって、シンガーソングライターの存在を知りました。
そして、そのアーティストさんの曲や、その頃好きだった、ショパンノクターンや、幻想即興曲、花の歌などを弾きたくて、卒業してからバイトをしてアップライトピアノを購入しました。
その頃から作曲を初めて、ヤマハのコンテストに1度応募したり…
社会人になってからは、初任給でローランドのステージピアノを購入しました✨✨✨
こんな感じで、作曲を続けている中、沢山の人との出会いやご縁があって、初音ミクの存在やDTMに出会うことができました(*´ω` 人´∀`*)゚♡°・
だからこれからも、音楽とはずっと、一緒に歩いていく人生なんだなあ…って思います☕️(*´_`*)♡