薔薇の名残 第五章 転落編
第五章 転落
一 自堕落な男の罪滅ぼし
それから二年もしないうちにサ社は、業績が傾きだした。
例のゲーム機やその関連設備の類いが売れなくなってきたのだ。――というより、テーブルを用いたそれに代わって、卓上のそれが出現したのだ。
それまでは、ゲーム機といえば、喫茶店やゲームコーナー、あるいは悪ガキどもの溜まり場とされるゲームセンターに置かれていたテーブル筐体のそれだったが、折から登場したそれは、あっという間に市場を席巻した。
しかも年代もさらに下の、小学生でも遊べるものに変わった。つまり、健全な子どもたちは危険な遊び場に行かずとも、家庭の、それもテレビモニターを使って遊べるようになったのだった。まだデジタルという言葉もなかった時代だった。
テーブル筐体の売れ行きがぴたっと止まったばかりか、それまで納入されていたものまで返品されてくるようになった。リースのものでさえ、契約期間が生きていても返されてきた。当然、それに伴う設備関係もすべて動かなくなっていた。
アメニティを標榜する弱小ホテルは辛うじて、その手のコーナーを設けてくれていたが、これまで飛ぶ鳥を落とす勢いだったゲームセンターまでが新規の契約を結ぼうとしなくなったし、なかには廃業する業者まで現れた。
儲からないと知ると、即座に打ち切るのが方針であるサ社は、その方向での企画開発は行わなくなっていた。その代わり、私たちに課せられた企画開発部の業務や作業の多くは、ホテルなどの宿泊施設や娯楽施設を今後、どう維持管理し運営していくのか――といったことに焦点が絞られるようになった。
パチンコ店など風適法でいう第4号営業は別として、第5号に属する遊技・娯楽関連施設に関しては客単価が低いとして徐々に撤退し、必要最低限のものだけを対象に時間を割くこととしたのだが、M&Aしたホテル・ニューロワイヤルなどの物件はものがものだけに、そのお世話が大変になった。
売るに売れない以上、リーシングしての経営参画だけでなく、直営物件として面倒を看るしかなくなってしまったのだった。かつては、先輩たちの姿を見るだけで済んでいた私たちは、今度は見られる側の立場になっていた。
浴びせられる罵詈雑言、嫌味・皮肉・失笑の数々を項垂れて聞くしかなかった。
シーズ・ミーティングの席上で交わされる役員たちの会話や叱責のほとんどは、経営陣に対してではなく、部門の長に対してのものだったので、企画開発でいえば、一番矢面に立ったのは、飯田部長だった。
飯田部長の端正な顔が、恥辱に歪むのを見るのは耐えられなかった。
和倉さんの上長は、売り上げと直接関連のある部署ではなかったので、飯田部長ほどの屈辱を味わうことはなかった。だが、だからといって彼女に無関係というのではなく、和倉さんにしてみれば、企画開発と連携する部分も少なからずあっただけに、恥辱に歪む飯田部長の顔を見るのは相当に堪え難いようで、我がごとのように苦しんでいる様子だった。
「あれでは、飯田部長があまりにも可哀想だわ」
和倉さんが私の隣にやってきて、周囲に聴こえないようにして言った。
「どうしたの」
「いま、役員室にお茶を出しに行ってきたんだけど、飯田部長が六郷崎常務に怒られているの。それも執行役員の前でよ――」
「なんだって言ってるの」
「企画開発部の成績があがらないのは、飯田部長の所為だって……」
「そりゃ、ないよ。基本的に企画開発は、役員さんたちの出す発案に従って、業務を遂行している立場だからね」
「でしょ。まったく自分勝手すぎるわ――」
「社としての業務命令である以上、飯田部長も反論し辛いのだろうけど、あまりにもそれが酷いとさすがの部長もキレるかもしれないね」
「そう。それを心配しているのよ――」
和倉さんは、胸に両手をあてがい、深い溜息を吐いて言った。「でも、結局は、それができないなら辞めなさい――っていうことになるんでしょうね」
「ああ、酷いもんだ」
私にはわかっていた。
彼女が、飯田部長に思いを寄せているということを――。
それだけに、彼女が憤慨しているのを見ると、私にも心配が募った。彼女の、その一途な思いが否応なしに伝わるからだった。飯田部長も独身だったから、余計に彼女の辛さは増すのだろう。私は、そんなふたりを応援したいと思った。
ある意味、彼女や彼は、この社における私の恩人でもあるのだから――。
それこそ和倉さんが、かつて言ってくれたように、「私たちは仲間」なのだ。彼女は私を仲間だと認めてくれた初めてのひとだった。そうでなければ、私は今日までこの社の社員であることをしていなかったかもしれない。
その恩義に報いるためにも、私は彼女のためになにかしなければならなかった。
彼女は、私がこの会社に来てショックを受け、もっとも不安で支えるものを必要としていたとき、だって、同じ社員なんですもの――と真正面から私を受け止め、殺伐としたこの会社で唯一、頼りにできる存在となってくれたひとなのだ。
あのときの感謝の気持ちを忘れまい――。
思えば、私はいつも、際どいところで誰かに助けられてきた……。
リュンにしてもナオにしても、チッチにしても、なにかしてやったことがあっただろうか。心から喜んでもらったことが一度でもあっただろうか。鳩山社長に対してもそうだ。あのひとに感謝されるようなことを、なにかしてあげられただろうか。してもらいこそすれ、させてもらったことなど一度もないのではないか――。
すべてのひとがもう、私の手には届かない存在となってしまったいま、彼女のほかに報いる相手がどこにいるというのだ。後悔しないうちに、まだそれに気づいているうちに、正気であるいまのうちに、誰かの助けにならなければならない……。
でないと、私は、本物の恩知らず――になる。本物の人でなし――になる。
自堕落な男の、せめてもの罪滅ぼし。できることなら、彼らに対してしたかった。彼らに対して報いたかった。満額の恩返しとまではいかないものの、せめてその恩の百分の一でも、笑顔で受け取ってもらえるようにしたかった。
「なにか、わたしにできることはないでしょうか」
私は、役員室から戻ってきた飯田部長に訊ねてみた。なにをするにせよ、まずは助けを必要とするかどうかを知らなければならない。不要なことをやって迷惑をかけるようでは、却って足手まとい。なにもしないほうがまし――ということになる。
「大丈夫。きみは心配しなくていい――」
飯田部長は、明るい笑顔を取り繕って行った。「こんなのは、いつものことだからね。連中はなにごとも、自分たちの責任にはしたくないんだ」
「でも、悔しくないんですか」
「そりゃ、悔しいさ。けど、それが組織ってもんだよ」
飯田部長は、さらに明るい作り笑顔を拵えて続けた。「嫌なら、辞めればいいだけのことだからね」
「それじゃ、相手の言いなりじゃないですか」
「三崎君。気持ちは嬉しいし、その好意に対しては有難く思う――」
飯田部長は続けた。「けど、言いなりになっているように見せて、その逆を行くのもまたひとつの手じゃないかと思うんだが、どうだろ」
「――といいますと……」
「ま、見ていたまえ」
飯田部長は、片目を瞑って意味ありげな笑みを見せると、正面から私の肩をぽんと叩いて言った。「人間万事塞翁が馬――ってこともある」
「なんですか、その『じんかんばんじ』なんたら――って」
「この世には善いこともあれば悪いこともある。一概には決められないってことさ」
「よくわかりませんが……」
「いずれ、わかる。気にしなくていいよ」
今度は、本物の笑顔が私の眼の前で輝いた。眩しいくらいに……。
「でも、ほんとに。なにかあるときは、言ってくださいよ」
「ああ、わかった。ありがとう」
彼は、明るい笑い声を私の耳に残して、自分の席に戻って行った。
私はその後姿を見ながら、いままでの重く息苦しい気分が幾分か軽くなった気がした。自堕落な男のせめてもの罪滅ぼし。こんな私でも役に立つのなら、いつでも使ってください――という気持ちだった。
二 決然とした尚武の気
ひとの役に立つ――ということは、どういうことなのか。ひとのためになる――ということは、どういうことをいうのか。私は、そのどれひとつを取っても経験したことはなかった。つまりは、自分のためでしか生きてこなかったということだ。
世のため、ひとのため――とはいうが、真にひとのため、あるいは世のために生きているひとを、私は寡聞にして知らない。
我欲――。つまり、自分の欲のためにのみ、己の人生を生きてきたのが、私だとすれば、他人の欲のために己の人生を捧げられるのか――と問われたとき、その人間はなんと答えればいいのだろう。そしてまた、いったいどれだけのひとが、この問いに対して真摯に「イエス」と答えられたろう。
百パーセントでなくてもいい、その半分でも己の人生を捧げられるのであれば、それは本物だ――といえるのだろうか。それとも、そんなのは嘘っぱちだ、それが何十パーセントであろうが、百パーセントでないかぎり、それは本物に似せた紛い物でしかない――というのだろうか……。
私は、飯田部長の「気にしなくていいよ」の意味をとりかねていた。
中途半端な手助けなら要らない、本気での手伝いなら受けてもいいが、お為ごかしのちょっかいはよしてほしい――ということなのだろうか。それとも、本人も言うようになんらかの算段があって、自分で処理できるからいい――というのだろうか。
字義どおりに解釈すれば断然「後者」だろうが、私にはなんだか違うものがそこには含まれているような気がした。私の眼前で輝いたあの笑顔が、あのとき感じたように「本物」だったとするなら、それはそれで私の出る幕ではない。
しかし、なにかしら引っかかるのだ。もともと能天気で鈍感な私がいうのだから、当てにはならないが、私にはその笑顔の中身が気になって仕方がなかった。
「どうしたんです、三崎さん」
「え」
どこから現れたのか、いつの間にか、私の席に来ていた和倉さんが目の前に立っていて、驚いて顔をあげた私を見降ろして言った。
「なんだか浮かない顔をしてますけど……」
「ああ」
私は、頷いて答えた。「ちょっとね。飯田部長のことを考えていたんだ」
「飯田部長のこと――」
「この間、なにかできることはないか――と訊ねてみたんだけど……」
「うん――」
「なにか考えがあるらしく、気にしなくていい――って言うんだ」
「そう」
彼女は、ちょっとした考えごとをするときは、必ずそうするように親指と中指で下顎の二本の歯を数秒ほど挟んだあと、手を離して言った。「きっとなにか考えておられるんだと思うわ……」
「だろうね――。だけど、その中身がわからないんだ」
「知らなくていい――かもしれない」
「なんで」
「気にしなくていい――って言うのは、そういう意味だから……」
「よくわからないな」
「要するに、じんかんばんじ――ってことね」
「なんなの、それ。飯田部長もそう言ってたけど……」
「ときが教えてくれると思うわ――」
彼女は、私の眼をはっきりと見て言った。「部長は、ことを起こす前には決して思いを口に出されない方だから……」
そう言い終わると、彼女は私の机の上を両の掌でどんと叩いた。
そして無言のまま、自分の席に戻って行った。その動作になにか特別な意味が込められているのかどうか、私にはわからなかった。机が叩かれた瞬間、彼女の眼に決然とした尚武の気のようなものが一閃したようだった。
そんな彼女の表情を見たのは、これが初めてだった。
その意味を問うのは、しかし、気の弱い私には憚られた。しかも、その問いを受け付けないほどの気迫が、去っていく彼女の後姿には漲っていたのだ。
おそらく、私の話を聞くことで部長の思いが彼女に乗り移ったのだろう。でなければ、あれほど彼女が動揺するはずがない。少なくとも私以上に、彼との付き合いが長い彼女のこと。その思いが伝わらないはずがない。
和倉さんはなにかを感じた。そしてなにかを悟った。
彼女にしか知りえない、なにかを――。
しかし、それを事前に知ることは許されない。ときがそれを教えてくれる――と彼女は言った。つまりは、知らなくていいのだ。
私は、そのときがくるのを待つことにした。
三 追加質問の愚を犯す者
季節は秋に入りかけていた。朝夕の空気がめっきり冷たくなってきていた。
私は、あれからもずっと考えていた……。
ひとの役に立つ――ということについて。ひとのためになる――ということについて。何度も言うが、私はそのどれひとつを取っても経験したことはなかった。
社会的常識の欠如した男である私が、そんなことを口にできる筋合いはないかもしれないが、それでも不思議に思うのは、ひとはどうして、ひとの役に立つことができるのか……。そのことが、どうしても理解できなかった。
この世に無駄な生はない――という。
ということは、ひとは生きているかぎり、なんらかの形で役に立っているということになるのだろうか。無駄という概念が、有益という概念と相対峙するというのであれば、その中間にあたるものとは、一体どのようなものをいうのだろう。
それとも、無駄と有益とは一本の数直線の始端と終端を含意する言葉であって、その両極の度合いを便宜的に名付けただけの表現に過ぎない――のだろうか。だとすれば、それは濃いか薄いかだけの問題であって、単に相対的なものでしかない。
あるひとにとっては善であり得ても、別のひとにとっては悪でもあり得る。
つまりは、それが役に立っているか否かについては、受け取る側の主観のなせる業なのではないか――。あるいは、それを提供する者の思い込みに過ぎないものなのではないだろうか。そのように思いなすことで初めて成立する善、もしくは役立つという意識は、相手にとってどれほどの価値を持つかによって変容するはずだ。
当人がよかれと思ってなすことは、相手にしてみれば「有難迷惑」もしくは「傍迷惑」な所業であり得る。当人にとっては自己満足な所業であっても、相手にとっては押しつけがましい以外の何物でもない所業にもなり得る。
そういう風に考えを進めて行けば、畢竟、親切心とか親心、老婆心・老爺心といったものは自己満足以外のなにものでもない――ということになる。ならば、正義感というものも、それと同等の構造を持つ概念といえるのではないか。
これ以上の考察は、しかし、エポケー(判断留保)しておくほかないだろう。個々人によって解釈の仕方が違うものは比較のしようがないのだ。私は、留保することによって、自らの思いを遮断することにした。
秋はその後もますます深まり、おちこちの山肌を覆う樹木の葉の色や形を徐々に変容させていた。しかし、心理的にはそうではなかった。待つということは、季節の移ろいを待ち構えるにも似て不自然な行為に思えた。
放っておいても季節は勝手に訪れるはずなのだが、その歩みがいかにものろく感じるのは、やはり心のありようがもたらした不自然な光景といえた。
何度も見、何度振り返っても、季節は動かず、そのままの状態を維持していた。
その間、私は宙ぶらりんのまま、どっちつかずの不確かな時間を過ごしていた。確かめようとしても確かめられず、訊ねようとしても訊ねることは許されず、ただひたすら事態の出来があることを、じっと待ち構えているしかなかったのだ。
「とうとう、その日がきたわ――」
出勤して机に腰を下ろしたとき、和倉さんが私のところにやってきて言った。
その声は大きくもなければ小さくもなく、隠しごとや内緒ごとを耳打ちしている風は少しもなかった。いたって普通に挨拶を交わす、いつもの朝の風景だった。
「どうしてわかるの」
私は顔を上げて訊いた。
「部長の顔がいつもと違うわ――」
「そう」
私は、壁際にある部長の席へちらと目を向け、その顔を見てみた。確かにいつもとは様子が違い、書類に走らせる眼つきに鋭さが張り付いているようだった。「確かに、そんな感じがするよ。なんだか気迫のようなものまで……」
「叱っ」
私がそのあとを続けようとすると、彼女は唇に人差し指を当てて制し、静かな声で告げた。「このあとのシーズ・ミーティングが見ものよ」
会議はいつものように慌ただしく始まり、いつもどおり喧々諤々の質疑と応答のあと、一陣の疾風一過のような余韻を残して終盤に差し掛かっていた。
その場にいる誰もが、大過なく過ぎ去った会議の終焉を深い安堵感と開放感をもって受けとめようとしていた。なかには、このあとに仲間や同僚と一杯やることを予定していた者もいたことだろう。他府県からやってきた課長連のなかには、それが楽しみで月に一度のこの会議を当てにしている者もいた。またなかには、新たに発生した問題の解決法を考えようと残業を覚悟した者もいただろう。
ただ、私と和倉さんだけは、なにが起こるか――と最後まで固唾を飲んで、会議の行方を見守っていたのだ。
会議を終えるにあたって、議長である専務がいつものように「なにか質問はありませんか――」と言い、辺りをゆっくりと見回し「なければ、これで……」と口を閉じようとしたとき、飯田部長が挙手をして言った。
「あります――」
一瞬、その場の空気が凍りつき、出席者全員の眼が一斉に彼に注がれた。
彼らの眼は、驚きと好奇心、そして落胆に満ちていた。なかには、苦虫を噛み潰したような表情をしている者さえあった。これまでは、会議が無事終了したことだけが喜ばれ、追加質問の愚を犯す者がいようとは誰も予想しなかったからだった。
まさにサ社始まって以来ともいうべき、異例のできごとだった。
「役員の方々、とくに六郷崎常務にお尋ねしたいのですが……」
六郷崎常務というのは、先日、執行役員の前で飯田部長を締め上げていた人物で、飯田部長とは三つほどしか歳の違わない男だった。しかも年下だった。和倉さんから仕入れた情報によると、表向き社長の親戚筋に当たることになっているらしいが、どうも会長の二号さんの息子であるらしいとの噂が専らだった。
「飯田部長、それはいま――でないと、駄目な質問なのかね」
最善寺専務すなわちシーズ・ミーティングの議長が訊ねた。「きみも知っていると思うが、当社の会議は、基本的に緊急動議などは受け付けないことになっている」
「緊急動議というのではありません」
飯田部長は、落ち着き払った低い声で言った。「これは、あくまでも当社の存続に関わる重大な事柄に関する質問です。したがって、公正を期すためにも、そして全社的に周知徹底を図るためにも、全体会議として各部の長が出席している、この席上でなされなければならない質問です」
「ふむ。六郷崎常務――」
最善寺議長は、六郷崎常務のほうを向いて訊ねた。「飯田君は、あのように言っているが、きみの都合はどうかね」
「都合――といわれましても……」
六郷崎常務は、口ごもるようにして答えた。「事前の告知もなければ、根回しもなく、どう答えてよいものやら、見当がつきません」
「いいだろう。答えがどうなるかはともかく、まずは、話を聞いてからにしてもよいのではないか――。で、皆の意見はどうかな」
「異存ありません」
執行役員の佐久良事業部長が手を挙げて言った。続いて、他の出席者も同様に手を挙げて賛意を示した。渋面を作っていたN支店の高坂課長までもが、重そうな手をだるそうに持ち上げていた。会議終了後、飲み会に行く予定の一人だ。
「うむ。残念だが、ご覧のとおりだ。六郷崎常務――」
最善寺議長が常務に眼をやって言った。そして飯田部長に眼を戻すと、手を差し伸べて言った。「では、飯田部長――。その重大な質問とやらを言ってみたまえ」
「はい。まず、お尋ねしたいひとつ目です。それは、六郷崎常務は迫田一というひとをご存じかどうか――それを伺いたいということです」
「サコタ・ハ・ジ・メ……」
常務は小首を傾げながら、頭のなかの辞書を繰るように飯田部長が口にした言葉をつぶやくように繰り返した。あまり思い当たりがないように見えた。
だが、その言葉を聞いて数秒ほどしたとき、私は思わず、あっ――と声を上げそうになった。慌てて口を塞いだ私に和倉さんが一瞬、見咎めるような眼を向けた。私はなんでもない――という印に小さく手を振った。
「聞いたことがあるような気もするが、それが一体、なんだというのかね」
常務は平然とした態度で、飯田部長に訊ねた。
「では、これはご存知でしょうか――」
飯田部長は手に持っていた、一枚の紙きれを手前にかざして言った。「これがなにかと言いますと、当社がS県にあるレイクサイドホテルを買収する前に、ある人物と取り交わされた機密文書のコピーです」
その名前を聞いたとき、やはりそうだったか――と私は思った。
最初は思い違いかと思った――。というのも、同姓同名というのはよくあることだし、単なる偶然が重なるということはあり得ないわけではない――ということで、一旦は保留しておいた考えだったからだ。
だが、その人物は間違いなく、あの人物だった。そう、迫田支配人だ。
おそらくその紙切れには、迫田支配人本人の署名があるのだろう。それは、忘れもしないあの人物の名前だった。私は、彼の筆跡まで憶い出した。
借用書に書かれた、あのくねくねとして筆圧の低い文字――。私は、それが本人のものかどうかを百パーセント、識別できるくらい鮮明に覚えていた。だが、なぜ彼の文字が、そこにあるというのだろうか……。
私は、当時の彼の顔を憶い出そうと目を瞑ってみた。
四 決めつけないほうが上手く行く
あれは、私がチッチと名付けた女性と同居していた時期のことだった。
あの頃は、歳を食っているとはいえ、世間知らずの私にしてみれば、真っ当な社会に出たばかりで、駆け出しのペーペーを地で行っていた。学生気分が完全に抜け切っておらず、貧乏で愚かではあったが、愚昧なりに充実した日々を送っていた。
そこには、ナオもいたし、リュンもいた。ある意味、一番幸せな時代だったといえるかもしれない。ところが、迫田支配人との一節があってからというもの、陸なことは起こらなかった。ナオは去っていったし、チッチも去って行った。最後に残ってくれたリュンでさえも、私の視界から消えて行った。
さらにいえば、あの鳩山社長もわたしの手の届かないところに逝ってしまったし、当然のことながら、チッチを介して繋がっていた友人や、その仲間たちもいなくなってしまっていた。強いていえば、きみか中出君くらいが、私の知る極めて貴重な友人となってしまっていたのだ。
いや、そんな感傷を語りたかったのではない。私が語りたかったのは、あるいは探りたかったのは、迫田支配人と飯田部長との関係だった。
あの当時、飯田部長は迫田支配人の存在を知っていたのだろうか。それとも、飯田部長が追求しようとしているように、六郷崎常務が彼を知っていたのだとしたら、それはどういう関係のことかということになろう。
「お手許にいまお配りしますが、この書面には――」
――と、そこまで言ったあと、飯田部長は自分の眼の前に置いていたA4の紙の束を隣に座っている私のほうに押しやり、無言で全員に配るように――という仕草をした。私は立ち上がり、そこにいる全員にそれを配った。
「ご覧になると、おわかりになりますように――」
飯田部長は、私が配り終えたのを見届けてから、抑えた口調で続けた。「ここには、ふたりの人物の名が自筆で記されています」
そう言った途端、書面を見ていた臨席者たちの間から、おお――という驚愕とも恐怖ともつかない声が漏れた。私も同時にそれを見たが、そこには、迫田支配人と六郷崎常務の自筆署名がしっかりと記されてあったのだった。
確かにいっぽうの字は見覚えのある筆跡だった。ふたつのうちのひとつは確実に、迫田支配人の、あの弱々しい筆圧でくねくねと記されたものだった。
急いで常務に眼をやると、両手で抱えるように持ったA4用紙を睨みつけるその顔からは赤みが失せ、先ほどまでの傲岸さまでが消えていた。
「ふむ。それで、なんだろ、飯田君。この書類はなんのためのものなのかね」
最善寺専務が配られた紙を持ち上げ、飯田部長のほうを向いて訊ねた。
一堂に呆れたような空気が流れ、声に出さず苦笑する者もあった。その場の全員の顔が飯田部長のほうに向けられた。専務は、悠揚迫らぬ体で言葉を続けた。
「確かにここには、きみのいう『サコタ・ハジメ』らしき人物の署名があり、六郷崎常務の署名らしきものもあるようだ。だが、その他の文字は、近頃の流行りだか何だかは知らんが、ワープロとやらで書かれているため、老眼のわたしには小さ過ぎて読めんのだがな」
「申し訳ありません。専務には、内容を大きく拡大したものをお持ちすればよかったのですが、そこまでは気が回りませず、失礼しました」
飯田部長は、そう述べたあと、紙を両手にもってその内容を読み上げ始めた。
「誓約書――。わたくし迫田一は、六郷崎正雄氏に対し……」
「茶番だ――」
六郷崎常務が立ち上がり、耳を聾さんばかり大きな声を張り上げて言った。事実、会議室中にその声は響き渡った。「一体、こんなことをしてなんになる。仮にこういうものがあったとして、それがなんだというんだ」
「六郷崎君。これは全員の賛意を得て進行している質疑のひとつだ。話は最後まで聞いてから発議してもよいのではないか。それがルールだと思うが……」
専務は泰然と制して言った。「しかも質問者は、わたしなのだからね」
常務はなにも言わず、不貞腐れた表情のまま着席した。その頭のなかは、煮えくり返るような憤怒にどっぷりと満たされているようで、テーブルの上に置かれた白くなるまで握り締められた両の拳にその思いが現れていた。
「構わないかね、飯田君。わたしの質問に答えてもらっても……」
「もちろんです、専務――」
飯田部長が専務の言葉を引き取って言った。「これは、いまも読み上げました冒頭文でもわかるように、六郷崎常務、いえ、当時はまだ常務という職位ではありませんでしたが、その当時、レイクサイドホテルの支配人であった迫田一氏との間で内密に取り交わされた覚書ともいうべきものです」
「ふむ。ふたりの間で交わされた密約文書という意味だね。で、内容についてだが、それにはどのようなことが書かれてあるのかね」
「はい。簡単にいえば、不正を働く代わりに、それ相応の見返りがほしい――という趣旨を文章で明確にしたものです」
「ふむ。それで――」
「迫田支配人というのは、その名のとおり、レイクサイドホテルで支配人、つまり言うところのジェネラル・マネージャーを務めていましたが、それだけに相当な裁量権がありました。単なるマネージャーとは違い、宴会から料理飲食、宿泊施設、弊社の遊技機や遊技施設の設営、仕入れなど全て、彼が仕切っていたのです」
飯田部長は、そこで言葉を切り、周囲の様子を見まわした。誰もが静かに彼の言葉に耳を傾けているようだった。彼は頷いて続けた。「その頃、弊社のレジャー施設事業部門の長であった六郷崎部長、すなわち現常務は、その任に当たっていました。当時、偽物や紛い品も含めて売れに売れていたゲーム機を売り込むのに、六郷崎常務は一計を案じました。本物の数が足りず、偽物とわかっていても――というよりはむしろ、そっちのほうがどんどん売れていた時代でもありました……」
役員たちのなかには、当時を思い出すのか、彼の言葉にうんうんと頷きながら、聴く人もいた。専務もそのひとりだったが、執行役員の佐久良事業部長にも思い当たる節があるようだった。
「粗製乱造とまでば言いませんが、当時、造りさえすれば、どんなメーカーのものでもどんどん売れて行ったのです。もちろん、それに付随するものも同様です」
飯田部長は、そこで言葉を切り、もう一度、そこにいる全員の顔を見回し、誰も異存がなさそうだ――と見て取ったように静かに続けた。「そして、ご存知の方もおられるでしょうが、レイクサイドホテルは、とある和菓子製造会社会長のお妾さんが経営するホテルチェーンのひとつでした。したがって、その系列他社にも弊社のリースプランを提供できるというメリットがあったのです。
この辺りまでは、皆さんもご理解いただけるでしょう。
六郷崎常務は、そこに目を付けました。ある意味、迫田支配人のほうでも、六郷崎常務を利用できるメリットがありました。互いに互いの利益を交換する。つまり、お互いが得をする関係に染まって行ったのです。実によくあるパターンですが、高く売りつけて、その差額を迫田支配人個人にキックバックする方法です。
この手法で、六郷崎常務は迫田支配人に窓口を一本化し、どんどん売り上げを伸ばして行きました。六郷崎常務自身も迫田支配人からのキックバックで、個人的にも財布の中身を潤わせて行きました。六郷崎常務にとっては、一挙両得の世界でした。
会社からは高く評価されるし、個人的にも潤うのです。こんな楽しいことは、またとありません。おそらく、天にも昇る心地がしたことでしょう。
――ですが、悪いことはできないものです。その迫田支配人は、遊技業界に先見の明があったのかどうか、それとも自分の不正がバレるのを恐れてのことか、自ら身を引くことを決意しました。そして会社の事業資金であった預貯金だけでなく、従業員、果ては外注業者からも借金をして、そのまま行方を晦ましてしまいました。
経営に無知な女性経営者であった女社長は、個人財産を投じて暫くの間は持ち堪えましたが、ついに立ち行かなくなりました。信用情報誌にも小さく報道されましたから、ご記憶の方もおられようかと思います。
いっぽう、弊社はそのお陰で多くの不良債権を抱えてしまいました。
迫田支配人を通じて契約していた物件のすべてが債務超過に陥り、弊社への支払いが不可能になってしまったのです。関連会社と交わした大量のリース契約とその施設使用料、つまり月々のロイヤルティ等すべてが入らなくなってしまったのですから、弊社が被った損害は甚大でした。いわば弊社のボトルネックとなりました。
さて、そこに再び登場するのが、かつての事業部長、いまのM&A推進本部を統括する六郷崎常務です。彼は、女社長の弱みを巧みに利用してレイクサイドホテルの買収を持ちかけました。もちろん、レイクサイドホテルは上場企業ではありません。他の系列ホテルもそうでした。なので、六郷崎常務は市場価格を完全に無視し、時価総額よりぐんと下げた値でホテルチェーンの株を買い叩くことができました。
女社長にしてみれば、自分がこの先、働かずとも食べて行ける金額さえ確保できれば、それでよかったのです。しかも、現従業員の面倒も見てくれるというのです。
こんなに、いい条件はありません。女社長に従業員の面倒まで見る精神的余裕はなく、人情的にその気はあったとしても、結局は、経営能力に自信がなかったのでしょう。話はとんとん拍子に進み、レイクサイドホテルは弊社の所有物件となります。
こうすることによって、六郷崎常務は、簿外債務である迫田支配人が隠していた隠し債務の存在までも社会や弊社役員の眼から隠しとおすことができたのです」
飯田部長は、そこまで静かに語り終えると、口を閉ざし、ゆっくりと首を回して周囲を見渡した。その眼には、穏やかな光が宿り、辺りの空気はぴんと張り詰めたままの冷やかさを保ち、そこに漂っていた。数人の誰かが唾を飲み込む、ごくりという音が辺りに響いたほどだった。
私は、これが飯田部長の言っていた「人間万事」のことだな――と思った。
世の中には、一概には決められないことは無数にある。これも、そのひとつなのだろうが、飯田部長の言いたかったのはきっと、ものごとは決めつけないほうが上手く行くということなのだ――と。
五 含羞んだ微笑み
「きみの言いたいことはよくわかった、飯田君」
専務が周囲に漂っていた、冷たく硬い沈黙の殻を破るようにして言った。「つまりは、これがわが社の存続に関わる重大な事案と言いたいのだね。もしそれが本当だとすれば、われわれは取締役として、重大なミスを見過ごしていた――ということになる。そうだな、六郷崎常務」
「そ、それは……。それについては――」
六郷崎常務は、きょろきょろと周囲を見回し、口籠りながら答えた。「た、確かに、わ、わたしは迫田支配人と、そ、そういう約束を取り交わしましたし、それが事実であることは否定しません。ですが、その種のリベートを担保することで、販促活動を展開することは、当時の慣例のようなもので、大なり小なり、黙認されていたことでもあります」
「ふむ。それで――」
専務が鷹揚に頷き、さきを続けるよう手の動きで彼を促した。
「で、ですから、わたしのしたことは、会社のためになりこそすれ、個人的に私腹を肥やすというようなものではない――と固く信じておりますし、そのような思いで業務を推進してきたと自負しています」
「よかろう――。六郷崎常務はあのように言っているが、飯田部長としてはその点について、どういう見解を持っているのだろう」
「はい。その点については、公的な意味でのリベート、すなわち販売促進費の一環として経費に計上されている場合は、六郷崎常務の仰るとおりだと思います。しかしながら、さきほどもご覧いただいたように、あの文書は明らかに私的に取り交わされた機密文書であります」
会場に賛意を示すような無言の頷きが、あちこちで見られた。そのなかには、大きな溜息を吐いて下を向く者さえあった。それぞれがそれぞれの思いに浸って、このやり取りを慎重に「傾聴」しているようだった。
重く長い沈黙の時間が過ぎたあと、専務が、いいかな――と訊ねて口を開いた。
「だが、あれだけをもって六郷崎常務が不正を働いた証拠とするのは、少々無理があるのではないかね」
「はい、確かに。そこに書かれてある内容が実際に行われたのかどうか。そして実際に行われたのであるならば、その履行内容も明らかにされねばなりません。そうでなれば、フェアではありません。おそらく六郷崎常務も仰るであろう『濡れ衣』になってしまうことでしょう。書いたのは書いたし、署名したのも事実として認めるが、その密約を実行するまでには至っていないと主張することもできます」
会場の空気は、ますます濃い静けさを漂わすようになってきていた。
息を吸うのも吐くのも、そして身動きひとつするのも苦しいほどに、全員の呼吸が短く浅くなっているのがわかった。なによりもこの私自身が息絶え絶えになり、早々にこの場から逃れたいという気分になっていたのだ。
「ふむ。確かに、きみの言うとおりだ、飯田君。ひとを弾劾するためには、証拠がなくちゃならん。わが社のモットーは、シーズ・ミーティングでも常々言っているように『机上の空論は為す勿れ』だからね」
専務は、まるでゲームを愉しんでいるかのような口ぶりで言った。
「これをご覧ください――」
飯田部長は、背広の内ポケットから手帳ほどの大きさのものを取り出し、頭上高く翳して続けた。「これは、迫田支配人個人が隠し持っていた銀行通帳のひとつです。いわば、キックバック出納帳といってもいいのではないでしょうか――。ふたりは、これを使って裏リベートのやり取りをしていたのです」
その言葉を聞いた途端、六郷崎常務の顔色が変わった。
おそらくそこには、ふたりの金銭のやり取りが日時まで含めて克明に記されているのだろう。もうここまでくれば、六郷崎常務には逃れようがないと言えた。
「あとで、皆さんには見てもらいますが、ここにはふたりの間でやり取りされた金額がしっかりと記されています。方法はいうまでもないでしょう。さきほど申し上げたとおりです」
飯田部長は、その通帳を私に手渡し、みんなに回覧するように促した。私はその通帳を中身も見ずに、隣の和倉さんに渡した。和倉さんも私と同様、なかを見ずにつぎのひとに渡した。そのつぎからは、全員が中身に眼を通して行った。
「ご覧のとおり、商品代金の差額もしくはロイヤルティの一部を受け取った迫田支配人は、その金額の半分をその日のうちにトモキタミエコなる人物の口座に振り込んでいます。お気づきの方もいるかもしれませんが、このトモキタミエコなる人物とは、六郷崎常務そのひとの奥様であり、その旧姓での表記にほかなりません」
「――ということは、一体どういうことになるのかね」
専務が訊ねた。一堂にまたも失笑のような声が漏れた。
「つまり、六郷崎常務は表向き、会社には迫田支配人へのリベートと称し、経費計上したうえで、その金額を支配人の口座に振り込み、その半分を自分にキックバックさせていたのです。(飯田部長はここでみんなを見回し、静かな口調で続けた――)もちろん、常務個人が毎回、そうした行為を行っていたというのではなく、通常レベルでの仕事として経理担当者に振り込ませていたのです。経理担当者になんら罪はありませんが、これは明らかに会社への背信行為であり、会社の経費を不正に流用した犯罪、つまり刑事事件に相当する事案と言わねばなりません」
「ふむ。それだけの証拠が揃っているのであれば、明らかな公費横領罪として処罰の対象とはなるだろうな――」
専務が呟くように言い、ゆったりとした口調で飯田部長に訊いた。「処罰の内容うんぬんについては取締役会に諮ってから通達するとして、飯田君、きみとしては、この事態をどう乗り切り、どう対処して行くつもりかね。現状、六郷崎常務の言うようにレイクサイドホテル改めホテル・ニューロワイヤルの赤字続きは、いまだもって解消されていないようだが……」
「はい。それについては残念ながら、弊社の貸倒引当金をもって損金扱いにせざるを得ないと考えています」
「弊社の、というと――」
「――といいますのは、その赤字は、さきほどお話しました迫田支配人との裏取引、ならびに弊社とのリース契約不履行の結果、生じたマイナス資産であり、当該ホテルにおいては相当なネック、いわば足枷のひとつとなっております」
「ふむ。それで――」
「わたしの見たところ、当該ホテルにおきましては、もはや自力再生の道、もしくは復活のシナリオはないと考えます」
「では、どうするのかね」
「ただひとつの方法――。すなわち、M&Aを行った主体である弊社がその債権を放棄すること。それでしか、当該ホテルの窮状を救う道はないと考えます」
「ふむ。いまや子会社として自社物件のひとつとなっている以上、連結決算という形でそういう処理をせざるを得まいな」
専務はそう言って、顎をつまむようにして撫でたあと、にこやかな笑みを浮かべて言った。「これが時代劇なら、ここで『一件落着』というべきところ――ではあるのだが、その前にひとつ訊いていいかね、飯田君」
「はい。なんなりと――」
「一般的な解釈で行くと、情報ソースは明かせない――というのが筋だろうが」
専務は咳ばらいをひとつしてから続けた。「どうかね、差し支えのない範囲で結構なのだが、ヒントだけでも教えてもらうことはできんだろうか。わたしにはどうしても、その迫田支配人なる人物が自ら開示した情報とは思えんのだがね」
「ごもっともです。仰るとおり、この一連の情報ならびに証拠書類は、迫田支配人本人から入手したものではありません」
「なるほど。他から入手したものだというのだね」
「はい。そのとおりです」
「だが、それ以上の情報は、われわれには明かせない――と」
「はい。申し訳ありませんが、専務ご推察のとおりです」
「わかった――。では、改めて聞こう。これに関して、なにか質問はありませんか」
一瞬、あたりが静まり返り、誰もが「ない」というふうに静かに頷いて賛意を示した。臨席した全員が疲労困憊した様子を見せていた。これ以上の議論は沢山なのだろう。専務はその情景をしっかりと見定めたあと、力強い声で宣言した。「では、これをもって本月のシーズ・ミーティングを閉会します。ご苦労さまでした」
全員の声がそれに唱和し、各人がそれぞれの思いを抱いて部屋を出て行った。そこに残ったのは、私と和倉さん、そして飯田部長だけだった。
さっきまでの熱気――というより冷やかさは、どこかに霧消していた。なにもかも見たこともない大波に浚われたように、森とした平静さを装っていた。あの深い沈黙の意味は、おしなべて空虚や虚脱感を覚えた者の心のなかではなく、その内実をしっかりと埋め定めた飯田部長の充実感に満ちた心のなかにあった。
私は、手許にあった書類を手早く片付けて去ろうとする、飯田部長の後姿に向かって言った。
「飯田部長、お疲れさまでした」
「ああ、お疲れ――」
飯田部長は、ふと我に返り,初めて私がそこにいたことを知ったように応じた。「きみも長時間つき合わされて、ご苦労だったね」
「あのう、ひとつだけ質問させていただいていいですか」
「ああ。構わないよ」
「最善寺専務の仰っていたことと重複するのですが、その情報提供者というのはひょっとして、わたしの見知っている人物なのではありませんか」
「そうだね。きみには言っておいてもいいかもしれない。なんてったって、わたしたちは仲間なのだからね」
飯田部長は,さきほどまでの厳しい表情を崩して言った。「そう。確かにきみの言うとおりだ。――というより、その勘は当たっているといっていい。だが、他言は無用だ。そのことは肝に銘じておいてほしい」
「わかりました。神に誓って他言は致しません――」
私は、頭を深く下げて続けた。「ありがとうございました」
私は去って行く飯田部長の後姿に頭を下げながら、あの浜田支配人の顔を思い浮かべた。彼の、ちょっと含羞んだ微笑みが見えたような気がした……。
六 私に欠けているもの
私は思った。飯田部長のように迷いのない途を辿ってきただろうか。どんな境遇に陥ろうと、泰然自若としてわが身の行く末を見定める。人間万事塞翁が馬と思い定められる器量こそが、己の行く末を迷いなきものとする。
その点、私はどれほど思い惑ってきたことか――。
私は、長い間、空を見上げることを忘れていた。子どもの頃、空の高みを見上げるのが好きだった。雲雀が空高く舞い上がり、その鋭い声を聴かせてくれる姿を眼で追うのが好きだった。悲しいことに出逢うたび、幼い私は空を見上げた。そこに、なにか希望のようなものが見える気がしたからだった。
大人の私にも、希望はやってきてくれるのだろうか――。
この世には、叶えられる希望と叶えられない希望があるという。
希望というのは、叶えられるまでの名称で、叶えられたあとでは、意味をなさないものになってしまうのだろうか。希望というものは、求め続けている間にだけ存在する曖昧模糊としたもので、永遠に手の届かない陽炎のようなものなのだろうか。
青い空、深い空、どこまでも澄み切った碧空を見上げて、幼い私は涙したことが何度もある。それは、母の抱っこを求めてのものだったかもしれない。先生の声かけを恋しがってのものだったかもしれない。
だが、大人になったいま、涙したこともなければ、空を見上げることもしなくなってしまっている。本当に忘れ去っていたのか、それとも……。
どこまで行っても、空は空――。決してこの手で掴むことはできはしない。叶えてもかなえても、希望はさらに遠ざかる――。と、そう心得て、無念の思いさえ抱かなくなってしまった心に、どんな言葉がかけられたというのだろう。
過ちを犯すたびに、繰り返される後悔。
後悔をするたびに、深まる諦め。
諦めるたびに、見上げた空――。
その深みに幾度、涙したことだろう。
私に幼い日が取り戻せたら、
もう一度だけ、言おう。
きみにはかけがえのない、愛の日が待っていると――。
私は、その日、青空を見た気がした。ちょっと含羞んだ浜田支配人の顔は、私に許しを乞うていた。抱っこをしてもらう前の、幼いときの私のように――黙って去って行った自分の行為を詫びていた。恨まないでほしい、悪いと思っているんだ――と。
私は、彼を許せた気がした。この三年間、仕舞い込んでおいた怒りの壺が、いまぽろぽろと眼の前で崩れていくのを感じた。彼は彼なりに苦しんでいたはずだ。
私のほうも悪かったのだ――。嫌なら嫌と言えばよかった。その猶予はあった。それを選んだのは私だった。彼が選んだのは私であり、その心ではなかった。
私は、自分の心に負けてしまったのだ。彼の所為ではなかった。そのことにいま改めて気づき、私は心のなかで己の不甲斐なさを呪詛した。
消えよ、私の怒りの炎。そして怒りの壺よ、砕け散れ――。
それは間違いだったのだ。おまえがいるこの場所は、おまえの独善がなした転嫁の行き着く先、必然の結果だったのだ。彼に罪はない――。
あるとすれば、私の邪まな欲望、身のほど知らずの経済生活への憬れにあったのだ。憧憬は憧憬、欲望は欲望として、すなわち「叶わぬ夢」として放置しておけばよかったのかもしれない……。
しかし、転びまろびつ、私はここまでやってきた。
ここにやってきてよかったのかどうか――。それまではわからない。
飯田部長のように迷いのない軌跡ではなかったにせよ、それなりに起伏のある途を行きつ戻りつ歩んできた私だったが、口惜しさはあっても、悔いはなかった。
もともと勝てるとは思わなかった。勝てないとわかっているから、なにごとも避けて通ることが多かった。だから、成功はしなかった。その代わり、これという失敗もあまりしなかった。だが、人生全体としてみれば、そして覇気があり、野望に富む者たちの眼から見れば、失敗そのものの連続だった。
最初から諦めていた。諦めてことに臨んでいた。だから、失敗したところで、負け惜しみを言いはしても、涙を引き絞るほどの悔しさはなかった。この悔しさを感じることがなかったがゆえに、私はその後の人生をひとに侮られ、悩み苦しむことになるのだが、それでもなお気づこうとしていなかったのだ。
なぜ、他人にできていることが私にはできないのか。私にはわからなかった。
そもそも、そのような野心や野望を抱く必要があるのかどうかさえ、私にはわからなかった。おそらく他人には、もっとわからなかっただろう。当の本人ですら、わからなかったのだから……。
さらに言うならば、私の心の部分には、どこか欠けているところがあった。
だが、それがどの部分なのかはわからなかった。そこには、なにかが入っていたはずだが、それがどのような形をし、どのような重さがあり、どのように柔らかいのかさえ、見定めることはできなかった。
しかし、なにかがおかしいというのだけは確かだった。なにかがおかしいから、ものごとの在りようが、私の前ではかくも異なり、狂いだしてくるのだ。
強い気持ちで否定するのではないが、なにがどうなろうと、私の責任であるとは認められなかった。なぜかなら、世のなかは私を中心に回っているわけではないし、そのことを一番よく知っているのは私自身だったからだ。
私のような者を使い回し、追いかけ倒すには無駄がありすぎる。そのようなことをしても歴史が変わるわけでもない。たとえ暇を持て余す神様がいたとしても、そんな無意味なことに時間を費やしているわけがない――と信じていた。
ひとは、それを自ら招いた運命――というかもしれない。おまえが仕組んだ「必然の結果」だ――というかもしれない。予知力が、ものごとを分析する力が、そしてその結果を未来に反映させる力が、おまえには欠けているのだ。
そう。確かにそうだ。そう言われれば、確かにその傾向はあるし、そうした努力を怠っていたことは認める。私に欠けていたのは、分析能力だったのだ――。
しかし、そう考えてもなお、私には欠けているものがある。
どうにも億劫なのだ。どうしても腰が上がらないのだ。自らを叱咤し、励まし、褒めちぎり、なにものかに向かって己を鼓舞する膂力――。それが足りないのだ。膂力が足りないのは、筋肉ができていない所為なのかもしれない。
鍛えなければならないのは、そうした筋力なのだ。
その筋力がないから、私はまともに歩くことができないのだ。してみれば、本当に私は、自らの持てる力で歩いてきたのだろうか――。本当に私は、自分自身で生み出した知恵に基づいて歩んできたのだろうか――。転びまろびつ歩んできたこれまでの途は、本当に私のものだったのだろうか――。
他人から受け継いだ、もしくは受け売りの、本意でない意志に基づく「偽りの途」を歩んできたのではなかったか――。
私は、そこまで考えてきて、それ以上の思いを深めることを諦めた。そのさきを考えるのが怖かったのかもしれない。きっとそうだ。私は臆病な男なのだ。
「どうしたの。眠れないの……」
横で寝息を立てていたはずの妻が訊ねた。ベッドに横になったときからずっとこんなとりとめもない考えごとをしていて、何度も寝返りを打ったからなのだろう。
「ああ、すまない。起こしてしまったんだな」
「いいけど。なにか会社で、嫌なことでもあったの――」
「いいや。つぎのプランのことで、考えごとをしていただけなんだ」
私は平静を装って言った。「だから、気にしないで――」
「そう――。だったらいいけど、なにかあるんだったら、相談してよ」
「ああ。ありがとう」
私は、横を向いて眠りに就くふりをした。どんな些細なことにでも優れた嗅覚を発揮する彼女に気取られては、これまでの苦労も水の泡になる。
もう後戻りはできないのだ――。私は自分に言い聞かせた。それでも、なぜか不吉な予感のようなものが身内に湧き起こるのを振り払うことはできなかった。
その夜は、その後も何度か目が覚め、朝を迎える寸前に初めて深い眠りに就くことができた。そうして、起きるのも辛い寝不足の朝を迎えたのだった。
七 襲いくる眩暈の予兆
その翌日は、なにもかも億劫な朝だった。
それでもなお、私は会社へ向かわねばならなかった。どんなに億劫で最悪な朝であろうと、嫌とは言えなかったのだ。出勤は、人生に対する義務だった。
ふと思ったり考えたりしたことで、怯えのようなものが身内を襲った。なにもされていないのに、なにも起こっていないのに背筋に悍ましい寒気が走った。怖気のようなものが私の身内を貫いた。晴天に恵まれた、大好きな青空であるのに、その深さが怖かった。ずっと見ていると、その深みにどこまでも沈み込んでいく自分の身体の重みを感じた。エアポケットに入ったような怖さだった。
なにかが起こっている……。そんな感じが拭えなかった。絶え間なく襲いくる眩暈の予兆のようなもの――。それが静かに舞い降りてくる感じがしていた。
後戻りできないのに、ずるずるとそのさきへ引っ張られていく怖さ。好もうと好むまいと否応なく不本意な方向へ引きずられていく感覚。怯え。恐怖。そして戦慄。
それらのものが混然一体となって、私の心にわだかまっていた。混乱と恐怖が綯い交ぜになり、一種ウロボロスの蛇になったように、どこからが頭で、どこまでが尻尾だかがわからなくなっていた。
始まりはどこにあるのか。それとも、終わろうとしているのか――。
それさえわからなかった。どこから手を付ければいいのだろう。手を付けようにも、その箇所がわからなかった。
そんな私を尻目に、またあの斑猫がやってきて、私を見上げ、なにをやっているんだ、おまえは――と低い声で、憎々しげに呟いた。そして一体、いつまで同じことを繰り返すんだ。誰もおまえのことなんか期待しちゃいないぞ。いい加減に眼を醒ましたらどうなんだ、この役立たずめが――と言い残して立ち去って行った。
そう。悔しいが、あの生意気猫の言うとおりだ。
なんで私は、毅然となれないんだろう。飯田部長とまでは行かないにしても、どうしてピンと背筋を伸ばし、シャキっとできないんだろう。それこそ、風呂のなかで誰にも気づかれないように屁を放っているような、わかったようなわからないような悔やみ事を日々嘆いて暮らしているのだろう。
日を経るにつれ、月を重ねるにつれ、自分が自分でないところに引きずりこまれていく不本意な思い――。それが、ますます強まり深まっていく……。
なぜ、泰然とできないのか。なぜ、毅然と歯向かえないのか。あの飯田部長のように、どうして嫌なものは嫌と拒絶できないのか。しかし、いまことを起こせば、私は以前行っていたことの二の舞を舞うことになる。
それがわかっていて、どうしてこう毎日おなじことばかり考えるのだろう。
私ほど冒険の似合わない男はいない――。
小心で臆病で、ケツの穴の小さい男。それが私なのだ。少しでも大きいのを出そうものなら、すぐに破れて出血する。そんな肛門の持主なのだ。いままでに二回ほど手術をしたが、いつも切れ痔が腫れて脱肛し、押し込めては元に戻し、それができなくなると、固い疣のようになった内痔核を取り去る手術をしてきた。
いつも便秘がちで、出るものも出ない。大きいのを出すと、また切れるのを恐れて兎か鹿のそれのように小さく丸いのしか出したことがない。まるで、ビー玉のようにころころと転がるそれを五つか六つほど出すだけで、最低二十分は要かる。
そんなだから、言葉も出ないのだろうか。勇気がない――といえばそれまで。覇気がない――といえばそれまで。便を柔らかくすれば出やすくなるように、言葉も柔らかくすれば出やすくなるのだろうか……。
考えすぎるから出なくなるのか、出ないから考えようと無理をするのか。例えが極端過ぎるから他人ごとに思え、思いっきり笑えるのだろうが、これが自分ごととなると笑うひとも少なかろう。ましてや経験者であればなおのことだ。
尾籠な喩えで恐縮至極――。その種の比喩が嫌いな向きにとっては顰蹙ものだったかもしれない。だが、私に言わせれば、ひとつの思いや決断を捻り出すためには、重症の秘結患者のように苦しい所業を経なければ得られないものなのだ。
あまり無理をすれば肉が裂け、出血する。痛いだけでなく、なかなか治らない。
そこで、結論を先延ばしにする――。そういう堂々巡りが私の思案の特徴だった。途中までは巧くいく。だが、それ以上は出てくれないのだ。結局、諦めて他のことに気を向けていく。まさに永遠のサーキュレイターだ。
カル・デュ・サック(袋小路?)という言葉があるが、私に言わせれば、それこそ「フン・デュ・マリ」だ。そこに至ってしまえば、もう思考停止するしかない。それ以上に進みようがないのだから……。エッシャーの絵のような堂々巡り――。
その日の朝は、いつもとはがらりと会社の雰囲気が変わっていた。いつものざわざわした騒々しさが、少しも感じられないのだ。
「和倉さん、ちょっと……」
私は、たまたま自分の前を通りかかった彼女を呼び止めた。そして囁くような小さな声で訊ねた。「今日はなんだか、みんなの様子が変だよね」
そう訊ねられた和倉さんの様子も、いつもとは違っていた。彼女は、私の問いに二拍ほどの間を置いたあと、私に顔を近づけ、私よりも小さな囁き声で応じた。
「まだはっきりとはわからないけど、常務になにかあったらしいわ」
「六郷崎常務に――」
「うん」
「なんなんだろう」
「わからない……」
「そう。わかった。ありがとう――」
「なにかわかったら、また連絡するわ」
「頼む」
私は、彼女の後姿を眺めながら思った。あの不吉な予感というのは、これだったのか――。それとも、これとはまた別のできごとなのか……。思いを転じたつぎの瞬間、深い穴に突き落とされたような墜落感が背筋を襲うのがわかった。
それは不吉なもの、嫌なもの、不都合なものに出遭わされるという被拘束感であり、動きの取れないまま、強制的に奈落に向かわされる恐怖心だった。
私は頭を振り、その恐怖心に憑りつかれまいとして、何度も頭を叩いた。捨てられる恐怖、見放される恐怖、おいて行かれる恐怖、取り残される恐怖、連れて行かれる恐怖、それらすべての恐怖が、私に強い眩暈を予感させていた。
私は、昔から、そのような恐怖心に怯えていた――。
独りになることが怖かったのだ。もちろん、いまの妻には出て行かれたくはなかった。一人になりたくはなかった。孤独だからこそ、孤独になりたくはなかった。独りでいるということは、私には自由ではなく、奈落に墜ちていくことを意味した。
多少の不自由さがあってもよかった。多少のことは我慢できた。
いまとなっては、去られることのほうが怖かった。それだけに、この会社は私の人生でなければならなかった。だが、私の身体はそれを拒んでいた。私の意識は、この会社を好んではいなかった。
心と身体が引き裂かれ、別々のものになる感覚が私を苦しめていた。心を殺して身体を生かすか、身体を殺して心を生かすか。ふたつにひとつだった。心と身体を自然なかたちで一致させることができたら、どんなにいいだろう。
後悔が私を襲い、鳩山社長の優しさを憶い出させた。
なんで私は、あんないいひとを裏切ったりなんかしてしまったのだろう。なんで私は、浜田支配人の誘いに乗ってしまったのだろう。なんで私は、書店オーナーの申し出を断ってしまったのだろう。なんで私は……。まるでエッシャーの絵だった。もう取り返しのつかない種々のことをくどくどと思い出し、悔やんだ。
種々の思いを胸に机に向かっていた私の耳に眼の前の電話のベルが響いた。受話器を取ると、掠れた女性の小さな声がした。それがあまりにも小さく聞き取りにくかったので、もしもし、企画開発の三崎ですが――と言った。
「わたしです。和倉です」
やはり小さな声だった。よほど周りを憚っているのだろう。
「なんだ、和倉さんか。変な声出すから、違うひとかと思ったよ」
囁くように小さな声で言う和倉さんに合わせて、私も同様に小さい声で不平を言った。「なんかやばいことでも起こったの」
「どうやら、自殺だったらしいわよ」
「え」
「じょーむよ」
「じょーむ」
私は、まさかその音が六郷崎常務を意味しているとは思わなかったので、つい大きな声を出してしまった。周りにいる同僚が一斉に自分を見たのがわかった。
八 ひとの生死に必要なもの
青天の霹靂だった。まさか、あの常務が自ら命を絶つなんて――。
つい昨日までこの会社内にいて、皆と一緒に会議に出席していたのだ。これこそは飯田部長の言っていた「人間万事塞翁が馬」ではないか。なぜ、あれくらいのことで、彼は死なねばならなかったのか。それほどのショックだったのか。
私の頭のなかで種々の疑問が渦巻いた。ミステリー小説の一コマではないが、その謎の死が怪しまれた。やはり、よほどのショックだったのだろう。おそらく家族に知られて生き恥をさらすことを懼れたのだろう。
当然、会社は馘になるだろうし、一旦、そのような噂が立てば、どの会社も雇ってはくれなくなるだろう。まして常務という職位までヒエラルキーの階段をのし上がり、それなりな矜持を保っていたひとのはずだ。同じ中小企業であっても、一から惨めなスタートを切ることは、彼にとって相当な屈辱だったに違いない。
それにしても、どうして彼は(私は翻って考えた)それほどまで追い詰められなければならなかったのだろう――。直接の動機、つまり引き金としては、確かに恥晒しだけにはなりたくないとの観念はあったろう。それは認めよう。
だが、それ以前になんらかの理由、もしくは原因があったのではないだろうか。
いままでぴんぴんしていたひとが、果たしてそんな簡単に死を選ぶものなのだろうか。ましてや、昨日の今日だ――。そんな短時間の間に、実にあっさりと、自死の決行に思い到れるものなのだろうか。そこにはきっと、深い理由があったはずだ。
少なくとも、これ以上は進めないという絶望感、つまり「カル・デュ・サック」に陥った自分を完全に理解した上で、この世とのさよならを決意したはずだ。それほどまでに思い詰めさせた原因が一体なんだったのか。私は、それを知りたかった。
人が生きる上で、または死ぬ上で、なにかが必要なのか――それが知りたかった。
または、なにがあれば、死ねるのか――。なにを捨てれば、生きられるのか――。私は、それが知りたかった。ひとの生き死に――に必要なものがあるとすれば、それは何なのか――。それを探るのが、私の「永遠のテーマ」だった。
この小説もその種のものではあるのだが、誰しも思い切れるものならば思い切りたい。知れるものなら、知ってみたい。彼にしてみれば、それが本音なのではなかったろうか――。思い切ろうとして、思いきれなかったものが、きっとあるはずだ。にも拘わらず、思い切った――その根底にあったものとはなんなのか……。
私のように凡庸な人間には、生きることより死ぬことのほうに勇気が要る。彼は一線を越え、彼の世に逝ってしまった。
その境界を一気に超えるエラン・ヴィタール――。
生きるための、不死への跳躍。死ぬことによって、永遠に生きる生命。まるで史絵先生の心に残して逝った、あの恋人の遺言書のように……。彼女の心に棲みついた恋人の思いは、彼女がこの世を絶つ、そのときまで続くのだ。ひよっとして、あの常務の心もまた、誰かの心に永遠に生き続けるのではないだろうか。
私は、ふと飯田部長の席に眼をやってみた――。
だが、そこに飯田部長の姿はなかった。そういえば、私が出社してから、一度もその姿を見たことがなかった。和倉さんは知っているのだろうか。私は、彼女のいる人事総務のほうに眼をやってみたが、その周辺に彼女の姿はなかった。
その周辺にいる女性たちの顔は、どれも一様に沈み、精彩を欠いていた。彼女たちの上司である部長の姿もそこにはなかった。多分、会議室に行っているか、役員室に呼ばれているのだろう。おそらく飯田部長の姿も、そこにあるのだろう。そして天井の照明は、点いていても、暗いイメージの部屋になっているに違いない。
誰もが頭を垂れ、腕を組み、下を向いて思案し、目下の問題をどうクリアしたものか――と葛藤している図が、私の脳裡に浮かんだ。誰の顔も苦しそうだった。
暫くすると、役員室のドアから和倉さんが出てくるのが見えた。
彼女は、真っ直ぐ私のほうを見て、小さく頷いた。私がそのドアをずっと見ていたのを知っていて、そうしたかのようだった。もちろん、偶然だろう。
たまたま、そちらを見ていた私と眼が合ったに過ぎないのだろうが、彼女には私に知らせたいことがあるのは、一目瞭然だった。彼女の顔は緊張に満ち、動作もどことなくぎこちないように見えた。彼女が私のほうを見て、廊下のほうへ顔を向けた。
つまり、給湯室に行け――ということだ。
そのことは、彼女がお盆を下げていることからわかる。
わたしは、彼女が出て行ったのとは別のドアから廊下に出て、彼女が先に着いているはずの給湯室に向かった。
私が近づくと、そこからは温かいコーヒーの香りが流れ出していた。
もちろん、喫茶店で淹れられるレギュラーコーヒーのそれではなく、某メーカーがコマーシャルでフリーズドライ製法と謳っている顆粒状のコーヒーで、独り住まいをしていたときに飲んでいたインスタントコーヒーと同じものだ。
「飲むでしょ」
私が給湯室に辿り着くと、和倉さんが盆に載せたコーヒーカップを差し出した。
「ああ。ありがとう――」
コーヒーカップを手に取り、一口啜った。コーヒーはいつもどおりの濃さになっていた。砂糖スプーン一杯に粉末ミルクが二杯の、適度な甘さだ。私を見詰めている彼女に、美味しいよ――という印に頷いて訊ねた。「で、どうだった」
「飯田部長がまた、矢面に立っているわ」
「なんで――」
「どうして、あそこまで追い詰める必要があったのか――って」
「って、どういうこと――」
「首の皮一枚残しておくべきだった――というの……」
「つまり、最後まで攻め過ぎた――と」
「ええ」
「で、飯田部長はどうするつもりなんだろう」
「多分、辞めるんじゃないかしら」
「え」
「顔つきからして、そんな覚悟はあったみたい……」
彼女は、役員室での情景を憶い出すようにして言った。「でも、内心は『青天の霹靂』だったんじゃないかと思うわ――。まさか、そんな簡単に死んでしまうなんて思いもしなかったでしょうからね」
「でも、なんで、死ななきゃならなかったんだろ――」
私はさきほど来、ずっと脳裡の一角を占めている疑問を口に出して言った。「彼には、死ぬほどの理由はなかったんじゃないのかな」
「どうかしら……」
彼女は、私の意見に疑わし気な表情を浮かべて続けた。「だって、ふたりはライバル同士だったのよ。自分の不始末を相手に知られたりなんかすれば、殺したいほど相手が憎いはずよ。相手を道連れにしてでも、仕返ししようと思うわ」
「なるほど、それで解せた気がするな」
私は、彼女の推理力の深さに感心して言った。「常務は、飯田部長の心にもその責めを負わせるために死ぬことを選んだんだ――」
「飯田部長の側にしてみれば、傍迷惑な逆恨みではあるのだろうけれど、常務にすればそうでもしなければ、死んでも死にきれないという感じじゃなかったのかしら」
「黙って死ぬっていうのは、相手に一番ダメージを与える方法だね」
「そうね。仮に生きていても、あれだけプライドの高いひとだったから、多分、半年も生ききれなかったでしょうね。遅かれ早かれ、その道を選ばざるを得なかったとすれば、結果的に常務は生き恥をさらすことなく、もっとも有効なダメージを部長に与えたと言えるわね――」
「それが逆恨みに過ぎないとわかっていても、死なれた側にすれば、相当なショックだろうからね……」
私は、常務が思い切りの根底に置いていたものの正体を知った気がした。その企図なくして彼は決して、最終的な死のかたちを選べなかったろう。いかにも卑怯で卑屈な手法とはいえ、相手に相当なダメージを与えることだけは間違いない。
そのことだけを頼みに彼は、永遠の傷を相手の心に負わせたのだ。しかし、そのことを知ってもなお私は、自分に迫りくる危機を自覚してはいなかったのだった。
九 追い詰められる恐怖
限定された心の痛みを実務的に解釈できる人間がいるとしたら、和倉さんがそれにあたるのかもしれない――私は思った。彼女には実用レベルでの直観があった。
彼女は、その直観をもって常務の計算を見抜いた。いったん傷つけられた心の痛みは、彼の心のなかで恨みとなって返り咲いた。逆恨みとはいえ、彼にとっては飯田部長のなした所業は、屈辱以外のなにものでもなかった。
どうせ人生を諦めなければならないのだとしたら、相手の人生もそのようにして返さなければ、あまりにも不公平じゃないか――と情けなくも考えたのだろう。その結果、彼は「道連れ」という姑息な手段を思いついた。せめて、その半分でもダメにできたら、復讐の一端は果たせたことになるのではないか――と。
では、肝心の飯田部長のほうはどうなのだろう。果たして、常務の目論んだような成果は上げられたのだろうか。和倉さんのこれまでの話を総合すると、飯田部長は解雇を承知の上で、あの会議に臨んだ可能性があることになる――。
だとすると、常務の思いは相手が承知していたという意味で、半分ほどの効果しか持たなかったことになるのだが、実質的に職を辞すという以上、飯田部長の人生もその一部は彼によって損なわれたことになろう。
もっとも、これはすべて私の想像が生んだ論理に過ぎず、実際はもっと違った展開を見せるのかもしれない。そう思うと、私の胸にやるせない息苦しさが押し寄せた。あのときも思ったように、飯田部長の胸中には、史絵先生が味わったと同じような哀しみが宿ったのではないだろうか。いわれなき良心の呵責――。
もう少し優しく接していられたら、もう少しだけでも追及の手を緩めていたら、どんなに小さくてもいい、最後に逃げ込む抜け道を用意できていたら、常務はあんな挙には出なかったかもしれない――と、そう思っているのではないだろうか。そこまでの読みができなかった自分の浅はかさを責めているのではないだろうか……。
自分の不甲斐なさを呪うのではなく、相手の非を憎む行為――。
仮にそれが非ではなくとも、結果的には自分に帰ってくる罪業を、ひとはどのように思って対処しているのだろうか。少なくとも私には、その罪を贖えるほどの力量はなかった。だからこそ、こちらからはなにごとも仕向けようとはしなかったのだ。非が非であるとして相手を憎む行為は、それがどんなに遠くにあろうと、結局は自分自身に帰ってくるのだから……。
未開部族が先祖伝来の空飛ぶ器具を用いて狩猟を行ったように、相手を傷つけ、その上で自らの獲物として取り戻す。そのような行為の正しかろうはずがない。六郷崎常務の思いにそのような慢心はなかったのだろうか。
いかな生活のためとはいえ、相手を傷つけ、そのことを糧に生きるという行為が果たして許されるものだろうか。だが、実質的に死ぬかぎりにおいて、六郷崎常務は相手の心に己を生かし、その心を苛む方法を「自死するという行為」をもって成し遂げたのは事実なのだ。いささか強硬な手段であろうとも……。
私は、追い詰めることによって追い詰められる恐怖を感じた。
たまたまこれは、私ではなく、飯田部長という赤の他人がなした行為だから、無関係を装って平然としていられるに過ぎないのだが、もしそれが私の行為によって引き起こされたものだとしたら、どうなのだろう。
そのとき、私は平然としていられるだろうか――。
これまでに私は、ほんの少数とはいえ、死に至ったひとたちを見てきた。それらはすべて、自死という行為による死ではなかった。肺癌で死ぬという思いがけない木村先生の死をはじめ鳩山社長の死に至るまで、すべて病によるものだった。
ここには書かなかったが、高校時代に世話になった校長先生や、学部時代に論文の世話になり、出版社まで紹介してくれようとした(生意気盛りだった私は、それを辞退してしまったのだ――)某英文学教授もすでに亡くなってしまっている。
前者は国文学者で、成人してからも年賀状をお互いに遣り取りしていたし、後年には上梓した評伝『D氏の肖像』の出来を褒めていただいたりした。白内障で、もう読めないからと、愛蔵書の一部を別けていただいたりもしたのだ。
後者は、別の著書の件でお会いしたいと申し出たとき、わたしはもうあのときのわたしではない、きみの厚意には敬意を払うが、老醜を晒したくないとの理由で面会を断られたのだった。いずれも、いまは亡きひとたちの麗しい思い出だ。
そうでなくてさえ、このように心を揺さぶられる思いがするのに、自らの言及で亡くなった相手を有するひとたちは、どのようにして胸の苦しみを鎮めるのだろう。
肉親を失ったひとのレジリエンスがどのようなものかは知らないが、少なくとも親しいひとのそれほど悲しいことはあるまい。そもそもこの小説を書きだした切っ掛けは、きみがある日、いなくなってしまったことにある。もちろん読者もご存知のように、リュンの言い残した言葉がその根底を支えているのではあるのだが……。
とまれ、人の心のなかに生きるということは、ある意味、苦痛を与えもするが、癒しを与えもする、ということだ。いなくなってくれて、清々した――なんて思ってほしくはない。できるだけいい意味で、ひとは相手の心に残りたいのだ。
その日、私は会社であったことを妻には話さなかった。それを話すことによって、事態が却ってややこしくなることを危惧したからだ。妻とは、この時点ではまだ巧く行っていた。おそらく私がなにも話さなかったからだろう。
彼女はなにも言わなくても、私の顔を見るだけで私がどんな心理状態にいてどんな思いを抱いているのかが、凡そ察知できる女だった。だから、私は極力、感情を面に出さないようにしていた。すこしでも普段と異なる仕種や言葉を見聞きすると、たちまち彼女はそれを指摘し、その理由を訊くのだった。
それだけに、栞のお客さんたちへの気遣いは優れて行き届き、誰も飽きさせなかった。私と一緒になっても、相変わらず彼女の人気は高く、客の出入りも絶えることがなかったし、周囲の喫茶店での評判はトップを誇っていた。
そんな彼女が考え出した店の売り文句(キャッチフレーズ)は、「K市で二番目に美味しい珈琲が飲める喫茶店」だった。その言葉に悖らず、店は舌の肥えた近所の主婦たちの、いい意味での「溜まり場」となっていた。
それが理由で――というのではないが、私は妻と別れたくなかった。独りにされるのが怖かったのだ。私が頼りにならぬ男で、髪結いの亭主に過ぎないと三下り半を突き付けられるのが恐ろしかったのだ。だからこそ、私は虚勢を張ってあの会社に入った。あの会社は、その意味で、私の最後の砦だったのかもしれない……。
それほどに私は、取り残されること、引き裂かれることを懼れていた。
後ろ向きに、じわじわと眼も眩む切岸に向かって押しやられていく恐怖――。それに耐えられなかった。三半規管がイカレてしまい、歩行困難に陥ったような、胃の内容物を吐き戻しそうになる気分を味わうのは、もう懲りごりだった。
だから、このさきどのようになろうと、彼女にはなにも話さないつもりだった。
いや、話せなかった――。どうなるかわからないからこそ、話すことはできなかった。話せば話すほど、理不尽な方向に行くはずだった。それが怖かったのだ。
明くる日、私は少し早めに出勤した。
社内は、あまりにも静かだった。まるで昨日までの世界が終わり、別の世界に移行したような変わり方だった。部長席のほうを見ると、飯田部長がいて、足許に置いた段ボール箱に書類や書籍を詰めているのが見えた。
「お早うございます――」
私は敢えて明るく聞こえるように、普段より高めの声で飯田部長に挨拶した。
「ああ。お早う」
飯田部長は、いつもの変わらぬ口調で応じた。「どうしたの、今日は……。いつもより早いようだけど――」
「なんでもありません」
私は、その言葉を無視し、思い切って訊ねた。「それより、どうしてお辞めになるんですか。部長は、どこも悪くないじゃありませんか」
「いいんだ。もう済んだことだ」
「よくありません。こんなのは、あまりにも理不尽です」
「理不尽ではあっても、ひとはそれに従わねばならないときもあるんだよ」
「組織だから――ですか」
「ああ、それもある」
「では、ほかになにがあるって言うんですか」
「前にも言ったろ。人間万事塞翁が馬――だってね」
「よくわかりませんよ」
「ま、この世の中、決めつけちゃいけないってことさ」
「またなにか、逆転劇が起こるというんですか」
「それはない――。飯田劇場は、この一幕をもって閉幕だ」
「辞めて、どうするんですか」
「いまのところ、考えていない――」
部長は、そう言って一旦、止めていた手の動きを再開しながら続けた。「ま、温泉にでも行って、ゆっくりするさ。もしなにか言い忘れていたようなことがあったら、電話するよ。たぶん、ないと思うけどね」
「…………」
なにかを言おうとしたが、言わねばならない言葉が思いつかなかった。私は深くお辞儀をして自分の席に戻った。胸のどこかが張り裂けそうになっていた。大声を出して、肺の空気を抜かなければ、自分が破裂しそうだった。
十 身から出た錆
いきなり、私の頭は割れるように痛くなった。まるで万力を使って左右のこめかみを思い切り締め付けられているようだった。
月並みな表現だが、これ以上の言葉を思いつかなかった。それは痛さを通り過ぎて、最高点に達したあと、どこかが音を立てて切れたような気がした。それこそ、走っている途中で、アキレス腱が切れたのを知ったような感じだった。闇の到来……。
「どうしたんですか、三崎さん」
和倉さんだった。彼女の声が私を揺り起こす。「大丈夫ですか」
ああ、あのときと同じだ――。
私は薄れゆく意識のなかで、入社時の昏倒を憶い出した。あのときも、このようにして和倉さんに助け起こされたのだ。
暫くの間、彼女の声は聞こえるのだが、どんなに眼を見開いてもなにも見えなかった。真っ暗なままの空間をしっかり眼を開けて見続けた。このまま眼がみえなくなってしまうのではないか……。恐怖で身体が固まってしまうのを覚えた。
数分後、それとも数秒後か……。私は眼の前に飯田部長の顔があるのを知った。
「大丈夫か、三崎君――」
飯田部長が言った。上から覗き込むその眼は、心配に満ちていた。そしてその横には、和倉さんの顔があった。その眼にも心配が溢れていた。ほかにも数人の顔が心配そうに私を見ていた。企画開発部と人事総務部のひとたちだった。
「すみません。急に眼の前が真っ暗になっちゃって……」
私は、応接セットのソファから半身を起こそうとして言った。このなかにいる複数の誰かが、私をここまで運んでくれたのだろう。
「あ、いい、いい。そのまま、横になってていいよ――」
飯田部長が言った。「なにかあるといけないから、気分が落ち着くまで暫くそのままでじっとしていなさい」
言葉こそは命令口調だったが、語気とその音調は柔らかだった。
またもや、このように親しく思うひとに去って行かれるのか――私は思った。どうして、いいひとばかりが私の許を去って行かねばならないのだろう。天は私に恨みでもあるのだろうか。それともこれは、私が招いた自業自得の仕業なのだろうか。
逆オーラというのがあるのだとしたら、私はそれの持主なのだろうか。
その所為で、誰もが去ってゆくのだろうか。それとも前世での行いが悪く、この世では陸な目に逢わないように運命づけられているのだろうか――。
母親と暮らしていた頃はともかく、もとより信仰などしたことのない身だから、その手の呪詛は筋違いだと言われそうだが、そうでも思わないことにはあまりにも私の周りで、いいひとがいなくなり過ぎている……。
なにかを恨むということの、いわれある良心の呵責――。
不吉な予感が、またどこかの地点で的中しそうな気がしてきた。と、例の斑猫がまた顔を出し、ほんとに大丈夫なのか、おまえ。頭のほう――と憎まれ口をたたいた。
今回の彼の出現は、あまりにも唐突だった――。
その度に、間隔が狭くなっているような気がする。こんな調子だと、しょっちゅうこの猫に文句を言われ続け、そのうち頭のなかが混線しすぎて、停電状態に陥ることになるのではないか。まっとうな考えができなくなってしまうのではないか。
そう思うと、不吉な予感がまたも大きく増幅されたのを感じた。
「和倉さん、あとは頼みます――」
飯田部長が傍らにいる和倉さんに言った。
和倉さんは黙って頷き、肯定の意を示した。その一対の澄んだ眼には哀惜の光が宿り、潤みかけた瞳には飯田部長の顔が映っているように思えた。
無言のままに心を交わすふたりの姿に、私は目頭が熱くなるのを覚えた。あとは頼みます――。この期にあって、なんと鮮烈な言葉なのだろう。その言葉の含むところを彼女は、私よりもっと深いところで受け止めたはずだ。
組織のなかでの付き合いだったとはいえ、そこには実務レベルを超えた心の通い合いがあったに違いない。彼女もまた私と同じように、たったいまのこのとき、親しく思うひとに去って行かれる寂しさを味わっているのだ。
悲しくないわけがない――。彼女の場合、悲しい――というより、口惜しいと言ったほうが正しいかもしれない。私は横になったままの姿勢で、というより、立ち上がれないほど疲弊した身を横たえながら、飯田部長の後姿を見送った。
「寂しくなるわね……」
和倉さんが飯田部長から私へと目線を移して言った。「送別会とか、見送りとか、そういうのは必要ないって仰るの。却って別れ辛くなるから――って」
私はなにも答えなかった。
だが、彼女は顔の表情で、私がそれに同意していることを読んだようだった。
「いいひとだったわね」
彼女はふっと気を抜くように向かい側のソファに腰を下ろして言った。「――っていう言い方も、変かもしれないけど……。なんだか、いいひとばかりがわたしの周りからいなくなっていく気がするのよ」
そうか、彼女もそんな風に感じているのか――私は思った。
「まさか、三崎さんもそうならないでしょうね」
「まさか――」
「よかった」
彼女は両手を胸の前で合わせ、安心した表情を浮かべて言った。「わたしがここにいる間は、どこへも行かないでよね」
「ああ――」
私は辛うじて声に出して言った。「和倉さんがここにいてくれるかぎり、ぼくはどこへも行かないよ」
「ありがとう。信じていいのね」
声を出す代わりに頷きで肯った。その顔は美しかった。入社以来、私が初めて眼にした彼女会心の笑みだった。
それから二週間後、新たな人事異動の告示があった。
それによると企画開発部は適任者を欠くとし、実質廃止されていた。私は、M&A推進本部から格下げされたM&A事業部が兼務する石油卸部署への配属となり、新たに買収した液化石油ガス(LPG)充填所への出向を命ぜられることとなった。
ただ、その前に高圧ガスの販売主任者の資格を得る必要があり、某大手ガス器具メーカーでの研修を終えたあと、元売り系列が運営する充填所に出向いて実地訓練などを受けながら、資格試験に備えて受験勉強を進めることになったのだった。
なぜそうなったかといえば、これまでにM&Aした旅館やホテルなどの宿泊施設には浴場や各部屋の浴室に温水を供給する設備が不可欠であり、その燃料である重油やLPGその他の石油製品も自前で調達しようということになったからだった。
その結果が、充填所の買収&直営ということなのだった。
このプラン自体は、従前から和倉さんから大方のところは聞いていたが、私がその任に命ぜられることを知ったときには、大いにショックを受けた。
というのも、業界が初めてなのもさることながら、その出向先の充填所とやらがK市から百キロ近くも離れたM県の片田舎にあるからだった。しかも出向とは名ばかりで、広い敷地を持つ充填所内に設置する石油プラントが完成するまでの間、近隣の食事つき旅館に泊まり込んで面倒を見るというかたちのものだったのだ。
もちろん、土曜の夜から日曜日の夕方にかけて、週に一度くらいは自宅に戻って休憩するくらいは可能だったし、それも許されたろうが、第一に不経済だった。そしてシビックを駆ってのそれは時間のロスでもあった。なによりも妻と離れて民宿に毛の生えたような安宿で独り食事をする光景は、想像するだに侘びしいものがあった。
ここまで記せば、もうお察しいただけたろう。このことを妻にどのようなかたちで告げたものかが目下最大の課題であり、予期せぬショックなのだった。
もともと私が転職するにあたっては、妻はどちらかといえばSK広告の専務に悪いとして、あまり乗り気ではなかった。それをある意味、強引に説き伏せ、ここまで連れてきたのだ。そのことは読者も覚えておいでだろう。それなのに、いまさらこんなことを言い出すのは気が引けた。
あのとき妻は、本当にそれがしたいなら、決めればいいじゃない――という意味のことを言った。その後ろめたさが私を震撼させた。自己責任という名の責め苦だ。
口を開けば、いつもあなたはそうなのねと言われそうだった。どうしていつも事前に相談してくれないのと言われるに決まっていた。確かそう言っておいたはずよねと念を押されるのを想像するだけで、この身が数倍も竦む思いがした。
専務には、ずいぶんとよくしてもらっているんでしょ――。
その言葉が洞窟のように昏くなった私の頭のなかを何度も行き来し、あちこちの壁にぶつかっては反響した。その思いを振り切り、最終的には面接が成功するよう私のために祈ってくれた彼女に、この私はまたも余計な心労を強いるというのか。
身から出た錆とはいえ、彼女には会社のことは一切、話してはいなかった。それだけに彼女にしてみれば、入社前の会社のもつイメージと、いまのそれとは相当な開きがあるはずだ。いずれにせよ、彼女のもつ情報はすべて私から得たものなのだ。
だから、言ったじゃない。そのひと、信用できるひとなの――って。
あのときの遣り取りが昨日のことのように蘇り、私は耳を塞ぎたくなった。彼女にはなんの責任もない。すべては、私が決めたことなのだ。
苦しかった。どのように切り出せば、この状況を巧く切り抜けられるのか――。
私には相談できる相手がいなかった。心を許せる友人はほとんどいなくなっていた。私の悩みを親身になって聞いてくれるはずの友人、たとえばきみや中出君だが、ふたりには逆の意味で、切り出せなかった。余計な心配をかけたくなかったからだ。
仮に耳を傾けてくれたとしたところで、ふたりには、どうすることもできなかったろう。それを決めるのは、ぼくではなくきみ自身だよ――と言われるのがオチだ。結果的には、なにも話さなかったと同じことになるのは眼に見えていた。
ふたりには、重みになることは言いたくなかった。丁度、あの六郷崎常務の死が飯田部長の心に翳りをもたらしたように……。
十一 世界内存在としての私
それからも私は、懊悩し逡巡した。悩みに悩んで苦しんだ。
彼女には、なにがあっても明るく振舞わねばならない。私が窮状にあることは、絶対に悟られてはならない。
しかし、その日は迫っていた――。
辞令によると、二週間後には、研修先である大手ガス器具メーカーの受け入れ態勢が整い、それ以降、当分の間、遠距離通勤しなければならない。その工場は、私が中学のとき、きみと自転車で行った神戸にあった。
いずれ言わねばならない。このまま隠しおおすことはできなかった。
辞令の日から、すでに三日が経っていた。
ついに私は勇を鼓して、妻が機嫌よくソファに座ってテレビを観ているところを見計らって、さりげなく口を開いた。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな」
「いいよ。なぁに――」
「この間、ちらっと言っていたプランのことなんだけど……」
「そういえば、あの夜なんか言ってたよね。何度も寝返りを打ったりして……」
「そう。それのことなんだけど、今度の人事異動で、ぼくは石油卸部門に回されることになったんだ」
「え、企画開発じゃなくなったっていうこと――」
「うん。要の企画開発部長が辞めちゃって、後任が見つからない。それで、企画開発部ごとM&A事業部の配下に置かれることになったんだ」
「ふうん。宮仕えも大変なのね。ん、ごめん。それで――」
「それで、ぼくはこの間、うちがM&Aしたガス充填所が新規に取り扱う石油プラントの立ち上げと液化石油ガスを販売する係を仰せつかったんだけど、それをするには高圧ガス販売に関する免状が必要なんだ。でないと、ガスの販売はできない」
「そうなんだ。でも、なんだか面倒っぽいっていうか、厄介な話ね」
「うん。話せばもっと厄介な話ではあるんだけど、簡単に言えば、その資格を得るための条件として、大手ガス器具メーカーでの研修と液化石油ガス充填所での実務経験が必要になる。それがなければ資格試験にトライすることはできないんだ」
「その試験に受からなければ、仕事ができなくなるってことじゃない。試験はどうなの。難しいのかしら――」
「ああ。実際はどうか知らないけど、そうらしい。石油卸部門には、ぼく以外に三人の男子がいるんだけど、三人がトライして三人がとも見事に滑ったって言うよ。彼らに言わせると、われわれ商社の人間じゃなくても、元売りの社員でもなかなか受からないんだぞ――って、変な自慢するほどの試験らしい」
「ますます大変そうね」
妻は心から心配そうな顔つきをして言った。「だけど、あなた、大丈夫なの」
「問題はそこなんだ。もともと理系向きの人間じゃないから、プロパンだの燃焼方程式だのって、化け学や計算のほうはさっぱりでね」
「そうよね……」
言いながら、思い返したように。「でも、仕事だから、しようがないか」
「まあね――。それで、ちょっと面倒ではあるんだけど、再来週の水曜日から神戸に行かなくちゃならない……」
「え。毎朝、神戸まで通勤する――っていうの」
「うん」
「それこそ大変じゃない。なんとか近場にしてもらえないの」
「それが無理なんだ。研修の受け入れ先は、得意先の石油商社から紹介してもらった先で、勝手に変更したりはできないんだ」
「そう。じゃ、仕方ないわね」
彼女は、私の意志が固そうと見たのか、急にいつもの笑顔になって言った。「で、その研修が済めば、今度はその液化なんたらのジュウテンショとかってところで、実務を学ぶことになるのね」
「そのとおり――」
「わかった。よくわからないけど、応援だけはするわ。受験勉強、頑張ってね」
「ああ、ありがとう」
ここまできて、ようやく私は、ほっと安堵のひと息をついた。
まさかこんなにスムーズにいくとは思わなかった。まさに窮すれば通ずだ。それとも当たって砕けろなのか――。いずれにせよ、巧くいってよかった。案ずるより産むが易しとは、よくいったものだ。私はなにかと、引っ込み思案だからいけない。
おそらく飯田部長や和倉さんなら、こんな取り越し苦労はすまい……。考えてみれば、和倉さんというしっかりした味方がいたではないか――。初めから、そうすればよかった。いや、そうすれば、結論はある意味、決まってしまっていたはずだ。
私はそうはせず、妻に直接「当たって」よかったと思い直した。結果的にも首尾的にも砕け散ることは、なんら必要としなかったのだから……。
やはり、思い切りが大切だ。飯田部長が温泉にでも行って、ゆっくりするさ――と言った気持ちが分かった気がした。あれこれ思い悩むより、すっぱり忘れて他のことに没頭するか、頭休めもかねてぼーっと頭のなかを空洞にするのが一番いい。
そのうち、心のどこかが気づいて、こうすればいい、ああすればいい――と教えてくれるのだ。それがあってかどうか、今回は、あの猫は現れなかった。彼は、私の迷いが生んだ猫なのか。それとも、つねに私の前を行く航海士なのだろうか。
とまれ、あの猫のことを考えるのはよそう。少なくとも、いまはよそう。そうでなければ、前へは進めない。じっとしていることは、魂の停滞なのだ。例の不吉な予感のことも、いまは詮索しないでおこう。
どんなに私の心のどこかが叫びそうになっていても、また人前で気を失ってしまわないよう、いまは考えまい。エポケーだ。フン・デュ・マリを避けるためにも、ここは温和しく会社の命じるところに従おう。
いまのところ、それでしか私の生きる道はないのだから……。
それから一週間と少しが経ち、私は珍しく妻に、行ってらっしゃい、しっかり勉強してきてね――と見送られて国鉄の駅へと急いだ。彼女は、このあと暫らく経ってから、モーニングサービスを楽しみにしている客の待つ栞に向かうのだ。
この日から私は、朝早く神戸に出向くことになった。
彼女と別れてからの駅に向かう道のりは、さして遠いものではなかったが、時間だけはやけに長く続いているように感じた。歩くスピードも心なしか、心の重さに比例していた。どう考えまいとしても、つい心が揺れるのを感じた。
どうして私は、こうも不本意な世界に引き込まれて行くのだろう。
妻には言わなかったが、大手ガス器具メーカーでの研修とは座学のそれではなく、他の工場労働者が働く現場で彼らと同じ作業服を着て、器具の扱い方やその修理の仕方、構造の仕組みなど教えてもらうということを意味するのだ。
世界がどこかズレている。私は一体、どこへ行こうとしているのだ。
列車に乗っても、車窓から見る朝の世界は、なぜか悲しそうな光を放っていた。朝まで世界を違うものに見せていた。石油の卸をしているといえば、いかにも恰好よさそうだが、内実はLPガスの小売販売業、つまりガス屋だ。
都市ガスのない地域にエネルギーを供給するとはいうが、所詮はプロパンガスを一般家庭に買ってもらっている存在に過ぎない。たまさか大口の法人購入があったとしても金額こそ張るが、口銭は極端に薄い。あまり儲かる商売ではないのだ。
だからといって、こうした商いはエネルギーだけあって、ある意味、半永久的に存続する。人間が生きているかぎり髪が生え、散髪を必要とするように、風呂に入るにも料理をするにもコーヒーを沸かすにも、ガスというものは必要になるのだ。
代替エネルギーが出現しない限りにおいて、そして人間がエネルギーを必要とする限りにおいて……。その意味では確かに、食いっばぐれのしない稼業ではあった。
会社としては、そういうところにシフトしていくことで、生き残りを図ろうとしているのだろう。そしてギャンブルや競技に絡む遊技施設の建設や誘致もまた、その手の食いっばぐれのしない永続的な事業のひとつではあった。
だが、私にはなにか違っている気がした。贅沢を言ってはいけない身分なのかもしれないが、どこか私とは相性が合わないのだ。こんなことをしたくて、この会社に入ったわけではない。なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
ズレていく――。思いとはズレていく……。世界がどこかへ、ズレていく。世界は私をどこへ運ぼうとしているのだろう。世界内存在としての私は、その外へ出ることはできない。まさにダーザインだ。現存在としてのみ生きることができる。
工場に着き、研修現場のロッカーに案内されたあと、私は作業服に着替え、案内人と一緒に工場の一角に向かった。工場全体は広かったが、その一角は狭く、ひともあまりいなかった。いまとなっては、はっきり覚えていないのだが、暗くて照明の数もあまりないようなところだった。
「米田さん、紹介します。この方が、今日から研修に来られる三崎さんです」
私を案内した男性が米田と呼ばれた男性に手を向け、私に告げた。「三崎さん、この者があなたの研修を担当します」
「米田です」
「あ、三崎です。今日からお世話になります。ガスのことはなにも知りませんので、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「じゃ、米田さん。あとはよろしくお願いしますね」
「はい――」
「じゃ、三崎さん。わたしは、これで――。研修中、なにかわからないことがあれば、ご遠慮なくこの者にお訊ねください。研修以外のことでなにかあれば、わたし加藤にお願いします」
「加藤さんですね。わかりました」
私は案内人の加藤氏に頭を下げて言った。「そのときは、よろしくお願いします。ありがとうございました」
「さあ、行きましょうか――」
米田さんが言った。彼が先に立ち、私がそのあとを追いて行った。
彼は若く、その当時の私より五歳以上も離れているように見えた。後ろから見ると、背も私より低いようだった。着いたところには、どこかで見たようなガスコンロが腰ほどの高さの台の上に、いくつも置かれていた。それぞれが修理中か、修理を待っている商品のようだった。
「これらは、故障したガスコンロです――」
米田さんが台の上へ手を差し伸べて言った。「いま、その原因を調査している最中のブツなんです。ほとんどは、使い過ぎか、劣化によるものなんですが、部品を取り換えれば、まだまだ充分使えますよ」
その言葉自体には仕事に対する、ちょっとした自信のようなものが宿っていたが、顔の表情としては、あまり楽しそうには思えなかった。
「そうなんですか」
私は言ったが、私にはガス器具の修理工になった自分が想像できず、彼のような誇りを感じることができなかった。どちらかといえば、性格もあまり明るくなさそうな米田さんといると、もともと根暗な私まで暗い気分になるような気がした。
十二 行く手を阻む壁
さすが大企業のものだけあって、その工場の社員食堂はとても広かった。
メニュの種類はさほどではなかったが、価格が安いので、そこで食事をとる社員は多いようだった。米田さんに連れられて行ったそこで、ふたり一緒に同じメニュの食事を早めに済ますと、私たちは現場に戻って、とりとめもない話をした。
彼が私の前歴を訊いてきたので、私のこれまでの人生の粗方のところを掻い摘んで伝えた。そういうことを初対面で訊くということは、彼には私がそういう向きの人間ではないことを直感的に感じたからなのだろうな――と思いながら話した。
私の話を一通り聞いたあと、彼はちょっと含羞むような表情をつくって言った。
「やっぱり、そうなんですね」
「え。というと――」
彼は、静かに自分に言い聞かすようにして言った。
「実は、加藤さんに紹介されたとき、三崎さんはこんな仕事向きじゃないって感じていたんです」
「そうなんですか……」
「そうですよ――」
と言ったあと、彼はおずおずと続けた。「それと、これは余計なことかもしれませんが、できれば、学歴のところはみんなに言わないほうがいいです」
「は」
「ここのみんなは大抵、コンプレックスがありますからね。私も高校しか出ていませんし、とくに年配のひとは中卒あがりのひとが多いですから……」
「わかりました。ありがとうございます」
言いながら、私は自分の思いが当たっていたことを持て余すような気分だった。
なにも学歴自慢をする気はなかったし、広告関係や企画開発関連の仕事をしていたといっても、実質こうして工員紛いの格好をして研修に出向いているのだ。ブルーカラーではないにしても使い走りのようなもので、鳴かず飛ばずの男だったのだ。
しかも大卒とはいっても、彼の羨むようなものはひとつもない。
年齢や学力、忍耐力からすれば、落ちこぼれの典型生のようなものだ。歩いてきた道も紆余曲折で、決して自慢できるようなものではない。私こそコンブレックスの塊だ。その点、この仕事一筋でやってきた彼のほうが、よほど偉いに決まっている。
だが、私はなにも言わなかった――。
彼の来し方を擁護するような発言をすれば、却って彼の神経を逆撫ですることになるだろう。慰めは願い下げ。お為ごかしの言葉は言ってほしくない。あんたはなにもわかってない――。きっと、そう言うはずだ。いや、言わないにしても、心の奥底ではそう呟くに決まっている。
顔だけは平然とした笑みを浮かべ、努めて冷静さを装いながら……。
その日から以降、私たちはよほどなにかがない限り、朝の挨拶と終業時の挨拶くらいしか言葉を交わさないようになっていた。気まずくなっていたわけではないが、仕事以外のことでは言葉が弾まないのだった。
興味の範疇というか、趣味の違いというのか。お互いの領域には入らない――という「暗黙のルール」がふたりの間にできたみたいだった。前歴紹介のときに私がうっかり口にした「哲学」という言葉が、彼の感覚受容器の苦味感知閾のようなものを刺激してしまったのかもしれなかった。
以来、私は私ごとを一切、喋らないようにした。
おそらく彼のほうもそう思ったのだろう。彼もまた個人的なことは一切、口にしなかった。昼食時間になって食堂に行くにも、タイムラグを設け、別行動をするようになった。そのほうが、互いの貴重な食後の自由時間を奪わないで済むからだった。
私は食堂を出てからは、現場には向かわず、構内にあるベンチで一時までときを過ごすことにした。そうして真上にある空を見上げた。季節は、夏の終わりに差し掛かり、早朝でこそ寒さを感じさせたが、日中はまだ暖かさを保っていた。
見上げると、空は青さを含んで、どこまでも澄んでいた。
愛用のロングピースを取り出し、ライターで火を点けた。旨い一服だった。濃く太い紫煙が宙へゆっくりと立ち昇っていく姿を眺めた。この頃は、こんな風にしてよくタバコを喫っていた。多いときには一日に四箱に及んだときもあった。
こうしていると、ある意味、自由だった。
だが、寂しかった。孤独が身に染みた。目的は資格取得にあり、そのためにここにいるとわかってはいるものの、虚しかった。ロングピースの煙のように自分も消えて行ってしまいたい気がした。こんなことを続けていて一体、なんになるのだろう。
果たして私は、どうなるのだろう。
自分の人生なのに、その行先がわからなかった。
どこかで、別のなにかを踏み外してしまったのか。置いてはならないほうのステップに足を下してしまったのか――。笑いごとではなかった。泣き言も言えなかった。
これらはすべて、自分自身が決めたことなのだ。
それにしても私は、どうしてこんな風にものごとを考えるようになったのだろう。いまの妻と一緒になる前は、こんなことはあまり考えなかった。
――というより考えもしなかった。自分に行くべき方向があるなどとは思わなかったし、空間がある限り、どこへでも行けると思っていた。眼は開いているのに見えていなかった。そこには眼に見えぬレールがあり、行きつく先には壁があるのだ。
私は、齢三十半ばになってようやく、そのことに気付き始めていた。しかし、それに気づくにはあまりにも遅かった。一旦敷かれたレールは、その方向を転換できなかったし、いったん眼の前に立ちはだかった壁は、私の行く手を阻んだ。
一旦、その上に足を下した限り、そのレールの流れに沿って歩んで行くしかないのか。その壁は乗り越えたり、突き破ったりはできないのか。それには誰かの助けが必要なのだろうか。それとも、私の前を走ってくれる誰かが必要なのだろうか。
いまの世界は、私にとって未踏の世界だ。この先、どうなるのかがわからない。
誰かが必要だった。だが、果たして私の水先案内人になってくれるひとなんているのだろうか。親密な関係のなかに、そっと寄り添い、伴走してくれるひとはいないのか。リュンのように、そしてナオがそうだったように……。
十三 伴走してくれる勇者たち
孤独だった。何にもまして孤独だった。青い空だけが美しく澄んでいた。
レールはすでに敷かれていた。行先も方向も決まっている。当面、乗り越えねばならない壁は、資格試験に合格することだった。それなくしては、その先にレールはない。また一からの出発だ。壁を迂回して、一体、どこに行き着くというのだろう。
意に染まなくとも、相性が合わなくとも、このときの私に、それ以外の選択肢はないはずだった。飯田部長のように、温泉に浸かって熟考する暇は与えられない。そのようなイトマが、もし与えられるとすれば壁を乗り越えたあとのことなのだろう。
ひょっとすると、その先のことは、そのあとに考えればいいのかもしれない。
そこまで考えついたとき、ようやく私の頭のなかは、薄曇りから晴天に近いものになっていた。楽観的なケ・セラ・セラではなく、レット・イット・ビー。「なるようになる」ではなく「なるようにしかならない」でもなく「放置せよ」だ。
放置することによって、私は囚われの身から自由になれるはずだ。
イットすなわち「それ」を考えることによって、私は「それ」に依存し、そこから逃れなくなる。思索のラビリンス。愚行の迷路。時間の無駄遣い……。
イットは、その在るがままに放置しておくほかないのだ。
ポールの母の言葉ではないが、誰がなんと言おうと放っておきなさい――なのだ。他人は、なんとでも言うだろう。だが、そんなのを気にしちゃいけない。彼らはひとの噂話で飯を食っている連中なのだ。ヒマ人を相手にしちゃいけない。
いまのところ、私に与えられた試練――。それは、ただひたぶるに邁進することによってしか得られない勇気の見せ処を要求されているのだ。
行く手を阻む壁は、先行きではなく、私の心のなかにあった。
ほぼ二ヶ月(くらいだったと思う――)の研修期間を終え、相性の悪かった米田さんとも笑顔で握手を交わし、お世話になった加藤さんにも礼を言い、私はつぎの研修先であるLPG充填所での任務に就いた。
そこは、元売り系列の直営物件であるとはいえ、譬えて言えば、街のガソリンスタンドのようなもので、従業員も所長を含めて五人ほどしかいないところだった。
それだけにみんなは和気藹々としていて、私に対して非常に好意的だった。
当たり前のことだが、従業員は全員(独立して配達専門の業者となった男性を含めて――)私が取ろうとしている資格を持っていて、その時代を憶い出すのか、充填の仕事はそっちのけでなにも教えてくれず、テキストを読めと言って、肝心の仕事をさせてくれないのだった。お陰で私は、ほぼ一日中、受験勉強に勤しんでいることができたし、わからないところは、その都度、先輩たちに教えてもらうことができた。
私に充填などの仕事をさせなかったのは、身体も痩せていて細かったから、大きなボンベを転がすのは不向きと見た所為かもしれない。二十キロほどの小さいほうのボンベでも容器とガスを合わせて四十キロ前後あったし、大きいほうの五十キロのものは容器ともで百キロ近くあり、その高さも私の首くらいはあった。
得意先から預かっているひ弱な社員に怪我でもさせたら大変――ということで、その手のことは一切、させないでおこうという取り決めがあったのかもしれない。
いずれにせよ、私は乳母日傘のような環境で、ぬくぬくと育てられるお坊ちゃまのような扱われ方だった。恨み言や嫌味のつもりで言うのではないが、例の大手ガス器具メーカーの職場とはえらい違いだった。その力の差が、元売り系列の紹介と商社のそれとの違いとなって現れたのかもしれない。
とまれ、寄る辺ない受験勉強に不安感を覚えていた私には、彼らはまさに勇気ある伴走者であり、モチベーターだった。全体に温和しく親切で、優しかった。なにかにつけ、私を立ててくれた。業務的にはおそらく、それほどちやほやする必要はなかったのだろうが、それぞれの持前のひとのよさが現れている気がした。
会社からすれば、そのような扱いは、いわゆるVIP待遇そのものであり、する必要のない扱い方のはずだった。下手をすると、叱責を食らうほどの扱いだったかもしれない……。にも拘わらず、彼らは私を来賓のように遇してくれるのだった。
彼らは、まさに私の掛け替えのない伴走者だった。
私はここで、ひとの温かみに触れた気がした。それまでは、サ社にせよ、ひとこそ大勢いるが、和倉さんを除いてはあまり親しいひとはいなかった。
SK広告にしても、社長以外はさほど親しくなかった。最終的に送別会のとき、野々村君と中原君とは仲良くなれたが、それっきりだった。例の田丸君なども表向き、私と伴奏してくれているように見せていたが、最終的にはそうではなかった。
ところがここでは、みんなが差し出がましくなく、優しい眼差しで私を見てくれていた。おそらく私がここを去ったあとでも、また会えばにこやかな笑みを返してくれることだろう。そんな温かな空気を感じると、私の勤め先がここであってもいい――とさえ思うようになった。腹蔵なく話し合える、掛け替えのない仲間たち……。
少なくとも、生き馬の眼を抜く――とまでは言わないにしても、それに近い社員扱いのサ社にいるよりは一等、仕合わせになれるような気がした。
実に、ありがたい――ことだった。
あの飯田部長も、きっと自分が左遷されることを知ったうえで、先手を打ったのだろう。組織とはそういうものだ――とは、部長の口癖だった。あのひとほど組織の冷たさを身をもって知っているひとはいなかったろう。
組織のために奔走し、組織のためにあえて内部告発し、組織のために去って行った飯田部長――。その姿が、その行動が、どれほど私のやる気を鼓舞したことか。あのひとがいなければ、今日までサ社にいることはなかったかもしれない。
どこにどう進むにせよ、私にはこうした仲間たちがいる――私は思った。
このひとたちの善意に報いるためにも、私は試験に受からなければならない。一銭の得にもならない他社の社員の面倒を誰が看てやるというだろう。
「充填所のひとたちはみんな、いいひとたちばかりなんだ」
私は家に帰ってシィーちゃんに報告した。
「そう。それはよかったわね――」
彼女は輝くような顔をして、喜んで私の話を聞いてくれた。
私が嬉しそうに話すのを聴くのが、彼女には楽しかったのだ。
「変なひとばっかりだったりしたら、それこそやる気も失せちゃうものね。あなたがそんな顔して、報告してくれるのを見るのは好きよ」
「そうか」
「ええ。わたしも元気が出るもの。明日も頑張ろう――って気になる」
「そう言ってくれると、ぼくも嬉しいよ」
「お互い、頑張りましょうね」
「ああ。これが済めば、つぎは試験だからね」
「そうね。応援するわ。でも、無理はしないでね。あ、そうそう」
そう言ったあと、ふと思いついたように立ち上がり、タンスの上の抽斗からなにか小さなものをもってきて続けた。「これ。お守り。受験の神様のお守りよ。今朝、あなたが会社へ行ったあと、ちょっと寄ってもらってきたの」
「あ、そう。ありがとう。恩に着るよ」
私は照れ隠しに、ちょっとおどけて言った。「これで滑りなんかしたら、あとでどんな目に遭わされるかわからないからね」
「そう。こっぴどく叱り倒しますからね」
ふたりは笑った。
そして私は思った。ああ、ここにも掛け替えのない伴走者がいてくれる――と。
十四 一挙両得の秀逸アイデア
一ヵ月ほどを経て、充填所での仕事内容はひととおり学んだ。
そのあと私は、実際の配達が行われる現場に立ち会うこととなった。配達の現場というと、表現がいささか紛らわしいかもしれないが、都市ガスを使っていない地域の一般家庭にボンベに入った民生用プロパンガスを届けるのが仕事だった。
もちろん、私が直接トラックを運転し、各戸の戸口やボンベハウス内にある空のボンベと中身の入ったそれと交換する作業を行うわけではない。先にも触れたようにもともと充填所の社員だった男性が独立して、その業務を請け負っているのだった。
だから私は、中身の入ったそれをなんの苦もなく器用に転がして、しかるべき場所に置いては空のそれを引き上げてくる彼の仕事を、ただ眺めるのが仕事だった。
季節は秋に差し掛かり、朝夕はめっきり寒くなってきていた。
大きな河の土手下にある家などは、急な法面を下らなければ辿り着けなかった。ひとがひとり通り抜けられるだけの細い道を、やや斜めに倒したボンベを転がして目的地へ向かう彼の姿は尊敬に値したが、到底、私にはできない相談だった。
これで冬がきて、雪でも降ったらどうなるのだろう――私は思った。
私なら足を滑らせて、百キロもあるボンベを抱きかかえるか、その下敷きとなって坂道を転げ落ちて行くしかないだろう。下手をすれば、ボンベからガスが抜け出して、なにかの拍子に爆発しないとも限らない。
もっとも燃焼範囲の問題もあるから、そういうことにはならないだろうが、少なくとも転倒した場合、肋骨の一本や二本くらいは折るかもしれない。それとも手か、足かだ。手足なら四本まとめて折れる心配はないから、安心していいのだけれど……。
というのは、おちゃらけ半分の冗談として、この仕事を私にやれ――というのは冗談ではなかった。腕であろうが、足であろうが、折りたくはなかった。彼に言わせれば、この仕事は、その点も考慮して「高給」(だからこそ『独立した』のだ――)になっているらしいのだが、私には耐えられそうもなかった。
私たちは、ボンベの配達中、さまざまなことを話した。
他都市と比べて割と早く都市ガスが普及していたK市ではあったが、それは都心部だけのことであって、その近郊はまだまだ完全には普及していなかった。
おそらくそれから四十年近く経ったいまでも、そうした燃料を使用しているところは少なくないはずだ。例えば、川べりの小さな集落であったり、辺鄙な山間部であったりと、ガス管を引いてまで供給するにはあまりにも住戸が少な過ぎる場合には、企業はそこまでの投資はしない。曖昧な記憶ではあるが、その当時の日本全体の都市ガス普及率は、大都市など一部しかなく、国土の七割以上がLPGを必要としていた。
逆に言えば、景勝地など山間部にある宿泊施設や料理飲食施設には、パイプラインを敷設して都心から供給するより、車で運んだほうがよほど効率がよいのだ。
いわば飛び地のように、それを必要とする地域の間隔は結構、離れていた。
だから、私たちに話をする時間は、たっぷりとあった。
最初はガスの免許取得の苦労話から始まって、彼の家庭事情から行く行くの夢の話にまで及んだ。いまでも一応、ガス配送業者として一国一城の主なのだが、ちょっとした輸入雑貨店をもつのが、彼の長年の夢であり、奥さんの夢でもある――というのだった。それで、少々きついがこの仕事を続けて金を貯め、それを元手に近くの商店街に店を出す予定でいたのだという。
結婚以来、夫婦仲よく、その夢に向かって突き進んでいた。
――はずが、ふと銀行通帳を見て驚いた。なんと、そのほとんどを奥さんが使い果たしてしまっていることが判った――というのだった。それも、私がこの充填所へ研修にくる、つい一週間ほど前のできごとだったらしい。
彼の奥さんは共働きで、郵便局に勤めていた。それだけに、金銭の管理や家計費の切り盛りは安心して任せていたという。わけを聞いても、生活費に使った――の一点張りで、埒が明かず、ここ暫くは口を聴いていない。食事も外で食べて帰って、寝るだけの日々が続いているという。
それで、相談なのだが、彼女と離婚したものか、このまま婚姻を続けて、もう一度同じ夢を見たほうがいいのか、どちらがいいと思うか――と聞くのだった。
私ほど人生に疎い者はいない。そんな男が、そんな難問に有効な解決策が思いつけるわけがなかった。しかも女性のあしらいについては、まったくの素人と「豪語」できるほど自信のない私は、それに応える術を持たなかった。
月並みだが、彼をがっかりさせないためにも、それを決めるのはあなただし、あなた以外に決める者はいない。だから、思うようにすればいい――と返事した。
自分でも認めざるを得ないほど、情けなくも頼りない、実にいい加減な返答だったのだが、なぜか彼には納得がいったらしく、ほぞを決めたようだった。
「ありがとう、三崎さん」
彼は回収した空ボンベを積んだトラックを慎重に運転しながら言った。
道は土手の上にあり、水溜まりの穴が所々に空いている未舗装の道だった。ゆっくり運転しないと、空になったボンベは中身が入っているときとは違って、車の振動で不安定になるのだ。「言葉にはできないけれど、なんとなくわかります。ぼくの優柔不断がいけなかったんです。今夜はきっぱり、あいつに言ってやります。俺たち別れようって。そうしなきゃいけないんだって……」
事実、その一週間後、彼は奥さんに離婚を承諾させ、早々とつぎの彼女ができたことを私に報告した。私は、ちょっとがっかりした。ある意味、彼はその予定でいたのだ。だからこそ、私に助けを求めるふりをして自分の後押しにしたのだ。
というのも、新しい彼女というのは、いまでいうモトカノで、以前に付き合っていた女性だというのだった。いわゆる縒りを戻したというやつで、真剣に話を聞き、それなりに心配していた私は、なんだか拍子抜けしてしまったのを憶えている。
余談ついでに言っておくと、後年、本人が電話してきた話によると、この奥さんも彼の貯えを自分の趣味のために使い、彼には一銭も残さず、離婚してしまったとのことだった。ツイていないひというのは、どこまでもツイていないものらしい。
もっとも、ひと様の将来を心配する身分でもなければ、その資格もない私には「余計なお世話」ならぬ「余計な心配」だったかもしれない。
そんなこんながあっての二週間後、私は資格試験を受けた。
そして無事、合格を果たした。浅学菲才な私にとってはそれなりに難しい試験ではあったが、それもこれも、この君と充填所の方々の応援のお陰だと深く感謝した。おそらく私ひとりでは、あの難関をクリアすることはできなかったろう。
とりわけ、所長には、感謝しきれないほどお世話になった。
というのも、凡庸な私がいくら考えても解けなかった計算問題を一時間以上を費やして解き明かし、その解き方を伝授してくれたからだ。ただ、残念なことに――というか、その種の難問には出逢わなかったのは、私にとって不幸中の幸いだった。
その手の計算問題が出れば、きっと私はパニックに陥り、最後まで解き切ることはできなかったろう。時間を必要とするだけに、出題には不向きな問題だったのかもしれない。いずれにしても所長には、いくら感謝してもし足りない気持ちだ。
会社はその合格をもって、新規に液化石油ガス専門の会社法人「サニー液化ガス株式会社」を立ち上げ、私をそこの営業課長に据えた。役員は、社長以下販売本部長も含め、すべて親会社であるサ社の人間が兼務するかたちとなっている会社だった。
早い話、実質的に動く社員は私ひとりだけ――ということだ。
心細いといえば、確かに心細かった。
だが、そんなことは言っていられなかった。頼る相手はひとりもいないのだ。いまでは、この会社でガスのことを一番よく知っているのは、この私だったからだ。
だからといって、ガスのことはなんでも知っているわけではない。そのほんの一部であるプロパンガスのことを、ほんの少し齧っただけなのだ。
私は、販売課長の名刺ができた時点で、石油卸部門の担当部長からそれを手渡され、M県の片田舎にあるLPG充填所「明星燃料株式会社」に出向を命ぜられた。
ここもまたK市の充填所と同じく少人数で運営されていたが、商社系で敷地面積は僻地に近いこともあり、優にその三倍以上もあった。その一角に五百キロリットルまでの貯蔵設備を設置し、LPGと併せて民生用灯油も販売しようというのだった。
だが、街のガソリンスタンドのように客がポリタンクを持って買いに来るのではなく(もちろん、それも対応可能だが――)顧客の元にこちらから届けに行くのだ。そうすることによって、客には買いに行く手間が省ける。そこが狙いだった。
配達するという意味では、確かにLPGの配達と同じ原理だ。
だが、ガスボンベのそれとは手法が異なった。この当時、ガソリンスタンドや町の灯油屋さんがやっていたようにポリタンクに詰めたものをトラックに積んで行って届けるのではなく、トラックそのものにポンプ式貯蔵タンクを搭載し、そこからホースを使って客の使用しているポリタンクに直接、灯油を注入する。
そこのところが、サ社のお偉いさんたちが捻り出した秀逸アイデアなのだった。
こうすれば、まさに一挙両得。消費者も助かるし、配達人も客と充填所の間を行ったり来たりする必要はなく、時間と労力をかなり節約できるからだ。十八リットルのポリタンクをトラックの荷台いっぱいに積んでも、たった一段でしか積むことはできない。どうしても配達できる範囲と量が限られてくるのだ。
その点、貯蔵タンクごと車に積んでおけば、相当量の灯油が配れる。長距離も走れる。それに眼を付けたところは、石油卸部門の連中にすれば鼻高々の「腕の見せ所」だったに違いない。この当時、「宅配」という言葉はまだ存在しなかったけれど、それの先駆けといってもいいだろう。
もっとも牛乳配達やヤクルトの配達、富山の薬売りの配置薬などは、私の子どもの頃から、それも幼児の時代からありはしたのだが……。
十五 唯一楽しい思い出
明星燃料での私の位置づけは、本社より格上の部長代理のようなものだった。
それもあってかどうか、ここでもまた私は特別待遇を受けた。思うに、倒産寸前の経営危機を救ってくれた親会社である、サ社の威光が働いていたのだろう。私個人にそんな威厳や権限もなかったにも拘わらず、充填所のひとびとは社長を初め、その奥さんも他の従業員もすべて私に対して親切だった。
私の仕事と言えば、日々の売上管理と顧客管理がメインで、それ以外にはあまりすることがなかった。この充填所では、古くなった家庭用ガスボンベの耐圧試験や修理塗装も営業品目にしていた。その関係もあって、みんなが出払っていたり、手が離せなかったりして人手が足りないとき、新品同様に塗装したボンベを発注先(別の充填所や燃料店)に届けることが、たまにあるくらいだった。
だからといって、社内に籠ってばかりはいられず、大口需要のありそうな会社(ホテルや旅館などの宿泊施設・ボイラーを必要とする入浴施設や染工場など)を電話帳や地図を頼りにシビックを駆って、重油やブタンなどを売り込みに行くのだったが、一向に思ったような成果は上がらなかった。
第一に、そんな美味しい先を長年の付き合いのある業者が、おいそれと手放すわけがないのだった。そうした先が一番心配するのは、取引するのはいいが、果たして安定供給がなされるのかどうか――ということだった。
それには、しっかりした後ろ盾、つまり元売りがどこかによって信用度が変わって来る。それがK市からきた、名も知れぬ商社の若造が突然、アポなしでやってきて、どんな商品でも供給する――と言うのだ。
信用できるわけがない。地元だけあって明星燃料の名は知れていたが、その親会社なのだと言っても、なかなか信用してもらえなかった。もちろん、売る側のこちらも用心が必要で、与信管理をしっかり行った上で、玉を供給することになる。
ギョクというのは業界の隠語のようなもので、石油商品を指すが、大抵の場合、シナとは言わず、ギョクと表現する。
そうして売買された玉が最終消費者に行かなかった場合、業転玉といって、単なる資金繰りのためだけの売り買いになってしまう場合もある。その場合の口銭は極端に薄いのだ。数百万単位の取引であっても、数万円の儲けしかないときもある。
集金額や収入印紙代は高いものの、文字どおり、玉を転がすマネーゲームのようなものだった。急いで集金してきて、手形を割ればいくらも残らない。それをつぎの手形の決済金に回す。残りが給料だ。駆け引きは時間との勝負だった。
本社の石油卸の連中は、毎月十五日と三十日など、あちこちの売り先からサイトに応じて集金してきた手形を駅で待つ会計係に渡し、それを受け取った会計係が銀行に持って走り――と大わらわだった。まさに綱渡りの商いだったといえる。
とまれ、そういうことをしながら、私は小さな石油プラント、つまり灯油の貯蔵設備を充填所構内に設置していく作業を進めて行ったのだった。
季節は、そうこうするうちに、本格的に灯油を必要とする時期になっていた。
とくに、この充填所の辺りは山に近く、人里離れていたため、風が吹くと一層寒さが堪えた。ガスなどの危険物が貯蔵されている施設の宿命ともいえたろう。爆発や火災が起きたときの用心のために、このような広い敷地を必要としたのだ。
だが、待望のプラントはまだできていなかった。
設計上の問題でやり直しが生じ、許可が下りなかったのだ。再度、基準に合わせて設計図を見直し、ようやく工事に取り掛かれたところだった。この調子で行くと、完成検査に辿り着くには冬を通り越し、春先までかかってしまいそうだった。
本社に戻れるのは遅くとも、年内という話になっていた。
そこから先は本社勤務で、石油卸部員のひとりとして、以前に触れた三人の仲間たちと一緒にガス以外の製品も取り扱うこととなっていたのだ。
私は、シィーちゃんに申し訳なく思った。
彼女と交わした約束は、年内には本社勤務となるから、別れ別れの生活は暫くの間の辛抱だ――と言っていたからだった。
ところが、こうなってしまった以上、なんらかの手を打たねばならなかった。付け焼刃的な弥縫策だったが、同じ逢うにしても、自宅ではなく、M県でのほうが旅行気分も兼ねられて愉しいかも――と思ったのだった。
幸いM県には海があり、少し足を延ばせば有名な観光地もあった。
そこで美味しい海産物に舌鼓を打てば、彼女も多少は気も晴れるだろう。そんなふうに思って、充填所の社長夫人に近場でいいのだが、新鮮な魚介類を食べさせてくれるホテルか旅館があれば教えてほしい――とお願いした。
すると、他府県から来社するVIPな得意客にいつも泊まってもらっている老舗の旅館があり、そこがお奨めとのことだった。なんでも、その昔、天皇陛下も泊まったほど有名で由緒ある旅館らしいのだった。私はそこに決めた。
日曜日の朝、私はシビックを駆って、約束の時間より一時間早めに一番近い私鉄の駅に向かった。せっかちな彼女だから、早めに来るかもしれないと思ったからだ。
仮に三十分待ったところで知れている。ところが、駅に着くと、彼女はすでにそこにいた。時刻は、約束より二十分早めの九時四十分だった。私は、念を入れておいてよかったと思った。彼女を相手にする場合、なんでも早め早めがいいのだ。
「この時間にすでに着いているってことは、ずいぶん早く家を出たんだね」
私は、コートの裾を持ち上げながら助手席に滑り込んでくる彼女に言った。
「それでも、乗り換えが判らなくて、ちょっと迷っちゃった」
方向音痴を自認する彼女は、いささか照れ臭そうに応じた。
「でも、時間は十分すぎるほど間に合ってるよ」
「間に合い過ぎて、あなたが来るまで、三十分も待ったわ」
「そうか。寒いなか、待たせて悪かったね」
「いいの。早く来過ぎたわたしが悪いんだから――」
彼女は、両手に息を吹きかけながら続けた。「それより疲れたわ。普段、汽車になんて乗ったことないから……」
「しかも長時間だしね。今夜はゆっくりするといいよ」
「ええ。そうさせてもらうわ――」
彼女は言って私を見た。「海鮮料理の得意な旅館だそうだから、今夜が楽しみね」
「ああ。社長夫人のお墨付きだからね。きっと美味しいと思うよ。なにせ地元のひとだから、新鮮な魚介類の料理には舌が肥えているはずだ」
「そうね。で、いまからどうするの」
「ここから有料ドライブウェーを通って展望台に行こうと思ってる。ぼくも行ったことはないが、社長の奥さんによると、とても美しいところらしい」
「いいわね」
「そのあと、その有料ドライブウェーを終えたところで、近くにあるお食事処で昼ご飯を食べる。いまからだと、距離的にも時間的にもちょうど、それくらいの時間帯になる。そこは、社長の奥さんによると、元漁師をしていただけあって、とても新鮮な地元素材を使った磯魚料理を出してくれるらしい……」
「わかった。色々と考えてくれているのね、あなたには珍しく――」
「その、珍しく――だけは余計だよ」
「ごめん。すべて、あなたにお任せするわ」
それこそ彼女には珍しく、お任せするわ――と言われて、私は少し安心した。
というのも、M県の地理は不案内で、本日のコース設定はドライブから旅館に至るまですべて、社長夫人のアドバイスに従ったものだったからだ。大体において私は、いわゆるデートというものをまともにしたことのない人間だった。
だから、こういった小洒落た演出は、考えたことがなかった。その点、社長夫人のアドバイスは女性の案出によるものだけに、シィーちゃんの気に入るものになっているはず――なのだ。少なくとも、いまはそう信じるしかないと思った。
確かに、その展望台からの眺めは素晴らしいものだった。社長夫人の言うとおり、はるか彼方に広がる海洋は、眩しいばかりに私たちの心を魅了した。
久しぶりに広い空間に身をさらし、こうした自然の感動的な光景に出逢った私たちは、心が洗われる思いに浸った。途中のドライブウェーにしても、走っていて実にいい気分にさせてくれるものだった。気温こそ低いとはいえ、どこまでも青い空の続く申し分のない好天気に恵まれ、暖房の効いた車のなかにいる私たちは上機嫌だった。
「来てよかったわ」
シィーちゃんは、すこぶる上機嫌で言った。「この光景が眺められただけでも、儲けものね」
「ああ、そうだね」
私は、彼女が心から喜んでくれているのを嬉しく思った。そして社長夫人に心のなかで、そっと感謝した。車内の空気までが、ついさっき作られたばかりのように新鮮に感じた。このままどうか、うまくいきますように……。
しかし、そのときはまだ、この旅がふたりにとって最初で最後の、唯一楽しい思い出になろうとは思いもしていなかったのだった。
十六 不吉な予感
明星燃料にいる私に和倉さんから電話があった。妻と旅行を兼ねた逢瀬を楽しんでから二週間後のことだった。丁度みんなが出払っていて、私が電話に出たのだった。
「やあ、和倉さん。久しぶり」
私は電話の声を聴くとすぐに、それが彼女の声だとわかったので、懐かしさのあまり明るく弾んだ声で言った。「わたしです。三崎です」
「ああ、三崎さん――」
「はい、三崎です」
「いま、電話大丈夫ですか」
「ええ、大丈夫ですよ。なにか――」
「もし都合が悪いのであれば、適当なところで、『はい、はい』って相槌打つようにしていてください……」
「――て、なにか変なことでも起こったの」
「ええ」
「あ、心配しないで。いまここには、誰もいないから――」
「そう。じゃ、言うわね」
「うん」
「石油卸の松本さんって、覚えてる」
「ああ。ぼくが『目玉のマッちゃん』に引っ掛けて『マッちゃん』って呼んでるひとだろ」
「ええ。そのマッちゃんがね。今度、呉服卸をやることになるらしいの」
「え。呉服卸。なにそれ――」
「あのひと、前職は反物問屋に勤めていたひとらしいんだけど、それをサ社の一部門として――というより、独立採算制の一子会社としてやることになったみたい」
「一体どうして、そういうことになったんだろ」
「つまり、石油部門があまりにも儲からないからじゃないかしら」
「確かに、あまり儲かっていないことは事実だけど……。それって、結局」
「そう、一種の左遷よ。ただ馘にすることはできないから、とりあえず別部門で働かせて様子を見る――って感じ」
「ふむ」
「だって、実際に呉服部門で働くのは、あのひと一人なのよ」
「その意味では、ぼくの立場も同じだ。おそらくその会社も役員連中はすべて、サ社の人間が兼務しているはずだ。石油のほうにしたって「卸部門」とはいうものの、実質的にはサ社が仕入れて、サニー液化ガスに卸しているんだから――。そういう点では、言ってみれば、トンネル会社みたいなもんさ」
「そうね。ペーパーカンパニーと言っていいかもしれない」
彼女は言って、一拍の間をおいて続けた。「それと、もうひとつ気がかりなのは、植村さんのこと――」
「それも石油卸部門の人間だよね。もと生協に勤めていたっていう……」
「ええ」
「彼も別の子会社に行かされそうなんだけど、なんだか動きが不穏なの」
彼女は急に声を潜めるようにして続けた。「――というより、三崎さんがガス担当になってここにいなくなってから、会社全体がおかしくなっちゃってる。喫茶レストラン部門で入ってきた吉成さんってひと、知ってるでしょ。あのひとなんかも、なんだか様子がおかしいし……。なにがなんだか、わからなくなってるのよ」
「人事総務でも、その程度の情報しかわからないんじゃ、相当込み入った状況になってるっていうことなんだね」
「そう。わたしたちにはなにも知らされないし、辞令だけが勝手に上層部から回ってくるだけなの」
「そうか。この調子だと、サ社もいよいよかもしれないね」
「そうね。ちょっとまだ確定的じゃないんだけど、明星燃料も人手に渡る可能性が噂されているわ。三崎さんも気を付けなければ、どこかに回されるかも……」
「可能性は大だね――」
私は周囲を見回し、辺りに誰もいないのを確かめてから小さな声で続けた。「実をいうと――、例の石油プラント敷設の件では、わけのわからないところから横やりが入って設計変更を余儀なくされたし、なんかよくないイメージを感じるんだ」
「最近、目つきが悪くて、いかつい年配の男のひとが社長室に出入りしていてね。そのひと、凄く態度が横柄なの。ヤクザかなんかじゃないのかしら。わたしたちにも自分が社長かなんかのように振舞うのよ」
「そう」
「貫禄もあって、いわゆる親分肌っていうのかしら……。口の利き方にしても、社長に対しては自分の舎弟を扱うみたいにしてるわ」
「社長はそれに対して、どんな態度を取ってるの」
「ペコペコまではしていないけど、ちょっと上においた話し方……」
「ふうん。ちょっと用心しておく必要があるね」
「それでいま、ふっと思ったんだけど、さっき三崎さんが言ってた石油プラントの設計変更の件も、その筋からの動きが関係している――のかもしれないわね」
「言われてみれば、『ありうる』……」
私は思った。そういえば、あの設計変更の件は貯蔵の容量を増やすことによって生じたものだ。ひょっとしてその筋が、その工事に絡んで容量を大きくし、建設費を水増しするために行った操作かもしれない。もともとそれは五百キロリットル以内でしか予定していなかった。それなのに、なぜか規定基準の千キロリットルぎりぎりの仕様にしようとなったには、充填所社長の強い要望があったからだった。
ここには確かに不自然な動きがある。そこまでの量にせずとも、この辺りの需要を考えれば、当初の想定で充分に賄えるはずだったのだ。ましてそれが必要とされるのは冬場だけのことだ。年がら年中、それだけの需要が見込めるわけではない。
だからこそ反対もしたのだが、それは受け入れられなかった。
資本提供(つまり融資貸付)し、かたちの上では子会社化したとはいえ、独立採算制を敷いた会社社長の決済である以上、一介の液化ガス会社社員である私には、それを差し止める権限は与えられていなかった。致し方なく進めたというのが現状だった。
頭のなかを掠めたそれらの思いを一挙に払拭して、私は続けた。
「和倉さんの話を聞いて、やっとそのときの不可思議さの謎が解けた。たぶん、これは憶測に過ぎないが、そのヤクザの親分というのが、タンク設備の購入代金を含めて工事全般を請け負うことにしたんだ。いわばゼネコン的な立場としてね」
「そういえば、なんとなく建設会社の社長という感じがしないでもないわね」
彼女は言った。「建設屋さんって、なんとなくそういう雰囲気があるじゃない。どうも三崎さんの言ってる勘は、ずばり『当たり』という気がするわ。でも、もしそうだとすると、それを了承した明星燃料の社長さんもグルってことになるわね」
「恐らく、そうなる。――というより、もともとそれが狙いで、サ社に資金提供させたのかもしれない」
「というと――」
「さっき和倉さんは、明星燃料も人手に渡る可能性がある――って言っていたよね」
「ええ」
「つまり、これは一種の計画倒産かも知れない」
「え」
「早い話、サ社の社長は嵌められた可能性がある」
「というのは、この会社が倒産させられるってこと――」
「いや、そうじゃなくて、相手側の会社だよ」
「明星燃料が――ってこと」
「うん。確かこの会社には一億二千万貸し付けているはずだ」
「ええ。確かそうだったわね」
「つまり、そのお金の何割かは、その親分のところに還流されているはずだ」
私は声のトーンを落として続けた。「あるいは、ぼくの勘が当たっているとすれば、その四分の一も返さないうちに倒産するかもしれない。もちろん、石油プラントの建設代金は、しっかりそこから現金でいただいてからの話だけどね。おそらくその暁には、架空の負債が破産原因になっているだろう」
「怖い話……」
「そう。実に怖い話だ」
私は窓の外に眼を泳がせ、誰もいないのを確かめて続けた。「結果的にサ社は資金回収ができなくて早晩、連鎖倒産ということになる――。よほどの余剰資金があれば別だけど……」
「そうよね。キャッシュフローがなければ、手形のほとんどが不渡りになるわ」
「ジャンプしてもらったところで、いずれはアウトになる。自己資産を売って手当てするにも、不動産はすぐには現金化できないだろう。社長のあの豪邸も風前の灯火というところかもしれない」
「――かもしれないわ」
そう言ったあと、彼女は大きく息を吸って続けた。「わかった。なにかあったら、また連絡する。電話に出てくれてありがとう」
「ああ。なにもないことを祈ってるよ」
私は静かに受話器を置いた。窓の外を見ると、山際のそこは雪になりそうな気配になっていた。暖房の効いたガラスのこちら側は結露し、雫になった水滴がガラスの表面を伝って落ちはじめていた。
私は、例の不吉な予感がまた蘇ってくるのを感じた。
十七 身の丈を超えた事業展開
月に一度のシーズ・ミーティングのその日、私は転勤を命ぜられた。
辞令は会議の冒頭、なんの前触れもなく発表され、「あ」も「う」もなかった。
そこには、明星燃料の「み」の字も見当たらなかった。理由は一切、触れられず、私は初めて耳にする別会社への出向をいきなり命ぜられたのだった。
その転勤先は、サ社のM&A事業部が新たに貸し付けを行って買収した、ワーナー商会という名の物品販売会社で、出向日は一週間後というのだった。
幸い場所的にはK市の隣県にあり、通勤時間にしても四十分ほどの距離だった。
その意味では、助かったが、いままで勉強したガスのことは一体、どうなるのだと思った。だが、会社にとっては、そんなことはどうでもよいらしく、明星燃料へは不穏な動きをした(――らしい)植村さんが飛ばされることになった。
悪い予感が、今度こそ的中する胸騒ぎを覚えた。
この調子でいけば、いつなんどきどんなところに出向を命ぜられるか、わかったものではない。和倉さんの情報では、各部署の人間が次々辞めていっており、社内の人心はバラバラになっている……。
出向の三日前、私は文書をしたため、社長に直々、確約を取ることにした。
もしその出向先がなんらかの都合で潰れたりしたときには、三ヵ月分の給与保障として社長の裏判を押した小切手三通を事前に手渡しておいてくれること、あくまでもサ社の人間としての身分を保証してくれること、などを明文化したものだった。
「これは、きみが書いたものなのかね――」
社長は私が読んでください――と言って手渡した文書を読み終えて訊ねた。
「はい」
「これは筆の良し悪しはともかく、法的な意味で相当、勉強した者の文章だ」
なんとも応えようがないので、口を噤んだままにしていた。
「例の石油プラント建設の企画書も、なかなかよくできていたが、これも実によくできている。きみにはどうやら、こうしたことに才能があるようだね」
「ありがとうございます」
「で、きみは、これでわたしからの言質を取っておこうと……」
「はい」
「わかった。きみの望みどおりにしよう」
社長は言い、机の上の受話器を取って告げた。「あー、社長だが、湯谷課長はいるかな。うん、そうだ」
会計の三橋さんが対応している声が微かに聴こえた。彼女特有の、高くはあるが落ち着いた口調の応対だった。
「わかった。じゃ、戻り次第、こっちに来るように言ってくれ」
社長は受話器をもとに戻すと、私を見て言った。「課長はいま、席を外しているが、すぐに戻ってくるそうだ」
「そうですか」
「でも、なんだな――」
社長は感心したような面持ちを見せたあと、微笑んで続けた。「きみも温和しそうに見えて、なかなか強かな根性を持った人間のようだ」
「いえ。とんでもありません」
「そういえば、きみは確か――」
社長は、遠くを見るような細い目をして続けた。「ニューロワイヤルの浜田君が紹介してくれたひとだったね」
「はい」
「彼とは、その後、巧くいっているのかな」
その言葉を聴いた途端、私は二の句が継げなかった。巧くいくもなにも、彼とはあれ以来、なんら接点はない。しかも一時は憎んでさえいたのだ。
彼の消息は、こちらのほうが訊ねたいくらいだった。限度まで展延されていたなにかが、その言葉を聞いた瞬間、ぷつんと潰えたような気がした。だが、私は堪えた。ここは耐えねばならない。短気を起こしてはなんにもならない。
私は言った。
「浜田さんとは、あの面接のとき以来、会ったことはありません」
「ほう」
「わたしがこの社に来たときは、すでにお辞めになっていました」
「そうだったのか。それは知らなかった。――ということは、巧く行くもなにも付き合いそのものがなかったということだね」
「はい。そのとおりです」
「そうか。それは、つまらぬことを訊いてしまった」
社長は、同情とも憐れみともつかない複雑な表情で言った。「ついこの間、辞めていったきみの上司の飯田部長だが、最善寺専務によると、どうやら浜田君と組んで新たなビジネスを興そうとしているらしい」
「え」
「知らなかったのかな」
「ええ。全然、知りませんでした」
「そうか。わたしは、これをわたしに確約させることで、きみも最終的にはそちらの事業に加担するのかと思って訊いたのだが、違ったのだな」
「寝耳に水です」
「そうか」
「はい。それがどんな事業かは知りませんが、わたしには経営に加担するような度量はありません」
「ふむ――。あるいは、そうかもしれん。きみは、他者と組んでものごとを進めるタイプじゃなく、どちらかと言えば『一匹狼』のほうだからな」
「いえ」
買いかぶりだ――私は思った。私はそんな器ではない。いたって小心者で、計画性もなく失敗ばかりを繰り返している。実にしがない男だ。もともとここにしたって、自ら選んで見つけたのではなく、浜田さんから誘われたからだった。
いわゆる自主性のないのが、私の情けない唯一の取り柄と言えた。
私は続けた。
「わたしは、独創性のある人間ではなく、どちらかといえば参謀役に適した人間だと思っています。身の丈を超えたことはできないタイプなのです」
「ふむ。身の丈を超える――とは言うが、その身の丈そのものが大きい場合、やることも必然、大きくなるということだ」
「でも、わたしの身の丈は、さほど大きくはありません」
「まあ、謙遜はそのくらいでいいだろう。いずれにせよ、わたしの見るところ、きみはなにかやるような雰囲気を持っている。きみ自身が望まなくとも、誰かがそれをさせてくれる要素というものが、きみにはあるように見えるんだ。まあ、これはわたしの思い過ごしなのかもしれんが……」
「――だと、思います」
と、そのとき、社長室のドアがノックされた。
社長が、どうぞ――と言うと、湯谷課長がドアを押して入ってきた。
他の社員から、その体形と顔のパーツがある動物に似ているところから、ブタニとあだ名されている課長だった。
「お呼びだそうで――」
彼は、その太い身体を無理に折り曲げるようにして言った。
「ああ。すまないが、小切手を三通切って、三崎君に渡してやってほしいんだ」
「はい。額面は――」
「三崎君のひと月分の給料を、それぞれ書き入れてほしい。つまり、三ヵ月分の給料を先付けにするんだが、期日は入れないでほしい。それが必要になるか、ならないかは、そのときになってみないとわからないからな」
「話がよく呑み込めないのですが……」
「うむ。これを読んでほしい――」
社長は、私の書いた二枚の紙を課長に手渡して言った。「それを読めば、おおよそのところはわかるだろう。正副二通のいずれにも社印と代表者印を押し、片方を彼に渡してくれ。もういっぽうは、契約書綴りに綴じて保管だ」
怪訝な様子で、その紙片を受けとった課長が書面に眼を通していく……。その眼がみるみる深刻になっていくのが傍からも判った。
「わかりました。早速、用意します」
文面を読み終えた湯谷課長が、少し早口で言った。
「ただし、裏判も忘れないでくれよ。いわば、これは彼にとっての退職金がわりのようなものだ。いざとなったら、いつでも銀行に持って行く算段なのだろう。どうやら彼には、わたしが信用できないらしい」
社長は笑おうとしたのだろうが、途中でその笑顔が引き攣り、中途半端な笑みをぶら下げたまま、私に向かって言った。「これで、満足だろう。三崎君」
「はい。ありがとうございます」
私は社長に頭を下げて言った。「では、失礼いたします」
横にいた湯谷課長も頭を下げ、私たちふたりは後先になって社長室を出た。
会計部署のある一角に着いた湯谷課長が、後ろから追いて行った私に言った。
「このまま、待っててくれていいよ。すぐに作るから……」
「すみません」
「元々この会社は殺伐とした会社だったが、いまは全員が戦々恐々としている」
彼は、チェックライターで数字を打ち込みながら話した。
「そうですね。この間のシーズ・ミーティングなんか、最悪でした」
「だね。いままでで最高のサプライズ人事だったよ」
傍らに立っている私に誓約書一通と小切手三枚を手渡しながら続けた。「いま、この会社のやっていることは常軌を逸している。わたしに言わせれば、身の丈に合ってない仕事をしてるんだ。いや、身の丈を超えた事業を展開しているといっていいかもしれない……。その点、きみの手法は生きる可能性は大だな」
「ありがとうございます」
私は、彼から手渡されたそれを大事に鞄に仕舞い、深いお辞儀をしてその場を去った。この時点ですでに、私はこの会社を馘になったも同然だった。
十八 ポジティブな表現
私は妻に、いまの状況を打ち明けることにした。いつまでも隠し遂せることでないのはわかっていた。遅れれば遅れるほど、厄介になるのも判っていた。
それだけに、私の気持ちは焦った。打ち明けるタイミングが問題だった。それを間違えれば、彼女のこと、どのような事態に発展するかは予想がつかなかった。以前にも言ったが、私はなんとしてでも、彼女と別れたくなかった。
彼女にまで去られれば、私の人生は終わりだと思っていたからだ。
これまで触れては来なかったが、私は何度も彼女と諍いをした。いわゆる犬も食わないクチの諍いだったが、私にとっては深刻な喧嘩だった。そしてその度に、私は虚仮にされ、蔑まれたのだ。
あまりの無知さに、そしてあまりの莫迦さ加減に……。
だが、私はなにを言いたいのだろう。こんなことを読者に訴えてなんになろう。自分でもなにを伝えたいのかわからぬというのに、読者の誰に、どんなものがどう伝わるというのだろう。
苦しみを苦しみとして、浄化することのできない心の痛み……。
私は、もう二度と棄てられたくはなかった。棄てられるのが怖かったのだ。
だからこそ、柄にもなく背伸びをし、高下駄を履いて、少しでも自分が偉く見えるようにしたのだ。彼女の言う「お目出たい万国旗」をそこら中に掲げて、自惚れの権化を演じた。行動で振る舞いで、とりわけ言葉で――。
だが、それは悉く裏目に出た。見透かされていたのだ。
それには、実がない――と見透かされていたのだ。中身のない、嘘とハッタリ。それらの悉くがまったくの作り物だと、彼女の眼には映っていたのだ。長年使い古して色褪せ、疾うに元の色すらなくなった、薄汚く汗臭い煎餅布団のように、彼女には私の真の姿が見えていたのだ。
あるとき、私はとんでもない嘘を吐いた。そう。あのとき――だ。
彼女にS県の超有名高級レストラン「シャトーマルセーユ・ド・エコール」に連れて行ってもらい、ダンジネスクラブに舌鼓を打っていたときのことだ。
彼女は訊ねた。
「アメリカには、どれくらいいらっしゃいましたの」
当時、彼女はこのような言葉遣いをしていた。それだけに私も慣れない丁寧語で話すことにしていたが、彼女ほどの流暢さには及ばなかった。
「いや、大したことはありません」
私は答えたが、彼女がなにを知りたがっているのかはわかっていた。私の語学力を試したがっているのだ。このとき、私は過大な嘘を吐いた。
魔が差した――とは、この時のことを言うのだろう。
実際の私は、加州大バークレー校のサマースクールで一ヶ月と少ししかアメリカに滞在していなかった。――にも拘わらず、私の邪な心は誇張して答えた。
「そうですね。一年くらいですかね――」
これが、そもそもの初めだった。その後も、この種の誤謬はことある度に持ち出され、私を虚仮にする蔑みの対象となるのだが、そのときは思い描こうともしなかった。このときの私には、ハイソな彼女と対等となるには、いささか不都合な真実であろうと、このように背伸びする方法でしか対抗手段を思いつかなかったのだ。
まことに浅はかで安直な答えだった――と今更ながらに悔やまれるが、その事実は彼女にとって一生、恨み続けなければならないほどの欺瞞であり、惨事の発生源と位置づけられた。以来、私は更なる嘘の屋を重ねざるを得なくなっていく……。
最初は、ほんのちょっとしたボタンの掛け違いだった。だが、年や月を経るにしたがって、分厚い滓となって彼女の心の奥底に降り積もって行った。
例えば、転職の理由や婚姻届けもそのひとつ――。
彼女に言わせれば、その必然性はなかった。「ない」なら「ない」で済むことだった。彼女としては、強いて望んだわけでもなく、私によかれと思って賛成しただけの話なのだ。すべて私が独断で推進し、為した結果なのだった。
彼女が望んでいたのは、私の真の姿だった。高下駄を穿いた偽の私ではなく、素直な心を素直に表出できる、裸の私の姿だった。――にも拘わらず、私は掛け違ったボタンの位置を無理に温存し、綻びを縫い続けようとした。
私は、裸の自分の姿を彼女に知られるのが怖かった。
私にはわかっていたのだ。彼女も言うように、素のままの私を知っていたら、一緒にはなってくれなかったろう。なぜかなら、私のように向上心のない、無気力な男はつねに上を見る彼女にとっては唾棄すべき対象であり、亭主としては蔑みに値する役立たずな男、恥さらしな存在に過ぎなかったからだ。
彼女は、ひとにも自分にも自慢できる夫が欲しかった。それがゆえ、私は無理をし続けた。できないことを承知で、できる風を装った。
だが、それが私にとって幾多の綻びを生み出す元凶となった。
夕食後の食器を洗い終え、お笑い番組を見て、ひとしきり笑っている彼女を見て、私は言った。いつものパターンだったが、これが一番効果的だった。
「あのう、ちょっといいかな」
「ええ、いいわよ」
「急な話で驚くかもしれないけど、来週の月曜日からO市のワーナー商会ってところに出向することになったんだ」
「え、本社勤務になったんじゃなかったの」
「ああ、それは辞令が出るまでの間のことでね。この間の会議で、O市行きが正式に決まったんだ。黙っていて悪かったけど、ぼく自身も寝耳に水で、どう言い出そうかと悩んでいたんだ」
「ここのところ、浮かない顔してたのは、それだったのね」
彼女は、改めて私の顔の造作を確かめるようにして言った。「それにしても、よくころころと方針を変える会社だわね」
「ああ、まあ、それはそうなんだけど……」
「出向っていうことは、その会社の社員になるってことでしょ。大丈夫なの、その会社――。今度は一体、なにをする会社なの」
「ど、どうも、物販をする会社ではある――みたいなんだけど、行ってみないとよくわからないんだ」
「随分、頼りない話ね――」
「ごめん……」
「なにも、あなたが謝ることないわ。それはともかく、あなたの会社、社員を一体なんだと思っているのかしら……」
「うん、それで、あらかじめ言っときたいのは、ひょっとすると、その会社危ないかもしれないんだ……」
「危ないって言うと、危険物を扱うとか、そんなんじゃないわよね、もちろん」
「もちろん、そんなんじゃない――」
私は、彼女の気持ちに先回りして言った。「ぼくの勘は、いままで当たったことはないけど、今度は当たりそうな気がするんだ」
「で、それが珍しく『まぐれ当たり』でもしたら、どうするつもり」
「これまで言わなかったんだけど、会社はいま微妙な状況になってて、どんどんひとが辞めて行ってる。石油卸部門も発展的解消ってことで、それぞれが別部門に配属されることになった……」
「そのひとつが、あなたの行くワーナー商会ってとこなのね」
「ああ」
「それで――」
「うん。それで、その出向先になにかあったときのために社長に頼んで、最低限の保障として三ヶ月分の給料を小切手でもらっておくことにした。それには社長の裏判があるから、銀行にもって行けぱ、すぐその場で換金できる」
「でも、口座にその残高があって――の話でしょ」
「まあ、それはそうなんだけど、多分、そうはならないと思う」
「多分――でしょ。希望的観測って言えばいいのかしら――」
「ああ。多分……」
「当てにはならないわね」
彼女は左手で耳たぶを抓むようにして言った。疑惑が生じたときに彼女がする独特の癖だった。「みんながそうやって辞めて行くってことは、地震を予知した動物たちが本能的に大移動するみたいに、あなたには見えてないだけじゃないの」
「そうかもしれない……」
「でも、事前にその手を講じたってことは、あなたもそんな風になんらかの危険性を感じたからってことでもあるわね」
「ああ」
「でも、言い方を変えれば、それは初めからわかってたこと――でもあるわ」
「――というと……」
「つまり、そもそもの発端は、あのホテルのなんとかいう支配人の口利きのときから、ことは始まっていたのよ」
ここで抗弁すれば、どんな言葉が返ってくるかはわかっていた。私は深く頷いて口を挟まず、黙して聞いているより仕方なかった。
「これじゃ、いつまで経ってもわたしは専業主婦にはなれない。仮にそのワーナーってとこが潰れでもしたら、たったの三ヶ月でしか生き延びられないってことよ」
「それプラス、失業保険がある――」
「それにしたって五年も十年も面倒見てくれないし、全額を保証してくれるわけでもないでしょ。せいぜい半年かそこらくらい命拾いするだけ……」
「多分、その間につぎの仕事が見つかる」
「多分――でしょ」
「ああ、多分……」
「別に喧嘩したくって言ってるわけじゃないけど、あなたはいつも『多分』なのね。ほかにボキャブラリーはないの」
「済まない」
「それも、そう。済まない、ごめん、多分……。あなたはいつだって、そう。あなたは哲学を勉強したんでしょ。もっとポジティブな表現は思いつかないの。どうしてそんなに自信がないの。どうして憶測ばかりなの。どうして胸を張って、俺はこうこうする、だから、お前はこうこうしてくれ――と大きな声で言わないの」
「ごめん。お願いだから、そんなに責めないでくれ」
「責めちゃいないわ。もっとしっかりしてほしいと言ってるのよ」
その日の夜、彼女はひと言も口を利かず、朝になって初めて私の「お早う」に「お早う」の言葉を返してくれたのだった。
十九 よいお年を――
月曜日がきて、私はO市に向かうため、国鉄の駅に向かった。
その国鉄の駅から私鉄の駅に乗り換えるまでの間、例の大手ガス器具メーカーのある神戸行きの線に乗るので、車窓を流れる沿線の光景はあのときを蘇らせ、私の気分をさらに物憂くさせた。幸い、神戸へ行くのとは違い、遅めに家を出ればよくなったので、朝は妻と一緒に家を出ることとなった。
妻は栞へ行く道すがら、駅へ向かう私を見送ってくれはしたが、いつものような明るい笑顔は見せてくれなかった。彼女とて、私の思いは伝わるのだろう。空はどんよりとして暗く、まるで私の心境を代弁してくれているようだった。
和倉さんが作ってくれた手描きの地図を頼りにようやく辿り着いた会社は、さびれた商店街の一角にあり、エレベーターのない雑居ビルの三階フロアにあった。
いくつかあったドアのうち、ワーナー商会と書かれた銘板が張り付けられたドアをノックすると、なかから、どうぞ――という女性の声があった。なかへ入ると、カウンターがあって、そこに声の主であろう年配の女性が立っていた。
フロアを見回すと、事務机が三つずつ向かい合わせに並び、その奥とその隣に正面を向いた机があった。そして彼女のものらしい机が壁際にぽつんとあった。
彼女のほかには誰も見当たらなかった。
「サニーエンタテインメント・ホールディングズから来ました三崎といいます」
「ああ、はい。伺っております。こちらへどうぞ」
歳の頃は四十五~六というところだろうか、優しそうな眼をした女性だった。彼女は、役員室(入口ドアには、そうあった)になっているらしい部屋の壁越しに大きな声で、社長、三崎さんが来られましたよ――と言った。
「ああ、入ってもらってください」
なかから年配らしき男性の嗄れた声がした。
「どうぞ。お入りください」
女性がドアを開けて先に入り、私を招き入れるようにして言った。私が彼女と入れ替わりに入室すると、社長らしき人物が名刺を手に机の前に立っていた。
「社長のコウザキです」
「ああ、三崎です。今日からお世話になります」
聴き慣れない名前だった。自分の名刺を差し出し、両手で受け取った名刺で確認すると、その名は「神崎」となっていた。私はお辞儀をして言った。「なにもわかりませんので、よろしくお願いします」
「ま、どうぞ。お掛けください」
社長は傍らにある応接セットの椅子を勧め、私の名刺を持ったまま、自分もその前に腰を下ろして続けた。「三崎さんは、前職はプランニングをされていたとか」
「ええ。この前まではガスの販売に携わっていたんですけれど……」
「らしい――ですね。御社では、そうした異動はよくあるんですか」
「ええ。変な話ですが、結構頻繁にあります」
「そうですか。お役目柄とはいえ、大変ですね」
「ええ、まあ」
「ところで、弊社は物品を売買する会社なんですが、三崎さんは物販や物流について、ご興味はおあり――と考えていいでしょうか」
「はい。実際に物の売買に携わったことはありませんが、各種商品の販促プランをいくつか手掛けたことはあります」
「そうですか。それは心強いですね」
社長は、その先を続けようとして口を開いた。「そうすると――」
そのとき、ドアがノックされ、先ほどの女性がお盆に載せた茶を運んできた。暖かそうな湯気を立てる湯飲みをそれぞれの前に置いて、にこやかな笑みを浮かべて彼女が去ったあと、社長は、ま、どうぞ――とお茶を勧めながら徐に続けた。
「そうすると、新商品のパッケージングやデザインなんかもご経験がおあり」
「ええ。もちろん、自分がデザインするわけではありませんが」
「そりゃ、ま、そうでしょう。プランナーというのは、いわばアートディレクターのようなものですからな。いわゆるアイデアを提供するという……」
「そうですね。よくご存じで――」
「ま、こうは見えても、わたしも少しだけその業界を齧っていましてね。若いときは、広告代理店で広告取りをやっていたこともあるんですよ」
「ああ、そうなんですか。じゃ、大先輩ですよね」
「いやいや――。最近は、ものごとの動きが早くて、われわれロートルは附いていけません。四十年も前の知識は古過ぎてモノになりませんよ。ここは、やはり若いひとでないとねぇ……」
「わたしもさして若くありませんが、確かに、そういう部分はありますね」
それに答える私の頭のなかには、あの『ワープロ』があった。
私はこの頃から、印刷物に使用する写植の文字が不要になり、いわゆる版下屋や写植機がなくなる気配を感じていた。このときすでにタイプライターや活字はほとんど使われなくなり、植字工やタイピストという職業が職業訓練の職業欄から消えている時代だったのだ。ま、知るひとぞ知る、往年の余談ではあるが――。
「いずれにしても、三崎さんのお力を貸していただくことに違いはありません。同じ『崎』つながり――。これも不思議な縁です。仲良くやって行きましょう」
そう言って、社長は両手を差し出した。
「どうぞ、よろしくお願いします」
私は、その片方の手を握り返して言った。細いが、力の籠った手だった。
その翌日、出張から帰ってきた――という専務と常務を紹介された。
専務は社長より若干若いが、がっしりとした体格で、どちらかと言えば厳つい表情が板についた感じの男性だった。声もドスが利いていて、怖いくらいだった。
いっぽう、常務のほうは小肥りで赤ら顔。非常に愛想がよく、よく喋るタイプだったが、いわゆる饒舌とか多弁を弄するタイプというのではなく、能弁家といっていいような男だった。年齢は、おそらく私より五つくらいは上だろうと踏んだ。
それぞれ山本と城村といい、強面のほうが山本専務で、まるで文字って付けたようだが、愛想よしのほうが城村常務というのだった。いまにして思えば、城村を「常務」としたのも、単なる偶然の一致ではなく、一種の地口落とし感覚で皆が面白がって付けた職位だった――ような気がしないでもない。
着任三日目からは、常務が常勤し、ひっきりなしに面接の対応をしていた。一週間の間に、七人ほどの男性が面接に来た。その都度、社長と常務が役員室で対応しているようだった。なかなか決まらないようだった。
いっぽう、私は――と言えば、神崎社長から頼まれた社員教育マニュアルの作成に勤しんでいた。いま行っている面接で適材が見つかれば、それを使って社員共通の業務手順や従業員としての心構えなどを伝授する予定だった。
そういう意味では、以前、SK広告の新社長となった鳩山さんに検討してみてくれといって渡された「新コンセプトによる経営戦略案」が結構、参考になった。
そう、あのときのまま、私はこれを後生大事に取っておいたのだ。
いわばこれは、私にとって鳩山社長の遺言書でもあった。あのひとの夢を私は無視して――というより、後足で蹴って他社に移籍した。そのときの痛みは癒えることはなかったが、こうして鳩山さんの遺志を少しでも継承できるのが嬉しかった。
もちろん、そっくりそのままを流用したというのではなく、私なりに思うところをふんだんに採り入れ、それを活用したものを作った。粗利の計算の仕方、純利益の捉え方、正しい売価を設定する際の内掛けと外掛け口銭の違い、付加価値と等価交換価値、機会損失と得べかりし利益、与信管理の実際といった、実に細々としたことから基本的なビジネスのあり方まで、私がこれまでに培った種々のノウハウをワーナー商会にあったワープロを使って、一種のテキスト風に纏めて行った。
もっとも、この頃のワープロは、その後のワープロのようにフロッピーで記録することまではできなかったので、完成させた文章をその都度、感熱紙にプリントアウトしては、コピー機で複写して保存していたのだった。というのも、感熱紙はそのままで放っておくと退色し、文字が読めなくなってしまうからだった。
しかも、入力部分が一行分しかなく、画面そのものも暗くてよく読めなかったくらいだから、いまから思えば大変な作業だった。その点、今日では明るい画面のパソコンで何十行であろうと、どんな大きさであろうと、はたまた、どんな書体の文字であろうと、好きなものを好きなように選べるので、ずいぶん便利にはなっている……。
さきにも触れたが、これのお陰で、写植屋さんや版下屋さん、店頭でのPOP書き屋さん、フィルム加工の製版屋さんやレタッチマン、写植機や文字盤のメーカーなどなどが転職や進路変更を余儀なくされたのだ。またまた、往年の余談――。
とまれ、ワーナー商会での私の数週間は、そのように過ぎて行った。
なので、会社では実際にどのようなことが行われているのか、私は明確に意識してはいなかった。新しく採用された男性たちの動きを見ていると、受話器を片手に電話帳やどこかから取り寄せたカタログやパンフレットなど見て商品を選び、そのサンプルの請求や仕入れ交渉を片っ端から行っているようだった。送られてくるサンプルには、時節柄か、高級ハムや皮革製品、洗剤、入浴剤など種々なものがあった。
そのなかから、どれかほしいものがあったら、もらって帰っていい――というので、私や例の受付をしてくれた年配女性、新しく入った男性社員数名も喜んで、箱入りの高級ハムの詰め合わせを選んだ。年も押し詰まり、あと二週間と少しすれば、正月を迎えるというときだったから、なおさらだった。
私もそうだったが、ほかのみんなも家族に大いに喜ばれたことだろう。
しかも、嬉しいことに私には「餅代」ということで、五万円も専務が渡してくれたのだった。強面の専務だったが、このときばかりはにこにこ顔で、常務ともども機嫌よく年末の挨拶「よいお年を――」と言ってくれたのだった。
二十 蛇の道は蛇
正月が明けて四日目、久しぶりに和倉さんに会った。
――とはいっても、単独で逢ったわけではなく、仕事始めでのことだったが、彼女によると、私がいない間、サ社では様々なことが起こっていたようだった。例年のパターンだが、初日は年始の挨拶をするだけ。午後からは帰ってもよかったので、私たちは近くの喫茶店で近況を話し合うことにしたのだった。
テーブルを挟んで私の前に座った彼女は、久しぶりに会った所為でか、心もち顔の輪郭が細くなっているような気がした。
「なんか、細くなったように見えるんだけど……」
「確実に五キロは痩せたわ」
「え、そんなに――。だから、なんだ。顔がずいぶんほっそりして」
「顔だけじゃないわ。身体もよ」
「そう言われれば、ずいぶんスリムになった」
「そんな言われ方されたんじゃ、以前は太ってたみたいじゃない」
「ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないんだ」
「まあ、いいわ。そんなことより、松本さんのことよ」
「ああ。マッちゃんね」
「あのひと、ついにやっちゃったわ」
「やっちゃった――と言うと……」
「辞めちゃったのよ。それまで仕入れていた商品すべてを自分のものにしてね」
「そんなことできるの――」
「できたのよ。というか、やった――と言うほうがいいのかしら」
「それって、相当な額に上るよね」
「松本さん本人が言ってたけど、五百万から八百万くらいになるらしいわ」
「え、そんなに――」
「もっとも、売れれば――って話だけど」
「確かに売れなければ、二束三文だ」
「業者によっちゃ、目方で買うらしいわよ」
「ということは、キロ三百円とか……」
「そういう場合もある――でしょうね」
「そういえば、去年の末頃にきた話で、古くなった小餅を十トンばかり買わないかというのがあったよ」
「どういうこと――」
「つまり、賞味期限は切れてるけど、食べられないわけではないから、豚の餌なんかにどうかな――という話だった」
「そんなものも商品になるのね」
「結局は、売り先が難しいから、その話は立ち消えになったらしいけどね」
「ふうん。物販の世界って、色んなものを扱うのね」
「そうみたいだね。みんなの話を小耳に挟んでいると、倉庫から倉庫へモノを運ぶだけで商売になるようなんだ。おそらく値踏みして妥当ならすぐ、別のところに繋いで売り買いする。石油もそうだったけど、同じ船の油が買った側の商品になる。つまり、所有権が移るだけで、商品そのものは動いたりしないんだ」
「言ってみれば、業転玉みたいなものなのね」
「そうなのかも――。この業界のことは、よくわからないけど……」
「でも、気を付けてね。ワーナー商会はよくない噂が立ってるらしいから」
「よくない噂っていうと……」
「松本さんが業界筋から聞いた話では、どうも取り込み詐欺っぽいことをしているような気配があるって言うの――」
和倉さんは、そこで前屈みになり周囲を見回したあと、少し落としたトーンで続けた。「その種の業界では、『引き屋』っていうらしいんだけど、商品を長いサイトの手形で購入しておいて、そのサイトの期限が来ないうちに格安で売り捌くの。相場の半値か、それ以下の価格でね。当然、商品はまともなものだから、みんな飛びつくわよね。そうして正価の三割引きくらいで市場に出せば、結構な粗利になる」
「でも、不思議に思わないのかな――。れっきとした正規の商品がそんな価格で売り買いできること自体がおかしいって」
「そんなの、蛇の道は蛇よ――。それが正規のルートで流れている商品じゃないってことは、買うほうも判ってやってるの。そういうのを『故買屋』っていうのよ」
「でも、手形で売ってくれる先は、そんなにないんじゃないかな」
「もちろん、ないわ。だけど、最初は小ロットで確実に期日に決済を済ませるの。支払いは小切手から始まって手形にしていく……。それを何回か繰り返して、少しずつロットを大きくして行くの。その分、サイトは延びるわ」
「つまり、信用を確保しておいてから、最後に大きいのをどーんと行くわけか」
「そうよ」
彼女は、真剣な顔で私を見て続けた。「だから、取引が大きくなればなるほど、取り込まれる危険性が増すってこと――。現に松本さんも、それに引っかかりかけたって言ってたわ。幸い、小切手の段階で切り抜けたって言ってたけどね」
「そうかあ――。ぼくがいない間に、色んなことが起きてるんだね」
「ええ。のんびり太ってなんかいられないって感じよ」
「それにしても、この会社は色んなところから眼をつけられている感じだね」
「そうね……」
彼女は深く息を吸い、冷めてしまったコーヒーを一口啜って続けた。「社長が有名な老舗燃料メーカーの次男だから、甘く見られているのかもしれない。見てのとおり、結構な『ぼんぼん育ち』だからね。ひとを疑うことを知らないのよ」
「たしかに、そういうところはある。なにかにつけ、鷹揚だし……」
私は、面接時の鷹揚さを憶い出して続けた。「ひとを雇うのだって、履歴書も見ずに雇うんだからね」
「そう――だったわね」
和倉さんは、苦笑いのような顔をして言った。「あのときは、困ったわ。三崎さんに連絡を取ろうにも、連絡先がわからないんだもの……」
「申し訳ない――」
「なにも、三崎さんの所為じゃないわ」
「そうだけど、ぼくのほうも連絡を取ろうとしなかったのが悪かったんだ」
「一番の元凶は、浜田さんね。いまさら言ってもしようがないことだけど」
「そうだね――」
ふたりは笑い、笑ったあと、しばらくの間、沈黙した。窓の外は、粉雪がちらつき始めたようだった。コートやオーバーの襟を立てた女性や、手袋をした両手を口許に持っていき、息を吹きかけながら足早に通りを歩いて行く女性がいた。
窓の景色から視線を私に戻して、彼女が言った。
「しつこいようだけど――」
「うん」
「ワーナー商会、気を付けてね」
「ああ」
「これはヤバいな――と思ったら、深入りしないで逃げてきたほうがいいわ」
「わかった。ありがとう。そのときはそうするよ」
「それとね――」
「ん」
「気を悪くしないで聞いてね」
「うん」
「三崎さんがワーナーとこちらと、ダブルで給料をもらっているように言うひとがいるの」
「え、そんなことないよ」
「もっとも、出向は出向でも『在籍出向』だから、片方からしか給料は出ないと思うけど、そんなふうに釈るひとがいるのよ。まさか、そんなことってないよね」
「ああ――。そんなことない」
私は脳裡に、あの「餅代」のことを思い浮かべた。あれもひとつは、その噂の根源になっているのかもしれない。
それにしても、誰がそんな情報を流しているのだろう。
「だから、危ないと思ったら、帰ってきて――」
「ありがとう」
そのあと、彼女とは別れたが、その夜、眠りに就くまで、気分が落ち着かず何度も寝返りを打った。和倉さんの言うように、在籍出向だから表向き、サ社から給料は出るが、その実質給料はワーナー商会から月々の貸付金返済分と同時に私の給料分として振り込まれる。つまり、ワーナーが振り込まなくなれば、私の給料分はサ社の建て替えとなる。果たしてサ社がどこまで私の面倒を看てくれるか――だ。
和倉さんの言葉を信じてサ社に帰っても、そこに椅子がないのは眼に見えていた。出向を命ぜられた時点で、戻るべき私の席は残されていないはずなのだ。
私は暗澹とした気持ちになった。だが、横にいる妻に悟られまいと、布団を毛布ごと眼の上まで持って行って息を殺した。
二十一 また聞きの話を耳にする
この時代、銀行はいまの時代とは違って、預貸率を気にした。
銀行そのものは当然としても、支店長にとっては、他の支店との競争において優れた業績が必要だった。そこで、支店長は、サ社の預金残高を当てにした。
ただし、恒常的にそれを要求したのではなく、月末残だけを気にしたのだった。なぜなら、月末残だけが、その預貸率の優劣を競うバロメーターになっていたからだ。
結果的に翌日の月初には引き出されるのだから、私に言わせれば、意味があるようには思えない、いかにもナンセンスな競争だった。
だが、各支店の長にとっては業績アップは人事評価にも影響するらしく、それに呼応した社長は、すぐにも換金すべく、手形を割ってでも現金として口座に残すことにしたのだった。そうすることによって、サ社としてもM&A資金や資金繰りのための融資が受けられるので、相身互いの連携プレイだったのだろう。
その月末残を迎えるその日、サ社は規定の残高を用意できなかった。
普段の月より二日ないし、三日短い二月のことだったこともあるだろう。生来、金銭には無縁の生活を送っていた私に経理の仕組みはよくわからないが、ワーナー商会はサ社が当てにしていた金員を用意できなかった。そのため、サ社は一部の決済ができず、支払先にジャンプの依頼をしたが、断られたようだった。
一回目の不渡りだった。
しかし、このことはあとになって和倉さんから聞いた話で、その当時、私はなにも知らされていなかった。しかも、それを知った和倉さん自身も、湯谷課長からそれを打ち明けられるまで知らなかったというのだ。
その頃、私は通常どおり、O市のワーナー商会に出向いて神崎社長に頼まれていたマニュアルの作成と、新たに展開することとなった商品の宣材にするため、ブレミアムのマスコットを入れるパッケージのデザインや、それに付帯するキャンペーン方法などの展開を考えていた。
商品のコンセプトメイクやコピーなどは私の分野だが、パッケージのデザインや印刷などは外注だ。その外注先を私は、SK広告に一括して頼むことにしていた。
だが、和倉さんの忠告を聞いてから、私は安易にその仕事を引き受けたことを後悔し始めていた。というのも、新商品の宣材づくりを神崎社長に提案したのは私だったからであり、そのためもあって、私にすべての段取りが任されたからだった。
私は悩みに悩んだあと、社に誰もいなくなったところを見計らってSK広告の営業である野々村君に電話を掛けた。もし彼が在籍していれば、この仕事をするかしないかは彼の自由意思に委ねようと思ったうえでの行動だった。
「久しぶりですね、三崎先輩。お元気ですか――」
取り次いでくれたひとと代わって電話に出た野々村君が開口一番、ちょっと冗談めかした調子で言った。「あの社長の『星影のワルツ』から、実に四年近く経っていますよ。もっとも、その社長もその一年後には亡くなっていますけど……」
「ああ、そうだね。その節は色々とアドバイスをいただいて――」
私はあの夜の光景を憶い出しながら言った。鳩山社長の歌声が耳に蘇ってきて、涙が出そうになった。「野々村君には、本当に感謝しているよ」
「なにを言うんですか、先輩。ぼくのほうこそ感謝ですよ」
野々村君は照れ臭そうに言ったあと、真顔に戻ったような声で訊ねた。「ところで、今日はなんですか。なにか面白いことでもあったんですか」
「いや、面白いかどうかはわからないけど、いま出向で来ている会社でパッケージのデザインと印刷をしてくれるところを知らないかと訊かれているんだ。それでSK広告を思い出したんだけど、よかったら――、よかったら――だよ。きみのところで引き受けてくれると嬉しいなぁと思ってね」
「なに言ってんですか、先輩。やりますよ。やらしてくださいよ」
野々村君は持前の明るさを発揮した声で続けた。「水臭いですよ、先輩。なにも遠慮しなくたっていいんです。先輩とぼくの仲じゃないですか――」
「ああ、それはそうなんだが、ちょっと未確定なところがあってね。曖昧な言い方に聴こえるかもしれないが、ぼくは正式にはここの社員じゃない。だから、これはあくまでも紹介者としての立場から言う話なので、やるかやらないかはきみの判断で決めてほしいんだ」
言いながら、自分でも疾しい気がした。もしこれで、ワーナー商会がパンクでもしたら、だから、予め断っておいたじゃないか――とでもいうのだろうか。ああ、なんと卑劣で意地汚い男なんだ。私は心のどこかがざらつき、後味の悪さを感じた。その瞬間、後悔の言葉が口をついて出た。「ああ、ごめん――。こんなこと、きみに言うんじゃなかった。悪いが、この話は聞かなかったことにしてくれ」
「どうしたんですか、先輩。なんか変ですよ――」
野々村君が、受話器の向こうで言っていた。
「いや、申し訳ない。ぼくの配慮が足りなかった」
私は暫く間をおき、気を取り直してから続けた「自分が持ち掛けておいて言うのもなんだが、ぼくはこの件に関して責任はもてない――。だから、諦めてくれ。余計なことを言ったのは謝る」
「じゃ、せめてプレゼンと見積くらいはさせてくださいよ」
野々村君は、さすが営業だけあって食い下がって続けた。「ね、それくらいなら、いいでしょ、三崎さん――。どうせ、相見積を取るんだったら、うちも見積くらいはさせてもらいますよ。それで、うちがダメなんだったら、諦めますから……」
まさか、この会社は取り込み詐欺を働いている可能性があるんだ――なんてことは口が裂けても言えなかった。少なくとも、その会社の出向社員である私が口にできる台詞ではない。仮にそうだとしても、この時点では、まだ周囲に漂っているやっかみ半分の噂に過ぎず、和倉さんの『また聞き』の話でしかないのだから……。
私は返事に窮した。もし万が一、和倉さんやマッちゃんの言うとおりだったとしたら、私は野々村君のみならずSK広告の社員や、その関係先の協力会社その他のひとびとにも迷惑をかけることになる。
だが、そのいっぽうで、もしその噂がガセネタだったとしたら、どうなのだろう。私は考えた。私の耳朶に和倉さんの言っていた遠慮がちな言葉が蘇った。
気を悪くしないで聞いてね――。三崎さんがワーナーとこちらと、ダブルで給料をもらっているように言うひとがいるの。まさか、そんなことってないよね。
もし本当にそのような噂が流れているのだとしたら、誰かが私を陥れようとして仕組んだ罠なのかもしれない。そう――。ちょうどナオが先輩の女上司にあらぬ噂を立てられ、職場を追われかけたときのように……。
いや、まさかそんなことはあるまい――。
山師っぽい発言の多かったマッちゃんならともかく、和倉さんはそんな噂を触れ回るひとではない。少なくとも、彼女に私を陥れるメリットはない。
誰かがなにかを仕込もうとしているのは事実かもしれないが、和倉さんにそのような企図はないはずだ。何らかの企図や計略が働いているとしたら、私ごときの小物ではなく、もっと大きなところを狙っているはずだ。
なにかが背後で動いている――。私は思った。サ社は蟻が群がる砂糖のように、なんらかの組織に集られているのだろうか。確かに与信管理の甘いサ社は、甘い香りを放つバラのように、油虫や黄金虫たちの格好の餌食になっているのかもしれない。
しかし、断定はできない。いまのところ、それらは不確定な要素でしかないのだ。
私は、どの道、相見積を取るのだから、野々村君の言うように見積やプレゼンくらいなら、してもらって構わないのではないかと思った。それで、値段やプレゼンがもうひとつだったと言って断ればいいのだ――と。
「ねぇ、先輩。お願いしますよ」
耳許で野々村君が言っていた……。
「わかった。ありがとう。見積とプレゼンだけはお願いしよう。ただし、そうしたからといって、必ずしも仕事をしてもらえるかどうかは別だよ」
「ええ。それは、もうわかっていますよ」
彼は、ほっと安心したような声音で言った。私も、自分がしでかした失言の脱出口が見つかったことで内心、ほっとしていた。
これでいい――。これで、あとは丁重にお断りして、ご退場願うだけだ。
「じゃ、オリエンはいつにしよう」
「こちらは、いつでもいいです」
「いずれにせよ、社長や常務にも会ってもらわなければならないから、おふたりの都合のいい日を設定しなければならない」
「はい」
「そうだな……」
私は、予め聞かされていたふたりのスケジュールを見ながら言った。「今度の水曜日、午後二時というのはどうかな」
「ああ、はい。それで、結構です」
彼もまた自分のスケジュールを見ているらしく、受話器に声を戻して言った。「今度の水曜日、午後二時ですね。で、場所はどこへお伺いすればいいでしょう」
「うん。そちらにファクスで送るよ。O市は詳しいかな」
「いえ、それが、あまり詳しくないんです」
「そうか。でも、駅から歩いて五分ほどの距離だから、すぐにわかるよ」
「わかりました。じゃ、ファクスのほう、よろしくお願いします」
「いやいや、こちらのほうこそ、よろしくお願いします――だよ」
「仕事のこともそうですけど、三崎さんと逢えるのも楽しみにしていますよ」
「ああ。ぼくも楽しみにしているよ」
「じゃ、そういうことで――」
と彼が言い、私が応じた。
「ああ。お待ちしています。色々と済まないね」
「いえいえ。どういたしまして……」
久しぶりに懐かしい人物と逢えるのだと思うと、どこか胸の浮き立つような気分が私の心を満たした。それにしても、私はなんといい会社を見捨てたのだろう。あのまま、あの会社にいれば、こんな無駄な苦労をせずに済んだのに……。
諦めにも似た苦い後悔が、さらに私の心に追い打ちをかけた。
二十二 二匹目のスケープゴート
野々村君と打ち合わせの日を設定してから二日後、和倉さんから電話があった。
いつも真っ先に電話に出てくれる受付の年配女性、鈴原さんがサニーエンタテインメント社の和倉さんからお電話です――とにこやかな笑顔で私に告げた。
「お電話代わりました。三崎です」
「いまの方、随分、お優しい方みたいですね」
いつもは単刀直入に、用件から入る和倉さんが、珍しく個人的な感想を述べた。
「ああ、そうなんだ。優しいひとだよ」
「とても、感じがいいわ――」
「そう」
「ええ。堅いところがなくて、安心して打ち解けられるわ」
「そう。それはよかった」
「多分、三崎さんとの仲も巧く行っているんでしょうね」
「まあ、そうだね。なんでも気さくに話してくれる、いいひとだよ」
「そう。じゃ、安心して話していいわよね」
「ああ、いいよ。いまのところ、彼女とぼくしかいないから……」
彼女の言葉に、私はいつもの嫌な予感が走るのを努めて抑えた声で応じた。「ということは、またなにかあった――ということかな」
「そうなの」
彼女は、それまでとは打って変わって、声のトーンをぐんと落として続けた。辺りを憚っているのだろう。「以前、三崎さんが言っていた明星燃料さん――」
「うん」
「やっぱり、三崎さんの言うとおりになったわ」
「やっぱり――」
「どうやら、植村さんがスケープゴートになったみたい……」
「というと――」
「実際はどうか知らないけど、サ社に支払うべしだったLРGと灯油の代金、それと石油プラント建設の支払いに充てていた手形を街金で割って、そのお金を持ち逃げしてしまったらしいわ」
「それじゃ、スケープゴートなんかじゃなくて、単なる窃盗なんじゃないの」
「だから、それがスケープゴートなのよ」
「どうして」
「つまりね。植村さんがそれをしたことにして、明星燃料は支払いを免れるのよ」
「いや、それはないよ」
私は言下に言った。「仮にそういう被害に遭ったとしても、支払いは支払いだ――。他所から借り入れを起こしてでも支払わなくちゃいけない」
「普通は、確かにそうよ」
彼女はさらに声を潜めて続けた。「でも、明星燃料の繋ぎ資金は、すべてサ社から出ているのよ。ただでさえそうなのに、どこの誰が、ハイそうですか、それはお困りでしょう――って、右から左にお金を用意してくれると思う」
「そうだな」
「小銭ならいざ知らず、街金だってそんな大金、貸してくれないわよ」
「そうか……」
「で、明星燃料は一回目の不渡りを出して、『風前の灯』状態になってるの」
「ふむ。ある意味、予測していたことではあるけど、こうまで的中してくると、うかうかしていられない気分になるね」
「わたしが思うに、植村さんは、そんな大それたことはしていないと思う」
「なにか、思い当たることでも……」
「多分、あの社長に買収されたんじゃないかしら――」
「あの社長、というと……」
「いつか話したことあったでしょ。厳ついヤクザみたいな男で、うちの社長に対して横柄な口を利くひと――。実際、そのひと『俊英興業』っていう、いかにもそれっぼい名前の会社をやってるひとなの」
「あ、それ。知ってるかも――」
「社長の名前は、三つの神様と書いて『三神(みかみ)』っていうんだけど……」
「ああ。聞いたことがあるよ。K市の裏社会では、有名なフィクサーっていうか、知らぬひとはいないっていうほどの人物らしい。新聞にも、ときどき名前が出る」
「そうなんだ――」
彼女は、改めて感心したように言った。「そんなに有名なひとなのね。字づらだけ見てると、まるで『三種の神器』を文字ったんじゃないかと思えるくらいね」
「うん。それが洒落じゃなくて、三神さんは文字どおり、地盤もあれば看板もある。とくに鞄については、無尽蔵と言ってもいいほどの資金力があるらしい。もっとも、公けにはできないダーティマネーではあるらしいんだけどね」
「ふうん……。色々あるのね」
「あー、ごめん。ぼくが変なこと言うから、話が逸れてしまったけど、和倉さんの言う『買収』っていうのは……」
「ああ、それね――」
彼女は一旦、停止させていた記憶を呼び覚まして続けた。「多分、これはわたしの勘なんだけど、植村さんは当て馬にされたのよ」
「当て馬っていうのは、一般的に本命じゃないってことだよ」
「そう。本命は、その裏で絵を描いていた三神さん」
「植村さんは、いわば『眼くらまし』みたいなもの――ってことかな」
「そ。表向きは植村さんが横領したことにしといて、その大半は三神さんのところに行ってるはず――。植村さんは、その一部しか手にしていないわ」
「なんで、そんなことがわかるの」
「これも以前に話したかもしれないけど、植村さんには弱みがあったのよ」
「どんな――」
「あのひと、石油卸をやっていたとき、軽油メインでやっていたの。軽油を売ることにかけては、あのひとの右に出る者はいないって言われていたらしいわ」
「あ、そうなの――。知らなかったな」
「わたしも知らなかったけど、松本さんによると、そうなのよ」
「うん、それで――」
「二年前のことなんだけど――。植村さん、奥さんに逃げられて、ふたりのお子さんと高齢で働けなくなったご両親を抱えて大変だったらしいわ。それで、あのひと、魔が差したんでしょうね」
「うん」
「AB二ヶ所から仕入れた油を混ぜ合わせて、C社に売っていたの」
「それって、ひょっとして『ピン軽』っていう、例のやつ――」
「そう。軽油にスピンドル油を混ぜて『水増し』したのを売ってたのよ」
「なるほど、よくある話だ」
「ガソリンは国税だけど、軽油は自治体でしょ。だから、税率の差っていうのかしら、儲かる度合いが全然違うのよ」
「うん。そうすれば、商品の質はともかく相当、儲かるよね」
「それで暫く、植村さんはその差額を自分のポケットに収めていたらしいんだけど、そのことを知ったガソリンスタンドの店長が俊英興業にチクったみたい」
「ふうん。どこでどうなるやら、わからないもんだね」
「松本さんが言ってた情報によると、そのことで三神さんがサ社に乗り込んできて、お前んとこの社員はなにをやってるんだ、お陰でうちの系列のガソリンスタンドは軒並み悪い噂が立ってしまった、一体どうしてくれるんだ――って凄んだらしいわ」
「そういえば、植村さんのこと、なんかおかしいって言ってたことがあるよね」
「ええ。あのときはまだはっきりとはわかっていなかったんだけど、松本さんの話を聞いてよくわかったわ――」
「あのひとはとりわけ、そういうことに関しては情報通だったよね」
「ええ、確かに――」
彼女は深く頷いたような間隔を置いて続けた。「辞める前に、色んなことを話してくれたわ。だから、わたしもずいぶん用心深くなったし、業界通にもなったわ」
「確かに、油業界の生き字引みたいなひとだったなぁ」
私は松本さんの、きらきら光る大きな両眼を憶い出して言った。「サ社においておくのが惜しい――みたいな。でも、そのいっぽうで、植村さんはサ社にとって不名誉っていうか、目障りな存在だったんだろうね」
「そりゃ、もちろん。サ社にしても、そういう社員がいるってことは世間に知らせたくないわ。それで、結果的には三崎さんの代わりに、植村さんが明星燃料に飛ばされたんだけど、もともとは、そうした弱みに付け込んで言うことを聞かせたのよ。ある程度の面倒は見るから、お前がやったことにしてくれ――ってね」
「なるほど。だから、スケープゴ―トって言ったんだね」
「そう」
「仮にそれが真実だとしても、サ社としては、表立って三神さんの差し金だとは言いにくいし、自社の社員に詰め腹を切らせておくしかないってことになるね」
「そうね。悲しいことだけど……」
和倉さんは、そこで、言葉を切り、息を深く吸って続けた。「だから、三崎さんも気を付けてね。そこにいると、第二の植村さんになる可能性が大だわ」
「二匹目のスケープゴートというわけだね」
「ええ」
彼女はその言葉のあとに、そうならないことを祈ってるわ――と言って電話を静かに切った。私は暫く受話器を耳に当てていたが、その向こうからは、なにも聴こえてこなかった。だが、彼女が電話を置いた後、どんな風にしているかは、手に取るようにしてわかった。
「いまの方、綺麗なお声の方ですね」
私が受話器を電話機に置くのを見届けた鈴原さんが、例のにこやかな笑みを浮かべて言った。
「ええ、そうですね」
私は同調して言った。
「素敵なお声です。わたしは好きですね、あの声――」
「ああ。ぼくも好きです。あの声を聴いていると、なぜか安心するんです」
「そうでしょうね」
「でも、彼女も鈴原さんのことを褒めてましたよ。優しい方みたいだって――」
「まあ、それは、それは――。お世辞でも嬉しいですわ」
「いや、冗談じゃなくて、本当にそう言っていたんです」
「そうですか。ありがとうございます」
「実際、ぼくもそう思っています」
私は、彼女が真剣に受け取っていないと思って付け足した。「さぞかしぼくたちの仲は巧く行っているんだろう――って」
「まあ、そうですか。ますます恐縮しますわ。新劇の俳優さんみたいな三崎さんに、そんなふうに言ってもらえるなんて光栄です」
「え、声が――ですか。それとも……」
「顔もお声も、両方ですわ」
「え、それはどうも、ありがとうございます」
ふたりは、誰もいないのをいいことになんの気兼ねもなく、大いに笑った。そしてこれが鈴原さんと交わした最後の会話となった。
二十三 ワープロと広辞苑の重さ
月曜日、ワーナー商会に出社すべく商店街のアーケードを行くと、一階の階段入口付近に人だかりがしていた。五~六人の男女のなかには、警察官がふたりいて、そのなかの誰かと話しているらしい姿が見えた。
その群れに近づくと、ひとりの年配男性がひどく興奮した様子で警察官になにやら訴えていたが、なにを言っているのかよくわからなかった。その間を縫うようにやり過ごしてワーナー商会のある三階の廊下に出ると、そこにも人だかりがあった。
ワーナー商会のドアは開け放たれ、その部屋のなかにもひとの姿があったが、その人々のどの顔にも憔悴し、疲れきったような表情が浮かんでいた。そうこうしているうちに、さきほど階下にいた警察官ふたりが上がってきた。
「いずれにしても、これは民事の問題ですから――」
背の高いほうの警察官が申し訳なさそうに言った。さきほど階下で、年配男性の話を聞いていた警察官だった。「我々のほうもどうしようもできないんですよ」
「でも、商品を取り込んで逃げてしまうというのは――」
さきほど階下にいて、男性とのやり取りを憎々し気な表情で眺めていた中年の女性だった。「詐欺という立派な犯罪でしょ。刑事事件なんでしょ」
「いや、奥さん。一概にそうは言えないんです――」
警察官は辛抱強く、落ち着いた声で続けた。「詐欺罪は、刑法に値するほどの内容なのか、それとも単なる契約不履行なのかによって違ってくるのです。後者、つまり売買契約における物品代金の不払い、例えば不渡り小切手の発行などというのは、民法上のことであって、残念ながら刑事事件の対象にはできないんです。しかも刑事事件として詐欺罪を成立させるというのは、文字どおり、刑法でもって犯人を『罪』に問う裁判をするのであって、被害者の被害を回復するためではないんです」
「それって、被害者は救済しないって意味なんですか――」
中年女性は怒ったように声を張り上げて言った。
「いや、そうは言いません。民事訴訟であれば、場合によっては全額を支払えという判決が下る場合もなくはありません。もっとも、その相手がそれだけの現金をもっているかどうかということとは、まったく別問題ですが……」
「じゃ、わたしたちがお金を取り戻すためには、民事訴訟しなければならず、警察としては、この事件になんにも対処してくれないということなんですか」
「そうですね。奥さんのおっしゃる刑事事件として扱う場合、司法として金銭的なことは一切、お手伝いできないということです。ぶっちゃけお金は返ってきません。そもそも刑事訴訟というのは、金銭の返還を目的とした裁判ではないんですよ」
「そんなの、嘘でしょ。嘘に決まってるわ――」
「まことに残念ながら、お巡りさんとしては民事不介入ということで、これ以上のことは当事者同士でご解決いただくということで……」
背の高い警察官は相変わらず、辛抱強く答えた。「ですから、奥さんがここで大声を張り上げたりなさると、それこそ逆にここの住民さんやテナントさんたちに訴えられたりすることになりかねませんので、そこのところをよおくご理解いただいてですね。ここは温和しくご退場いただくか、そのワーナーなんとかさんと連絡をつけていただいてですね。直接お話をしていただくということで……」
「なに言ってんの。連絡がつかないから、ここにきてんじゃない」
中年婦人は言葉でこそ、そう言ったものの、内心ではわかっているのだろう。腹立ちまぎれに警官に当たってみただけなのだ。それが証拠に、そのあとの彼女は温和しいもので、暫くすると、債権者集会を開くというひとたちと一緒にぶつぶつと文句を言いながら、ぞろぞろとワーナー商会の部屋を出て行ったのだった。
私は、みんなが去ったあとのがらんとした部屋のなかにいて、自分の持ってきていた辞書やビジネス関連の書籍と、せめてこれくらいは退職金代わりにいただいてもいいだろうとワープロを手に部屋を後にしたのだった。
もうサ社に帰る気はなかった。もうたくさんだった。
駅に着き、私はピンクの公衆電話を見つけ、それへ十円玉を複数個入れ、サ社の電話番号を回した。この頃はまだ、公衆電話もダイヤル式だったのだ。
「ああ、三崎ですが、人事総務の和倉さんをお願いしたいのですが……」
電話に出てくれたのは、経理の三橋さんだった。相変わらず、彼女独特の高くはあるが落ち着いた口調の応対だった。彼女は、ワーナー商会が飛んだのを知っているのだろうか。私は思ったが、口には出さなかった。
「お待たせしました。和倉です――」
「ああ、和倉さん」
「どうしたの。三崎さんのほうから掛けてくるなんて、珍しいわね」
「ワーナーが飛んだみたい……」
「え、ほんと」
「そうなんだ。飛んでしまった。会社に行ったら、ワーナーの連中は誰もいなくて債権者ばかりがいた……」
「というと、あの優しい女のひとも――」
「うん。彼女もいなかった」
「信じられないわ」
「うん。ぼくもそう思う。だけど、ワーナーが往ったのは事実なんだ」
「でも、彼女は別だと思うわ」
「ぼくも、そう思う――。だけど、そんなことはもういいんだ」
「どうして」
「ぼくはもう、この世界から降りるよ。もうこりごりなんだ」
私は芯から疲れた気になって気怠く続けた。「きみとももう会えないけど、これでさよならするよ」
「なんで、そんなこと言うのよ――。わたしがここにいる間は、どこへも行かないって言ってくれたじゃない。あれは嘘だったの」
「申し訳ない――。結果的に嘘を吐くことになってしまった」
私は涙がこみ上げそうになるのを堪えて続けた。「でも、これは、ある意味、予定されたことだった。きみには悪いが、会ったり声を聴いたりすると、また悲しくなるからね。これきり、会わないほうがいいんだ。これまで色々と助けてくれてありがとう。和倉さんには世話になった。本当に感謝している。いくら感謝してもし足りないくらいだ」
「なにを言ってるの、莫迦ね――。わたしたちは仲間じゃない」
「ありがとう。いまもそう言ってくれるのは嬉しいよ。これからも和倉さんには、元気でいてほしい。ありがとう。さようなら」
そう言うなり私は、彼女の声も聴かないうちに急いで電話を切った。
悲しかった――。もうあの世界には戻れない。戻れないし、戻らない。
もうあんな世界は、一度でたくさんだ。毎日毎日が不安で、夜、眠る前には明日が果たして本当にくるか不安だった。明日もまた会社は存在してくれているのか――。それが不安だった。妻に隠して明日の心配をするのが辛かった。
私は再度、受話器を取り、SK広告に電話を掛けた。そして電話に出てくれた女性に野々村君と替わってくれるように言った。
「はい。電話、替わりました。野々村です」
その声には屈託がなかった。今朝の天気と同じように明るかった。
「ああ、三崎です」
「お早うございます、三崎さん――」
「今週の水曜日にお会いする件なんだけど、あれは中止になった。申し訳ないが、あの話はなかったことにしてほしいんだ」
「え、どういうことです――」
「残念ながら、ワーナー商会は飛んだ」
「飛んだ――。どういうことです。倒産したってことですか」
「さきほど債権者が集まって、債権者集会を開こうということになってる」
「再建者集会っていうことは、建て直すってことでしょ」
「いや、その再建じゃなくて、負債の債権なんだ。要は、商品を売ったのに代金をもらえなかった業者が、その債権を取り返すために開く会議のことを言うんだ」
「そうなんですか……」
「そう。せっかく考えてくれていたのに、こんなことになって申し訳ない……」
「三崎さんは、そのことについて、なにか感じるところはなかったんですか」
「ああ、ある意味、その可能性は考えていた……」
「なのに、ぼくに紹介しようとしたんですか」
「申し訳ない……。穴があったら入りたいくらいだ」
「わかりました」
彼はきっぱりと言った。「終わったことは仕方ありません」
「済まない……」
「でも、こうやって、事前に知らせてくれただけでも有難く思います」
「間に合ってよかった。言ってしまった手前、随分心苦しかったんだよ」
「三崎さんの気持ち、よくわかります――」
彼は穏やかな声で続けた。「悩んでおられたんでしょうね」
その一言で、彼の優しさが伝わった。自分が情けなく思えた。
「申し訳ない――」
「そんなに謝らなくてもいいですよ。なにも三崎さんが悪いわけじゃなし、好意でしてくれたことなんですから……」
「ありがとう。そう言ってくれて、少しはほっとしたよ」
「礼はいいです。逆にこっちが、礼を言わなきゃならない立場なんですから」
「ありがとう。取り敢えず、そんなことで連絡だけはしとこうと思って……」
「ありがとうございました。これに懲りず、なにかあったらまた教えてください」
「ああ。じゃ、そういうことで――」
私は静かに受話器を下ろした。後味が悪かった。こういうことなら、初めから声に出さなければよかった――と思った。
彼も言ってくれたように、一部は確かにSK広告に恩返しができれば――という思いもあった。しかし、心のどこかでは、その疚しさも感じていた。おそらく彼は、二度と私の話を聞いてはくれまい……。
後悔の念が押し寄せ、寂しさが私を襲った。またひとり、友人といえる存在を失くしてしまった。一体、いつになったら、私に真の友人が訪れるのだろう。
そうした喪失感のなか、もっとも気が重かったのは、妻との話し合いだった。
私は帰りの電車のなかで、なにも考えることができなかった。ただ、車窓を流れる景色にだけ虚ろな眼をやっていた。膝の上に載せたワープロと広辞苑の重さだけが私をそこに繋ぎ止めていた。現実という、その場所に――。
二十四 新しい文体を創る少年
私はK市に戻ると、駅近くの銀行に立ち寄り、いつも携えていた例の小切手を換金した。小切手を通帳とともに窓口に差し出したとき、本当にそれが現金化するか不安だった。もしかすると、サ社の口座にも現金がない可能性も考えたからだった。
だが、幸いにもその金額はあったらしく、記帳して返された通帳には総額で百万円近くの金額が印字されていた。ほっと胸を撫でおろした。
これがなかったら、なにをしていたのかわからない――私は思った。
ATMに行き、全額を引き出した。何十秒かのときが過ぎ、新札の一万円札が束になって出てきた。それを掴むと、ずしりとした重みと厚みがあった。
これだけの札束を現実に手にしたのは初めてだった。だが、その感覚とは裏腹に、その厚みある札の重みが、たった三ヶ月でしか持たないという事実に不思議な感懐を覚えた。その昔の私なら、半年はそれで食べて行けたろう。
だが、いまは違う――。時代が変わったのだ。最早、食うや食わずの、あの『着た切り雀』の時代とは違うのだ。いつの間にか、私は行先のわからない迷路に嵌まり込んでしまった。この身がどこへどう進んでいくのか、わからなくなってしまった。
しかし、私はあの会社を辞めて、どうしようというのだ。当てはなかった。友達付き合いのあまりにも少なかった私には、頼るべき相手はいなかった。得意先といっても、これまでの就業形態では、それすらも得られる環境にはなかった。
ここは一旦、頭を冷やそう。冷静に考えるんだ――。
時計を見ると、短い針は午後二時を回っていた。あちこちへの電話や電車の乗り継ぎや銀行での換金やら、なんだかんだと動き回ったり立ち止まって考えたりしているうちに、かなりの時間を食っていたのだった。
私は、近くの喫茶店で心を落ち着けることにし、適当に歩いて、たまたま見つかった小さな喫茶店に入ってコーヒーとサンドイッチを頼んだ。そして、ざわつく心を宥めながら、あらゆる事態を想定して、どうするべきかを思案した。
そうして迷いに迷って三時間後(そう、実に三時間もそこにいたのだ)、私は事実あったことを正直に妻に話すことにした。
もうここまで事態が進展してしまった以上、取り繕うことはできないと思ったからだ。第一、行先もないのに、彼女と一緒に出社するふりをするほど無意味で滑稽なものはない。一体、私はどこへ行けばいいというのだ。駅へ向かうふりをして、途中で引き返し、また家に戻ってじっとしていろ――というのか。それとも、近くの公園や図書館にでも行って、時間が来るまで暇を潰せ――とでもいうのか。
そんなことはできやしない。やるだけ無駄だし、いつまでも続けられるわけではない。雨の日もあれば、雪の日もある。風の吹くときもあるだろう。
そんなときは、一体どうすればいいのだ。いまのように映画館や喫茶店で時間をつぶすのか。そんなのは、いずれバレる。カネも要かるだろう……。
それならいっそ、正直に話すが勝ちだ。いつかもそうだったが、当たって砕けるしかなかった。私は、帰宅早々、台所にいて「お帰り。早かったのね」と言ってくれた妻にポケットから百万円入りの封筒を取り出して言った。
案の定、心配していた通りになった――と。明日から職探しをする――と。
私の勢いに押されたのか、彼女は「そう」と小さな声で答えたきり、なにも言わなかった。その沈黙がなにを意味するかは、よく分かっていた。
なにを言っても、言い訳にしかならなかったろう……。
私は、職安での失業保険受給の手続きを済ますため、湯谷課長宛ての手紙をしたためることにした。わざわざ出向いて行って、みんなに会うのが心苦しかったからだ。とくに和倉さんとは、ああ言った以上、顔を合わせたくなかった。
その手紙には、私の離職が『自己都合による退職』ではなく、会社の事業縮小に伴う勧奨退職、すなわち『解雇』のかたちにしてほしい旨を記した。
そうすることによって、失業保険金の給付が自己都合のそれより早まることを人づてに聞いて知っていたからで、たとえ二ヶ月でも待機期間を短くし、素早く求職活動を開始したかったからだった。
二週間後、離職票の入った封筒がサ社から届いた。そこには湯谷課長の断り書きが同封されていて、お望みのとおりに致しましたが、解雇扱いにすれば、貴殿が再就職の際、不利になる恐れがあるので、その点、ご承知おきを――とあった。
私には織り込み済みのことだった。私は離職票が届くまでの間、少しでも時間を稼ぐため職安に通い、求人票を虱潰しに見ていた。新聞の求人広告や求人雑誌にも目を配っていた。だが、これという思わしいものはひとつも見つからなかった。
でも、これでやっと正式に職安から仕事先を紹介してもらえるし、給付金も受給できる――私はようやく届いた離職票を眺めながら思った。
離職票が届いたその日、私は職安に出向き、いろんな書類に必要事項を記入したあと、正式に失業保険金給付の手続きを終えた。これで、多少は安心だ。額こそは確かに、これまでもらっていた給料分より少なくなるかもしれないが、ゼロと比べれば雲泥の差だ。しかも、受給するまでの繋ぎとして百万円もあるのだから……。
たとえ、二ヶ月間待たされたところで、充分に余裕はある。私は三十五歳を超えていて、限度ぎりぎり五年以上の勤務期間があったので、百八十日の給付期間があることになっていた。その間になんとか、つぎの仕事を手当てしなければならない……。
私は、ある意味、高を括っていた。三十五という年齢の値打と五回目の転職という負の価値を知らなかったのだ。しかも、最後の職は湯谷課長のいう「解雇」だった。
給与の条件も、私の要求するそれとは格段の開きがあった。経験があろうとなかろうと、一から始めさせられることに変わりはなかった。それでも雇ってほしい――という条件を満たすには、相手の要求を呑まざるを得ないということだった。
三ヶ月が過ぎ、四ヵ月が経ち、五ヶ月目に突入していた。
いわゆる自己都合退職に相当する待機期間は、とっくに過ぎていた。それでも、一週間ごとに不採用の通知とともに履歴書が舞い戻ってきていた。失業保険の給付は受けていたが、サ社からもらった三ヵ月分の給料は、すっかり底を突いていた。
私の焦りは、ますます募った。こんなことはしていられない――。妻はなにも言わなかったが、言われない分だけ、苛立ちと焦りが募った。私は一時的な繋ぎ仕事として求人雑誌を買ってきて、すぐにも雇ってもらえそうな塾講師の仕事を探した。
給料は、サ社の半分ほどになるようだったが、そうする以外に、彼女の沈黙を痛みに感じない方策はないと思った。なんの取柄も能力もない私にとって、最も手っ取り早く職にありつける方法――それは、陸でもない補習塾に舞い戻ることだった。
予想どおり、私はK市の郊外にある小さな学習塾に雇われ、面接日の翌日から、塾長的な仕事に携わることになった。二週間も過ぎると、またも私の心の在りようは、あの頃に戻った。着たきり雀だった、あの頃の心理状態に――。
妻とのすれ違いの生活、朝と夜の逆転、昼間の眠気、そして宵っ張り……。
その環境は、あまりにもリアル過ぎて、文学性や夢のひと欠片もなかった。実に不細工で不恰好なものだった。なにもかもがまともで、なにもかもが現実過ぎた。こんなまともな現実って、本当にあるのだろうか――という気がするほどだった。
本当に嘘臭い、泥で塗り固めたような現実だった。世界の高みから見下ろしている誰かに、とことん打ちのめされ、とことん小馬鹿にされている気がした。それが誰かはわからなかったが、私を見捨てようとしているのだけは確かという気がした。
私は、台所に立つ妻の後姿に苛立ちを見るようになった。その言動のうちに、胸の内襞をちくちくと刺してくる、小さな棘の存在を感じるようになった……。
そうしていまから遠いその昔、若くして読んだ小説のなかに出て来る賤しい男、キチジローのように、疚しさを感じながら、妻に許しを懇願する男になっていた。ユダではあったが、好きでなったのではない――とキチジローのように、自分の弱さをその理由にして赦しを請うていた。心のなかで、そしてその胸の奥だけで――。
その塾は、そのときすでに崩壊しかけていた。ただ唯一の救いは、そこにまともな人間がひとりだけいた――ということだった。
その人物の名は塚倉由視といい、当時十八になったばかりの大学生だった。
ちょうど私の半分の年齢だった。私は彼の若さに魅かれた。そして、その向こう意気の強さと真摯な態度に、強かな文学少年の貌を見たし、確かに見た目にもそういう風貌をしていた。彼は、その後、とある大学の文学部教授になるが、この頃はまだなにも知らない男の子に過ぎなかった。
彼の口癖は、既存の文学はつまらない、ぼくは新しい文体を創る――というのだった。その心意気に私は惚れた。そういうところは、まともではなかった。おそらく私もそのとき、まともではなかったのだろう。精神状態は最悪だった。
偉そうに言えた義理じゃないが、その塾の生徒の質はあまりよくなかった。
先生が先生だから、あまり優秀な生徒であってはこっちのほうが困るから、ちょうどバランスが取れて、いい塩梅だったのだが、なかには鋭いが、意地悪な質問をしてくる生徒もいて、たじたじとなることもあった。
その点、塚倉君のほうは上手に生徒をやり過ごしており、傍目に見ていても、なるほどな、巧いもんだ――と感心させられる場面に幾度か遭遇した。とくに生意気盛りの小学生のあしらいが非常に巧く、私など及びもつかなかった。
そのこともあってか、私は彼に親近感を覚え、興味を持った。
一応、私は年上でもあり、塾長を兼ねた立場で入社した人間だったので、経営者のいないときなど、彼が生徒から受け取った月謝を私が預かることともなった。そうした関係で、私たちは親しく言葉を交わすようになった。
聞けば、彼は東京都出身でR大に合格したのだが、気が変わっていまは本来の志望校である東京の大学を再受験するため、休学中の身なのだと言った。
住まいはどうしていると聞くと、友人の下宿先に世話になっているという。どうせなら、実家のある東京で受験勉強すればいいのに――と疑問を呈すると、K市が好きなので、ここでの勉強のほうが捗るというのだった。
ある意味、変わった受け答えをする少年で、歳は若いが、なかなか一筋縄ではいかないものを感じさせる感性の持主だった。私はますます彼に魅かれ、その一挙手一投足、そして一言一句を逃さず、観察することにした。
そうして、私と彼との奇妙な紐帯が築かれて行ったのだった……。
二十五 なけなしの一万円札
塾には、色んな人物が出入りしていた。ある意味、胡乱な――と言い換えたほうがいいほどの人間が、入れ替わり立ち代わり、訪ねてくるのだった。
それはガスや電気の集金人であったり、印刷会社の営業マンであったり、レンタル会社の社員であったりした。ただ、それだけのことなら面白くもなんともないが、こぞっていう彼らの言葉は、社長はどこにいて、いつ帰ってくるのかというのだった。
つまりは、それらの人々はおしなべて借金取りの類いであり、取り立てのために訪れている切羽詰まったひとたちの姿だったのだ。第一に電気やガスの集金人などが訪ねてくるわけはなかった。考えればわかるように、ほとんどが口座引落なのだ。
入社から三週間もすると、大体の様子が私にもわかってきた。
この塾が相当に苦しんでいる状態なのだということが実感できた。ある夕方など、五~六人の若い男女が勝手に教室に入り込んできて、自分たちの未払いの給料について話し合っているのを眼にした。私が社長は不在だと伝えると、自分たちが来たことだけを伝えてほしいと、それぞれの名前を告げて帰って行った。
だが、不思議なことに彼ら/彼女らには社長を恨むような言動はなく、極めて紳士的なのが印象に残った。おそらく全員が現役の学生だったからだろう。それだけに当座の生活に困ることはない――と踏んでの余裕に見えた。
しかし、所帯持ちの私のほうは、そうは行かなかった。サ社でさんざ味わった、あの不吉な予感が電光のように私の背筋を刺し貫いた。また、あの行先のわからない迷路に嵌まり込んでしまった自分を感じた。
どこまで行っても、私は独りなのか――。
一体、どこを向いて歩けというのか。その方向さえわからなかった。行けども行けども、前へは進めない――。そんな運命に呪われているのだろうか。賽の河原の亡者ではないが、積めども積めども得体の知れない鬼たちに、その石の山を崩されている気がした。
話を聞くと、どうやら塚倉君も、ここ暫くは無給で働いているらしかった。
言ってみれば、この塾が潰れない(少なくとも、潰れたように見えない――)のは、彼らがこんなふうに、無給で働いてくれているお陰なのだった。もし彼らのひとりでもそれを理由に塾にこなくなれば、生徒は先生がいないことを親に言う。すると、あの塾は潰れかけているという噂が広まるはずだからだ。
だから、その意味で、その塾は半ば崩壊しかけていたのだ。塾の正式名は「育星学園」といい、ここ五~六年前まではかなりの生徒数を誇り、K市だけではなく、北はM市から南はH市まで本校を含めて六校を有する塾だったらしい。
それが、どう転んでか、四年ほど前から生徒数が減り始め、最近では校数にしても生徒数にしても、往時の半数以下になっているというのだった。したがって、現在では、本校のあるK市とM市、H市のそれぞれ一校のみとなっていた。
この当時、学習塾の形態は、それまでのように一教室に大量の塾生を詰め込んで一斉授業を展開するそれとは異なってきていた。そして、その手の塾は少しずつ減少し、その数年後には、生徒は先生と一対一の個別授業を志向する時代になって行く。
そういう意味では、育星学園の授業形式や募集形態は旧式に属するものになりつつあるといってよかった。教室にしても、狭いところに机がやたらと多く並べられており、黒板の前には生徒が一名か二名しか座っていなかった。多くて三名くらいが関の山だった。つまりは、板書不要の時代が、すぐ眼の前までやって来ていたのだ。
そんな状態だったから、先生の声だけが虚しく響き、机ばかりが多くてがらんとした塾――というのが付近住民にとっての「育星学園の醸し出すイメージ」だった。
おそらくはそのとき、時代の先が読めず、校数と同学年の塾生を増やすことで、足らずまいを補填しようとしたのだろうが、その時代を見誤った失策の結果がいま、この塾の足を引っ張っているのに違いない――私は思った。
しかし、その失策の結果がいまを支配し、新たに資金投入できない以上、経営者としてはどうしようもなかったし、あちこちの綻びを縫って回るくらいしか手当の方法が見つからなかったはずだ。経営者つまり園長は、借金取りに出くわさないよう、今日はここかと思えば、明日はあちらへと逃げ回らざるを得なかったのだ。
例のアルバイト学生たちが、自分たちの来たことを園長に伝えておいてくれと去って行ってから三日ほどが経った日の夕方、私たちふたりに命令が下った。
それは、塚倉君と一緒に園長の弟がやっているH市の塾に行き、そこにある大型の車でM市にある塾の備品を全て引き上げてきてほしい――というのだった。M市はK市から北へおよそ九十キロほど離れた日本海側にある港町だった。園長によれば、車で二時間半から三時間くらい要かるという。
つまりは、K市からは往復だけでも六時間はゆうに要かる大仕事だ。
しかも、そこには休憩時間は入っていない。そして、その逆方向のH市までは二十キロは離れている。往復二百二十キロの距離だ。塾の備品を積みだす手間暇も入れれば、丸一日はたっぷり必要になる仕事量なのだ――。
だから、今夜、弟のところから車を借りてきて、翌日の朝早くそちらに向かう段取りをしてほしいというのだった。いまにして思えば、この時点で、断ればよかったものの、能天気な私にしてもおぼこい塚倉君としても、ある意味、「従順」かつ「おっちょこちょい」を地で行く性格だったので、そのことの重大さに気づいていなかった。
私は、その夜、園長の書いてくれた簡素な地図を頼りに塚倉君をシビックの助手席に乗せ、二時間近くをかけてその塾に辿り着いた。途中までは順調だったが、肝心のその場所は園長の説明とは大いに異なり、非常にわかりにくい場所にあった。
H市の郊外に当たる辺鄙なところにあったことと夜間であることも手伝って、見透しがまったく利かず、園長の書いてくれた目印はあまり役に立たなかった。私たちは暗い農道や間道を何度も行き来し、道に迷ってはもときた道を引き返した。
そしてようやく辿り着いて時計を見ると、夜の十一時を回っていた。
なんで、こんなに遅くなったんだと、弟さんに嫌味を言われて、二トントラックに乗り換えた私たちが、塚倉君の友人の下宿に着いたのは翌日の一時だった。
その日の朝、私は六時半起きで塚倉君の下宿に彼を迎えに行き、M市の塾に向かった。幸い好天に恵まれ、道中は快適だった。私たちは色々な話をした。文学の話、彼の学校の話、彼女の有無と好みの話、東京の両親と父親の仕事の話……。
話は尽きなかった。どんな話でも、彼はすることができた。私は舌を巻いた。その若さに比して、あまりにも深く物事を捉えていたからだ。だが、それは彼の得意とする分野、つまり文学部門だけのことだった――。
そのことはあとで判明するのだが、他のことはまったくの無関心かつ素人で、やはり若いだけのことはあると、私を安心させたりもしたのだった。
彼は車の免許を持たなかったので、行きも帰りも私が運転することになったのだが、道中少しも眠気や疲れを覚えなかった。それには、彼の爽やかな弁舌が私を退屈させなかったことがあったろうし、見慣れぬ道を行くという珍しさも手伝ったろう。
K市の彼の居候先を出発してから、およそ二時間と四十分が経って大通りに差し掛かったとき、ようやくそれらしいビルの名前が見えてきた。
「ああ、あれですよ。三崎さん」
彼は左前方に見える五階建てのビルを指し示して行った。「東和産業ビルって書いてあります。あ、三階の窓に横一列で『育星学園駒場教室』とありますよ」
「ああ、そうだな。あれも剥がして持って帰らなきゃいけないクチだ」
「そうですね」
彼は気を引き締めるような真剣な顔をして言った。「どれだけの荷物があるのかわかりませんが、大変ですね」
「ああ。行ってみてのお愉しみだ」
私はあえて他人事のように言って、そのビルの横にあるガレージに向かってハンドルを切った。そして、なるべく入口の近くになるよう車をUターンしてバックさせ、車を真ん中のレーンに着けた。
「なんで、入口の前に横付けしないんですか」
彼は不思議そうな顔をして訊ねた。「そのほうが距離が近いのに……」
「ああ。近くはなるが、荷物は両側から均等に積むほうが安定するからね」
「なるほど――。だから、壁側じゃなくて、間を空けたんですね」
「そう。壁にくっつけたんじゃ中途半端だ。ロープを掛けるにしても、片側だけでは作業がしにくいだろう」
そこまで言って、私はあることに気づいた。このトラックに、果たしてそのようなものが積んであったかどうかだ。
「どうしたんですか――」
すぐに車を降り、荷台の上を見回す私を見て、彼が怪訝な顔で訊いた。
「ああ。そのロープがどこにあるかと思ってね」
「ああ、そう言えば、そんなものは積んでなかったですね」
「だとしたら、買ってこなくちゃいけない。机や椅子の類いがあるとすれば、しっかり括り付けとかないと、なにもなくては運ぶことができないしね」
「そうですね」
「すまないが、ほかにも必要になるものがあるかもしれない。教室を見てからでいいので、きみはその辺の金物屋さんかどこかで、必要なものを買ってきてほしい。その間、ぼくは少しでも運び出せるように段取りをしておく」
私は財布から一万円札を取り出し、彼に手渡して言った。「これはそのお金だ。ただし、領収証は必ずもらっといて――」
なけなしの一万円札だった。これ以外には、千円札三枚と小銭しかなかった。無職状態だったから、妻が渡してくれる一ヵ月の小遣いは知れていたのだ。
「わかりました」
彼は、その一万円札を大事そうにポケットに仕舞いながら言った。
二十六 あのときの夜の光景
ビル一階の入口のドアを押してなかに入ってみると、右方向に行く廊下と、その反対方向にやや幅の広い階段が続いていた。どうやらここにはエレベーター設備はなく、五階まで足を使って昇る構造になっているビルのようだった。
教室はいわゆるワンフロアで、受付を兼ねた事務用の大きく白い机と応接セットがあり、その机の上にはコーヒーメーカーと電子レンジが置かれていた。そしてその向こうに残りのスペースをふたつに区切ったドア付きの教室があった。
教室を入ると、その突き当たりには黒板代わりのホワイトボートと教壇、その手前に都合三つずつの机が九個並べられていた。黒板に向かって右側が窓になっており、そこからはM市の市街が眺められた。窓ガラスの一枚一枚には塚倉君が指摘したように宣伝用であろう『育星学園駒場教室』の青い文字が大きく貼り付けられていた。
「これじゃ、あの車には乗せられませんね」
塚倉君が嘆息したように言った。
「そうだな。バラして乗せるしかないな」
私は学生机や椅子が組み立てられるようになっているのを見て言った。「ついでにモンキーも買ってきてくれ。それとロープはできるだけ長く、丈夫なのがいいな」
「え、いまモンキーとおっしゃいましたか」
彼は驚いたような声を出して言った。
「ああ。モンキーだ。スパナだと、大きさがわからないから、それのほうがいいだろう。それぞれのサイズを一本ずつ買うと高くつくからね」
「あのう、失礼ですが、おっしゃっていることの意味がわからないんですが……」
「意味がわからないって、どういうこと――」
私は逆に驚いて訊ねた。「こっちのほうが、よくわからないんだけど……」
「つまり、そのモンキーというのが、どういうものなのかわからないんです」
「ああ、そうか――。モンキーレンチのことだよ。ほら、ボルトとかナットを絞めたり緩めたりするときに使う工具があるだろ。それが、いわゆる『自在スパナ』といって、どんなサイズにも合うようにできる工具があるんだよ」
「そうなんですか」
彼は半信半疑な顔をして、その場に突っ立ったままだ。
「ほら。ここを見てごらん」
私は机にある金具を示して言った。「これがボルトだ。そしてその反対側にあるこれがナットだ。いわば留め金だね。これを解くには機械が要る。手では開かない。だから、その自在スパナというものを使って外すんだ」
「なるほど――。わかりました」
彼は得心したように言った。「そのモンキーレンチというものか、自在スパナという名前のものを買ってくればいいんですね」
「ああ。でも、そんなに大きくなくていいよ。それにも色んなサイズがあるからね。長さが十五センチくらいのものがいい。念のため、ふたつ買ってきて」
「わかりました。では、行ってきます」
「ああ。気を付けてな」
「はい」
私は、その後姿を見ながら、大丈夫かなと思った。あの調子だと、プライヤーだのドライバーだのと言ってみてもわかるまい。つまりは、昔の私がそうだったのとは大違い――。自転車など、分解したこともない類いの人間なのだ。
少しでも機械ものを弄ったことのある人間なら、ボルトとナットがなにをするもので、どのような関係にあるものかは知っている。そしてスパナが、それとの関係でどのように用いられるものかも知っている。
そのような人間は、ドライバーが「運転手でない」ことを改めて教えられれば、それが冗談を言っているか、揶揄われていると思って笑うことだろう。
彼にとっての「モンキー」とは、まさにそれであって、「動物園にいるそれじゃないよ」と改めて教えられなければならない対象だったのだ。
小馬鹿にしているのではない。ものに習熟し、それなりの蘊蓄を語るには、それくらいの集中力が必要なのだと言っているのだ。彼は、まさにその意味で、自らの守備範囲では、相当な深読み力を発揮していた。
そこが、私の好きなところだった。人間には、抜けたところが必要だ。
男前や美女ばかりであっては、TVドラマや映画が成り立たぬように、醜女もあれば醜男もあってはじめて、ドラマや映画は成り立つ。とおり一遍の綺麗どころばかりであっては、どこかの国のクローン芝居を観ているような気になって興醒めする。
そこは、やはり完璧な美男美女であってはならぬのだ。
彼の純粋なところ――。それは、飾らないところだった。男の私が認めるほど男前で優しい面立ちの男ではあったが、気取らなかった。真面目で融通の利かないところがあったが、その融通の利かなさが滑稽で可愛くもあった。そこが、私に面白く感じさせたし、痛く気に入らせたのだ。
彼が買い物に出かけて二十分も経った頃、部屋のドアをノックする音が聴こえた。ずいぶん早いなとは思ったが、彼ではないとは思わなかった。私が返事をすると、中年の男性が顔を出し、いまお忙しいですか――と言った。
ええ、まあ――と答えると、男性は、入っていいですかと訊ねた。
ええ、どうぞ――というと、男性はほっとした表情を見せたかと思うと、その一瞬後には、さきほどと同じような困惑した表情に戻って言った。
「あのう、大変不躾で、失礼な言い方に聞こえるかもしれませんが、ここで、なにをなさってらっしゃるんでしょうか」
この質問に答える必要があるのだろうか――私は迷った。
「失礼ですが、このビルのオーナーさんかなにか、その方面の方でしょうか」
「ええ、ここのオーナーの東本と言います。一階のテナントの社員さんから誰もいないはずなのに、上階から物を引きずるような音がしているという連絡が入りまして、それで急いで飛んできたんです」
「ああ、そうだったんですか。それは、どうも失礼しました」
私は、逆にほっとして続けた。「下の階には廊下しかなかったみたいなので、勝手に上がってしまいました。三階と聞いていたので、敢えて断る必要もないかと……」
「そうでしたか……。で、こちらへは何用で――」
「ああ、すみません。もうひとり手伝いをしてくれる相方がいるんですが、いま買い物に行っていまして――。そのう、なんというか、ぼくたちは、この塾の園長に言われて、ここにある備品を引き上げにきたんです」
こういうシチュエーションは苦手だった。ただでさえ、しどろもどろな口調がさらに輪をかけてわけがわからなくなる。舌も心も絶不調だった。
「そう――だったんですね。それは、よかった」
男性は、今度こそ胸を撫で下ろしたような表情で続けた。「実はいつ引き取りに来てもらえるかと心配していたんです。園長さんとは何度、電話させていただいても繋がらないし、出て行ってもらう期日はどんどん迫ってくる。かと言って、勝手に処分するわけにもいかないしで、どうしようかと悩んでいたとこだったんですよ」
「そうだったんですか。それは大変、申し訳ありませんでした。ぼくたちは詳しいことはなにも聞かされていないんですよ」
と、そこへ塚倉君が顔を見せ、私たちを見て、吃驚したような表情でふたりの顔を見比べながら部屋に入ってきた。その表情は、このひとは誰――という表情だった。手には、ロープと工具が入っているらしい紙袋がぶら下がっている。
「そのう、なんというか、誠に無責任なようですが、ただ備品を引き上げてこい――と言われただけで、なにもお答えできなくて申し訳ないのですが……」
「いえいえ。あなたがたを責めようなんて思ってやしません。とにかく間に合ってよかったです。来週の月曜日には、ここはクロスの張替えをして別のテナントさんに貸すことになっているんですよ」
「そうでしたか。それはすみませんでした」
「いやいや。とにかく、間に合ってよかった。園長さんにはよろしく言っといてください――」
「わかりました。申し伝えます」
それからの私たちは死に物狂いだった。彼の買って来た自在スパナを使って、つぎからつぎへと机や椅子を分解し、それをひとつずつ三階下まで担いで降ろし、トラックに積み込んで行った。事務用の大きな白いスチール製の机はふたりで片方ずつ持ち上げ、苦労してトラックに載せた。見かけよりも重い机だった。
ホワイトボードや折り畳み式の長机、簡易応接セット、電子レンジにコーヒーメーカー、ホワイトボード用マーカーや黒板消し、小さな冷蔵庫、各種文房具、ファイル、窓に張り付けられていた宣伝用のフィルムなどなど、種々のものをトラックの荷台にしっかりと括り付け、教室の掃除も含めて片付け作業が完全に終わったのは、ビルのオーナーと別れを告げてから、実に二時間半後のことだった。
さすがに疲れたか、若い塚倉君も動きが緩慢になっていた。私も痩せていたが、彼はそれよりも痩せていた。だから、なおさらにその辛そうな様子が眼に痛かった。だが、彼は一言も疲れたとか、辛いとは言わなかった。
作業の後半ごろには、重いものを持つと、彼の脚は震えるようになっていたが、それでもなにも言わなかった。私は、敢えてそのことには触れないようにした。
体は疲弊し、筋肉は悲鳴を上げているはずだったが、彼は気力で自分を支えていた。その寡黙な姿が私を撃った。私もなにも言えなかった。なにも言わずに車を走らせた。彼がそうであるのに、私に言えるわけもなかった。ふたりは言葉を交わすこともなく、つぎからつぎへとフロントガラスに立ち現れる空の下の青い光景を見やっていた。
私は、無言でそうしている彼の横顔にきみの姿を見た気がした。
そう、痩せ細った中学生のきみが、私と一緒にパンクした自転車を引いて神戸からK市に戻る、あのときの夜の光景が私の瞼に浮かんだ。
私は一体、なにをしているのだ――。あの頃とちっとも変ってないじゃないか。私は、あの斑猫のことを想った。もうこの頃は、私があの斑猫になっていた。他者ではなく、自分自身で自分を非難できるようになっていた。
彼はなんのために、私に従いてきてくれたのだ――。一銭の得にもならない、こんなことのために、若いエネルギーを消耗させるためにか。
確かに園長は、あのとき、それらの備品が売れれば、その金は自分たちのものにしていい――と言った。だが、こんなものが売れるわけがないではないか。
一旦使用したものは、それがどれほど新品に見えようとも、所詮はガラクタの類いにすぎないのだ。要は、ひとのいい私たち、つまりは、おバカな私たちを使って業者に頼む費用を節約したかっただけのことなのだ。
私は運転しながら、だんだん腹が立ってきていた……。
そもそもこんな無駄なことを、なぜ引き受けたりなんかしたのだろう。会社としては、その処分費用を捻出できなかったからか――。だとすれば、私たちは、ずいぶん遠回しで身勝手な使われ方をされたことになる。
きみとのときも徒労だったのかもしれないが、このときはもっと徒労だった。少なくとも塚倉君にはなんのメリットもないのだ。私は、あのときのように彼を可哀相に思った。せめて彼にだけは、これを青春の辛い思い出のひとつにしてもらいたくはない――と。
二十七 卑屈な老い
「三崎さん――」
長い沈黙を破り、彼が口を開いて言った。「ちょっとお伺いしていいですか」
「ああ、いいよ」
「三崎さんのところには、電子レンジはありますか」
「ないよ。そんなハイカラなもの」
「ハイカラってなんですか」
「洒落たものっていうか、文化的なものっていうか……」
私は考えあぐねて続けた。適当な言葉が思いつかなかった。「ま、要するに立派なものってことだよ」
「そうなんですか。立派なものだから『ない』んですね」
「ま、そうとも言えるね」
揶揄われているのでないことはわかっていた。論理の飛躍……。
「じゃ、もらっといたら、どうですか」
「なんで――」
「立派なものなら、きっと高価だろうし、もらっといて損はないと思いますよ。リサイクルショップに持って行っても、どうせ二束三文なんでしょ」
「ま、そうだろうな。せいぜい二千円か三千円ってとこじゃないかな」
「でも、買えば確実に数万円はしますよ」
彼は抗弁するように言った。「なのに売ればタダ同然じゃないですか」
「しかし、そんなものは要らない。きみのほうこそ、そういうものがあれば便利じゃないのか。下宿住まいの学生でもあるんだし……」
「いや、ぼくのことはいいんです。問題なのは、三崎さんです」
「問題――」
「だって、このままだと、まともにはもらえませんよ」
「もらえないって――」
「給料ですよ」
「ああ、それね。確かにそれは、そうなんだが……」
「だから、せめて――」
「うん。ありがとう。まさか、きみにそんな心配させるなんて思いもしなかったよ」
私は言って時計を見た。M市の塾をあとにして二時間ばかりを走行し、時計の針は午後二時を回っていた。距離にしてもK市の郊外にあるリサイクルショップまで、あと三十キロほどに迫っている。考えてみれば、私たちは朝早くK市を出発してから飲み物すら口にせず、ただひたすら積み出し作業と走行に専念していたのだった。
「ところで、お腹のほうはどうだ。空いてないか」
時間に気づいて、私が彼に問うてみた。「その辺でラーメンでも食うか――」
「いいですね。確かにお腹が空いてきましたよ」
彼は、自分の腹に手を当てがって言った。「考えてみれば、朝からなんにも口にしていませんよ、ぼくたち――」
「ああ、そうだな。朝からなんにも食べてない」
私たちは、国道沿いにあった郊外型ラーメン店に入り、温かいラーメンで腹を満たした。彼は味噌ラーメン。私は醤油ラーメンを頼んだ。空腹が満たされ、身体の温度が暖められると、少しは幸せな気分になった。
そのあと、私たちはひたすら国道を南下した。
上り坂があり、下り坂があり、長いトンネルと緩いカーブがあった。このトンネルを越えれば、あともう少しでリサイクルショップの店先に辿り着くはず……。
その間、私たちは会話らしい会話というものをほとんどしなかった。互いが互いのことを慮って、「敢えて」無言のまま、前方を見ているのだと知った。
「もう、そろそろだな――」
「そうですね」
彼は呟くようにぽつりと言った。「少しは高く売れればいいんですけど……」
「ま、あんまり期待しないほうがいいな」
「そうですね」
トンネルを出て五分ほどが経った頃、前方左手にリサイクルショップの派手な看板が見えてきた。表向きは白い洋館を模したような店だった。だが、外観とは異なり、なかはガラクタばかりが押し込まれた、倉庫のようなところだった。
塚倉君が人気のない店内に向かって、すみませーんと大きな声で言った。
暫くして、百二十キロもあるかと思える体躯をした厳つい顔の男が出てきて、はい、なにか――と、いかにも面倒臭そうな顔で言った。
「あのう、買っていただきたいものがあるんですが――」
男の表情は、その言葉を耳にしても大して変化はなかった。
「はい。買うといっても、ものにもよりますが……」
塚倉君は男の顔を見、その視線をトラックに向けさせて続けた。
「あそこに積んでいるんです。見てもらっていいでしょうか」
「ええ、かまいませんよ」
男は言い、彼に追いて巨体を大きく揺すりながら表に出てきた。
「これなんですが……」
塚倉君は言い、男にトラックの積み荷をしっかり見るように促した。「スクールデスクと椅子、長机、事務用のデスク、冷蔵庫、電子レンジと色々あります」
「うーん。塾かなんかをやっておられたんですか」
「ええ、まあ……」
「そうですね。残念ながら、この手のものは売り物にならないんですよ」
男は外見とは異なり、よほど商売上手なのだろう。いかにも申し訳なさそうな笑みを作って続けた。「その電子レンジと冷蔵庫くらいはなんとかなりそうですが、長机とか椅子、学生机とかは申し訳ありません、引き取れないですね」
「タダでも駄目なんでしょうか――」
私は言った。黙っているのも、私のために一生懸命、交渉してくれている彼に悪いと思ったからだ。「せめて、ぶっこみで引き取ってもらえたら、助かるんですがね」
「いやあ、申し訳ない。この手のものは場所を食うばかりでしてねぇ」
男は、急に顔を出してきた私に向かって続けた。「基本的にうちは業務用じゃなくて、家庭用のものを専門に扱っている店なんですよ。ですから、こうしたものは売る自信もないし、売ったこともないんです。もしそういうことでしたら、レンタルショップとか、ほかの業者を当たってみられたほうが……」
「あ、いいです、いいです」
塚倉君が、私たちの間にすっと入ってきて言った。「ぼくたちは、ここのお店を頼りにM市から遥々やって来たんです。ガソリン代もそれなりに使っています。ですから、電子レンジと冷蔵庫だけでも引き取ってもらえると嬉しいんですが……」
「でも、大した金額にはなりませんよ。ご希望に添えるかどうか――」
「いくらですか」
塚倉君が単刀直入に訊いた。
「冷蔵庫が千円、電子レンジが、えーと、二千五百円といったころですかね」
「そうですか。締めて三千五百円――ということですね」
塚倉君は、さらに食い下がって続けた。「ほかのものは、どうです。たとえば、この応接セットなんかは――」
「うーん……」
気のなさそうな言葉とは裏腹に、その眼にはある種の執着があった。どうやら電子レンジや冷蔵庫は当て馬で、彼の核心はここにあるのだと思えた。
「一応、これは家庭の居間用のもので、少なくとも業務用ではありませんよね。それに見ておわかりいただけるように、新品ですよ」
塚倉君が、さも愛おしそうに革製のソファを撫でながら言った。「新品だと、椅子二脚と長椅子、テーブルともで、おそらく十万は下らないでしょう」
「それは、まあ、そうですが……」
男はしばらく値踏みする様子を見せたあと、意を決したように巨体を揺すりながら続けた。その姿はまるで嫌々をする赤子のようだった。「わかりました。せっかく当店を当てにして遠くからいらしてくださったんですから、応接セットプラスコーヒーメーカー込みで、ぴたり八千円ということで、いかがでしょう」
「え、八千円――ですか。せめて、もうちょっと……」
「それで、結構です――」
私は言った。これ以上、ふたりの遣り取りを見たくなくなってきたからだった。
その姿は、あまりにも自分にとって惨めだったし、滑稽に見えた。彼にしてもそうだったろう。あるいは、その交渉ごとは私のためのパフォーマンスでもあったろうから、彼自身はそう感じていなかったかもしれないが、私には辛過ぎた。
「もう、いいよ。塚倉君――」
私は男性に向かい、その申し出に従うことを肯った。「それで、お願いします」
「わかりました。では、コミコミの八千円ということで……」
私たちは言われた荷物をトラックから降ろし、もう一度、残った机や椅子をロープでしっかりと括り付けた。そして店主(かどうかはわからなかったが――)から八千円を受け取り、暗い気分でH市に向かった。
明るい気分になんて、なれるわけがなかった。私たちは一体、なにをやっているのだろう。これはボランティアなのか、それとも……。
考えれば考えるほど、馬鹿らしくなって来た。
「やっぱり、ろくな値段になりませんでしたね」
頭のなかで燻ぶっていた私の怒りが鎮まって三十分も経った頃、塚倉君がぽつりと言った。彼が見つめている車道はすでに国道から外れ、H市の一般道を走る郊外に差し掛かっていた。山が近くなってきた所為か、夕陽が沈んでしまったあとは、ライトを点けなければならないほど見通しが悪くなってきていた。
「ああ。でも、しようがないだろ――」
私は、ある意味、投げ槍な気分で言った。「相手も商売なんだから、少しでも安く買い叩くのが儲けを確保する秘訣なんだろうよ」
「それにしても、買い叩き過ぎですよ」
彼は、ゆっくりと言葉を吐きながら続けた。「ぼくたち、随分と足許を見られたもんですね」
「ま、二度と取引しない相手と思ったんだろ。潰れてしまった塾が相手じゃ、継続性がありそうもないしね」
「そんなもんですか」
「そんなもんさ、世の中って――。負け犬は相手にされない」
「そうですかね」
「そうさ。いくら吠えたって所詮、負け犬は負け犬だ。相手にすれば屁でもない。『お前の母ちゃん、出べそ』と言ってるようなもんさ」
「悔しいですね」
「ああ。悔しい――」
私はなんとはなしに続けた。単なる暇潰し会話の一環として……。「しかし、どうしようもできない。ゴマメの歯ぎしりってやつだ」
「ぼくは、屈しません。きっとこの仕返しをしてやります」
「そうか」
「ええ、必ずこの借りは返しますよ」
「うん、その意気だ――」
私は、彼の若さに自分の老いを感じた。そしてそれは、負い目でもあった。無責任な大人の卑怯さが生んだ、卑屈な老いだった。
二十八 中途半端な親切心
人生というのは、つねに繰り返しだ。いつも同じことが繰り返される。くどいようにどこまで行っても、その先には同じことが待っている。
そんなふうに、私は感じていた――。
このときも同じだった。いつも惨めな結果に終わるのだ。思いとは裏腹に――。そして、ある意味、思いどおりになる。もちろん、その思いは気持ちとは相反するものだ。なりたくないものに限って、思いどおりになる。
言い方を変えれば、その思いは予想を覆すことはないのだ。つまり、なってほしくない思いは、いつも予想どおりになる。避けることはできない。どの道を選ぼうと、どの方向へ向きを変えようと、結果は同じようになる。
天が定めた運命ではなく、自らが思い定めた予想の方程式に従う。
私たちが園長の弟がやっているH市の塾に着いたのは、午後七時過ぎだった。
「やっと着きましたね。ちょっと時間はオーバーしましたけど……」
塚倉君が、ふっと一息を吐いて言った。心なしかその声には諦めと、私に対する同情心があった。若い彼にも疲れというものが、身体からくるのではなく、心から来るのだということが実感できたようだった。
朝早くからK市を出てほぼ十二時間、私たちはぶっ続けで働いていた。
塾では授業が始まっているようだった。私たちはトラックを塾のガレージに停め、明かりの点いた教室に向かった。足が棒のようになっていた。太腿の筋肉が笑っていた。塾に着くまでの距離は、ほんの十数メートルに過ぎなかったのだが……。
「ただいま戻りました。時間が大幅に遅れてしまって申し訳ありません」
私は、表に出てきた園長の弟に頭を下げて言った。その顔はいかにも不服そうだった。おそらく塾生に自習でも命じて出てきたのだろう。「園長に言われたとおり、リサイクルショップに持って行ったのですが、全部は買ってもらえませんでした。これは、そのときのお金です」
園長の弟は、胡散臭そうな顔で私を見、その金を無言で受け取った。その顔の端には、本当にこれだけか――とでも言いたげな表情が浮かんでいた。
「残念ながら、それ以上にはなりませんでした」
私は、声もなく私を見つめる園長の弟に、抑えた声で言った。
「こんなに遅れた理由というのは――」
園長の弟が、私の言葉を無視したように口を開いた。そこには、どんな労いの心も隠れていなかった。「なにか不都合なことでもあったからなんでしょうか」
「すみません。ちょっと積み出しに手間取ったもので……」
「それにしても、遅すぎるんじゃありませんか。こちらにも段取りというものがあるんですよ。遅れるなら遅れると一言いってもらわないと……。幸いこっちの荷物は講師の先生に無理を言って運んでもらったので、助かりはしましたがね」
「申し訳ありません」
「ちょっと待ってくださいよ――」
塚倉君が横やりから怒気を含んだ声で言った。「そんな言い方はないんじゃないですか。あれらの荷物をトラックに積むためには、学生机や椅子を分解する必要があったんです。そのために三崎さんは、工具やロープ代まで立て替えて作業してくれているんですよ。その証拠に、これを見てください。そのときの領収証です」
彼はポケットから出した領収証を、園長の弟の鼻先に突き付けて続けた……。
「しかも三崎さんは、売り払った備品の代金を自分のものにしていいから――と園長に言われていたんです。にも拘わらず、三崎さんはバカ正直にも、その代金を一銭も受け取らず、そっくりあなたに渡したんです」
園長の弟は豆鉄砲を食らった鳩のように眼を丸くして彼を見、手に取った領収証に眼をやった。その表情は、なにかを考えようとしたのだが、適当な言葉が見つからず、そのまま宙に浮いた眼と同じ心境になっているようだった。
「なのに、なんだというんですか。ぼくたちは、ここから百十キロも離れたM市まで行き、塾の後片付けまでして帰ってきたんです。たとえ、五分でも十分でもでも早く着こうと、ここまでノンストップで帰ってきたんです。多少時間に遅れたからって、それはないでしょう。ひとを雇う人間というのは、そんなに偉いんですか」
「いや、わたしはそんな論点で言ったのではありません」
園長の弟は、憤懣やるかたない様子で荒い息をしている塚倉君を見て言った。「こちらにも段取りがあり、大人たるもの、約束は守るべきだと言ったまでです」
「しかし、その荷物運びとやらは初めから予定されていたことだったのですか。少なくとも、昨夜の時点では聞かされていませんでしたよ」
「いつなんどき、事態は急を要しないとは限りません。だからこそ、ひとは余裕をもって行動しなければならないのです。今回のことが、その証左です」
「もう、いいよ。塚倉君……。時間が守れなかったぼくたちが悪いんだ」
私は、なお言い募ろうとした彼を押しとどめて言った。「このひとを責めても仕方がない。このひとは、あくまでも園長の代理であるに過ぎないんだから……」
「でも――」
「仰りたいことはわかりました。これは、お立替分の清算ということで――」
園長の弟が、さきほど私が渡した八千円から五千円札を抜き取って言った。「残りは、少ないですが、当方の気持ちです。運転代と思ってお取りください」
「なにを言ってんですか――」
塚倉君が気色ばんで言った。「ふざけるにもほどがありますよ。一体、どこまでぼくたちを愚弄すれば、気が済むんですか」
「ま、いい――。このひとはそういうひとだから、なにを言ってもわからないよ」
私は園長の弟に掴み掛らんばかりに、肩で息をしている彼を諫めて言った。「腹が立つかもしれないが、ここは抑えよう。こんなのは、時間の無駄――。振り回されるだけ、莫迦を見るのはこっちなんだよ」
私は彼の腕を引くようにしてガレージに戻り、彼をシビックの助手席に押し込めて車を走らせた。情けなかった。実に情けなかった。私のために怒ってくれた彼の心が痛いほどに私の心を突き刺していた。
一体、なんのために、あんなM市くんだりまで行ったんだろう。
こんな惨めな思いをするためにか――。こんな無駄な骨折り損を後生大事の思い出のひとつとするためにか――。若い彼の義侠心と疲れた身体が可哀そうだった。おそらく彼には、このことが一生の思い出として残るだろう。
中途半端な親切心や親心ほど、当てにならないものはない。
それは中途半端がゆえに、自分に帰ってくる凶器の刃となるのだ。
ブーメラン。そう――。あのブーメランのように、元来が獲物を傷つける武器であるがゆえに、戻ってきたときには、自分を傷つける武器となるのだ。
徹頭徹尾、親切心は見返りを期待しないものでなければならない――。
そうでなければ、自分を傷つけるだけなのだ。親切心は、帰ってくることを期待してはならない。親切心は、あくまでも一方通行。片道切符でなければならない。ブーメランであってはならないのだ。親切心は、文明の利器ではない。
それが嫌なら、そんな武器は持たないほうがいい。危険なだけだ。そうして一方通行の切符だけを手にするがいい。それなら諦めもつくし、あと腐れもない。一度使えば、二度と使えない……。親切心というのは、人生でただ一度でしか出遭えない贈り物であってもいいのではないだろうか。それが、本物でありさえするならば――。
そうすれば、同じ失敗を二度と繰り返すことはなくなるだろう。同じ裏切りを感じることはなくなるだろう。中途半端な予想の方程式……。
私たちは、K市までの道のりを無言のまま、走った。
私たちふたりの心のなかは、その道行のように暗かった。いずれにせよ、その心は本物ではなかったのだ。中途半端な思いで、自分勝手に思い描いたのだ。相手の感謝と自らの満足を自分勝手に思い描いた結果が、これだったのだ。
徹頭徹尾、親切心は見返りを期待しないものでなければならない――。
なのに、お前はなにを期待したのだ。あの斑猫がまた、尻尾を振りたてて私の前に現れ、私を見上げて鳴いた。情けない。お前は、実に情けない……。
うおおーっ。私は吠えた。運転しながら吠えた。犬のように、そして月に向かって吠える狼のように……。悔し涙が、両眼から迸り出ていた――。
「三崎さん、三崎さん……」
助手席の塚倉君が、私の左腕を掴んで言った。「大丈夫ですか」
彼に腕を強く揺すぶられ、私は我に返った。ほんの一瞬のことだった。
「ああ、すまない――」
私は、謝ったものの、そのあとの言葉を思いつかなかった。彼は、私の言葉を待っていた。ふいに襲ってきた怒りを抑えることができなかったのだ。
「急に悲しくなってしまったんだ……」
私は、ようやくそれだけを口にした。
「わかりますよ」
彼は両方の拳を固く握り締め、前方に眼をやって言った。「ぼくも悲しいです。あまりにも悲しいです。世のなか、理不尽です。理不尽過ぎます」
その姿も、私には腹の底から湧いてくる怒りに心を震わせているように見えた。
「悪かった――。きみにはずいぶん嫌な思いをさせてしまった」
私は静かに言った。私がオーケーしなかったら、彼はこんな目に遭うことはなかったはずなのだ。運転免許証を持たない彼に、そのような命令の下るはずのなかったのは火を見るより明らかだった。
「ぼくが受けてしまったばっかりに、きみまで道連れにしてしまった……」
「それは、三崎さんの責任ではありません」
塚倉君はきっぱりと言った。「あの話が出た時点で、ぼくは断ることもできたんです。でも、それをしませんでした。つまりは、三崎さんの所為です」
「え」
「あ、すみません。こんな言い方をすると、勘違いするかもしれませんね」
彼は苦笑したような表情を私に向けて続けた。「三崎さんを責めようと思って言っているんじゃないんです。園長は好きではありませんが、三崎さんは好きなんです。初めて言葉を交わしたとき、ああ、このひとはいいひとだなぁ――と思った瞬間から、好きになってしまったんです。あ、でも、ホモとかそういうのじゃなくて。誤解のない言い方をすれば、ごく月並みですけど、好感を持ったとか、そんな表現でもいいです。なので、あのとき三崎さんが行くと言えば、それに従う気でいました」
「そうか……」
「ですから、ぼくはある意味、満足しているんです」
「こんな目に遭ったのに――」
「物理的にはこうなったかもしれませんが、精神的には満足しているんです」
「というと……」
「だって、押しつけがましいかもしれませんが、園長の弟さんなんかは別として、すくなくとも三崎さんは喜んでくれているでしょう」
「そりゃ、嬉しいし、有難くは思っているけど、その反面、気の毒なことをしたなと申し訳なく感じてもいるよ」
「だから、そんなことは感じなくていいんです。ぼくとしては、三崎さんが喜んでくれさえすればいい――という目的が果たせたから、とても満足な気分なんです」
「変わったやつだなぁ、きみという男は――」
私は口だけではなく心底、彼が変わっていると思った。「ま、いいや――。きみがそう思ってくれているんだったら、こっちも気が楽だし、その辺が深読みのできるきみの深謀遠慮なところでもあるんだろう」
二十九 回し車のなかのハムスター
案の定、一回目の給料日である二十五日がきても、育生学園からは給料は出なかった。出なかった――というより、園長がいなかった。したがって、給料を渡してくれるひとそのものが現れなかった……。
神出鬼没というか、どこに雲隠れしているのか、私たちには一向に知らされなかった。時折、現れてはなにかを指示し、どこかに消えるのが彼の日常だった。
もちろん、この塾は自動振込ではなかった。あれだけ借金取りが日参している塾の口座に、まともな金額が残っているとは思えなかった。それこそ、銀行取引が継続しているかどうかさえ定かではないのだ。電電公社だって、督促状を何枚も送り付けてきているし、NHKの集金人もまた、テレビは見てないと言っているにも拘わらず、何度も取り立てにやってきている。いつぞやにきた、印刷会社の若い営業マンなどはしょっちゅうだ。よほどの額を踏み倒されているのだろう。
その証拠に、新聞の勧誘員や宗教の勧誘人でさえ姿を見せないのだ――。
一体、私はどうすればいいというのだろう。私は暗澹とした気分になった。このままでは、本当に塚倉君の言っていたとおりになる……。
「三崎さん、今日は二十五日ですよね」
私のあとに出勤してきた塚倉君が、つくねんと教室の椅子に腰を下ろしている私を見て訊ねた。「園長を見ましたか」
「いや、まだだ」
「多分、予想どおりになりますよ」
「そうだな……」
私はぽつねんとした表情で応えた。
考えること、考え得ることは、考えつくしたという感じだった。
だが、考えてもどうなることでもなかった。考えたところで、同じところをぐるぐると回っているだけで、どこへも辿り着かなかったし、相手が存在しない以上、どうしようもなかったからだ。ウロボロスの蛇……。なにかを思いついて欣喜雀躍したかと思えば、すぐにそのアイデアは消え失せた。始まりも終わりもなかった。
「ねぇ、こうしませんか」
塚倉君が言った。
私は黙って頷いた。
「ここに、ぼくが預かっている月謝があります」
彼は懐から出した茶封筒を私の机の上に置いて続けた。「これを使ってください。給料としては足りないかもしれませんが、一応、十二万円入っています」
「そりゃ、駄目だよ」
「どうしてですか――」
「どうもこうも、そうすれば、きみの取り分がなくなる」
「それはいいんです。ぼくには親からの仕送りがあります。当座の生活費に困ることはないんです。ですが、三崎さんの場合は違います」
言葉が出てこなかった。なんといっていいかわからなかった。
ありがとう――と言っていいのか、それはできない――と言わなければならないのか正直、どう答えたものかわからなかった。頭のなかが痺れたようになっていた。
「しかも、ぼくの場合は、あとで取り返すことができます」
彼は真剣な眼差しで、私を見据えて言った。その眼が私を射抜いた。「三崎さんの場合は、それができないでしょう」
またもや返す言葉がなかった。
「ぼくには、わかるんです。三崎さんは、それができないひとだって……」
彼は静かに、私の向かい側の椅子に腰を下ろして続けた。「おこがましいかもしれませんが、はっきり言います。三崎さんはここにいちゃ駄目です。このままだと三崎さんは死んでしまいます。経済的にもそうでしょうが、精神的にも人間ではなくなってしまいます」
「つまり、ぼくには、それを取り戻す排出力がないと……」
返事に窮した私は、辛うじてそれだけを口にした。
「そうです。車に例えれば、確かに三崎さんに排出力はありません。どんなことをされても、どんなことを言われても、それを跳ね返す力がないんです。悔しさをバネにできる筋力というか、そういうものに欠けているんです。非難するわけじゃありませんが、いいように言えば、三崎さんは優しすぎるんです」
「確かに、そうかもしれない。ぼくにはそういう反発心はない……」
「ぼくには、それができます――。なぜなら、ぼくには三崎さんのいう排出力があるからです。その排出力でなにごとにも立ち向かっていきます。ですから、三崎さんは、競争というか、その手の排出力を必要とする世界にいちゃ駄目なんです」
「だから、この金を受け取って、この塾を辞めろ――と……」
「そうです」
彼はきっぱりと言った。「ぼくがこうして三崎さんと出遭ったのも、なにかの縁です。そしてその出遭いを切っ掛けとして、ぼくは三崎さんの役に立ちたいと思いました。おそらくこの友情は、(もっとも、これは三崎さんがぼくを友人と思ってくれるなら――ということを前提としての話ですが……)どちらかが死ぬまで続くでしょう。ぼくはそれくらいの覚悟で、三崎さんと対峙して行きたいと思っています。これまでも、そしてこれからも――」
彼がそこまで言い終わって暫くしたとき、ふたりの間には深い沈黙の川が流れていた。ふたりとも言葉を発しなかった。いや、言葉というものを発せられなかった。ふたりの間に溝があったというのではない。
それどころか、その溝は完全に埋められていた。私たちに溝はなかった。
あるのは、相互信頼と尊敬心だった。
「ありがとう。そんなことを言ってくれるのはきみだけだ」
私は、彼の手を握って言った。「この恩は一生、忘れない」
「では、行ってください。あとは、上手くやっておきます。園長に文句は言わせませんから、ご安心を――」
「きみとの友情は死ぬまで続くだろう。約束する」
「もちろんです。必ずまたお会いしましょう」
「ああ、また会おう。そのときまで――」
「三崎さんには、別の世界でのご活躍を祈っていますよ」
「ありがとう。きみのほうこそ……」
私はそれ以上、彼の顔を見ていられなかった。
その言葉を言いさして、彼から顔を逸らした瞬間、涙が溢れ出た。そのまま、振り返らず、私は手を振って無言の別れを告げた。両の頬へ涙が伝わり落ちた。それは幾筋も幾筋も流れ出て、教室を出てからシビックのある駐車場まで続いた。
まったく、若いのになんてやつなんだ――私は思った。
到底、太刀打ちできない。そもそも私とは、人間の出来が違うのだ。おそらく生まれも育ちも随分、異なることだろう。あちらは良家のお坊ちゃま、私は貧乏人のお坊ちゃまだ。彼が苦労知らずの苦労人とすれば、私は何にあたるというのだろう。
恥知らずで見窄らしい甘えん坊――それこそが、最も相応しい渾名になろう。
それからの日々は、私にとっては苦難の日々、いや、苦悩の日々だった。来る日も来る日も仕事探しに費やした。職安にも行ったし、求人雑誌も見たし、新聞も読んだ。
そして、そこで見つかったそれぞれに履歴書を送り、返事を待った。
だが、そのどれもが不採用の通知だった。一週間が経ち、二週間が過ぎた。二十日を過ぎてもまだ、それらしい勤め先は現れなかった。面接にも何回か出向いたが、思わしい返事はなかった。例のパターンの再来だった。
あの嫌な、泥で塗り固めたような現実がまた回り始めたのだ。私は焦っていた。あたかも回し車のなかで脚を動かすハムスターかネズミ――だった。一生懸命走っていたが、少しも前には進まなかった。
妻の沈黙が怖かった……。
三十 心ときめくような耀き
ハムスターのような毎日を過ごすうち、私は日中、家にいるのが居た堪れなくなってきていた。そして面接かなにかで朝早くから出かけなければならない必要のあるとき以外は、できるだけ妻の送り迎えをするようになっていた。
朝に夕に肌寒さを感じる季節だった。そんななか、ひとりで出かけていく彼女をドア越しに見送るのは心もとなかった。それでつい、後ろめたさを覚えて送って行ったのが発端だった。朝は七時半、夕方は六時半……。その時間帯になると栞へ行って、彼女をシビックに乗せて帰るのが半ば、私の日課になっていた。
思えば、季節は秋も半ば過ぎになり、山の端の木々が赤や黄色の葉と別れを告げようとしている頃、鎮守の森の、あの神社の並木道のあるベンチで、私たちは初めてプラベートな会話を交わし、急激に親しくなって行った……。
あの頃は、まだお互いに遠慮というものを知っていたし、互いを尊敬し合ってもいた。そして互いが謎と知性にあふれた未知の存在だった。未知がゆえに醸し出された勘違いの魅力だったと言えるかもしれない。少なくとも当時の妻にとっては、私がそういうふうに思えた夢のような瞬間だったのだろう。
だが、歳月をふるにしたがって、私の謎や魅力のひとつひとつは少しずつ剥がれ落ちて行って、いまでは彼女にとって、なんの新鮮さも、なんのときめきも催さない既知の欠片となってしまっているようだった。
そんな欠片もまだ鏡であった頃は、さまざまなものを映し出していたし、いろんな夢も見させてくれた。それなりに希望もあったことだろう。思い描いていた風景や美しい光景もあったことだろう。だが、砕け散ったあとの鏡は、その表面のようにきらきらとした、心ときめくような耀きを見せてはくれなくなっていた。
おそらくそれは、彼女の心が生んだ幻影でもあったのだろう。
いつの頃からか、彼女はあまり笑わなくなった。いつもは出がけに微笑んでくれた、あの柔らかな笑みすらも見られなくなってしまっていた。私の心はますます孤独に打ちひしがれ、徐々に温かな慈しみの眼差しを失って行った。
彼女を栞に送って行ってしまったあと、午前中か午後の面接日の約束を取り付け、赤鉛筆で印を付けた求人雑誌の応募先に赴くのがパターンになっていた。
ある日、たまたまふたつの面接会場が同じ方向にあったので、その帰りに母親の住むアパートに立ち寄った。母親の住むアパートには、数年前、ふたりの子どもを連れて出戻ってきた妹が住んでいた。ふたつめの面接を済ませて訪れたその時間、妹や子どもたちはいなかった。それぞれが学校や職場に行っているようだった。
母と会うのは数年ぶりのことだったが、別に懐かしさは感じなかった。彼女は相変わらずの貧乏暮らしだったし、私も多くを望まなかった。特段、用事があったというわけではない。ただ職探しのついでに寄ってみたまでのことだった。
基本的にこの母親は、私と同じで、愛情というものを表に出さない人間だった。
だからといって、その裏に深い愛情がたっぷりと隠されているというわけではないが、少なくとも他人の気遣いに感謝を表出する機能を欠く人間であるとは言えた。
高校を卒業して書店に就職し、大学受験にチャレンジしたときのエピソードを披露して以来、私はこの母と妹一家のことを極力、触れずにきた。
というのは、同じ時系列にあって進行している物語を差し挟むと、一定のテンポで進んでいるストーリィ展開に齟齬をきたし、読者に煩わしさを強いるのではないかと危惧したからだった。
私が妻と一緒になった頃、妹の息子たちは小学生だった。
それで、妻としては私の家族に気を遣い、彼らの父親代わりを私が務めるように仕向けた。それは妻なりの親切のかたちだったし、家族ぐるみでの親戚付き合いの在りようだった。私は素直にその指示に従った。半ばお節介ではあったものの、そのように私の家族を遇してくれるのが甚く嬉しくもあったからだ。
チッチにしてもリュンにしても、そしてナオにしてもそんなふうに私の家族に接してくれる女性はいなかった。そのほとんどが、私の家族とは無関係に、そして独立に存在していたのだ。彼女だけは例外だった。
私にとって生まれて初めて出遭った、家庭的良心のある女性と言ってよかった。彼女は、私の家族をとても大事にしてくれた。
彼女は折を見ては、彼らを遊園地に連れて行ったり、自宅に招いて手作りの料理を食べさせたり、子どもたちの喜びそうなお菓子を大量に持ち帰らせたりしてくれた。もちろん、彼らの送迎は私が車で行ったり来たりするのだが、子どもたちも大変喜んでくれたし、妹もそれなりに喜んでくれた。
だが、そのことを嬉しく思う反面、無知な私には私の家族がひとしなみな感謝の意を表しきれない一族であることに気がついていなかった。そのことのみを望外の喜びとして、単純に受け止めていたのだった。
私が塾に行かなくなってから、二十三日めに彼女の口が開いた。
「あなた一体、なにをしているの」
「なにをしているの――って」
「だから、なにを考え、なにをしようとしているの」
その言い方には剣があった。答えに窮した。
「仕事に就きたいと思っている……」
「で、就職活動はした――」
「ああ、しているが、一向に決まらない。不採用の通知ばかりだ」
「なにか勘違いしているんじゃない」
「勘違い――」
「そう。勘違い――。あなたは、自分をなんだと思っているの」
「言っている意味がわからない……」
「本当にわからないのね。じゃ、言うわ――。あなたは仕事を選び過ぎているんじゃなくて、選ばなさ過ぎているのよ」
「――というと……」
「あなたは、ひとつことしか選んでいない」
「ひとつこと――」
「そう。同じものばかり選んでるのよ」
「ああ」
「いつまで過去を背負っているの。あなたの過去は使いものになる過去なの」
「過去は、背負っていない」
「背負っているわよ。現に同じ職種ばかりを選んでいるんでしょ。たとえば、広報とか企画とか、コピーライターとか、そういうもの……」
「ああ」
「そういうものにこだわっているから、職に就けないのよ。傍で見ていても、それくらいはわかるのよ。違う――。違っていたら、違う――って言って」
「…………」
「ねぇ、いい――。現時点で、すでにわたしたちは危機に瀕しているの」
「それは、わかってる……」
「だったら、そんなものにかかずらってないで、土方でも遠洋漁業でも、風呂洗いでもなんでもすればいいじゃない」
彼女は、のどに閊えた痰の塊を吐き捨てるようにして言った。「前にも言ったけど、サフランのマスターは、一日にみっつもの仕事をしていたわ」
その一瞬後、言葉どおりの感情がエスカレートすると、最終地点に達しかねないと判断したか、その結節点を一旦、外したかのように静かな口調で彼女が続けた。
「そりゃ、わたしだって、あなたが自分の好きな職業に就いて、生き生きと働いていてくれればすごく嬉しいし、とても有難いわ。でも、現実はそうじゃない。いつもあなたは、つまらなそうな憂鬱そうな、浮かない顔つきをして日がな一日、溜息ばかり吐いている……。そんな姿に、わたしが耐えられると思って――」
「……」
「ねぇ、教えて――。わたしたちは、なんのために一緒にいるの。なんのために一緒になったの」
「…………」
「教えられないの――」
彼女は、答えようにも答えられず、致し方なく下を向いて、黙秘を続けている私に向かって言った。「じゃ、こういうふうに訊くわ。わたしはあなたのなんなの――」
「妻――だと思っている……」
辛うじて声を発した。咳き込むように。少し怯えながら……。
「妻。そう、わたしはあなたの妻よ――」
彼女は続けた。「なのに、どうして相談してくれないの」
「……」
「この間、あなたはお義母さんのところに行ったわよね。あれは、仕事の相談に行ったのよね」
「ああ」
「そして、家族と一緒に夕食を済ませてきた……」
「ああ……」
「わたしは、夕食を作ってあなたを待っていた……」
「済まない。あのときは、悪かった……」
「帰ってきたあなたに、私は訊ねた――。どこへ行っていたの、と。あなたは言った。お袋のところに行ってきた、と。夕食はと訊くと、済ましてきた――」
妻は、そこで食卓に両肘をつき腰を下ろして続けた。「つまり、なに、わたしは家政婦かなにかなの。なんで、わたしは仲間外れなの。家族じゃないの。お義母さんから食事に誘われたとき、どうして、彼女も呼んでくれと言ってくれなかったの」
「ぼくが悪かった。断ればよかったんだ…………」
「私は迎えに来てくれないあなたが、交通事故にでも遭ったのかもしれないって、どれだけ心配したか。それをわかってるの。あなたがきてくれないから、わたしは歩いて帰った。そして、あなたからの連絡を待って夕食の準備をしていた……」
「ごめん……」
それからの私は、食事の片づけが終わり、とあるテレビ番組が終わり、洗濯物をたたみ、それをタンスに仕舞い、入浴を許されるまでの延々二時間半にわたって、恨みと辛みと涙の絶叫を存分に交えた説諭を施されたのだった。
その一言一言には一度も、反論できなかった。
そこには、ふたりがあの神社の並木道で出遭ったときの「心ときめくような耀き」は微塵も存在しなかった。私たちは家族になっていた。
三十一 正社員という待遇
恰好を構っているつもりではなかった。妻が言うように職種を問わずなんでもいいから、収入を得るようにしなければいけないのはわかっていた。でなければ、妻の収入だけではやっていけないこともわかっていた。
とりあえずの繋ぎだと考えれば、確かにどんな職種でもよかったろう。だが、それは売り手側の勝手な解釈、希望的観測に過ぎなかった。
買い手側からすれば、決して若くもなく、何度も転職した経験のある男を敢えて雇う謂われはなかった。しかも、大学卒業資格にしたところで、ひとより五年も六年も遅れて卒業した人間なのだ。その手の求職者は、大体において理屈ばかりを捏ね、実績や行動の伴わない評論家タイプが多いというのが定説だった。
とくに言うところのクリエーティブな職種に、私の年齢は不適だった。
一度など、もう十歳若ければ来ていただくんですがねぇ――と面接官に嫌味ともつかない苦言を呈されたほどだった。つまり、三十も半ば過ぎの男は、この業界では使い物にならないという認識が、この当時、出来上がってしまっていたのだ。
確かに、この当時、私の周りにも評論家タイプの男は多かった。とくに広告業界には、その手の人間があちこちに出入りし、いまでいう上から目線で尊大なマーケティング論をぶっては、良識あるクライアントから顰蹙を買っている時代だった。
この頃の有効求人倍率は、零点六パーセント台。典型的な買い手市場だ。
その意味では、まさに妻の言うとおりだった――。私は職種を絞り過ぎ、過去を引きずり過ぎていたのだ。私の望む業界、特に制作部門への就職は超難関だった。
彼女の言う「サフランのマスター」というのは、夫婦ふたりでサフランという名の居酒屋をやっていたが、店の客とできた奥さんに逃げられ、店舗付き住宅だった店を手放した。そして毎日、病院の調理人と風呂場掃除、そして居酒屋でのバイトと三つの仕事をこなし、毎夜、数千円ずつを取り立てにくる集金人に払って、最終的には店を取り戻したという人物だった。つまりは、選り好みをせず、地道に働けばいつかは挽回できる――という、私に対する彼女の精いっぱいのエールだった。
そこまで言われてもまだ、私は根本的なところで目覚めてはいなかった。彼女はすでに私の家族になっていたが、私はまだ彼女と家族になり切れていなかった。
上っ面の経済的な、そして物理的な側面でしか、夫婦生活もしくは家族というものの存在を捉えてはいなかった。未来への展望を欠く付焼刃的なアクション。偏頗な了解がまたぞろ私の脳内の焦り中枢を刺激し、安易な方向へと行為を導いた。
その三日後、つぎの仕事にありつくまでの「とりあえずの繋ぎ」ということで、年齢も経験も不問という配送会社の面接を受けた。最悪の場合に備えて印を付けておいた、アルバイト専用の求人雑誌に載っていた会社のひとつだった。
幸いにしてというか、不幸にしてというか、私は即採用ということになった。そしてその翌日から、洋菓子メーカーに入ったオーダーの品を各チェーン店に届ける仕事を受け持つこととなった。皮肉な言い方をすれば、運転免許さえあればいい――という職種だったから、ある意味、僥倖といえたのかもしれない。
というのも、それ以外の資格といえば、高圧ガスの販売主任者免状くらいしかもっていない男だったのだから……。
もっとも、だからといって、ガスの仕事は二度としようとは思わなかったし、履歴書にもその資格は書かないでおいた。学歴も職歴も資格も運転免許証以外は不問とあれば、書き記す必要すらない役立たずな資格だった。
確かにその資格は、私の失敗の証となることはできても、私の人生を成功に導く礎とはならなかったろう。ハンドルが握れるだけの男を雇う側にしてみれば、目障りなばかりか応募者の馬鹿さ加減を証明する以外の何物でもなかった。
事実、職歴欄に広告代理店のコピーライターと書いただけで、やや頭の禿げ上がった面接担当の中年男性に、こんな経歴をお持ちの方なのに、本当にこの仕事でいいんですか――と、真顔で訊ねられたくらいだったのだ。
もちろん――と、私は肯定したが、ことほどさように、それまでの私の職歴とその仕事は第三者から見て、それほども懸け離れていたということだ。
しかし、私は老練な面接担当者に見透かされていた。どんなに立派な経歴を書いたところで、こんなところに墜ちてくる人間にろくな奴はいない。結局は、もっともらしい理由をこじつけて辞めて行ってしまうのがオチだ――と、その顔は語っていた。
事実、見事にというべきか、その結果は彼の読み通りのものとなった。
あの斑猫が尻尾を高く上げて、ざまー見ろと言っている気がした。そして面接担当の禿げ頭男性のいかにも、してやったりの顔が眼に見えて悔しかった。
というのも、たまたま買い物中の妻が配達途中の私を見かけたからだ。彼女は、有名な洋菓子屋の赤いストライプの入った制服姿の男が私であることに気づいたが、商品を運んでいく私の姿が辛すぎて、声を掛けられなかったと告白したのだった。
それが切っ掛けとなって、私はふたたび本格的に職安通いをし始めた。
彼女には、自分の夫として、まっとうなかたちでの仕事をしてほしかったのだ。それが痛いほどに解かって、私は午後三時までの配達の仕事が終わるとすぐに職安に駆け込み、目ぼしい仕事を探した。
これまた幸いにしてというか、不幸にしてというか、ある仕事が見つかった。
それは、十数年前にできたらしい小さな出版社だった。
その求人票によると、待遇は正社員、職務は書籍雑誌の編集取材及びそれに係る一切の業務――とあった。私は、前回のような轍を踏まないためにも、唯一の家族である妻にその旨を伝え、予めレディネスが形成できるよう因果を含めておいた。
正社員という待遇を耳にしたときの彼女の眼に、久方ぶりに眼にする柔らかな表情が浮かび、私自身もほっと胸を撫でおろしたくらいだった。
面接日の朝、私はいつものように彼女をシビックに乗せて行って、栞の前で降ろした。そして、頑張ってね――という彼女の明るい声を耳朶に残したまま、職安の紹介状を持ってきたかどうかを再度確かめ、面接先に向かった。
三十二 夢をかなえる舞台づくり
その出版社は「マインド出版」といい、私たちの住まいから車で二十分ほど行った先にあった。塾へ行かなくなってから、十一社めの面接だった。塚倉君との別れから四十三日が経過していた。正社員という名目では、九社めのことだった。
今度こそは、成功させなければならない。「まっとうな会社」に入らなければならない。どこかで、負の連鎖を断ち切らねばならなかった。
ひとは努力が足りない――という。真剣に世の中を見ていない――という。地に足が着いていないから、失敗を繰り返すのだ――ともいう。確かにそうかもしれない。私は正面切って世の中を見くびっていたのかもしれなかった。
真剣味が足りないから、面接に失敗するのかもしれない。その地に足の着かなさが逆に見透かされ、まともに相手にされないのかもしれない。つまりは、足許を見られているのだ。今度こそは、真剣に立ち向かわなければならない。
だが、ひとはなんのために働くのだろう。
生きるために働くのは当然としても、働くために生命をすり減らし続けなければならないのだろうか……。社会を構成する人間の不可避な義務として――。
仮にそうだとすれば、どこかが歪んでいる……。
私は私の時空にある中心軸のどこかが根本的にずれ、精神の根幹をその土台から異ならせている気がした。もし世界の中心軸が正しいところに位置しているのだとすれば、私の時空そのものが歪んでいるということなのだろう。
私は、見えてきた会社のガレージにシビックを駐車し、その向かいに横たわる、倉庫を改造したような外観をもつ建物のドアを押した。
「本日、面接に寄せていただきました三崎と言います」
私は、応対に出てくれた、私より二つか三つほど若く見える女性に向かって告げた。
「ああ、はい。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
女性は私の先に立って、カウンター脇にある「応接室」と銘板のある部屋に向かい、そのドアを開けて言った。「こちらでお待ちください」
部屋に入り、ソファに腰を下ろした途端、既視感が私を襲った。
ああ、何度このような状況を経験したことだろう。なぜか和倉さんの笑顔が脳裏に浮かんだ。あのときのほうが、どんなにか気が休まったことか――。
私は、いつも以上に緊張していた。
緊張の極に達すると、気絶することもありうる。あのときのように……。
だから、ここは心落ち着けて、余計なことを考えたり思ったりしないようにしなければならない。なにがあっても、泰然自若――。冷静に対処するのだ。
ドアが二回ノックされ、はい――と返事をすると、黒いベルベットのジャケットを着た細身の男性がにこやかな笑みをたたえて入ってきた。その姿を見て、慌てて立ち上がった私に男性が訊ねた。
「三崎さんですね」
「はい」
「社長の水谷です。ま、お掛けください」
「ありがとうございます」
「履歴書は、お持ちいただいていますね」
社長は、私の前のソファへ静かに腰を下ろし、手を差し出して言った。
「はい、ここに――」
私は鞄から封筒に入った履歴書と職務経歴書を取り出し、それに職安の紹介状を添えて手渡した。職務経歴書は、提出したほうが有利になるから――と言われ、職安の相談員に指導してもらって書いたものだ。
これまで、このような書類を提出したことはなかったし、書いたこともなかったので、あまり自信はなかった。
「ずいぶんと、色んな経験をなさってきたんですね」
読み終えての開口一番、社長が私の顔を見て言った。その顔には嫌味や思わせぶりなものは含まれていなかった。言葉どおりの、感心したような口ぶりだった。
「はい、それなりに色々と経験させてもらいました……」
私は身の竦む思いで、ようやくそれだけを口にした。
「いいんじゃないですか、そんなに卑屈にならなくても――」
社長は、明るい笑顔をたたえて言った。その顔は、自信と信頼性に満ちているように私には見えた。「人生、楽あれば苦ありですよ。辛どいことも楽なことも、数度にわたる転職も、人生のうちです。そのどちらかだけを一方的に経験してきたひとはいません。ねぇ、そうじゃないですか、三崎さん」
「あ、はい……」
そう訊ねられて、思わず返した言葉だったが、どこか上ずっているような気がした。
「うちは、見てのとおり、吹けば飛ぶような出版社ですが――」
社長は背をやや後ろに反らすようにして続けた。「あなたのように経験豊富なひとを求めています。いわゆる頭でっかちの学者タイプや、頑固一徹のアーチザンタイプのひとは要らないのです」
「はい――」
「つまり、わたしたちは色んなことに融通の利くひとを求めています。頭の固いひとや評論家タイプは事業発展の足枷になりこそすれ、なんの役にも立たないのです。その点、転職を繰り返してきたひとというのは、見ようによっては飽きっぽい性格と言えるかもしれませんが、それだけ好奇心が強いひととも言えます」
「そうでしょうか。たまたま私の場合は、結果的にそうなったというだけで……」
職を求めてここにきた人間である以上、それは買いかぶりですよ、社長。わたしはそんな大それた人間ではありません――などとは言えなかった。
「職務経歴書を拝見して思うのですが、ここには上昇志向が見られます。履歴書の時間軸だけを単純に見ているとそうも感じないかもしれませんが、空間軸との関係で経歴書を見てみると、三崎さんは飛ぼうとしています」
「は」
飛ぶという意味がわからなかった。
「少なくとも、それ以前より高みに身を置こうとしてきました」
「ええ、まぁ……」
「わたしには、その思索の跡が見えるのです。そうしてもなお、ポジショニングに成功しなかった悔しさや辛さも……」
「見えるんですか……」
「ええ、見えるんです。手にとるようにわかるんです――」
社長は言葉を整理するような表情を見せて続けた。「おこがましいことを言うようですが、わたしもあなたと同じように蹉跌と言うんでしょうか、幾度も挫折し、幾度も失敗してきました。しかし、その都度、立ち直ってここまできました。この会社をやる前には幾度、転職を繰り返したかしれません。明日からは、三崎さんの夢を実現する舞台としてここを使ってくれませんか」
「え。――ということは、採用してくださるということでしょうか」
「もちろんです、三崎さん。明日から――」
社長は立ち上がって私の手を取り、その手に力を込めて言った。「わたしたちと一緒に夢をかなえる舞台づくりをしていきましょう」
私は夢を見ているようだった。
こんな奇跡が、こんな簡単に起こるなんて――と、まるで昨夜の夢の続きを見ているようで、会社を出てからシビックのあるところに辿り着き、そのイグニションキーを捻るまで信じられなかった。いつものエンジン音を聴いて初めて、我に返ったほどだった。それまで自分の足で歩いていなかったのだ。
三十三 未来に巣食う過去の記憶
働くということが生きることであり、自分自身のためのものである――というのなら、ひとはなぜ他人のために身をすり減らしてまで働くのだろう。本当にひとは自分自身のために働いているのだろうか。
自分自身のためである――というのならば、私のようなぐうたらな男は決して身を粉にすることはないだろう。できるだけ巧妙に手を抜き、さぼろうとするだろう。なぜなら、それが私の本態だからだ。本態としての私は、生きたいとは思っても、働きたいとは思わない。働くのは、それが資本主義の世の中で、働かないことには生存のための収入が得られないからだ。
つまり、働きたくて、生きているのではない。
生きているから、働かざるを得ないのだ。蛇やトカゲは、生きようと思って生きているのだろうか。生きなければならないと深く考えて生きているのだろうか。ただ生が、そこにあるから生きているのではないだろうか。端的に言えば、生きているから生きている。つまりは、トートロジーだ。
彼らに、生きるための目的はない。生きなければならないという使命感もない。
あるのは、ただ生きてある――という現実だけだ。その現実という本態の在りように従って生きている。生きるために働くのではなく、働くために生きているのでもない。生きとし生けるものは、おしなべて生きているから生きている。
そこに確固とした理由はない。
彼らは生があり、息をしているがゆえ、脱糞しては摂食する。そこに生きようとする意志や、他者に対する遠慮や思惑、義務感などはない。
彼らは己のためにだけ、生きてあることを享受して生きている。
ところが、人間はどうだ。意志を持ち、思惟を行い、策略を練る。生きるための術を探り、その方途を身に着ける。ときには他人を欺いてまで手に入れようとする。
本当に人間は、生きてあることを享受して生きているのだろうか。
ものを生産するということは、それの恩恵を己が享受するために始まった。
にも拘わらず、ひとはいま、自分の喜び以外のもののためにものを生産する。社会という円環のなかにあって、ひとはひとのために働き、生命を維持する。
我のなかにあって、左手が左手でしかないように、右手の代わりをする右手は存在しない。なぜかなら、失われた右手はもう存在しないのだから……。
にも拘わらず、ひとは見えざる右手を求めて伸吟する。
以前は自分のためにあったものがいまはないと知り、他人の手を借りてでも己のものにしようとする。しかし、それは相手のものであって、自分ものではない。
相手の右手と自分の左手で握手することはできない。ただどちらかの甲にわずかに触れることができるだけだ。決して交わらない右手と左手の握手……。固く結ばれることのない握手を交わすために、ひとは働いているのだろうか。
どこか、なにかが違うような気がする……。
真に働くということは、自分自身のためではなかったのか。真に自分自身が喜びたいがために、働くという行為が生まれたのではなかったか。生きてあることを享受するために働くのではなかったか……。
にも拘わらず、ひとはいま、自分以外のもののために働いているのだ。
妻の喜ぶ顔、幼い子どもたちの笑顔、年老いた両親の感謝の心、恋人の愛、その他その他を失わないために、ひとはいま働いているのだ。ひいては自分自身が喜ばれて生きていることを実感し、そのことを享受するために昨日も、そのまた前の日も今日のように働き続けてきたのだ。
そこに一体、どんな不服があろう――。
私にはまだ、そこまでの達観はなしえなかった。
生きてあることは、すなわちそんなふうに働くことではなかった。
働くことは、生きてあることと直結でなければならなかった。生きてあるとは、自身のもてる力や思いを注ぎ込んだものが自己のものとして顕現することだった。かたちあるものとして眼前に顕現しなければならないものだった。
たとえば、小説を書くことや詩を書くこと、作曲をすること、絵を描くこと、彫刻をすること、焼物をすること、楽器を演奏すること、調理すること、などなど。
これらこそが働くということの本義だった。
しかし、それらは経済生活を抜きにしたところで行われるべきものだったし、少なくとも功成り名遂げたあとでなされるべき「現象」だった。さらに言えば、資本主義社会で生活するかぎりにおいて、単なる夢想の類いに過ぎないものだった。
資本主義社会において、無価値なものには値段がつかない。
俚諺に「筆は一本、箸は二本」という。筆だけでは食っていくことはできない。いくら本人が素晴らしいものだと絶賛しようが、大方の評がマイナスであれば、カネにはなってくれない。自己満足は「働き」にはなっても「カネ」にはなってくれない。
原始時代ならば、誰がなんと言おうと、そこに絵が描きたいから描いた――という論理が「働くという本義」を成立させた。思いのたけを書く筆も同じだ。
巧いか下手か、芸術的かどうか――ではなく、それが自分にとって面白いかどうか、役に立つかどうか――で判断された代物が「働き」ということだったはずだ。
作ること、書くことによって満足したかどうか。その判断は己がする。だからこそ、ある種のひとびとにとって、現代社会で働くということは生きるということと同義ではなく、自己欺瞞以外のなにものでもないということになる。
いわば、偽の生を生きることで、偽りの労働の対価を得ているのだ。それも生物学的な生命を維持するために、致し方もなく……。
私たちの世界は、私たちの思い通りにはならないようにできている。
時代をふるにしたがって、その奇妙な違和感は、私たちの時空を歪ませていく。なにか違う、どこか違うと思いつつも、いつの間にか、その違いに気づかなくなってしまう。そうして気づいたことさえ憶い出せなくなっている。
その逆に、それまで見たことも聞いたことのないものまでも、すでに見聞きしたことがあるような気がして、ああ、これはデ・ジャ・ヴに違いない。不思議でもなんでもない。以前に見たり聞いたりしていたのを失念していただけだ――などと、知らず知らずのうちに記憶の奥底にしまい込んでしまうのだ。
そうやって、ひとたび「記憶の奥の抽斗」にしまい込まれた記憶は、二度と浮かび上がってはくれない。なぜなら、その記憶は平板化され、概念化されて、どこにでもあるメタファーとしての価値しか持たず、個々人固有のものとしての有意性を損なってしまうからだ。
見たことのある風景。見たことのない光景。そのどちらにも、固有の意識を持たずに接するなら、前者は過去のものであり、後者は未来に属する。デ・ジャ・ヴが成り立つのは、前者においてであり、後者においてではない。
にも拘わらず、ひとは後者においてのものにまで既視感を覚え、ある意味においての懐かしさを感じる。経験したことのないものを経験したことのように感じ、いつの間にかそれを、自分自身の記憶として記憶庫のなかにしまい込む。
偽の、そして幻の記憶の誕生だ――。
そうしてその記憶は徐々に、偽りの生としての外貌を整え、その輪郭でさえ現実のものとは異ならせて行く……。損なわれた偽りの記憶とともにひとは、現実とは異なる時空に位置していることにも気づかず、幾多の日々を幻想の裡に過ごしたのち、日溜まりのなかの生を閉じる。
あなたの一生は、幸せでしたか――と問われれば、幸せでしたと答えられる。そんな人生が、自分にも訪れると夢想すること自体が、すでに不幸を内包していることに気づかない。哀れな一生。哀れな人生。偽りの記憶の死だ――。
永遠に結ばれることのない、相対峙する右手と左手の握手……。
遠くに海鳴りが聴こえる。もはや見えなくなった視界の彼方で、海の広がりが産み出す音が聴こえるような気がする。見たことも聞いたこともないのに……。
未来の記憶。それが、やがてくる未来の記憶だ――。
こうありたい、こうあってほしい――という未来に対する記憶は、いつしか希望や願いという細やかなものにとって代わり、永遠に手にできぬものと化していく。事実あったことの記憶ではなく、願望としての記憶にとって代わる。
その記憶をたどれば、そういえば、そんなことを願ったこともあったな、あのときああしておけば、こうはならずに済んだのにな――などという、いまは手に届かぬ幾千もの記憶の数々が、その脳裡によみがえってくるはずだ。
未来に巣食う過去の記憶――。それを単なる記憶や予感にとどめないためにも、私たちは本当の意味で、既視感に囚われない正しい記憶と解釈に基づいて、ものを注視しなければならない。
右手を失った者同士が握手できないというのならば、残った左手同士を重ね合わせれば握り合うことはできる。なにかひと悶着あるごとに銃をぶっ放す、西部劇時代ならともかく、握手は右手でしなければならないと限ったわけではない。
左手同士でも固い握手は交わせるのだ――。
また、右手を失った者と左手を失った者がいたとして、残ったほうの手のひらを合わせ、指を組み合わせれば、互いの力を感じとることはできる。それぞれの指に力を籠めて握れば、この先も強く生きて行くことができるはずだ――私は思った。
相手に右手がなければ、その右手の代わりをし、自分に左手がなければ相手にその左手の代わりをしてもらえばいいのだと……。
三十四 身動きのできない恐怖
出版社の社長、水谷は私よりひとつかふたつくらい年上だった。
たまたま大学も同じ出身とあって、息が合った。嘘か誠か、まったくの出鱈目かは知らないが、彼は若い日、三億円強奪事件の犯人と疑われ、警察の取り調べを受けたことがあるという。
K市と府中市とはだいぶ距離が離れているので、彼がそのとき、府中にいたかどうかは訊ねていない。年齢的には、確かに近かったことは認めるが、所詮は法螺話の類いと思って、笑って誤魔化すことにした。
いずれにしてもよく喋る男で、話題もそれなりに豊富な男だった。
そのほとんどが「アフリカで靴を売る話」など、たまたま私が携わっていた広告業界でよく引き合いに出される陳腐なエピソードばかりだったので、それほど驚きもしなかったのだが、それを得意げに話すところに可愛さを覚えたほどだ。
それと立ち居振る舞いにも、独特の動きを見せるところがあった。
時間を見るにしても一旦、拳を前に突き出してから腕を曲げ、袖を後ろに下げてから腕時計の文字盤に眼をやる――というようにあまり見かけない癖があった。椅子に座るにしても同じで、必ずまっすぐ伸ばした片脚を高く上げてから、もう一方の脚の上に乗せるという一風変わった仕草を見せるのだった。
見ようによっては滑稽この上ない、赤面するほどの演出なのだが、ご本人としては大真面目なのだろう。ことあるたびに、その手のオーバーアクションとオーバートークを見せてくれるので、こちらとしては微笑ましさを通り越し、ひと頃流行ったVシネマを観ている気分にさせられるのだった。
それもそのはず――というべきだろう。
聞けば、奥さんはかつて東映の大部屋女優だったこともあるそうで、それなりに美人に属する容貌の持主とはいえたが、一分後にはどんな顔立ちだったかが憶い出せないタイプの女性だった。しかも、念の入ったことに、社長おん自ら役者として劇団に所属していたこともあったらしく、それが縁で知り合ったのが、いまの奥さんということになるらしかった。つまりは、似たもの同士の夫婦なのだった。
だが、それがどんなひとであろうと、私にとって、この社長は私を拾ってくれた恩人ともいえ、徒や疎かにないがしろにするわけには行かなかった。というより、その命に服するしか、当面の生活を経済的に維持することは叶わないのだった。
正社員であるということは、私にとって生活の安定を意味し、夢多き若き社長も言うように「夢をかなえる舞台」を提供されているに同じだった。前の塾や配送屋のそれのように不安定な待遇とは異なり、社会保険もあれば、失業保険もあった。
ある意味、安心していられたのは、以前のように先行きの心配をしなくてもいいからだった。少なくとも、よほどの失敗をしないかぎり安泰でいられる。それだけに私は真剣だった。ある程度の無茶を言われても、それに応えようと覚悟していた。
ところが、それはとんだ見込み違い。ここでもまた私は、会社の――というより、気まぐれな社長の朝令暮改に翻弄される日々を送ることになるのだった。
またぞろ「未来に巣食う過去の記憶」が蘇える仕儀になろうとは、このときはまだ自覚していなかった。とはいえ、うっすらとした予感めいたものだけは感じていた気がする。それは本能的な離別への恐怖からくる悪魔の囁きともいえ、私は無意識の裡にその姿がふたたび立ち現れることに怯えを感じていたのかもしれない。
その所為かどうか、その頃から妙な夢を見てうなされるようになった。
大抵は、暗い場所にいて、どこかから誰かの顔が私をさらによく見ようと近づいてくる夢だった。そしてそれが予想どおり、自分の眼の前に現れたとき、大声を出して目が覚めるのだ。妻に言わせると、その声は最初、うなされるような感じの怯え声で始まり、次第次第にその声が大きくなって行き、最後は本人も驚愕するほどの大音量で叫んで終わるというのだった。ときには、手や足をばたつかせるか、なにかを殴ったり蹴ったりする、素早くも激しい身体的動作を伴っていることもあるという。
いずれにせよ、深夜や明け方の就寝時に、そうした叫び声や怯え声をいきなり聞かされて起こされるほうは堪ったものではないだろう。最初のころは、それこそなにごとが起こったのかと心配して揺り起こしてくれたものだが、最近では、心配して――というよりは、煩がって――強制的に制止していると言ったほうがいい。
これには、本人にも確かに自覚があって、そのような振舞いをしていることは夢のなかの出来事とまったく同じなので、否定のしようがない。実際、なにかを叩いたか、ぶつけたかした青黒い痣が手足のどこかしらに残っており、僅かに身体を動かすことでその痛みが走り、夢のなかの事実に思い至ることがあるくらいだった。
妻に言わせると、現状への不満や将来に対する不安がそうさせているらしい。つまりは、その当時から、私は無意識の裡にそうした不安感情に苛まれ、今日に至っているということなのだろう。
誰かと離れる恐怖、見放され捨てられる恐怖、仲間外れにされ孤立する恐怖……。
私は幼い頃から、そうしたことに恐れを抱いてきた。あたかも金縛りに遭ったときのように、どれほど叫んでも自分の声が誰の耳にも届かぬ恐怖に怯えていた。
あの深い谷に注ぐ川の流れに溺れる私を、決して助けてくれぬであろう――父親の姿を私は心の奥底に掩蔽し、それには気づかぬふりをして生きてきたはずだ。恐怖の根底には、いつもそれがあった。
妻の分析もそれなりに当たってはいたのだろうけれど、あの深い谷に突き落とされる恐怖は、死への恐怖――というよりは、「肉親である父に見放された」という事実に対する孤立感であり、悔しさであった。どれだけお願いしても、親が親であってくれないことへの苛立ちと哀しみ、失望。それが私を苦しめていた……。
しかし、いつしかそれは記憶の彼方へ押しやられ、齢をふるに従って忘れ去られ、孤独を孤独として当たり前のかたちとして捉え、愛する者さえ信じられない孤立した自分を形成して行った……。
親ですら愛さない人間を誰がまともに愛してくれよう――。
おそらく私は、無意識の裡に自分をそんなふうに捉えていたのだと思う。だが、その実は、誰かに愛してほしかった。その反動が孤立無援の寂しさを生んだのかもしれない。独りなのが当たり前、誰も寄り付いてくれないのが当たり前。でも、誰かに愛されたい、友達になってもらいたい……。
そんな思いに駆られて何度、私は友達になってくれそうな同級生に近づいて行ったことか。しかし、言葉も通じない他府県からの転校生に友達はできなかった。K市の言葉は、幼い私にとってあまりにもT市のそれとは違っていた。
仲間に入れてもらうルールそのものがわからなかった。子どもたちが使う言葉の意味が掴めなかった。集団で遊ぶことを知らなかった私には、K市は謎の都市だった。愉快で楽しいワンダーランドでなく、孤絶が待ち受ける洞窟だった。
その意味で、K市は私にとってわくわくしない都市だった。ひとが多くて賑やかではあったが、寂しく見える土地であり、落ち着きのない街だった。小学校の校庭にしても、狭くて余所よそしく、街中の更地のような空間を想わせた。
見渡すかぎりの風景にもT市のような開放感はなかったし、温かみや奥深さを感じさせるものもなかった。実際、市の三方は山に囲まれて行き止まりとなり、物理的にも視覚的にも押し詰まっていたし、野を渡る風の自由さやあくまでも深い空の青みもあまり感じさせない閉塞空間だった。
K市にきてからの小学生時代は、だから、「寂しい」の一言に尽きた。仮に誰かと友達になっても、遊びに来てもらえるような家ではなかった。そうして半年も経たないうちに私は盲腸になった。最初の頃は、痛いとは言えなかった。それを言うと、親に心配をかけると思った。だから、ずっと黙っていた。
しかし、母は気づいた。どこかが悪いのではないか。様子がおかしい――と言うのだった。確かにそれ以上、耐えるのは限界にきていた。
医者は私を診察するや、お母さん、これは盲腸です。よくこんなになるまで放っておきましたね――と怒ったように言った。紹介状を書きますから、そこの病院に行ってください。すぐその場で、入院ということになりますので、着替えやタオルの類いは必ず持って行ってください……。
その翌日、私はK市の北にある市民病院に入院し、その日の昼に手術を受けた。私は恐怖でその手術の間中、泣いていた。痛くはなかったのかもしれないが、腹部にいろんなものが出し入れされる感触が怖くて、泣き続けずにはいられなかったのだ。
私の手足は四隅に括られていた。あまりにも動くからだろう。
確かに手術の間中、泣いてばかりいた記憶はある――。だが、その後の記憶は私の脳裏から、ぷっつりと消えていた。気がついたときには、私は病室のベッドの上に寝かされていたのだった。
季節はちょうど夏の終わり頃で、私には薄い掛け布団が掛けられてあった。腹の上に当たる部分には、なにか布団を持ち上げるようなものがあり、私の身体に直接、触れないような仕組みがなされているようだった。
このとき、私は生まれて初めて、母から葡萄というものを食べさせてもらったのを憶えている。粒が赤く小さかったので、いまにして思えば、デラウェアかなにかの品種だったとは思うが、その素朴な甘さに不思議な感覚を覚えた。この世の中に、こんな瑞々しく甘い食べ物が存在していていいのか――というほどの衝撃だった。
大仰に言っているのではない。本当にそう思ったのだ。
逆に言えば、おやつにしてもなんにしても、その手のものをそれまでの「人生」で口にしたことがないのだから、無理はなかった。それほどに我が家は貧乏していたということの証明でもあった。だが、よくよく考えれば、予後がよくなかったから、母親なりに気を遣ったのだろう。
このことは別のところでも触れたが、盲腸を手術した穴は化膿して塞がらず、私はその後、二か月間の入院を要した。
毎朝、その穴に詰めたガーゼを取替に来る看護婦さんに起こされ、その動作を眺めた。穴は、当時の私の親指がすっぽり入るほどの深さになっており、その暗い穴を斜め上から覗き見たものだった。腹に穴が空いていても生きられるのだな――と妙な感懐を覚えたが、なぜ穴が空いているのかの説明はなかった。
母は、私が退院してのち、あれは手術医が失敗したのだ――と言った。
面と向かって、そう言ったのかどうかは知らない。彼女が相当に腹を立てていたのは間違いない。しかし、手遅れ寸前まで行っていたのだとすれば、責められるべきは母のほうだったのかもしれない……。
そういえば、あの悪夢は、このときに受けた手術台の上でのことが原因になっているのかもしれない。どんなに泣いて訴えようとも、医者や看護婦さんたちは私の声が聴こえないかのように平然と手術を続けていたのだから……。
手足を縛られ、身動きのできない恐怖は、幼い頃にT市で味わった、あの布団蒸しの恐怖にも似ていた……。息も止まりそうな、あの恐怖に――。
三十五 バカ面を引っ提げたピエロ
マインド出版に異変が起こった。冬のボーナス支給日の前々日のことだった。
朝、私がいつも通り出社してみると、そこには社長しかいなかった。しかも、ひとり突っ立つ社長の顔は、いつもの気取った映画俳優のそれではなく、どす黒い怒りに満ちた、この世のものとは思えない形相(もっとも、それすらも芝居じみていたとはいえるのだが――)になっていた。
本来は、制作スタッフを含めて七人はいるはずのそのフロアには、私と社長、そして受付女性の高山さん以外には誰も出社していなかったのだ。
「糞ーっ。あいつらにはビタ一文、ボーナスは出さん」
「一体、なにがあったんです、社長」
私は、憤怒の形相で目の前にあるスタッフの机のものや椅子を眼につき次第、蹴ったり投げつけたりしている社長に向かって言った。
「どうしたも、こうしたもない。やつらは、わたしのことが信用できないのだ」
腹の虫が収まりきらないのか、社長は相変わらず、机の上のものを払い落としたり、蹴り上げたりして言った。「しかも、すべてが柴家の言いなりだ」
「柴家さん――というのは、あの編集長のことですよね」
「ああ。あれが仕組んだんだ。この猿芝居を見せて、わたしがビビるとでも思ったんだろう。これで、自分の力を見せつけたつもりなんだろうが、そうは行かん。ここでは誰が社長で、誰が権力者なのか――。それをまるで、わかっちゃいない。経営者はわたしなのだ。やつを馘にする権利は『わたしにある』――ということを今度こそ、きっちり教えてやらねばならん。やつは即刻、馘だ――」
「でも、そんなことをしたら、『旅で』は廃刊になってしまいます」
私は慌てて言った。マインド出版の月刊『旅に出よう』はその本の読者からの売上ではなく、広告収入で月刊誌の体裁が保てているのを知っていたからだった。
しかも、その広告の大半は、柴家編集長兼営業部長が獲得してきたクライアントなのだ。そのことを他のスタッフから聞かされていた私は、彼を解雇した場合の大変さを想った。彼なくて、マインド出版が立ち行かないのは眼に見えていた。
というのも、取材編集スタッフは、広告取りの若い営業マンばかりで成り立っており、書籍の編集ができる者などひとりもいなかったからだった。確かに、ここ数年の間に編集した印行入りの書籍もなくはなかったが、それも個人が自費で負担することを前提にマインド出版の冠を被せただけのものに過ぎなかった。
もし社長の言うように解雇を宣告されたりすれば、彼は即座に自ら手掛けたクライアントに連絡し、『旅で』に出稿しないよう手回しすることだろう。社長も直情的なら、部長も瞬発的な激情肌のひとだった。私は、その意趣返しの結果を懼れた。
結論から言うと、案の定、結果は私の恐れていたとおりになった。
――のではあるが、それを知ってもらうためには時間を少し遡らねばならない。
実を言うと、私自身も経緯や原因そのものは知らないのだが、どうやら水谷社長と柴家部長との間にはなんらかの確執があって、それがもとで私の入社以前から社内にはきな臭い匂いが漂っていたというのだった。
この一件が勃発する前、若い取材スタッフである小宮君(彼はマインド出版で唯一、私に親しく接してくれた青年だった――)から耳にした話がある。
彼によると、柴家部長は一時、別会社設立を画策し、スタッフの引き抜きを謀っていた形跡があるという。確かなことは言えないらしいが、『旅で』に似たコンセプトの旅行雑誌のダミー誌を何百部か印刷し、それをK市とその周辺にある府県の広告代理店に出向いて広告主集めを依頼していた可能性があるというのだった。
その小ぎれいなデザインのダミー誌を見せてもらったが、確かに『旅で』と同じコンセプトのプチ旅行誌だった。ただ違うのは、『旅で』がオーナードライバー向けとしているのに対し、その本のターゲットは二十から三十歳までの若い女性向けになっている。そこが、違いと言えば違いといえる雑誌だった――。
もしその計画が着実に進んでいれば、あるいは柴家現部長が指揮する新会社の設立と引き抜き作戦は成功裡に推移していたかもしれない。だが、その計画は失敗に終わった。というのも、どの広告代理店も色よい返事をしてくれなかったからだ。
だが、敗因はそれだけではなかった。現クライアントに新雑誌への移行を働きかけるには、知名度と実績が圧倒的に足りなかった。おそらく『旅で』のほうに軍配が上がるだろう――というのが大方の予想だった。で、新会社設立のクーデター案は止むかたなく断念された――というのが真相だっただろう。
小さな代理店ならいざ知らず、大手の代理店なら、そのスケールメリットの小ささに洟もかけてくれなかったはずだ。SK広告にいたとき、似たような経験を味わったことがある私には、その苦戦のさまが手に取るようにしてわかった。
小宮君も誘われたらしいが、どうもその話が胡散臭く思われ、「負ける戦はしないほうがいい」ということで断ったところ、話はそれっきりになったという。
ところが、今朝の社長の怒りようからすると、その「確執」に近いものが画然としたかたちで再燃したと解釈していいだろうか。全員が一斉に出社していないところを見ると、示し合わせてエスケープした――としか思えない。
もっとも、受付担当の高山さんを除いての話だが……。
いずれにしても、そんな偶然が、こんな簡単に生じることはないだろう。
取材スタッフが柴家部長を焚きつけて、その気にならせたのか、それとも柴家部長がみんなを唆して、今朝のようなボイコットを行わせたのか、その辺りの判断が私にはつきかねた。あるいは、そのほかにも原因があったのかもしれない……。
とまれ、その事件から三日めの朝、私は社長室に呼ばれ、社長直々にボーナスを「支給」された。そして驚いたことに、編集長兼営業部長に任ぜられた。つまり、柴家部長の代わりを務めろということだ。しかもその日、全員が出社しているのだった。
彼は高山さんに命じて、スタッフ全員を社長室に集めさせて告げた。
「お早う、みんな――」
そこにいる全員が、お早うございます――と唱和した。「昨日、打ち合わせしたとおり、今日からは、この三崎君が編集長だ。いいね」
「はい」
全員が返事をした。
「溝内君、きみが編集長の補佐をしてやってくれ」
「はい。畏まりました」
溝内君が首肯して頭を下げた。
「さて、そこで、三崎君――」
「はい――」
「わからないことがあったら、彼に訊いてみてくれ。彼は、このスタッフのなかでは最古参だ。そして、みんなのリーダー格でもある」
「わかりました。ありがとうございます」
私は社長に一礼したあと、溝内君に言った。「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
溝内君が応じた。「わからないことがあれば、なんでも訊いてください」
「ありがとう」
「じゃ、あとは、みんなで仲良くやってくれ」
そう言ったあと、なにかを憶い出したかのように社長が続けた。
「ああ、それとこれは少ないが、餅代だと思って受け取ってくれ。いつも言っているように、ここはみんなの『夢を叶える舞台』だ。力を合わせれば、必ずその夢は達成できる。それまでは、なんとしてでも歯を食いしばって頑張ってほしい。そしてこの会社を盛り立てて、全員がボーナスを満額、受け取れる人材になってほしい。いま、わが社は正念場に立っている。勝負はこれからだ。三崎君、きみからこれをみんなに渡してやってくれ」
私は社長から受け取った金封を、目の前のひとりずつに手渡して行った。
無記名のものだったから、おそらく中身は一律同じ額のものだったろう。全員が恭しく私の手からそれを押し頂くようにして受け取り、頭を下げた。これは私を編集長として位置づけるための社長なりのパフォーマンスだと思った。
有能感ばかりがあって、自分を客観視できない人間がいるが、そういう人間に限って相手を見下し、その才能を過小評価する傾向がある。
なにを隠そう、この私がそのひとりなのだが、こんなときにあってもまだ、自分は役に立つ人間だと思われている――と考えていたのだ。まさにおめでたい限りのおっちょこちょいなのだが、根がおっちょこちょいにできているだけに、その間抜けさ加減は救い難く、かつ拭い難いものだった。
ひとより秀でざること人後に落ちず、ひとに誇れるものがなにひとつない人間になにかを恃まれるはずがない――と当然の思いを致すべきだったのに……。
いまにして思えば、私という人間は、水谷社長にとって単に、その場つなぎのための都合のいい編集長に過ぎなかったのだ。あとで気がつくなんとやら――。相も変わらず私は飽きもせず、ひとに操られ侮られ、いいようにカモにされているのに気づかない能天気な男のままだった。
ひとがいいのではない。バカなのだ――。
そのバカ面を引っ提げた、ちょっと頭の緩いピエロがまたぞろ奈落の底に向かって沈んでいくことになる。あの斑猫がここにいたなら、私を鼻でせせら嗤い、ふん、バカめ。いつまで経ったら成長するんだ――とばかり、尻尾を高く掲げて路地裏に帰って行ったことだろう。
三十六 泣く子と空きっ腹
結果は、私の恐れていたとおりになった。
私が編集長兼営業部長に任命され、一等最初にしなければならなくなった業務は、クライアントからの広告掲載料を早急に「集金してくる」ことだった。編集長担当の取材先は中国と四国、そして東海にあった。つまり、マインド出版のあるK市からほど遠いところが、編集長担当ということになっているのだった。
広告掲載料は普通、クライアントの指定口座から引き落とされる。だから、営業部長だからといって、それを取り立てに行く必要はない。だが、柴家部長が更迭されたその翌月号分から、入金がぴたりと止まってしまったのだ。
つまりは、私の心配していたとおりの結果になったのだった。
それだけならまだしも、それまで滞りながらでも渋々支払っていた先が代金を振り込まなくなってしまったのだ。督促の電話をすると、それまでの分は、柴家部長にまとめて支払ったから、その必要はない――というのだった。
溜めていた側にしてみれば、これ幸いということにしたのだろう。柴家部長の進言を受け、支払いをストップしたのは明らかだ。
まさに営業妨害行為――。柴家元編集長は馘にされた腹いせに、自分の息のかかった先に要らぬ知恵を授けてほくそ笑んでいる図が浮かんだ。私には、その得意顔がありありと見えた。あたかも、あの斑猫がするような憎々し気な表情だ。
こんな言い方をすると、私が同じ精神の持主かと誤解されるかもしれない。
だが、敢えて言おう――。柴家編集長はおよそ、その名に相応しくない容貌の持主で、取材スタッフのみんなには「変酋長」と揶揄されていた人物だった。
体型も、いまでいう超メタボで、おそらくその腹囲は自身の身長を優に越えていたろう。髪型もいわゆる五分刈りで、浅黒く膨らんだその顔の真ん中にある、ずっしりと腰を落ち着けた団子っ鼻は、ほぼ完全に上を向いていたし、声もまたドスの利いた濁り声で、黙っていれば、どこかの組の若い衆と見紛うほどの人相をしていたのだ。
そんな人物が払わなくていい――といえば、誰だってその言葉を有難く押し頂くに決まっている。名古屋郊外にある広告主の知多ドライブインシアターも、そのひとつだった。いまの時代、「ドライブインシアター」と聴いても、なに、それ――だろうが、三十年以上も昔は、この手の映画館が流行ったのだ。屋外で、しかも辺りが暗くなってから車のなかで鑑賞する映画は、夜のムードをさらに盛り上げ、恋人たちには打ってつけのデートスポットとなっていたのだ。
もちろん、映画はそっちのけで、ふたりだけのプライベート空間を愉しむ恋人たちも少なくはなかったろう。アメリカでは1930年代から人気が出始めた業態だったが、日本でのこの業態は、1980年代に始まり1990年にピークを迎えた。この当時、二十施設ほどあったはずだ。だから、まだ上り坂の途中ではあったのだが、なぜかこの知多ドライブインシアターだけは客の入りがよくないようだった。
もともとにこの業態は、屋外で展開するビジネスだけに天候に左右される、物理的にも広い空間が必要となる、営業時間は夜に限られる――ということで、あまり率のよくないビジネスだった。
エンターテインメントを旨とするサ社グループトップも一時はその気になり、企画開発部の私たちに調べさせたことがあるが、土地買収費の割りに見返りが少なく、監視員や映写技師の雇用など人件費が高くつくことと、レンタルビデオやカラーテレビの登場、アイドリング問題などで断念したくらいだったのだ。
ご多分に漏れず、このクライアントのところも客足が伸びず、資金繰りに苦戦しているらしいことが見て取れた。それが掲載料の滞りに如実に反映されているといっていいだろう。電話でのやり取りでは埒が明かず、私は直接に出向くことにした。
取材スタッフたちは、軽の社用車をそれぞれに貸し与えられていたが、私の場合は、自家用車を用いることとされていた。ただし、ガソリン代やオイル交換費用などは会社持ちだ。多分、交通費ということで経費扱いができたからだろう。
そのドライブインシアターは、名古屋から南へおよそ五十キロほど離れたところにあった。この年はなぜか温暖な年で、二月を迎えてもさほど寒さを感じなかった。それだけに車を運転していても快適で、K市からの道中は決して短い距離ではなかったが苦になるほどではなかった。
高速を使って二時間四十分、一般道を走って一時間半ほどが経った頃、行く手右側に大きなスクリーンが空を覆っているのが見えた。近づくにつれて、それは巨大さを増し、空を白く四角いかたちに刳り抜いたように見えた。伊勢湾を背に打ちっ放しのガレージがあり、それが知多ドライブインシアターだった。
車を降りて真下に立ってみると、青空にそびえるその迫力は満点だった。
スクリーンの上下左右は、それぞれ十メートル×二十メートル。スクリーン下端から地上までは三メートル近くはありそうだ。だとすれば、スクリーン最上端までの距離は地上十三メートルほどということになる。
ビルにすれば、五~六階建てに相当するだろう。これを夜間に下から眺めるとなると、さぞかし圧倒されることだろう――私は思った。
広いガレージには、事務所らしいプレハブの建物の横にひっそりと停められた古びたブルーバードを除いては、ただの一台も駐車されていなかった。さすがに日が高いうちは客もやってこないのだろう。
時計に眼をやると、時刻は一時半ばを過ぎていた。
考えてみると、K市を出発してから一度も休憩していない。途中、二度ほどSAに入る機会があったのだが、なぜかそのまま素通りしてしまった。ただ一度だけ、高速を出る前にトイレに立ち寄ったことはあったのだが。それだけ、道中が快適だったということなのだろう。
私は食事を済ませてから行くか、それともこの足で行くべきかを迷った。
というのも、交渉ごとは相手が食事を済ませてからのほうがいい――と耳にした記憶があったからだ。時間帯からすれば、相手は食事を済ませてしまったあとか、やや遅めの昼食を終えつつある時刻のはずだ。
私は、その足で向かい側にある事務所に向かうことにした。仮に後者だったとしても、食べ物が胃の腑に収まったあとである以上、眼の皮がたるんだ分、警戒心は薄れているに違いない――と踏んだからだ。
あまり間が空いたのでは、却って警戒心を呼び起こすことになる。
食後の満足感に浸りながら、熱い茶を啜っているくらいが、ちょうどいい頃合いなのだ。二月の初めとはいえ、空は澄み渡り、仰ぎ見る太陽は中天を過ぎ、穏やかな陽射しを私に向けて輝いていた。そこから視線を下ろすと、眼の前は海だった。
なぜかS県で見た湖の光景が脳裏に浮かんだ。そのついでにレイクサイドホテルの建物が眼に浮かび、浜田支配人の顔が浮かんだ。ああ、私はあのときを境に人生を狂わせ始めたのだ。それまでは曲がりなりにも順調に行っていた。
少なくとも、これほどまでに不如意ではなかった。あの頃はまだ、小さいながらも自由と呼べる空間があった。不便でありはしても、自由にできる時間があった。金はないにしても、それなりな幸福感はあった。
しかし、それから先は、真綿で絞められるように、徐々に徐々に這い上がれないほど深い穴の底へと引きずり込まれていく感覚が私を苛み続けているのだ。私は、青い空の明るさとは裏腹な気分に身を塞がれたまま、プレハブ小屋のような事務所の前に辿り着き、腰から上の部分がガラス窓になった戸を叩いた。
なかから、年老いた男性の「どうぞ」という声が聞こえ、引き戸を開けた。
その途端、なにかを焼き上げたような芳ばしい香りが漂い出てきて、思わず鼻腔を拡げてしまった自分がいた。
「どちらさん――」
どうやら食べ物を口にしていたらしい老人が、応接用のソファに腰を下ろしたままの姿勢で、私を上目遣いにして訊いた。
香りからして、その食べ物は鰻の蒲焼のようだった。
「ああ、すみません、お食事中……。わたし、マインド出版の三崎と言います」
「ああ、マインドさんかな」
老人は箸を持ったままの手で、自分の向かいに座るように促したあと、蒲焼の入った笹舟をテーブルの上に置いて続けた。「これは、遠かとこへようこそ」
「いいえ――」
私は、ところどころ綻びているソファに浅く腰を下ろして言った。「失礼します」
「いま、こいつば片付けていたとこでしてな」
老人はなにを思い出したのか、いかにも楽しそうな表情をして言った。「この辺の爺さん連中もそうじゃろうばってんが、儂もこいつがでゃー好きでの。三日に一遍は食わんと辛抱できんとじゃ」
「蒲焼を、ですか――」
「ああ。ここん連中は、三日にあげず食うちょるよ」
「そうですか。よほど鰻がお好きなんですね」
「ああ、な。もっとも儂ぁ、ここの者じゃなかけんがな。ここに居ついてから、いつん間にか好きになってしもうたんじゃ」
老人は、ふと思いついたように傍らにあった急須にポットから熱い湯を注ぎ、盆の上に置いてあったもうひとつの湯呑に茶を淹れて私の前に置いた。「で、今日はなんでまたこげん遠かとこまでおいでんしゃったと――」
「実は、御社の『旅に出よう』の広告掲載料が滞っておりまして、それでお伺いさせていただいたというわけで……」
「会計のことは、儂ぁタッチしとらんで、なぁんも判らんのだがな」
「そうですか。で、その会計を担当されている方というのは……」
「ああ。いま、買い物に出とるけんど、もうすぐ帰ってきよるやろ」
「では、申し訳ありませんが、ここで待たせていただきます」
変わった言葉遣いをする老人だった。方言に疎い私には、K市とT市以外の言葉は見当がつかなかった。いずれにせよ、人柄としては悪いほうではないと思えた。
ただし、断っておくが、ここに用いた音表記はすべて、私が当時を憶い出して適当に翻案して書いたものなので、正しい方言なのかどうかはご容赦願いたい――。
「ところで、ご主人――」
「はい――」
「それは、この近所でも売っているのですか」
「ああ、これかな。これなら、このネット裏を少し行った先に売っとる。生きとるのを捌いてくれよるけん、旨かよ」
「そうですか。じゃ、わたしもお待ちする間に、それを頂戴することにしますよ。ここにくるまで食事をしていないんです」
「ああ、そうするがよか。腹が減っては、戦はできんばい」
「ありがとうございます」
老人の言うとおり、腹が減っては戦はできない。
機先を制するどころか、こちらのほうが空きっ腹に付け込まれて、下手に妥協しないとも限らない。泣く子と空きっ腹には勝てはしない。イライラを募らせての闘いは眼に見えている。私は急いで、その「ネット裏を少し行った先」に向かった。
三十七 捨てる神に拾う神のあり
「どうね。旨かろうが」
買ってきた蒲焼に早速パクつき、舌鼓を打つ私に老人が自慢げに言った。「関東のほうじゃ蒸しやろうけんが、こっちば焼きたい。こいがいっちゃん旨かよ」
「ええ。ほんとに美味しいです」
私は頬をほころばせなら応じた。確かに涎が唇の端から溢れてくるほど美味しかった。K市では、このような蒲焼は味わったことがない。というより、そもそも鰻の蒲焼なるものを食したことがないのだ。「皮がパリパリ、なかはぷっくりしていて、とてもジューシィです。とくに、この濃厚なタレの味加減がなんとも言えません」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
老人は、ほくほく顔で応えた。「土用の丑とかは言うばってんが、いっちゃん旨かとはこん時期の鰻じゃ。寒かけん、脂がよう乗って美味しかろうもう」
「美味しいです。ほんとに美味しいです。実を言うとわたし、鰻の蒲焼というものをこれまで食べたことがないんです」
「ありゃー、そげんこつ初めて耳んしたと」
老人は心から吃驚したような顔をして言った。「ほんなこつ、誰ん聞いても信じられんとばいね」
「いや、T県の田舎にいたことがありまして、幼い頃のことですが、鯰の蒲焼は親父が焼いてくれたことがあったんで、それは食べた記憶があります」
「そうとね。そんほうが珍しかんじゃなかかなぁ」
老人は首を傾げながら続けた。「同じ蒲焼でも、Tでは鯰んほうが有名なんやろうか――」
「さあ、どうなんでしょう。それはわかりません。蒲焼といえば、それくらいでしか食べたことがなかったものですから……」
私は蒲焼を完食し、すでに醒めてしまった茶を啜り終えて礼を述べた。「いやぁ、いずれにせよ、鰻がこんなに旨いものだとは知りませんでした。お陰さまで、舌の贅沢をさせてもらいました。ありがとうございます」
「いやいや。大したこたしとらんけん、礼にゃ及ばんたい」
老人は、ひとのよさそうな笑みを眼の隅に湛えながら手を振って言った。「それにしてん、遅かね。もう帰って来んばならん時間なんやがなぁ」
「なにかあったんでしょうか――」
「さぁ、どうなんやろうね」
老人は暢気な口調で言った。「ま、おっつけ、帰ってくるはずやけん、落ち着いて待っとりゃかんまんばい」
「ええ、そうですね」
曖昧に応じたものの、黙ったまま、じっと待っているのも落ち着かないので、なにか喋らなければ――と思った。「ところで、お言葉をお伺いしていると、どうも九州訛りのように思うのですが……」
「ああ、そん昔は長崎にいて、そんつぎは広島にもいたし、岡山にもいたっさ。いまは、ごらんのとおり、知多さ世話になっとる」
「こちらは、お長いんですか」
「まあ、いまの母ちゃんと一緒んなってから、二十年になっかな」
「そうなんですか」
と、そこへ、ただいま――と声があって、ガラス戸が開き、歳の頃は五~六十、中年といえばいいのか、少し若作りしたご婦人が手に荷物を下げて入ってきた。
「あら、お客さんなの――」
私の顔を見て言うので、はい、マインド出版の三崎と言います――とよろけるように立ち上がり、深く腰を曲げて挨拶した。
「仕方なかけん、待ってもろうとったばい」
「そうなの――。まあ、また食べていたのね」
ご婦人が鼻の穴を蠢かして言った。「ほんと、あなたって好きだわね」
「なぁん、こんひとも好いとー言いよーばい」
老人は、私を指さして言った。
「あ、はい。私も釣られて、賞味させていただきました。大変、美味しかったです」
「無理やり押し付けたんじゃありません」
「いえいえ、あまりにもいい香りだったので、場所を教えてもらって早速買いに行ってきました。さすが本場物だけあって、蕩けるように美味しかったですね」
「それはよかった。このひとったら、美濃の人間でもないのにさ。長焼きが大好きなの。それこそ、三度の飯より好きなんじゃないかしら」
ご婦人は、ふと気が付いたように訊ねた。「そういえば、マインドさんと言ったわね。ということは、あなた、記者さんなの――」
「ええ。今度、編集長をさせてもらうことになった三崎と言います」
「あ、そうなの。それは、おめでとうございます――って言わなければならないのかしら。で、今日は――」
「ああ、今日はですね――。そのう、御社の広告掲載料のことなんですが……」
「ええ。それが――」
「はい、それが、ちょっと溜まっておりまして……」
「溜まっておりまして――って、それはそうかもしれないけど、前の担当の、ええと編集長の柴家さんだっけ。そのひとにもう処理は済ませたから――って言われたんだけどね」
「それというのは……」
私は、おずおずと訊ねた。そうら、きた。ここからが正念場だ。「柴家に手ずからお支払いになった――ということなのでしょうか」
もしそうならば、この事務所にその領収証が残っているはずだ。
「手ずからっていうか、電話がかかってきてね。自分は、マインド出版を辞めることになった。ついては、これまでの掲載料は長年、お宅にお世話になった柴家個人の感謝の印としてサービスしておく――というのよ」
「サービス――ですか」
「そう。だから、支払わなくていいよ――って。マインド出版の経理からなにか言ってきたら、柴家がそう言っていたと言えばわかるって……」
「そうなんですか」
「つまり、なに。あのひと、なにかやらかした――ってことなの」
「まあ、お恥ずかしい話、色々ありましてね」
考えていたとおりではなかった。ひょっとしたら、彼が直接、現金を受け取っている可能性もあると睨んでいたからだ。
新聞の集金人や定期的刊行物の勧誘員などがよく使う手だが、この期間中、一括でお支払いいただくと、○ヶ月分を無料にさせていただきます――と言って、受け取った金額をそのまま持ち逃げしてしまうパターンだ。
新聞配達や書店員をしていた時代に、店主や同僚などからよく聞かされた話ではあるが、その手を使って逃げてしまった住み込み店員が実際にいたのだ。
いくら彼でも、退職金代わりに着服するほどの悪党でもなかったということか――私は思った。つまりは、悔し紛れの単なる意趣返しだった――ということになる。それなら、まだ解決のしようもある。
領収証がない以上、この店には支払う義務がある――。
私は、ふたりを前に勇を鼓して口を開いた。
「誠に申し訳ありません――。これは、私どもの管理不行き届きということで、ご勘弁いただきたいのですが、御社の広告掲載料は、残念なことに弊社には一切、入金されておりません。したがって、柴家がその掲載料を立て替えたわけでもなければ、弊社がその権利を放棄したわけでもないのです」
私は古びたテーブルに両手をついて、ふたりを見上げながら続けた。「そこのところをぜひ、おわかりいただきたいのですが、弊社では、彼のそのような行為と言いますか、感謝の印というようなことでのサービスを了承したのではないのです」
「そげんことば、いまさら言われてんなぁ。うちゃそげな気持ちでいたけん、どうしようもなおらんっさ。却って感謝しとーくらいんもんなんやっと」
「あなたは黙って――。このひとの話も聞いてあげて」
ご婦人は老人の言葉を制し、私を見て言った。「続けて――」
「ああ、ありがとうございます」
その言葉に私も姿勢を改め、背筋を正して続けた。「実は、こんなことを言うのは、誠にお恥ずかしいかぎりなんですが、弊社はわたしの入社以前から、社長派と部長派とに別れて対立していたらしいのです」
「ええ、そのようですわね。なんとなく柴家さんの態度で、それらしい感じが見て取れましたもの。社長さんに対する愚痴も何度か、聞かされたこともありますしね」
「そうでしたか……」
「ええ。それで――」
「はい、それで――。社長によると、柴家さんは独立を企てていて、最終的には新会社の設立を前提にマインド出版社員の引き抜きを謀っていたようなんです」
「時代劇で言えば、一種のお家騒動のようなものね」
「ま、そうなんですが――。その動きに社長がなんとなく気づいたのが、昨年の九月の終わり頃のことだそうで、社長は急遽それに対抗すべく、職安や求人誌に人材募集をかけていたわけなんですが、その後釜に――ということで採用されたのが、どうやらわたしだったようなんです」
「で、早い話。あなたが、この冬のさなか、柴家さんの後始末をさせられている――というわけなのね」
「あ、まぁ、はい……」
「可哀想に――。まるで、集金のために雇われたようなものね」
「いや、そんなことは――」
とは言ったものの、内心では、例の斑猫が、ふん、そんなもの、当てになんかなるもんか――と言っているようだった。実質こうやって、知多くんだりまでおんぼろシビックに鞭打って、集金にきてるじゃないか――と。
「わかったわ――。こうやってみていると、あなたはまんざら悪い人でもなさそうだし、払ってあげるわよ。実を言うと、わたし、あの柴家さんというひと、あまり好きじゃなかったのよ」
「え、ほんとですか。ありがとうございます」
「ただし、三ヵ月分だけよ。ご存知のようにこんな商売だから、冬場のうちはうちも苦しいのよ。だから、いま全額というのは無理。あとは、三ヵ月遅れだけど、必ず毎月払わせてもらうわ。そして、夏場の入り次第で余裕ができたら、まとめて払わせてもらう……。と、そういうことで、いいかしら――」
「ありがとうございます。ここまでやってきた甲斐がありました」
「あなたも若いのに大変ね」
「いえ、そんなことは……」
「ま、捨てる神に拾う神のあり――ってことばい。ほんなこつよかったな。こいで会社には大手ば振って帰るるやろ」
三十八 世界の重みと自分の存在の軽さ
広島でも愛媛でも、そして山口でも似たようなことが続いた。
案に相違して、彼らは押し並べて私に対して好意的だった。誰もが、あの柴家編集長に対しては反感もしくは生理的な嫌悪感を持っているようだった。それが幸いしたのだろう。なかには知多の老夫婦のように、私に同情してくれるひとさえいた。
そんなふうにして、あらかた滞り先の目途がついて気も軽くなった頃、たまたま応接室にあった、自分の購読紙でない新聞を眼で追っていて、ぎょっとした。というのも、そこには男三人の顔写真があり、そのすべてに見覚えがあったからだ。
その写真の下には順に、山本紘一(58)、城村守 (47)、神崎仙太郎(63)とあり、本文の各人の姓にはルビが振ってあった。城村や神崎、とくに山本など字面で見るかぎり、珍しくもなんともない、ありふれた苗字のように見える。
だが、それが「ジョウムラ」や「コウザキ」ともなれば、耳が聞き逃さない。眼は騙され得ても、その音だけは記憶に残っているのだ。
そう。新聞の男たちは、あのワーナー商会の三人だった。
その見出しには「物流業者装う、取り込み詐欺グループ三人逮捕 被害二億三千万円か 警視庁」とあった。やはり、あの男たちは詐欺を働いていたのだ。まさにあの、和倉さんが解説してくれたとおりのことを、彼らはやっていた……。
本文の記事を読むまでもなかった。詐欺の手口というのはいずれも同じで、大抵の場合は、「無職」の男たちがこぞって悪知恵を働かせた結果にすぎない。
それにしても、三人が三人とも偽名でなかったとは――。
もしこれが、文字だけで構成された記事だったとしたら、私も気づかなかったかもしれない。彼らとしては、法人としての信憑性を持たせるためにも、登記簿謄本上では致し方なく本籍名を使わざるを得なかったのだろう。
経理の誰かから聞かされた話では、顧問の司法書士のところに行かせ、三人の運転免許証をもとに本人確認のうえ、融資が「決行」されたはずだった。そうでなければ、印鑑証明や住民票だけで、簡単に偽の本人になりすますことができる。
まさに写真と見出しがなければ、詐欺に遭った本人すら読み飛ばしていた記事だった。それほどに小さなあしらいの記事だった。だが、もう遅い――。いまさら逮捕の事実を知ったところで、あとの祭りなのだ。盗られたものは返ってこない。
念のため、サ社はどうなっているだろう――と付近の関連記事を「捜索」してみたが、それらしい社名や事象は見当たらなかった。まだ倒産してはいないのだろう。それとも、私の知らない間にすでに姿を消してしまっているのか……。
サ社の消息といえば、その後の和倉さんはどうなっている――と気になった。
しかし、敢えて考えないようにした。仮に考えたところで、どうなるわけのものでもない。相変わらず小ぶりのふくよかな体型をきびきびと動かして、社内を縦横に動き回っているかもしれないし、そうでないのかもしれない。
確かに、いいひと――だった。
顔を見るだけで、癒される気がしたひとだった。
だが、いずれにせよ、もう終わったことなのだ。私がどうあがき、いかにほざきまくったところで、あの会社がよくなるわけでもない。所詮ふたりは、互いの人生の末端で、ほんの一瞬、擦れ違っただけの間柄なのだ。あのペテン師たちと同様、えいっとばかり過去の一瞬へと葬り去らねばならないひとり――なのかもしれない。
悲しいことだが、私は新聞をラックに戻すと同時に、彼女をそのうちのひとりとして「過去ノート」のなかに、そっと押しやった。しめやかに、そして厳かに……。
私のいまなすべきは、過去の思いに身を沈め、それらに付随したことどもにかかずらうことにあるのではなく、これからの行先を確定することだった。私に道先案内をしてくれる者は誰ひとりとしておらず、己が規定する以外に方途はなかった。
だが、現実は、いつもどこかが少しずつズレて行き、どうしても思い描いたとおりに行くことはなかった。それどころか、必ずどこか見も知らない、予想もつかないところに連れていかれ、運ばれてしまうのが常だった。
世界の重みと、自分の存在の軽さを思わざるを得なかった。
いつだって自分は、軽すぎるのだ。軽くて、弱くて、薄すぎるのだ。だから、いつもどこかに飛ばされ、打ち付けられ、ないがしろにされ、打ち捨てられる。そんな思いが、いつも私に付きまとっていた。
ここにきて、まだ私は漂っていた……。一体、どうすれば前に進むことができるのだろう。少年の頃、読み終えられなかった小説のなかに、城(それとも「役所」だったのだろうか――)に辿り着こうとして、一向に辿り着けない男の話があった。
そのときの印象では、男の性格は極めて粗暴で、なぜか女を殴ってばかりいた記憶がある。別の小説と混同しているのかもしれないが、なんでこの男は女をこれほどまでに痛めつけるのだろう――と、その理不尽さに歯噛みしたことがある。
それとまったく同じで、私はどこかに辿り着こうとして、辿り着けないヒロインを演じさせられているのではないか。なにもしていないのに理不尽な難癖をつけられ、謂れのない暴力を受けているのではないか――そんなふうに思うことがあった。
世界は重く、ずっしりと構えているが、そのなかにある私はあまりにも貧弱で、少しでも風が吹くと易々と飛ばされ、自分の行先を見失ってしまうのだ。
それは「見失わされてしまう」――と言い換えてもいい。自ら望んだのでもない理不尽な風に吹き飛ばされ、行先が変わる。その行先にしても、自らが望んだ行先ではない。つまりは、風の思いのままに弄ばれているだけなのだ。
そこに人生の意味を見出せ――というのだろうか。
それとも、そこにこそ人生の意義がある――というのだろうか。
二百年前に日本に辿り着いた宣教師なら、こんな私を見て、どう答えただろう。
風に吹かれるまま生きて行く、根無し草の人生……。多分、そうなのだろう。私は、私が十七のときに、ある小説家の描いた「キチジロー」に成り下がっていた。
そういえば、妻はあるとき、「あなたはいつも『多分』なのね。ほかにボキャブラリーはないの――」と口走ったことがある。
そのココロは「明哲かつ明晰な哲学徒であるべき」あなたがなんで、そんなショボイ言語でしかモノが考えられないの――の謂いだ。あのとき、彼女は私にもっと積極的にものごとを捉えてほしかった。確かに私は、彼女の信じる「哲学徒」らしいポジティブで、前向きなボキャブラリーは持ち合わせていない。
――というより、ペシミスティックな単語しか思いつかないのだ。
自分ではペシミストであるとは思わないのだが、どうしてか悲観的な単語ばかりが口の端に上ってしまうのだ。その点は「病気」なのかもしれない。おそらく脳の機能のどれかもしくは、そのある一定部分のシナプスがイカレているのだろう。
だからこそ、世のなかが肯定的に捉えられないのだ。
いつもどこかが歪んでいる。眼にするものが二重に見える。そしていつも、ふたつめの「望まないほうの現実」のとおりになる。なにも思い浮かばない。
考えようとしても、考えられない。考えるべきことが思い浮かばないのだ。
そこに進むのを避けようとしても、避けられない。避け方が思いつかないのだ。
真っ白な、なにもない空間に、ただ息をひそめて蹲っているしかない自分がもどかしいほどだ。責められれば責められるほど、詰られれば詰られるほど、その内実に向かっていくことができない。足がすくんで一歩を踏み出せないのだ。
ちょうど車を運転していて、相手の車に正面衝突することを知ったとき、恐怖で足がすくんでしまい、ブレーキーペダルが踏めないときのように……。
どうしてだろう。どうしてハンドルを自分の思いどおりに切ることができないのだろう。不思議な感覚だった。意識はあっても、行動に移すことができない。まるで夢遊病者のように身体が勝手に「動作」してしまう。それも、自分の思いとは異なる方向と法則に従って動作するのだ。
ただ幸いなことに、小さなことでは大事に至らず、こっぴどいことにはならずに済んでいることだ。喜ぶべきは、その小さな幸運が私を救ってくれたことを感謝すべきなのだろう。たとえば、あの詐欺グループの犯罪に手を貸すことをぎりぎりの線で免れたように。あるいは、不本意な集金業務を親切なクライアントたちの同情心に救われたように。小さなところでの幸運は、辛うじて私が私であることを支えていた。
風の向きと風力によって、思わぬところに行き着いたとしても、苦労知らずの貧乏人であることに変わりはなかった。本来ならホームレスとなり、天涯孤独の身となる寸前で留まっているのも、なにかの命運が作用しているのかもしれなかった。
卑怯なキチジローの身の上であったかもしれないが、その卑怯さゆえに生命が永らえられているとすれば、まだ感謝の余地があったのかもしれない……。
大見得を切らず、大言壮語をしない分だけ、こっぴどい不幸のどん底に落とされずに済んでいるのかもしれなかった。世に分を知らず、大風呂敷を広げ、最期は惨めな境涯を閉じる輩も存在する――。
あるいは、あの三人組もその類いの人間だったのだろう。
そう考えれば、私は恵まれているほうなのかもしれなかった。庶民には庶民の、大物には大物の運命が待ち受けているとすれば、私には小物として、もっとも適切であるべき小さな幸運の女神が手助けしてくれているのかもしれなかった。
苦労知らずの貧乏人であることの業は、私の生まれついての宿命であって、なにも考えないこと、なにも足掻かないこと、風に吹かれるままにしていることの罪が、結局のところ、私を小物のままに生き永らえさせている元凶なのかもしれない。
大きく舵を切ることのない人生、なにも昔と変わらぬ人生、それが私を生かしめている最終の到達地点だとするなら、私は甘んじてそれを受け容れよう。
目標、ゴール、最終地点、そして計画性――。世間でいう、それらが家を建てたり、美味しいビフテキを毎日食べたり、美女や美男を横に侍らせて人生を謳歌したり、株で大儲けしたり、高級外車を何台もガレージに並べたり――というそれを指すのなら、私は負け惜しみを厭わず、そんなものは要らないと言おう。
貧乏人のお坊ちゃまである私には所詮、そんなものは似合わないのだ。似合わないどころか、不必要ですらある。強がりではなくて、本当に要らないのだ。逆にいえば、私の人生は思いどおりにならない人生に「生まれついている」といっていい。
この世に生まれ落ちたときから、私の人生は決まっている。決して成功せず、なにをやっても上手くいかず、思うようにならない人生だと――。
世界の重みと自分の存在の軽さが、そうした人生を宿命づけている。
誰にしも人生はあるが、ひとつとして同じものはない。そしてそれは、生まれ落ちたときから、宿命づけられているのだ。怠け者には怠け者の、自堕落な者には自堕落な者の、尊い者には尊い者の運命が待ち受けているのだ。
各地からの集金業務が一段落したあと、私は社長から別の業務を命ぜられた。
またぞろ取材スタッフの動きが不穏で、いざというときのための「伏兵」を用意しておく――というのだった。言葉の用い方として不適切だとは思ったが、そんなことを社長に言い出せるわけもない。
私は、例によって例のごとく、その命に従うことにしたのだった。
三十九 要注意人物
造作もないことだった……。
私にとってのことではない。水谷社長にとってのことだ。
彼にとって、私の思惑など、どうでもよかった。基本は、私が自社存続機能の一部として、そつなく動いてくれれば、それでよかったからだ。
だが、まあ、その種のことは、あとからでも述懐することができる。
まずは、順を追って話すことにしよう。
水谷社長の考えは、こうだ――。
まずは、主要クライアントを確実に自社側につけること。これが、一等最初に手掛けなければならないことだった。少なくとも前編集長側だった東海や中国・四国については私が掌握したので、その心配はなかった。だが、そのいっぽうで、K市近郊にある府県のクライアントについては、表向き新編集長である三崎派になったように見せている取材スタッフが今後、どう動くかで、ひっくり返る恐れがあった。
しかも、その数は編集長担当クライアント数の四倍近くに上ったのだ。
そのために彼が編み出した方策が、取材スタッフの代理店制度だった。つまり、取材と集金を専門に請け負う業者と業務提携したかたちにしたのだ。
名目でこそ、新規クライアント獲得および競合による売上拡大のため――ということになっていたが、その実は最終的に旧スタッフ担当の顧客を三崎派につけることにあった。もっとも、三崎派といっても実質、社長派ということであり、その狙いは旧スタッフと当該地域のクライアントとの紐帯を断ち切ることにあった。だから、社長としては、私を煽ててその気にさせるために使った便宜上の呼称にすぎない。
つぎに社長の打った手は、既存のクライアントの世話は代理店に任せ、新規のクライアント獲得を正規の社員で行うこと――という課題を課したことだ。
これまた、もちろん、そこには「いざというときのための伏兵」という言葉は隠されている。なにかまたクーデターがあったとして、代理店が既存部分を掌握しておけば、一朝一夕に潰れることはない。ましてこれまでのように、集金した金を持ち逃げされるという危険性も減るのだ。代理店というのは、あくまでも自社の社員向けの呼称であって、実質は、マインド出版が雇った影の社員なのだから……。
かくして私は、本社の部長として代理店スタッフの面倒を看ることになった。
――のではあったが、そのための人選や社名の案出、所在地の確保は、社長がすでに済ませており、その場所もすでに設定済みだった。
O市の主要駅から歩いて五分、しかもガレージまで三分という、恵まれた環境にある賃貸マンションは、そこで生活する者にとっては、さして広くないと言えたが、事務所として使う分には申し分のない広さがあると言えた。
その意味では、私はまたぞろ、O市までの通勤を余儀なくされたわけだが、これくらいのことで四の五の言ってはいられなかった。私と違い、万事そつなく物事をこなす社長にとっては、私がいうことはゴマメの歯ぎしりのようなものだったろう。
社長が事前に雇い入れていた取材スタッフ(つまりは、創業スタッフ――)はふたりいて、背の高いほうが尾藤、低いほうは山手と言った。それぞれがこの業界は初めてで、尾藤が婦人服の販売、山手が印刷営業の経験者ということだった。
社長によれば、尾藤は相当な遊び人で、要注意人物ということだった。いっぽうの山手についての人物評はなかったが、私の見るところ、気弱な線の細い人間のように見えた。歳の頃は尾藤が三十一、山手が三十二歳。ともに同時期の入社だったこともあるのか、互いによく喋り、冗談口を叩く間柄になっているようだった。
見ていると、年下の尾藤のほうが年上の山手を心のどこかで小馬鹿にしているふうがあり、なにかにつけ、彼に対し因縁をつけるような話し方をするのだった。真面目という意味では、まだ山手のほうが手を抜かず仕事をしそうだったので、私の担当である中国・四国の広告取材を任せることにした。尾藤には東海方面を任せた。
この当時、パブリシティや記事体広告という言葉はあまり流布していなかった。
いまでこそ普通に用いられているようだが、当時の日本の雑誌媒体では、おそらく私が最初のほうだったろうと思う。つまりは、広告を広告に見せないよう、いかにも本誌の記者が自主的に取材して書いたように見せかける手法だ。
ひとつは「旅に出ようエリア特集キャンペーン」など適当なテーマを設け、それを切り口に無償取材し、本来の記事扱いにして掲載する方法。その場合は、一ページを充てるのではなく、四分の一ページを一コマで扱う。あくまでもサービス企画だ。
いまひとつは、それで効果を知った、もしくはそれに恩義を感じた業者に広告主になってもらう方法だ。新規のクライアントを獲得し、売り上げをアップする手法のひとつとして、私はそれを尾藤や山手の営業戦略に活用させたのだった。
取材先は、ドライバーやツーリストたちの立ち寄りそうな観光地でのレストランや旅館、ホテル、民宿、レジャー施設、葡萄やイチゴ農園などなど……。つまりは、サ社で担当していた先と、ほとんど重複するクライアントがターゲットなのだった。
そうしてふたりが撮ってきた写真や取材データをもとに私がそれを記事にし、レイアウトをした上で、近くの写植屋に回す。上がってきた写植の印画紙を切り張りして版下にするのだ。ただし、写真の現像や引き伸ばしに関しては一々DTPに回して焼きつけたりしていると時間と費用が高くつくので、専用の人材を雇うことにした。
新たに募集した現像スタッフは、実家が写真店をやっているという好青年だった。
まだ若いが、実に器用で機転の利く男だった。名前は忘れてしまったので、仮にA君としておこう。A君は、なかなかのアイデアマンで、どのみちそこで生活しない私たちに不要なバスルームを暗室に改造した。改造したといっても、湯船の上にデコラの板を置き、その上で種々の作業ができるようにしただけなのだが……。
そして制作スタッフが私ひとりだけでは手が足りないので、制作アシスタント兼電話受付の事務員として若いバイト女性を雇った。これも基本的には、私の指示のもとに写植を手配したり版下を作成したり、銀行に行ったりする役目だ。
社長が例によって例のごとく、きみたちふたりが盛り立てて行くステージを大いに活用しよう――と発破をかけて名付けさせたダミーの広告代理店の名は「アドブラン」と言った。ふたりによれば、まだ何にも染まっていない構成員がゼロから始める広告会社という意味合いで名付けたネーミングだそうだ。
それだけに、ふたりには微妙な矜持と私に対する屈託があった。
――というのも、ふたりは社長から直接に採用され、互いに拮抗したスターティングメンバーとされた人間であって、その後のスタッフとは違い、私を介して採用された者ではなかった。その意識が働くからだろう。本人たち自身にも競争心があり、互いに「我よ我よ」と前に出て、ちょっとした諍いを起こすことがあった。
とくに尾藤などは、女性たちを相手に高級服を売りつけていた策士らしく、巧妙な手口を使って私を翻弄した。もちろん、これは後になってから判明したことであって、当時はそのことにまったく気づかなかった。それほどに巧妙だったということだが、ある意味、社長の読み通りだったということだろう。
いまにして思えば、心変わりの多い社長としては途中からその性質を逆用し、私に適用した。そして、まんまと成功させた――といっていいかもしれない。それこそ、あの柴家部長を更迭させた手法の逆手を行く謀略だったといっていい。
とまれ、そんなことなどつゆ知らぬ私は、まんまと尾藤の策略に乗せられて、山手を責める立場に追いやられたのだった。
その裏には、私から引き継いだクライアントの数が、彼よりも山手のほうが多かったということもあるのだろう。東海よりは中国・四国のほうが仕事がし易かったし、優良顧客も多かった。東海はその逆で、やりにくい得意先が多かった。
そうした意味での妬みや嫉みも絡んでいたに違いない。
「部長、ちょっとお話があるのですが……」
尾藤が原稿を作っている私の横にきて言った。
「ああ、いいよ」
私は、ワープロの手を止めて言った。「なにか、あるのかな――」
「山手のことですが――」
「ああ。彼がなにか――」
「いま出張中だそうですが、連絡は入っていますか」
「いや、入っていない」
「いいんですか。何日も連絡を入れなくて――」
その言葉の調子には若干、非難めいたものが込められている気がした。いまから思えば、そのように釈れるよう故意に発した質問だと判るのだが……。
「いいのかといわれれば、よくはないね――」
私は、その声音に釣られて同調気味に答えた。
「そうでしょう。いくら出張中だからといって普通、会社には自分の所在を知らせておかないといけませんよねぇ」
「まあ、そうだね」
「いつなんどき、得意先から連絡が入るとも限りません。なにか連絡は入ってないかとか、自分がいまどこで何をしているとか、逐一とは言いませんが、定期的に連絡を入れるべきなんじゃないでしょうか」
「確かに――」
「少しばかり売り上げが多いからって、ちょっと調子に乗り過ぎているんじゃないでしょうか」
「いや、そんなことはないと思うが……」
「だったら、そんな横着な態度を許しちゃいけませんよ、部長――」
彼は責めるような口調で続けた。確かに正論ではあった。「ここは一発、がつんと言ってやらなくちゃ。部長は甘いから、なめられているんですよ。実際、なにをやっているんだか、わかったもんじゃありません。こんなことじゃ、先行きが思いやられますよ。新しく入ってきた連中にも示しがつきませんしね」
「ああ、わかった。その辺りしっかり注意しておくよ」
「お願いしますよ」
こんなふうに私は、彼のいいようにされていた。
これでは、どちらが部長だか知れやしない――。だが、それからのアドブランは、万事そんなふうに動いて行った。そのいっぽうで、私のマインド出版社内での評判も徐々に悪いほうに変化して行ったのだった。
四十 外堀を埋めてかかる戦法
山手と私を除いて、アドブランのスタッフは全員O市の在住者だった。
尾藤は自分の車(それも、クラウン――)で営業活動をしており、それを通勤にも使っていたが、山手はマインド出版の社用車(ホンダの軽)を使って営業していたので、それに乗って自宅に戻るということはしなかった。
そんなわけで、私を含め、尾藤以外はすべて電車もしくはバス、あるいは自転車などを使って通勤していたのだった。
ところが、私の場合は山手とは違って、マインド出版にいったん出向き、前日に仕上げた完全版下などを本社スタッフに手配してから出社するので、アドブランへの出勤時間は定時より一時間、ときに二時間近くは遅めになった。
そんなことから、事務所の鍵は、例の制作アシスタント兼電話受付の事務員として雇った若いバイト女性(これを仮にB嬢としておこう――)に預け、事務所の開け閉めは彼女に任せていたのだった。
そんなある日のこと。何時もより遅めに出社した私を見て尾藤が言った。
「部長、このあとちょっとお時間よろしいですか」
「ああ、いいけど――」
部屋にはA君とB嬢のほかには誰もおらず、山手や新入りのC君も出かけているようだった。私は自分の机に鞄をおいて言った。「なにかあったのかな」
「ここでは、ちょっと……」
口の片端だけを上げた、意味ありげで奇妙な笑みを浮かべて尾藤が言う。
「わかった。外に出よう――」
私は立ち上がり、暗室に入っているらしいA君にも聴こえるように言った。「じゃ、Bさん。ちょっと出かけて来るから、あとは頼むよ」
「はい。わかりました」
B嬢は言ったが、その声は心なしか曇っているように聞こえた。もともと愛想はよくなく、電話の受け答えも下手――というより幼稚な言葉遣いをする女だった。
山手と尾藤、そして私と三人が面接した女性だったが、彼女が帰ったあと、真っ先にOKを出したのが尾藤だった。私自身はあまり乗り気ではなかったが、歳も若くそれなりに可愛く見えたので、女好きの尾藤には気に入ったのだろう。
山手のほうも異存はない――ということで雇うことにしたのだった。
しかし、雇ったのはいいが、仕事の手は遅く、まともな挨拶ができないコだったので、電話応対には使えなかったし、版下づくりを手伝ってもらおうにも、ピンクのマニキュアを塗った爪が長すぎて、カッターナイフを使っての写植や写真の切り貼りが上手くできないのだった。
基本的にアドブランの業務とその事務所というのは、他誌に掲載されている広告主を「自社の見込み客」と見立ててアプローチするための基地であり、電話アポを取るための拠点だった。そのほうが、実際に現地に行って勧誘するよりガソリン代と手間暇が節約できたし、なによりも動かなくて済んだからだ。
そんなわけで、向こうからネギを背負った客が電話をかけてくることは皆無に等しかったから、彼女の出る幕がほとんどなかったのは不幸中の幸いと言えた。
もっとも、広告取りの営業にとってはそうであっても、制作スタッフにとってはそうではなかった。とくにA君はいささか弁が立ち、機転が利くこともあって、自分が暗室に引っ込んでいないときには、真っ先に電話を取ってくれているようだった。
「で、あそこでは話せないというのは、どんなことなのかな――」
私は、アドブランから五分ほど歩いて辿り着いた喫茶店の椅子に腰を下ろし、彼が正面に座ったのを見届けて訊ねた。
「それが、山手のことなんですがね……」
「また、山手か――」
「ええ」
「今度は、なにをやらかしたのかな」
「部長は、最近のタイムカードをご覧になったことは……」
「いや。二十日を過ぎてからは給与計算のために見るが、中間では見てないよ」
「そうですか……」
彼は、いかにも残念そうな表情を見せて続けた。「見ていただいたらわかるのですが、Bさんと山手の出社時間が、ほぼ同じなんです」
「ほう」
「ほう――じゃないですよ。おかしいと思いませんか」
「みんながぎりぎりに出社してくる以上、ある意味、同時刻になるのは致し方のないことじゃないのかな」
「それが違うんです――」
「違う――というと……」
「山手とBさんの出勤時間は、一分も違わないんです」
「そうなのか」
「ええ。不思議でしょ――。ふたりとも八時二十七分台に入っているんです。その差は一分もありません。それも、ほぼ毎日ですよ」
「ふむ」
「それまで山手は、いつもぎりぎりの八時五十二分とか、その時間帯に出社していたんですよ。それがここ一ヵ月近くは、ずっと同じなんです」
「そう言えば、私も本社に寄らないでこっちにくるときは、ちょうどそのくらいの時間になるな。電車の到着時刻が決まっているからだろう。ということは、ひとつ早めの電車に乗ることにした――ということなのかも……」
「そうでしょうか――」
「そうでしょうか――というと、ほかになにか理由が考えられるということ」
「多分、多分――ですよ。これは、わたしの勘なんですが、彼女が出社した折に彼の分のタイムカードを代わりに押してやっていると思うんですよ」
「そりゃ、駄目だ――」
「そうでしょ。もしそうだとしたら、そんな不正を許せるわけがありませんよね」
彼は得意げな面持ちで両方の鼻の穴を膨らますようにして言った。「おそらくふたりは、デキているんですよ」
「ああ。きみの言うとおりだ――」
私は蠅かなにかの幼虫を噛み潰してしまい、その内から出た汁を無理やり喉の奥に流し込むような気分で続けた。「ふたりがデキているかどうかはともかく、それは許されない。もしこれが平然と行われているとしたら、確かに問題だ」
「そうですよね」
確かに私にも、ふたりがそんなふうになっているのを感じるときがあった。もともとひとに口を利くとき、妙に馴れ馴れしい口の利き方をする女だったが、山手に対しては、特にそのような言葉遣いをしているのが耳に障ったからだ。
私はそこまで考えてきて、はたと気がついて尾藤に訊ねた。
「――ということは、つまり、きみはふたりのタイムカードを調べたということだね」
「はい。たまたま偶然にといいますか、彼のタイムカードがわたしのところに入っていたことがありまして、それで、おやっ――と思ったんです」
「そうか……」
「おそらく彼女が彼の分を押したあと、間違ってわたしのところに入れたんです」
「そうだろうな。そのとき、山手君は出社していたのかな」
「いえ。出社してはいませんでした」
「なるほど――。そうだとすると、彼女が山手君のカードを押してやっているのは確実ということになる……」
「こんなことを言うのは陰口をするようで、あまり気分はよくないのですが、ここのところ、彼がわたしより早く出社しているのを見たことがありません。Bさんに訊くと、いま写植を取りに行ってもらってる――とか、朝一番に取材先に向かった、昼過ぎには戻ってくることになっている――とかいうのです」
「ふうむ……」
「ね、おかしいでしょう」
「ああ。きみの言うとおり――だとすると、確かに不自然だ」
「やはり、彼はなにかやっているんですよ」
「――というと、遅刻のカモフラージュだけではなくて――ということかな」
「ええ」
「そうなのかな。わたしにはよくわからないけど……」
「部長が知らないだけですよ」
尾藤はさきほどしたように、鼻の穴を心持ち拡げて言った。
「わたしの知らないことが、まだほかにもあると――」
「部長ご自身で、調べてみられてはいかがですか――。私の口から言うよりも、本人の口から聞くのが一番ですよ」
「だからと言って、ふたりを相手に直接訊ねるのもどうかと思うが……」
「だから、そこは、ひとりひとりに探りを入れればいいんですよ」
彼は含み笑いを含んだように聴こえる声音で続けた。「本当は本人を攻めるのが一番なんでしょうが、それだと逆襲されて終わりという恐れがあります」
「そう。あらぬ疑いを掛けられた、名誉棄損だなんて言われかねないからね」
「そのとおりです――。彼のことですから、それくらいのことは俄然、平気で言いますよ。ですから、まずは外堀をしっかり埋めることが大事です。まずは、搦め手でBさんの言質を取ってからのほうがいいでしょう。それだと、言い逃れはできませんからね。勤務時間中では確かに仰るとおり、皆の手前、差しさわりがありますから、退社後に質してみるというのも手ですよ」
「それもひとつだが、ここは慎重に行かないとね。藪蛇になりかねない」
「ですから、日ごろの慰労をかねた雰囲気にして、ちょっとその辺でお茶でもどうだい――って感じで軽く誘うようにすればいいんです。コーヒーでもイタリアンでも、なんだっていいでしょう。とにかく気軽に入れるようなところがいいです。改まった感じにすれば、却って警戒されてしまいますからね」
「わかった。なんとかその線で当たってみることにするよ」
私は尾藤のアドバイスに従うことにし、比較的業務が手薄になった四日めの終わり際、机周りを片付けているB嬢に声を掛けてみることにした。
「今日は、久しぶりに定時に終われそうだね」
「ああ、はい。そうですね」
B嬢は、ある意味、面倒臭そうに見えなくもない態度で応えた。心ここにあらずで、その返事も不承不承といった体だった。
「今日まで、なんだかんだと突発的に仕事が入って、本当に忙しかったからね。きみも大変だったろ。もしよかったら、慰労を兼ねてのお礼――と思ってもらっていいんだが、どうだろ。その辺で軽い食事でも――」
「今日ですか――」
「いや、いまも言ったように都合が悪ければ、それでいいんだ」
「今日は、ごめんなさい。先約があるんです」
「そうか。わかった。悪かったね、急いでいるというのに――」
「いいえ。では、失礼します」
「ああ。では、気を付けて。お疲れさま――」
私はタイムカードを押して、そそくさと部屋を出て行く彼女の後ろ姿に向かって無理に明るい声を上げて言った。こうして、私は尾藤からアドバイスを賜った外堀を埋めてかかる戦法を見事、失敗に終わらせてしまったのだった。
四十一 名選手、名監督ならず
それから二日後、私は珍しく社長から食事に誘われた。それも妻と同席するようにというのだった。アドブランに出向してから五ヵ月と半月以上が経っていた。
私はそれこそ、このイレギュラーな半年間の慰労を兼ねての食事会だと思っていた。
アドブランの新入りスタッフも、なにも言わなくてもそれなりに自分の仕事をこなせるようになっていたし、新規のクライアントもそれなりに増えてきていた。ある意味、万事順調で、ほとんど手がかからなくなっていた――といっていい。
そんな折だったので、能天気な私は安心しきっていた。
あるいは「慢心」しきっていた――といえるのかもしれない。万事、都合のいいようにしか考えない私の脳細胞は、社長の思惑がスキャンできなかったのだ。
社長は、私と妻を相手に最近起こったニュースをネタに月並みな感想を披露したあと、ステーキを切っていたナイフの手を止めて言った。
「ところで、三崎君。Bさんを食事に誘ったんだって――」
まさに、寝耳に水――だった。思いもかけない突発的なその質問に、私がどんな気分になったかは説明するまでもないだろう。
このとき、私は初めて、尾藤に嵌められたことに気づいた――。いや、さすがの尾藤も、ここまでの展開は読めていなかったのかもしれない。
というのも、その後の社長の話からすると、この話を伝えたのは彼女ならぬ山手のほうからで、私が予測した尾藤からのものではなかったからだ。
尾藤が直感していたふたりの仲は、確かに彼の読みどおりだった。しかし、B嬢が山手にチクることまでは予測しなかったはずだ。結果的には彼の思いどおりにことは運んだわけだが、それは尾藤にとって一石二鳥と言える首尾だったろう。
いまだからわかるのだが、彼にしてみれば山手を心理的に抑え込むことができさえさえすれば、あと眼障りな存在といえば私しかいなかった。
アドブランに新しいスタッフを雇い入れることになったとき、部下というべき下っ端ができるのに職位が同じでは格好がつかないから、なんとかしてほしい。ぼくたちは創業メンバーなんですよ。それなりなカタチをつけてくださいよ――というふたりの懇願(泣き言)を聞き入れて、私はふたりを課長にした。
事後報告で、社長にそのことを「申告」すると、まだ早いのではないか――と難色を示されたが、もうそれで進んでいますから――と強引に押し通した。彼らを心理的に牛耳っておくためには、それくらいの「恩着せ」は必要と思ったからだった。
だが、結果的には、それが裏目に出た――。
ふたりは、「課長」と呼ばれるたびに天狗になった。新しく入ってきたA君もC君も、ふたりのことを苗字付きの役職で呼んだ。
ところが、なぜかB嬢だけはあとから入ってきた人間であるにも拘わらず、上司である尾藤を「尾藤課長」とは呼ばず、さん付けで呼んだ。そしてなにかわからないことに出遭うたびに「課長、聞いてくださいよ――。尾藤さんがこんなことを言うんですよ」などとしな垂れかかるような調子で、山手に話しかけていくのだった。
彼女にすれば、ふたりも課長がいれば呼びにくくてしようがなかった。――のかもしれない。それとも長幼の序を重んじて、年上である山手だけを課長と呼ぶことにしたのか。まさか彼女に限ってそんなことはない――と思うが……。
だが、彼女の気持ちはそうであっても、お約束事で呼ばれない尾藤のほうにしてみれば面白くなかったに違いない。それこそアパレル業界で鳴らした「人たらし」ならぬ「女たらし」を自認する彼にあってみれば、ウーマナイザーの名折れでもあったろう。それで、ひと泡吹かせてやるつもりで私をけしかけた。
ところが、案に相違して、事態は思わぬところに転移した。ふたりを支配下に置くどころか、目障りな部長まで亡き者にできるのだ。
上手く行けば一石三鳥――ということになる。もともとアドブランは、マインド出版の影武者のようなものであるが、実質的に社長は出張って来ない。つまり、部長さえいなければアドブランは自分の天下のようなものだ。
尾藤に、そこまでの読みがあったかどうかは知らない。だが、その後の展開は尾藤だけではなく、社長の仕組んだとおりに運んだといっていい。社長は、ぽかんとする私に、故意に拵えた映画俳優のように美しい笑顔を見せて言った。
「で、きみとしては、彼女にどうしてほしかったのだろう」
そんな訊ね方をされれば、なにかを彷彿させるには充分だったろう。
社長の緻密に計算された策略どおり、私は妻の面前で平然となされたその質問に明確に答えることはできなかった。思わせぶりなその質問に、タイムカードの一件や尾藤の進言といった七面倒くさい話が通用するはずもなかった。なにをどう披瀝しようと、すべては言い逃れや誤魔化しのための悪あがきにしか聞こえないのだ。
脇が甘かった――というより、慎重さが足りなかった。
尾藤からアドバイスされたとき一瞬、脳裏を過ぎったのが「慎重」という言葉だったのだが、あまりにも巧みだった彼の誘導尋問の所為で、私はまんまと……。いや、よそう。こんなのは、すべて自分の愚かさが招いた結果だ。
部下に唆された愚をふたりの前で開陳してなんになろう――。
話せば話すほど、自分の立場が惨めになるだけだ。確かに彼女を食事に誘ったのは事実だし、それも誰もいない終業時刻間近だったことも確かだった。
名目どおりの慰労なら、なぜみんなを誘わなかったのか――。
では、私はなんと言って、彼女を説諭すればよかったのか――。
私は、痴漢の犯人に名指しされたような気になった。満員電車のなかであらぬ疑いを掛けられたひとも、これと似たような気分を味わったに違いなかった。いくら冤罪だと叫んだところで、心のどこかで、少しでもそのような気持ちを抱いたことのある人間なら、完全否定はできないもどかしさや後ろめたいものがあったろう。
私も、それに近い内心があった――。
しかも、それは妻の面前で行われた発議なのだ。
確かに私の場合、彼女を食事に誘うことに目的があったのではなく、タイムカードを不正に操作し、無遅刻・無欠勤の勤怠状態にしていたふたりの「欺瞞性」を確実なものとし、上司としてその勤務態度を改めさせることにあった。
だが、事実表明の結果は確かめてみるまでもなかった。
そのことを尾藤に証言させようとして助け舟を求めたところで、いや、そんなことまで言っていません。部長はなにか勘違いされているのではありませんか――と素っと呆けるのに決まっている。
なぜなら、私を眼の上のたん瘤としている彼にしてみれば、願ってもない好機が訪れたのだ。嬉々として、私を貶める「冤罪事件」をでっちあげることだろう。
――社長、部長はきっとそんな下心があったに違いありません。でないと、なんで退社後に彼女だけを食事に誘わなければならないのでしょう。
いまの時世なら、きっと「パワハラ」という言葉を使って糾弾されること請け合いの「重要案件」だ。
心のどこかで、猫の太く低い鳴き声が聴こえ、相変わらずだな、お前――と言われている気がした。間抜けめ。いつになったら、おひとよしから卒業するんだ。
私より妻のほうが、その悲しみは深かったかもしれない……。
レストランから出た妻は、ひと言も口を利かなかった。私も口を開かなかった。いや、開けなかった。口を開けば、それの三倍も四倍もの言葉の石つぶてが降ってくることは間違いなかった。
思わせぶりな社長の演技力が憎かった……。
私の脳裡に出向から転籍――というパターンが浮かんだ。
あの柴家部長が引っかかった毒牙だ。柴家部長の場合は、私のように出向こそはさせられなかった(それこそ柴家部長の思う壺だったろう――)が、頭越しに転籍の目に遭った。社長が別部門で仕切っているコンビニエンスストアの店長をやれ――というのだった。もちろん、柴家部長はそれを蹴った。あとの顛末はご承知のとおりだ。
そんなわけで、私もそんな目に遭わされる可能性があった。というより、そんな目に遭うのは確実だった。案の定、私の危惧は的中した――。
あの屈辱的なレストランでの「冤罪事件」から、三ヶ月ほどが経った頃だった。社長が私を呼び、件のコンビニ店の店長にならないか――というのだった。この間までいた、そこの店長が辞めたのは知っていた。概して続かないのだった。
それまでに種々の動きはあったが、それらすべては私をオフリミットするための方策でしかなかった。ある日などは、あからさまに本社スタッフがアドブランの近くにある喫茶店にやってきて、尾藤や山手と和気あいあいと談笑していた。アドブランの所在を知るはずのない連中が、わざわざO市まで出向いてきているのだ。
それこそ、青天の霹靂だった。こんなことはあり得ない。
その情報を流したのは、社長以外に考えられなかった。しかもマインド出版のDTP担当や写植担当までがやってきているのだ。その喫茶店はアドブランのスタッフがよく行く喫茶店で、ビーフカレーが格別に美味いのだった。
たまたまその日はC君がおらず、A君と連れ立って食事をしていたのだが、我々と少し離れたところで話し合うその様子は、いままで敵対視していた連中のものとは思えないくらいの親しさを感じさせた。
明らかに、両者を合体させようとの社長の意図が働いている――。
でなければ、彼らがO市くんだりまできて、あんなにも親し気に営業スタッフと交流を深めることなどあり得ないのだ。つまり、社長としては方針を変え、彼らと合流させることで、社の延命を図ることにしたのに違いない。
私は、柴家部長もかつて感じたであろう痛み――どうにもならない寂しさと口惜しさが綯い交ぜになった心の痛みを噛み締めた。
思い起こせば、社長から、あの柴家が、またここに戻りたいと言っているのだが、どう思う――と訊ねられたことがある。
彼が戻るということは、私が編集長を降りる――ということを意味する。論理的に考えてそうなる。私は、当然ながら、ノーと答えた。なぜなら、一旦そうして会社を去った以上、舞い戻ることは道義上、許されることではないからだ。
ましてや、不穏な動きをして馘になった人間なのだ。偉そうにひとのことを糾弾できる立場ではないが、少なくとも私にはそのとき、彼が戻ってくることは私に対する脅威と捉えたのだ。では、きみが説得してみてくれ――と命ぜられた。
つまりは、彼の処遇は私に任せる――というのだ。
確かに、私の下で彼を使うという手もあったし、それも可能だったろう。
だが、私はそうしたくはなかった。かつて編集長として君臨していた者を、どうして顎でこき使うことができるだろう。かつての部下もそんなことは望んでいないに違いない。私は、一番親しかった小宮君に相談してみることにした。
彼の返事もノーだった。
みんなは、そんなことは望んでいないというのだった。
というのも、彼は親分肌ではあるが、独善的で自分の思うようにしか頭を働かせられないタイプの人間だから――というのだ。下手をすると、逆恨みされてどんな目に遭わされるかわからない。そんな恐ろしさがあるという。
言われてみれば、あのあと、中国や四国を回ったときに感じたように、彼の威光はなかなかの効力を発揮しており、そのほとんどが逆切れの報復を恐れての滞納、もしくは支払い拒否だった。なかには、彼を辞めさせた水谷社長が許せないとして断固、支払いを拒否したクライアントも数社あったくらいだ。
もっとも、それも大義名分であり、支払いを免れるための都合のいい言い訳であることは眼に見えていたが、社長にしてみれば、たかがそれくらいのことで裁判に訴えて時間を浪費するまでもなかった。結局は、彼の思惑どおり、マインド出版にちょっとした損害を与えることだけはできたのだった。
彼の説得にあたること二時間、彼が最終的に自嘲気味に吐いた「名選手、必ずしも名監督ならずか」という言葉が非常に印象的だった。私は戦力ですらなかったが、自らを「名選手」と信じている彼の逞しさを羨ましく思ったのだった。
四十二 解釈に溺れた者の真実
私は、我が家の上司である妻に水谷社長から打診された転籍内容を打ち明け、「進退伺い」を立てた。彼女の腹の裡は、すでに決まっていた。訊けば、あのレストランで社長の態度を見て、その思いを定めたという。
「だいいちコンビニの店長なんて、あなたの柄じゃないわ――。そんな暗い顔して店に突っ立っていられたら、お客さんは入って行く気さえ起こらない。絶対に必要なものか、勇気があるかしないと……。さもなければ、よっぽどの物好きね。そんな店、早晩に店じまいしなきゃならないはずよ」
「そうか……」
「そうか――じゃなくて、絶対そうなのよ」
彼女は言い、私の顔を真剣に見つめて続けた。「それにしても、あなたの行くところは、どうしていつもそうなの」
「ごめん……」
「あなたには毅然としたところがないから、舐められているのよ。この間の件だってそうよ。李下に冠を正さず――って言葉があるのを知っているでしょ」
「ああ……」
「意味は、わかるわよね」
「うん……」
私は不承々々返事をした。ここから例の石つぶての嵐が吹き荒れるのだ。
「あのね。女のひとを食事に誘うっていうのは、まさにそれよ」
妻は私が首肯したのを見届けて続けた。「その気がないのであれば、堂々と正面からアプローチすればいいのよ。傍から見て、こそこそしているようだから、疑われてしまうのよ――。いい。あなたは誤解されやすいの。なぜって、いつだってポヤーンとしているからよ。隙があり過ぎるの。だから、付け込まれるのよ」
「つまり、嵌められたと――」
「半分はそう。あなたは嵌められた――」
彼女は私の質問を認めたあと、言葉を重ねた。「あの会社にとって、あなたは『無用の長物』になったの。でも、会社から辞めさせるわけには行かない――。だから、あなたのスケベ心を利用して、自分から辞意を表明させるようにしたの」
「いや、断じてそういうわけでは……」
「実際のところ、どんな事情や意図があったかは別よ。結果として、そういう部分が見透かされたのだけは間違いないわ。要するに、あなたは負けたのよ。どう言い繕ったって、女性を夕食に誘った――という『厳然たる事実』だけは曲げられないの」
「まぁ、それはそうだが……」
私には、なにも言い返すことができなかった。
言い返すもなにも、それが彼女の言うように「事実」である以上、覆すことはできなかった。事情や経緯は関係ない。水掛け論はしたくない。したところで、醜さが増すだけだ。その最終的な「意図」がどうであれ、あるいは「内心の事情」がどうあろうと、その厳然たる事実にだけは抗いの余地は挟めないのだ。
世間は、その事実をもって私を「弾劾」するだろう。
少なくとも社員は、色眼鏡で私を見るだろう。そう、私は敗れたのだ。ちっぽけな会社の政争の具になり果てることで、中途半端な義侠心と、ほんの少しのスケベ心に裏をかかれてしまったのだ――。
いまの言葉で言えば、私は「社畜」になり果てていた。
ひとは、これを自業自得というだろう。その悍ましいできごとの大半は、自らの浅ましさが生んだ結果なのだ――と言って、私を嘲笑うことだろう。
ニーチェの謂いではないが、事実は存在しない。解釈だけが存在する――のだとするなら、この場合もまさにそうだった。真実を知る者にとっては妄想に過ぎない解釈でも、その解釈に溺れた者には、それが純然たる事実に変容して行く……。
そのつぎの月から、私はまた職安通いと面接活動に明け暮れることとなった。
季節は心とは裏腹に春になっていた。第二の柴家部長となった私は、彼のようにマインド出版に対して意趣晴らしのようなことはしなかった。誰を恨むつもりもなかった。恨んだところで、その半分は自らの迂闊さが招いた報いなのだ。
その失敗は甘んじて受け容れよう――。
その覚悟と言葉の強さとは裏腹に、なにもかもが憂鬱だった。これまでに何度も味わった鬱々とした気持ちが、またもや私の心を蝕みはじめていた。
ナオと初めて出会ったときの春の空が懐かしかった。
今となっては、懐かしいとも思えるナオの笑顔が眩しかった。あのときはまだ、自由らしきものがあった。寂しいとはいえ、自由な空間というべきものがあった。だが、いまは拘束された空間、広がりがなく、狭められた空間しかなかった。
閉ざされたというのではなく、動きを制された空間だった。
そこには、自由に羽搏ける空間はなかった。生存するためには働き続けなければならないという義務感と、真に働くためには生き甲斐というものがなければならないという虚無感とが私を苛もうとしていた。
義務で働くのは虚しく、虚しさを埋める生き甲斐は見つからなかった。一体、いつになったら、私は生き甲斐のある仕事に辿り着けるのだろう。どうすれば、虚しさを感じずに嬉々として働くことができるのだろう。
わからなかった――。どう考えても、その知恵は浮かんでこなかった。働くということが、苦行以外の何物でもないように感じる心そのものが歪んでいるのか。それとも、そのように感じる心そのものが病んでいるのか。
だが、悲しいかな、私には自分が病んでいるとは思えなかった。自分が好きでもないものを好んで選び、それを押し頂いて有難く感じる。そんな心が欺瞞と言わずになんといえばいいのだろう。そんな態度こそ、私は病んでいると言いたい。
仕事とは、誰かを養うためでもなく、また誰かに褒めてもらうためでもなく、自らが自らのために喜べる献身の対価でなければならない。
あのときも思ったように、真に働くということは、自分自身のためではなかったのか。真に自分自身が喜びたいがために、働く――という行為が生まれたのではなかったか。ひとは生きてあることを享受するために働くのではなかったか……。
生を享受したい。そのためには、どうすべきか。どう動くべきなのか。
私にはわからなかった。この現代社会において、真の意味で生を享受するとはどういうことを言うのか。自給自足の原始時代のような生活形態を言うのか。いや、そうではあるまい。現代社会であればなおさら、それに適した働き方があるはずだ。
私は仕事を、いや、生命を維持するための職を探しつつ考えた。
生きとし生きてあるものの生きざまとは、どうあるべきか――。その生きざまを求めて、ひとは伸吟するのではあるまいか。苦しさの果てにやってくる喜びを享受するために、ひとは働くのではなかったか……。
明日どころか、いまを生きることさえ苦吟しているひとから比べれば、まさに贅沢の極みのような悩みかもしれないが、私にとって生きることはイコール「労働」することではなかった。労働とは、自分以外の他者に対して労力を売ることであり、その知恵を買ってもらうことであった。
単純労働ならば、それを時間で区切るのもいいだろう。物理的または肉体的生産性は、それを数量で積算できるかもしれない。時間を数量で割れば単価は出る。
だが、非物理的知的生産性においては、その数式は当てはまらない。何時間経とうと、その内容を思いつかなければゼロに等しいのだ。
時給という概念があったとして、知的に価値のあるものを生み出さなければ、その対価は支払われない。金を払う側にしてみれば、自明の理だが、その間に知恵を巡らせている者にとっては、その時間の対価はゼロではない。
このギャップをどのようにして埋めるか――。それが、古来、哲学者や経済学者が呻吟し、懊悩し、幾度も問うてきた人間の在りようへの問いだ。
結局は、現世で生きようとすれば、どの辺りで折り合いをつけるかという問題に帰着する。霞を食っては生きられない以上、どこかで折り合いをつけねばならない。儲からなければ、生きていられるだけで満足するか。それとも金色夜叉のように金の亡者となって、己を捨て去って生きるか。
少なくとも、死ぬことだけはしたくなかった……。
四十三 用の美としての言葉を紡ぐ
ある平日の午後、自宅の電話が鳴った。
たまたまその日は、職安に行かない日だった。電話に出ると、電話の主は聞き覚えのある声をしていた。早坂です――と男は言った。マインド出版にいて、写植打ちと版下作成を担当していた男だった。
「ああ、あの……」
私は受話器の向こうの、この男の顔を憶い出しながら言った。できれば、憶い出したくない連中のひとりだった。私がアドブランに出向してからというもの、私が敵であるかのように一切、口を利かなくなってしまった男だ。
しかも、あのとき(例のカレーが美味い喫茶店で――)はっきりと私と眼が合ったというのに、素知らぬ顔して尾藤や山手と、さも愉快そうに談笑し続けていた男でもあるのだ。それが妙に馴れ馴れしい調子で、ここに電話してきたのが気に障った。
「お元気ですか――」
「元気は元気だけど、なにか……」
「いや、いま堀内君と一緒に仕事をしていましてね」
「堀内君というと、あのモノクロ写真の現像をやっていた――」
「ええ、そうです。その彼と事務所を開いたんです」
「事務所を開いた。――というと、マインド出版は辞めたんですか」
「そうですね。辞めました。あの社長にはついて行けません」
「マインド出版はどうなったんですか」
「制作スタッフも、取材スタッフもみんな入れ替えて、代理店経由でやっているようですが、いつまでも続かないでしょう。もう時間の問題です」
「アドブランの連中も、そのなかに入っているんですか」
「いや、入っていません。あの尾藤というのが、アドブランを仕切ろうとして山手と喧嘩になり、ふたりとも辞めてしまいました。アドブランは、ですから、自然消滅です。自業自得と言いますか……」
「そうですか。なんのために作った会社なのかわかりませんね」
私はあのときの労苦を想い出した。結局、いいように振り回されただけだった。
「そうですね。あの社長のやることはわかりません」
「で、今日は、どんな……」
「ああ、そのことなんですが――」
早坂は、急に明るくした口調になって続けた。「三崎さんは、これまで色んなところで経験を積んでこられたでしょう」
「まあ、そんな言い方もできますが……」
私は真意が測りかねて――というより、いささかイラっとして嫌味のこもった言い方で応じた。「それが、なにか――」
「いや、ですから、なんといいますか、そのぶんお顔が広いのではないかと――」
私の声の変化に怯えたような様子で、彼は慌てて言葉を継いだ。「それで、できれば、どこかご紹介いただけないものか――と思いまして……」
その言葉を耳にした途端、私の頭のなかの冷静さを辛うじて繋ぎ止めていた細い線のようなものがふつりと切れた気がした。一体、どの面を下げて言ってるんだ――。あの斑猫が言いだしそうな台詞が思わず、口から出かかった。
あのボーナス事件のときも、他府県での集金にたったひとり東奔西走していたときも、そしてあらぬ疑いでコンビニの店長に左遷されそうになったときも、一度として私の側に立ったことのないきみ――。一番味方になってほしかったときに、そっぽ向いていたきみに、私がどうして助け舟を出してやらなければならないのだ。
だが、私にはその台詞は吐けなかった。
というのも、私にも同様の情況に出くわしたことがあるからだ。それは、あの柴家部長がマインド出版を馘になったあと、恐らくはお情けで雇われた遊技施設の滞納広告費の件について電話したときのこと――。
ある意味、嫌味を言われるのは覚悟の上のことだったが、たまたま電話したとき、彼が出て、溜まっている広告掲載料金のことを持ち出すと、つぎのように喉を振り絞ったような低い声で言われたのだった。
「ひとが恥を忍び、頭を下げてまで頼んだ願いを聞き入れるどころか、みんなの総意とかを楯にしてわたしを追い出したあなたが、そんなクチが利けるのでしょうか。こんな風になることは、先刻ご承知だったはず――。一度しっかり顔を洗って出直して来られたらいかがです」
本人としては精一杯の皮肉で、さぞかしいい気味だっただろう。しかし、根本は逆恨みの類いだから、その物言いに理はなかった。そんなわけで、私自身はなんの痛痒も感じなかったが、少なくともこのときの彼の側にだけは回りたくなかった。
心に思ったことを、そのまま口にするのは容易い。だが、そうすると、彼に成り下がってしまう。少なくとも私は、逆恨みで腹を立てているのではなかった。ただ、そのような負け惜しみを言うことで、蔑まれる人間にはなりたくなかった。
「生憎ですが、お役に立つことはできません。悪しからず――」
私は、もうひとりの男のことも憶い出して付け足した。「堀内君にも、よろしくとお伝えください」
この男は早坂以上に、私に対して敵意を向けていた男だった。
どんな事務所かは知らないが、このふたりに印刷ビジネスがやっていけるとは思えなかった。せいぜい雑誌社の下請けか、版下メインの事務所くらいが落ちで、エディトリアルデザインやグラフィックデザインの素養もないふたりだった。
「あのう、こんなことを言うと、失礼かもしれませんが、もしまだ就職しておられないのでしたら、わたしたちと一緒にやりませんか――」
こうなってくると、哀れささえ感じるほどだった。
無職の身でありながら、その身分も忘れて他人を嗤うのも眼糞鼻くそ甚だしいとはいえ、逆に言って、私のほうこそどこかの職を紹介してほしいくらいだった。この突然の電話は、笑うしかないほど悲しい言葉の遣り取りに終始した。
「いや、折角ですが、お気持ちだけは有難く頂戴しておきます」
「そうですか。わかりました。では、失礼します――」
「お元気で」
「ありがとうございます」
「いや、こちらこそ……」
悲しい――とさえ思わなかった。悲しいはずなのに、そうは感じない自分が恨めしかった。私は静かに受話器を置いたあと、物思いに耽った。
結局のところ、みんなひとりでは生きていけないのだ。あの柴家元部長にしたところで、私に嫌味をかまして留飲を下げた気になっているだろうが、他人のお情けに縋らなければ、自分の身さえまともに面倒見切れない寂しい人間なのだ。
そんな人間をどうして嗤うことができるだろう。自分も同類なのだ。目糞が鼻くそを笑ったところで、たかが知れている。第三者の目から見れば五十歩百歩。大した違いがあるわけではない。傍から見れば、滑稽なだけなのだ。
幼い頃に読んだ絵本だったか童話だったか、そのなかに、牛か馬だったかの大きさに驚いた子どものカエルが家に帰って、そのことを告げる話があった。それを聞いた親ガエルが、それはこんな大きさだったか――と自慢のお腹を膨らませてみせる。
すると、いや、もっと大きかった――というので、親ガエルはこれでもかこれでもかと破裂寸前まで、お腹を膨らませて見せるのだが、所詮、カエルが牛の大きさになれるわけがない。それとまったく同じで、所詮は小心者の器量というのは、たかが知れている。自分の器以上に大きくはなれないのだ。
柴家元部長は、俄か編集長となった私を相手に自分を「名選手」と評したが、私は自分を好プレイヤーとは思っていなかった。私はどちらかといえば職人であり、アーティストではなかった。用の美としての言葉を紡ぐ人間でありたかった。
煌びやかではないかも知れぬが、どこかしらひとの心を打つ、侘び寂びた言葉が紡ぎたかった。絵空事な美しさではなく、用のある言葉を生み出したかった。美しさを讃えられるのではなく、役に立つ言葉でひとを潤したかった。
詩のように非日常的かつ直観的な言葉ではなく、誰もが普通に口にできる気取りのない言葉。感性にではなく、悟性に訴えるための言葉――。それを見つけるために「意匠ことば」つまり、ランゲージデザインという手法を創始したはずだったが、自分のなかでは道半ばのまま、頓挫したような格好になっていた。
私は、それまで書いていた小説を書くのを止め、図書館に通い、私の好きな人物の書いたものを中心に読むことにした。すなわち現実に存在した物語、歴史に実在した人物の足跡を辿ることで、用の美を届ける文章を手掛けることにしたのだった。
それがのちに「D氏の肖像」の基となる文章に収斂していく……。
――のだが、このときはまだ方向性さえ定まっておらず、ただただ方向転換への意欲と意識だけが高まっていた時期だった。私は同時にふたつことを行えるほど器用な人間ではなかったので、無職であるということの引け目と焦りを、そのいっぽうで感じながら、とある人物の足跡をあらゆる角度から調べて行った。
その結果、わかったことは、私のような人間が実際にいて、実に私のように生き、そして死んでいったという事実だった。救いはないが、救いがないが故にこそ、生き抜かなければならなかった彼の人生に、私は人間の真の在りようを見つけた気がした。
リュンと最後に交わしたあの言葉が私の脳裏に甦った。じゃ、素敵な小説が書き上がるのを楽しみにしているわ。そう言って、彼女は電話を切ったのだった。
いまだまともな小説は書けていないが、いつかは彼女の言うように、私が私であるための唯一の手掛かりを構築して行かなければならない。
どんなに稚拙な文体であってもいいの。読んでいて、実感があり、そのなかに自分を投入し、同じ思いを追求できる空間のある小説――。そんな小説を書いてほしい。
――と、そう彼女は言ったのだ。それはきっと、用の美としての言葉を用いて紡がれたものでなければならない。
嘘偽りのない、誰にも起こりうる人生。誰しも経験したのことのある物語。それを私は書かねばならない。名物と呼ばれた茶器が、交趾や紗室、呂宗などアジア諸国のごく一般庶民が使用する雑器に過ぎなかったように、私の小説もまた身の丈に合った、等身大のものでなければならないのだ。
四十四 土竜のような生活
生き続けるのではなく、生き抜く――。
生きて佇むのではなく、生きて歩み続ける……。
そのためには、やはり生命は大切だ。生命なくしての生はあり得ない。生なくしての精神もあり得ない。私は些少たりとも、ひとの役に立ちうる「雑器としての自分」を見出すため、かつてのような自惚れと拘りを捨てたいと思った。
救いがないが故にこそ、生き抜かなければならなかったDのように、私も生きなければ――と思った。キチジローのように卑怯であるかもしれないが、転向者としての外面を保ちつつ内なる心の在りようを探求し、同じ思いを深めて行くことのできる空間を切り拓いてかなければならない。
山頭火に憧れても、そのようには生きられなかったD――。糞に塗れても、糞のなかでしか足掻くことのできなかったD。拡がった青空の深みを知っていても、それには入り込めなかったDの口惜しさを、無念さを内包しなければならなかった。
それを内包してこそ、ひとは己の無能さを思い知ることになるのだ。
私は、恐る恐る未踏の地に降り立つことにした。ひとつところに何時までも佇むのではなく、足を踏み入れることで一歩でも前へ進みうる生の在り処を求めて……。
いままでと、まったく違った世界――。
その第一歩が、そこに足を踏み入れることだった。私は死にたくはないがゆえに、敢えて自らをどぶに浸し、そこから這い上がろうとした。そのどぶは大層、泥濘んでいたが、私の足を絡め取るまではしなかった。
歩みは、その所為で、いささかのろくはなったが、停滞することはなかった。少なくとも前へは進み続けられたのだ。少しずつ少しずつ、私は歩いた。他者の眼から見れば、進んでいるかどうかもわからないくらい、のろい歩みだった。
夢のように緩慢な動きだったが、私にはそれで充分だった。私は完全に世間から孤立し、どぶに埋没した。日中は図書館に行って執筆に没頭し、夜は機械と睨めっこの深夜労働に従事した。深夜の工場は機械音だけが支配する静謐かつ牢固な空間で、頭のなかでなにを想像し、なにを考えても邪魔されることはなかった。
広い工場では、ひとと話すことはなかった。計器に現れた数字をチェックし、異常があればマニュアルを見て正常に戻し、自分の手に負えなくなれば上長に管内電話で報告した。上長は私の報告を聞き、メカニックを手配した。メカニックは原因を調べ、それが部品の劣化であることが判ると、それを新品と交換した。
三ヶ月か半年くらいの間に一度か、もしくはそれ以上、そのようなことが繰り返されたが、大抵の場合、大過なくことは過ぎた。私はといえば、毎夜々々同じことを繰り返し、夜に工場に入っては、朝方に自宅に戻った。
世間一般とは、まったく正反対の生活だった。しかし、そのいっぽうで収入は薄給とはいえ、それなりに安定し、生活も以前のように明日をもしれぬ状態ではなくなっていた。心身も併せて安定し、妻のことをものに書いたりするときは「女房」、ひとに語ったりするときは「家内」と使い分けるようになっていた。それだけ安心して、彼女に心を預けられるようになっていた――といっていいだろう。
そうして三年が経ち、気が付けば私は四十歳になっていた。
それまで種々の小論を書いては、あちこちの出版社に寄稿し続けた。そうして二年もするうち、評論や論文の下読の仕事がくるようになり、いくつかの出版社で私名義の論評が掲載され、少しずつ有償での依頼が増えて行った。
そして終に三年目の春、大手出版社の評論部門で大賞を得ることとなった。これは新人を対象とした評論賞というのではなく、その年でいちばん優秀だった評論に与えられる賞で、私にとって望外というよりは、必ず射止めてみたい賞のひとつだった。
その賞の評論というのが、以前にも触れた『D氏の肖像』だった。
文壇誌に掲載された『D氏の肖像――人間存在の在りようとその不可逆性』は、この三年間で掻き集めた資料を基に、ルーズかつ長文を重ねる私にしては珍しく推敲に推敲を重ねて250枚の原稿に凝縮したもので、その賞のためにだけ書き上げた一世一代の労作と言えるほどのものだった。
それだけに、内々の打診が出版社の担当からあったときは、天にも昇る心地がしたものだった。だが、家内の助言もあって有頂天にならないよう慎重に言葉を選んで対処した。まるで笑い話だが、授賞式のときのスピーチまで彼女のアドバイスに従って、大仰にならないようチェックを受けたうえで作成したほどだ。
ホテルの小ホールで行われた授賞式は滞りなく進み、心配していた記念スピーチも大過なく終えられた。壇上で挨拶したとき、会場の後ろのほうに立っていた家内が涙を一杯に溜め、ハンカチで口を押さえていたのが印象的だった。式場には有名な作家や評論家、漫画家までが来場し、私と文学賞の受賞者を祝福してくれた。
しかし、評者もしくは評論家としての私の人気はそれまでで、知り合いや知人の訪問は一時的に増えはしたが、それから後はあまりぱっとしなかった。時代はバブル景気に突入してすでに二年が過ぎており、私の唱える「人間存在の在りよう」などはネクラの典型とされ、「ダサイ」とひと言で片付けられる時代となっていた。
評論の世界でも、渡辺和博が『金魂巻』で展開した「○金・○ビ」や、浅田彰が『逃走論』で展開した「スキゾ・パラノ」という二者択一的な捉え方が世論や若者たちの頭を支配していた。それらに対する反論や私論の類いはさまざまに唱えられたろうが、もはや私のように「もやもやとしたもの」を掬い上げる論の出る幕ではなかった。
時代はまさに、そのような二値論的な記号に浮かされてしまったのだ。十把一からげに、AでなければBであるとする単純な図式が時代を席捲し、対比構造的にしかものごとを捉えられない世相に深く丁寧な説明はどんどん不要になって行った。
謂い得て妙な「イケイケどんどん」の世界が私たちの前に立ち現れ、ひとびとはたちまちそれの虜になった。若い男女のほとんどがそれにのめり込み、世紀末のようにその風潮を謳歌した。大人も例外ではなかった。みなバブルダンスに狂喜した。
オールドファッションドな私には到底、追いて行ける世界ではなかった。二十四時間戦える者のみが次代を制し、世界を相手に勝負できるという幻想を信じ込んでいた時代――。あたかも神のごとく、誰もが全能感を覚えていた時代だった。
大袈裟に言えば、ただ私だけが時代に取り残され、思うようにならない苦しさにもがいていた。喘ぎあえぎ息をついていた。
まさに暗闇のなかを歩いている気分だった。暗闇のなかは、文字どおりに暗く、私がいまどこにい、どちらを向いているのかわからなかった。ただ、ときだけが無闇に過ぎて行く気がした。世間が騒げば騒ぐほど、虚しく感じた。どこへ行くという当てもなく、ただ彷徨い続けているような感じだった。
一条の光も見えなかった。いつもの閉ざされた空間が、脳のなかでさらに狭められた視界を牛耳っていた。なぜか苛々が募った。しかし、なぜ苛立つのかわからなかった。無性に腹が立った。苦し紛れに空に向かって心のなかで大声で叫んでみたが、甲高い声が空の奥深くに吸い込まれて行っただけだった。
焦れば焦ったそのぶんだけ、ときの流れから取り残され、孤独感が身に染みて行った。妻の姿までも、私の視界から消えていた。なにもかもが私の手からこぼれ落ちて行った気がした。充実感というものはなかった。
私はどぶのなかに首まで浸かりながら、耐えていた。
空虚という試練のなかに身を潜ませていた。深夜労働と僅かな収入にしかならない下読の仕事を細々と続けながら、辛うじて息をしていた。その歩みは遅々としていたが、少しずつ前らしきところに向かって進んではいるようだった。眼が見えないがための手探りの歩みであったが、何とか生きて行くことはできた。
家内に言わせれば、まるで土竜のような生活だったが、それでもしないよりはましだった。なによりも生きてあることが、歩み続けていることの証だった。そう思わないことには、生きて行けなかった。
夜がきては仕事に就き、朝が来ては床に就くという日常が私を貝にさせていた。誰とも口を利かず、たまに編集者とメールを交わすくらいで、言葉を交わすのは家内とくらいだった。それも、私の「ただいま」に対する彼女の「じゃ、行ってくるね」という遣り取り、夜は夜で私の「じゃ、行ってくるね」と彼女の「行ってらっしゃい」という、たったのこれだけものだった。
生きてはいたが、生きているという実感はなく、いつしか惰性で動いている自分にさえ気づかず、同じことを繰り返す毎日を過ごしていた。用の美あることばを紡ぐどころか、駄文を書くことさえも次第に億劫になってきていた。
まるで眠りながら過ごしているような日々だった。
平成という名の新時代が幕を開け、新たな時代が始まろうとしていた。
昭和が終わって間もなく、湾岸戦争が勃発し連日、生々しい実況が報道された。凡庸で自堕落な私もさすがに衝撃的な、そのできごとをヒントに小説を書いた。私はそれの進行とほぼ同時に小説を書き進めた。
以前にも触れたアーシュラ・K・ル=グィンとフィリップ・K・ディックの小説にヒントを得て書いた『貌のない宙』がそれだった。そしてその四年後、またもや衝撃的な事件が起こった。いわゆる阪神淡路大震災が関西圏一帯を襲ったのだった。私は前著の続編となる『犬たちの群れる星』を書いた。
そうしてときは巡り、銀行の破綻があり、株価の大暴落があった。
それから間もなく、とある証券会社が自主廃業を発表したその日、私は出版社の人間と打ち合わせのため、東京へ行っていたのだが、その帰りの新幹線のなかで、そのニュースを見て同行していた編集者と顔を見合せた。
大変な時代がやってきた――と思った。
それから二ヶ月もしないうちに、私が勤めていた深夜労働の会社は交代制の操業を停止し、深夜労働者を必要としなくなった。その煽りを食って、私は唯一安定した勤め先を失ったのだった。
最終章 終端編に続く。https://note.com/noels_note/n/n2f69e7e152b3