推しとはどんな存在か。(Vol.1)
さて今月は私にとって推しがどのような存在であるか語りたいと思う。今月14日にはライブの円盤が発売されており、その感想について書くか迷ったが、一度参戦レポを書いている為、推しについてをテーマにすることとした。
始めに私の推しはTravis Japanの川島如恵留くんです。元々は嵐やSMAPからその会社のことを知りました。如恵留くんを知ったのは何時だったでしょうか。正確に好きになった時はわからなくて、気がついた時には推しで好きになっていました。はじめて知った時は正直顔が好みだなと思って、このままこの人のことを知っていったら推しになってしまう、と知ることを避けていました。元推しは他界隈でしたが、急に推せなくなったことがあります。その理由は表舞台を去ったからで詳しいきっかけも知らず、一度も直接会うこともできず終わりました。これがあったから、推しを作るのが怖かった気持ちが強く、好きだけど推しだと思うのが怖くて先延ばそうとしました。でも気がついた時には引き返せないぐらいに好きで推しになっていました。でも私は好きになるとリアコになってしまう人間です。アイドルのリアコは辛いし認識してもらえる距離ではないとわかっていても、恋愛の意味では好きになってはいけないと頭では理解していてもリアコになってしまっていました。女の影が100%見えないわけではなかったけど、それでも確定的なものが出るまでは小さな違和感に見ないフリをしてきました。それが壊れたのは数ヶ月前でしたが、、。それでも降りることはできなくて。寧ろ如恵留くんが傷付いていないかを心配になってしまって、より好きだと自覚してしまいました。一方的に依存にしていることは感じていました。ですが私が自覚していたよりもずっと深く深く如恵留くんに依存していたのだなと気がつきました。日常生活を送ることが苦しかったのは渡米発表以来でした。渡米発表の時インスタライブで知って衝撃だったことを覚えています。急なことで頭が追いつきませんでした。無期限という名の怖さもありました。また、推しを失うのかなという疑念も脳内をよぎりました。どのような形になるかもわからなくてデビューも未定で、結果的には全世界配信デビューでよかったです。欲を言えばCDデビューを望む気持ちもありました。CDも出してくれてその目標も叶えてくれましたが、拠点が日本で日本語曲メインでCDデビューをして欲しいと思ってしまう部分もありました。とはいえどんな形であってもデビューしてくれたことは嬉しかったです。ジュニア時代ずっとデビューして欲しいと思っていたからです。デビューが全てではないけど、デビューする姿を見たいと思っていましたし、何度もデビューを見送る背中をみてきたからです。8.8のちゃかの言葉「残酷さもエンターテインメントになる」をこの数年何度思い返したでしょう。デビューすれば安心というわけではなくて、より数字が求められるようになったなと思います。円盤やCDがでればその売り上げがわかり、グループとしてのファンクラブの会員数も比べられ、支えられる限り積んで数字に貢献しようと思っています。在庫枯らしと言われてたころのファンも降りてしまっていたり、トラジャもトラジャ担も良くも悪くも変わったなと感じることが多々ありました。それほど渡米の影響が大きかったのでしょう。勿論、いまも好きで大好きです。それでも渡米前に戻りたいと思う時もあります。過去だからこそ美化していることもあると思いますが。当時も苦しかったけど恋しさもあります。
いきなりですが私は重度の同担拒否です。拒否したいわけではなく、何度か交流をはかり、改善しようとしました。矛盾するようになってしまいますが、好きな同担もいます。ですが好きが増す度、拒否も増してしまいました。同担にしかわからないこともあって、同担の言葉に支えられた部分もありました。やっぱり一番気持ちがわかるのは同担なんですよね。推しがいることは必ずしも幸せではないし苦しかったこともあるけど、のえ担であることに後悔はないです。如恵留くんを知ってのえ担になれてよかったと思っています。如恵留くんが好きだから生きられるけど如恵留くんを好きだから死ねないのもあって、生きる理由そのものです。我ながら激重ですね。でも誰かの為に自分を犠牲にしてもいいと思えたのは如恵留くんだけでした。如恵留くん以上に好きな人はいないし、他の誰かに恋愛できる気がしないのが困り所ではあるのですが……。それほどまでに魅了されてしまっているので仕方ないですよね。会えない期間ほど好きが増すの辛いなと思います。舞台があって、表舞台にたつ姿を見て、好きが加速して、マークとしての如恵留くんも、アイドルの如恵留くんも好きだなと思いました。舞台期間何度も会いに行っていたこともあり、こんなに会えないことが苦しいとは思いませんでした。今までに比べれば会えていたにも関わらず、会えない期間が長いように感じます。如恵留くんに会えない8月がこんなにも辛いとは思わなかったです。円盤が出て見る度に記憶が数ヶ月前に戻って恋しくなりました。会えないのに好きにだけさせてくるのずるくないですか?いや、勝手に好きになっているだけなのは重々承知しているつもりですけども。撮影可能な映像を何度か見返してはこの頃に戻りたいと思いました。
会場行くまで準備している期間は幸せで会っている時はこのまま時間が止まればいいのにと何度も思って。会場を出た途端に魔法が解けて悲しくなります。現実にかえりたくないと何度思ったことでしょうか。メンバーカラーを身に纏って、メイクや髪を頑張って一番綺麗な私で会いたいと思っても、帰りの車窓に映る姿は痛々しく見えてしまうのは何故でしょう。魔法って凄いですよね。視界に入れるのは一瞬かもしれないし眼中にないかもしれない、それでもいつ会えなくなるかわからないから悔いのないようにしたいと思っています。推しは推せるうちに推せというのは本当にその通りですね。本当に大事なものは失ってから気付くのもそうですよね。
全肯定するだけが好きではなくてでも好きだから否定したくもなくて。完璧じゃない部分も含めて全てが好きです。もはや存在そのものが。ただ幸せに笑っていてほしい。これが私の願いです。絶対アイドル辞めないでなんて言えないので。アイドルでいてくれる姿は大好きだし見ていたいけど、それが枷にはなってほしくないと思ってしまいます。表にいてくれる限り、推させてくれるかぎり、のえ担でいたいと思っています。
愛と憎しみは紙一重とはその通りで元推しでは好きだった分、憎しみとまでは行かなくてもみることを避けたくなってしまうこともありました。その人きっかけで好きになったことまで全部嫌いになりかけてしまいました。
アイドルが偶像だと言うことはわかっていても、いつかこれが壊れるのか分からないのが怖いと思ってしまいます。絶対や永遠はないと知ってしまったからです。自分が見ている部分は全てではなくてあくまで一面でしかないと言い聞かせています。じゃないととらわれてしまうから。幻想を勝手に押しつけることはしたくないです。でももしかしたら無意識に理想を重ねてしまっているのかもしれません。無意識の偏見は怖いですから……。推しの幸せを願いたいけどそこまでの覚悟がまだ出来ていないのもあります。
また続きは別の時に書こうと思います。
総評として、如恵留くん大好きですし、のえ担で居続けたいと思います。
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