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藤井風が紅白で魅せた世界
B'zがデビュー36年目にして、紅白歌合戦に初出場した。演奏は録画のイルミネーションのみかと思いきや、会場にサプライズで登場。しかもその後2曲も演奏し、会場は異様な熱気に包まれた。
その興奮冷めやらぬ雰囲気の中。
静かに始まった、藤井風の「満ちてゆく」。
優しい歌い出し。
机に座り、ゆっくりとアルバムをめくる。記憶をたどり、昔を懐かしむように歌詞をなぞってゆく。
走り出した午後も
重ね合う日々も
避けがたく全て終わりが来る
あの日のきらめきも
淡いときめきも
あれもこれもどこか置いてくる
そのアルバムをバックに詰め、机に置いてあったマフラーを首にかけ、ゆっくりと歩き出す。
その歩みは遅く、老人を思わせる。
歩きながら歌詞に合わせるかのように、手に持っていたバックをすとん床に置いてゆく。
それはもう、自分には必要ないものみたいに。
置いたというよりは、バックが手から離れた印象。
バックが手から離れたことさえ、気づいていない雰囲気。
そのとても自然な様子は、執着も未練もなく「手を放す」という歌詞の意味をそのまま表現している。
そして、最初から手には何も持っていなかったかのような雰囲気で歩き続ける。
手を放す 軽くなる 満ちてゆく
部屋を出る時、少しだけ振り返って見るが、その後ろ姿にはもう何の執着も、未練も感じさせない。
歌詞を象徴するかのような印象的なシーン。
行動の全てが歌詞とリンクしていて、目を離すことができない。
さっきまでの熱気と興奮はどこかに去り、あっという間に風くんの静かな世界に沈んでいった。
物思いにふけるように街を歩いてゆく。
足取りは、室内に居た時より少し軽い印象。
年を重ねた人の落ち着きを見せる歩き方だろうか。
誰かを見つけた。
友達に見せるような屈託のない笑顔。
その表情から、きっと知り合いを見つけたのだろうと想像できる。
視線の先には、街角でギターを弾くDURANの姿。
嬉しそうに歩み寄り、ほんの少し目配せ。
ポケットから取り出したお金を、そっと、軽く箱に投げ入れる。
ここの風くんの雰囲気、すごく良かった。
どうしたらこんなふうに、相手にも余計な気を使わせないような感じで、「与える」ということができるのだろう。手放すこちらの気持ちも大切なのだろうと思う。こんなふうに与えることができる風くんに、心底憧れる。
その後、急に弾んだような軽やかな足取りに。手の動きと表情も加わり、楽し気な様子。少しふざけているようにも見える。
先ほどまでとは表情も歩き方も全然違う。
老いた雰囲気とは一転、とても自然に若者の雰囲気へと変わった場面。
部屋も荷物も、ポケットのお金も手放したことで、その分軽く(身軽に)なっているという印象も受ける。
車にもたれて待っていた少年(akiraくん)と出会うと、友達とするみたいなハイタッチ。
2人はここで待ち合わせしていたのだろう。
初めは老人だった風くんが、子どもに戻った場面だ。
2人が向かう先では、街角でバンドメンバーが演奏している。
(Ba/小林修己・Dr/佐治宣英・key/Yaffle)
その演奏に合わせて体を揺らし、風くんは少年と束の間の楽しい時を過ごす。
きっと、人生のそういう時間って、あっという間なのだろう。
「満ちてゆく」のPVでも若い頃を振り返ったシーンが出てくる。
老いてから思い起こす若かった日の自分は、どんな瞬間でも輝いて見える。
そしてあっという間に過ぎ去ってしまう。
そうして歌詞に合わせるように、首に巻いていたマフラーを少年に与える。
何もないけれど全て差し出すよ
最後に愛と感謝を伝えるような、丁寧なハグ。
そして友との別れ。
ここでも執着することなく、さっと友の手を放して去ってゆく風くんの姿は、なんて軽くて心地よいのだろう。
手放すのは「モノ」だけではない。
「人への執着」もそうなのだと教えてくれている。
表情や動きで物語を感じさせる素晴らしすぎる演出。
この辺りでは、すっかり風くんの世界に入り込んでしまっていた。
生中継なのも、紅白なのも忘れ、画面に釘付けになっていた。
そしてここからの流れがあまりにも美しすぎて、初見で見た大晦日を思い出すと、今でも鳥肌が立ってしまう。
しばらく歩いた後、上昇するワゴンに乗る。
ここで初めて、カメラが風くんの表情を正面から捉えた。しかし目は閉じられていて、その後も視線は外したままでカメラの方を見ることはない。
開け放つ胸の光
闇を照らし道を示す
なんて訴えかけるような表情で歌うのだろう。
思わずその様子に見とれていると、この歌詞の直後、風くんの顔に朝日が射してくる。
それは闇を照らし道を示してくれるかのような光。
この中継で初めて光が射した美しいシーンだ。
風くんは、中継が始まってからずっと日の当たらない場所を歩いて来ていた。その事にも意味があったのだと気づいてハッとする。
手放すのはモノや、人への執着だけではない。
楽しかった思い出。
迷い、苦しみ、悲しみ。
人として生きてきた.その過程で抱いた様々な感情も全て。
この世で得たもの全てを、ゆっくりと手放してゆく。
執着も依存も消えてゆく。
そして老人は、ここでようやく光を見つけた。
このタイミングがあまりに絶妙すぎて、そして美しすぎて、見ていて涙がこぼれた。
やがて生死を超えて繋がる
歌いながらゆっくりと顔を覆う。
生死を超え時空を超えて、再び根源で繋がる。
それは魂の繋がりであって、そこでは顔(身体)は必要ない。魂がもっと深いところで繋がってゆくのだ。
共に手を放す 軽くなる 満ちてゆく
ここで顔を覆っていた右手の中指と人差し指が、ゆっくりと開く。その隙間から風くんがこちらを覗いている。
まさか風くんの目がこちらを見ているとは思わなくて、かなりドキッとしたシーン。しかも今までの表情とは全く違う。
強い光を宿した瞳。
その眼差しは、強烈な意思を感じさせる。
共に手を放し、軽くなり、満ちてゆこう。
そう心に直接語りかけられているかのように感じる。
風くんの目力があまりに強すぎて、畏怖するような気持になった。朝日に照らされていることで荘厳で崇高な印象も加わり、「神」の存在も感じた。
何かを見つけたようにカメラから目線を外した。
何を見つけたのだろう。その瞳は、この世のものではない何かを見ているようだった。
晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく ah(ooh)
目に見えたものに惹かれ、風くん自身が歌う事さえ忘れているかのように見えた。
何もないけれど全て差し出すよ(ah)
手を放す 軽くなる 満ちてゆく yeah-yeah
ここで風くんが歌ったのは「全て差し出すよ」の部分。かなり強い調子で歌い上げた。この部分だけを歌うことで、歌詞の意味がまた強烈に心に入ってくる。
最後に、ゆっくりと眠るように横たわる。
胸に置かれる一輪の花。
2024年夏の日産スタジアムでのライブで、自分の名前が書かれたお墓の横に眠るように横たわった風くんの姿が思い起こされた。
全てを手放し、軽くなり、満ちることができた、誰よりも大切な自分自身への、最大の愛を表現した場面であると思う。
こうして人はまた、還ってゆくのだということ。
死はいつも隣に居て、この世を去ることは怖いことではないのだということを教えてくれている。
見終えた頃には、涙があふれて止まらなくなっていた。なんて深い愛を表現しているのだろうと思った。
風くんの歌を聴いていると、この世を去るのは思っているほど怖いことではないのかもしれない。そんな気持ちになってくる。
そう思えることってなかなかない。
本当に素敵なことだと思う。
「与える」ということにも重点を置いた中継だった。
演奏しているDURANへお金を与えるシーン。
akiraくんにマフラーを巻いてあげるシーン。
どちらもすごく素敵だった。
風くんみたいに、軽く、そんなに深い意味をもたせずに、「与える」こともできる人になりたいと思う。
NYからの生中継だったが、事前に撮られた映像なのではないかと思えるほど、精密でPVに忠実な演出だった。
何一つ欠けてもこれほど完璧に仕上げることは叶わなかっただろうと思われる。自然の朝日までをも味方につけ、これ以上ないほどの素晴らしい作品に仕上がった。
生中継でこれをやり遂げるスタッフさんたちやチームの団結力、風くんの歌唱力や演技力も並外れている。
そのまま公式PVにして出していただきたいくらい、完璧で美しい中継だった。
そして、叶うことなら何度でも見たい。
2024年の大晦日、見ただけで何か手放せたような気持になり、少し軽くなり、満たされたような気持ちになれた「満ちてゆく」の中継。
思いがけず浄化をしてもらえたような、そんな素敵な時間だった。
私はB'zも大好きなので、こんな至福の時を過ごした大晦日は初めてで。
本当にとても幸せでした。
素敵すぎる時間をありがとうございました。