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ケイオス様について色々考えてみた その3
※注意
デッキ構築ではなく、群雄譚の考察です。
惑星クレイ群雄譚4章2話のネタバレが含まれます。
また、これを書いてる座布団の宗教および神話への知識は一般常識レベルないしそれ以下であり、当然ながら宗教を馬鹿にしているつもりは一切ないです。
ここの解釈間違ってるぞ、というのがあればこっそり教えてくださるとありがたいです。
相変わらず座布団の妄想が炸裂してるのと内容が支離滅裂なので苦手な方はお気をつけ下さい。
前々回の考察noteを読んでいただいた方がスムーズに読み進められます。
前回の方は読まなくても多分大丈夫ですが、ざっくりでも構いませんので前々回の考察は見ていただければ幸いです。
ここで警告はしていますので苦情は受け付けません。
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前書き
もう7月ってマジですか。
雨が降ったりやんだりの天気と職場がクーラーかけすぎなのも相まって、最近体調がよろしくない座布団です。
ヴァンガードにおいては、リリカルモナステリオのパックが発売しましたね。
座布団は現状リリカルモナステリオのデッキがないのでスルーですが、介護人としばいぬはあれこれデッキを弄ってるようです。
座布団自身ドレスアップしたハーゼリットちゃんのイラストが素敵だなー、と思いはしたんですよ。
組みたいなって。
ハーゼリットに限らず今回のドレスアップの白ドレスが可愛くて何かしら組みたかったのですが汎用カードが手を出せないような値段なので安くなるまで様子見予定……でした。
介護人「ケツとタッパがデカイ女のデッキだ、使ってみろ!!!」
介護人と身内のリリモナカートン勢のカードを魔合成してデッキを作ったデッキを貸し出してくれるとのことで座布団の星灯祭はリルファちゃんと一緒に迎えることになりました。
プロキシではないので大会にもでれるし、何より自分で組む前にお試しさせて貰えるのは感謝の極みですね。
また、7月末といえば大阪デラックスです
座布団は「OsaMaYor(オーサ・マジョール)」というチーム名でトリオファイトに参戦します。
例のごとく介護人、しばいぬとチームです。
トリオ終わった後は暇人なので来られる方は構ってやって下さい。
というのも座布団は身内以外と対面できる機会がデラックスや地方カップくらいなんですよね。
そういうわけなので、どうかお願いします(宣伝)
閑話休題。
今回も、惑星クレイ群雄譚が更新されたので記事を書きました。
お前は更新来る度に記事を書くのかと言われそうですが、それもこれもケイオス様が物語の根幹に関わる重要そうなことをペラペラ話しているせいです。責任転嫁加えて一応ケイオス村の片隅でひっそり一人暮らししてる身なので推し主従が出てくるとあれこれ考えたくなるんですよね。眷属なので実家は勿論ダークゾーンですが
前話から1ヶ月の期間こそ空きましたが、今回の更新分はその分密度が濃い内容だったと思います。
座布団、6月の次元跳躍発売からモーダリオンの構築に悩んでいたのですが、その悩んでる内容をnoteにぶちまけてあらかじめ頭の中を空っぽにしておいたんですがそれが正解だったと思いました。
情報量が多すぎる。
一旦メモ書きに留めようとしたのですが、内容が膨大になりすぎたのと、宗教絡みの内容もあるのでこっちに書きました。
介護人の作ったよくわからないデッキ(本人談)を紹介する記事書こうとしてはいたんですが無理でした、ごめんよ介護人。
というわけで以下から考察本編にはいります!
─────────────────────────
1.ケイオスの語るお伽噺について
今回の更新内容はサクリファイス・グラスの本格的な登場とお伽噺という体をとったケイオスの過去の話でした。
といっても、ケイオスの語るお伽噺はどこまで本当なのかがかなり怪しいです。
なんならサクリファイス・グラスからは荒唐無稽なお伽噺だと断じられています。
一方でケイオス自身は嘘である、作り話であるとは言ってはいません。
ひとつだけの真実としてロロワの力が必要であるとはいっていますが、『真実がひとつ』という発言が嘘の可能性もありますよね。
ケイオスが語ったお伽噺の内容をかいつまむと以下のようになります。
・ケイオスはダークゾーンの生まれである
・ケイオスは他者の夢を覗くことができる
・ケイオスとグランドグマは旧知である
・グランドグマは自らの夢を現実にできる
・ケイオスはグランドグマの夢に触れることができ、数多のパンやワインを生み出した
・無神紀の訪れにより力を失ったグランドグマは敵に討たれ、眠りについた。
とりあえず、1つずつ掘り下げていきましょう。
・ケイオスはダークゾーンの生まれである
ダークステイツではなく、ダークゾーン出身とさらっと言っています。
3000年前にロロワを襲った犯人が自分であるとバレていることに気付いている可能性がありますね、そしてもう隠す気もないようです。
これに関しては間違いなく真実ですね。
更に言えばクランに所属していたのであれば、ダークイレギュラーズの可能性が高いはず。スポーツやサーカスに精を出してるケイオス様、ちょっと見てみたい気持ちはありますが。
ダークゾーンといえば忌み子が捨て置かれる場所でもありますが、ケイオスの場合は生まれもダークゾーンだろうと思われます。なんてったってソウル大量要求火力スキル系デーモンですからね、実にダクイレ的。
・ケイオスは他者の夢を覗くことができる
嘘であり真実だと思います。
ロロワやミチュ、テグリアに夢で語りかけているので夢を覗けること自体は事実でしょう。
嘘であると言った理由は覗くだけでなく、干渉ができる可能性が高いからですね。
後述するグランドグマの自分の夢を現実にする力はグランドグマ自身が夢を見なくてはならず、美味しいパンやワインを知らないグランドグマが現実に出来るのはとても食べれそうにない物ばかりだったとあります。
そんなグランドグマが美味しいパンやワインを現実にできたのはケイオスが何かしら干渉したと考えるのが自然ですよね。
事実、私は彼女の夢に触れることができた。という台詞もあります。
ちなみにケイオスは貝気楼のシーンにおいて起きているテグリアにも語りかけています。
これに関しての理由付けですが、テグリアが聖好餌を食べている、ないし払い清められた装身具を身に付けているからと考えられますね。
まず、聖好餌を食べた者の特徴を見てみます。
『人は抑圧された願望や欲望を夢に見ます。普通なら、夢のなかで意のままに振る舞ったとしても、朝には忘れて日常に戻るでしょう? ですが“夢の境に入った”生贄たちは夢での放埓な行いをそのまま現実でもするようになり、破滅します。まるで巨躯に侵された人々そのものだと思いませんか?』
3章におけるテグリアの描写と一致していますよね。
また聖好餌を食べた後の状態は『夢の境に入った』と言われています。
これを夢を見ている状態と解釈するのならば、ケイオスの干渉を受けてもおかしくはないですね。
・ケイオスとグランドグマは旧知である
ケイオスとグランドグマが旧知であるかどうかは現状疑わしいのですが、これが嘘である場合は後に続くケイオスの話は全て与太話となってしまうため、メタ的な視点からみれば事実だと解釈するほかないですね。
ただ、それだけの要素で断定して終了するのは面白くないですし考察の意味がなくなるので読み解けそうな箇所を探してみようと思います。考察は与えられた情報と自分の持つ知識を使って内容を読み解くべく思考するのが楽しみで醍醐味です。
まず、気になる箇所がここですね
「グランドグマが哀れな人々と同じく、地上で生まれ育ったという事実はありません」
ケイオスは「いけない」というように目を軽く見開いた。
「あぁ、失礼。そうだったそうだった」
この「いけない」というように目を軽く見開いた。という文章からはうっかり口を滑らせた、しまった。といった感情が察せられます。ケイオス様のことだし、お気に入りであろうロロワ君を前にしてテンションがあがってべらべら喋ってしまったというのと、サク様の前での『設定』を忘れていたという感じですよね。
また、それに続くのが次の文です。
「親愛なる生贄の皆様が、グランドグマの復活によって目を覚ますこともありません」
「確かにそうだねぇ」
ケイオスは羽よりも軽やかに頷く。
羽とは軽さの象徴です
恋愛漫画やドラマなどで男性が女性を抱き上げ、「羽のように軽い」というやり取りをするシーンがあったりします。
体が軽く調子がいいことを「羽が生えた」なんて言ったりもしますし、軽さを売りに出したランドセルにも「天使のはね」という物がありますよね。座布団はお馬鹿なのでエンジェルフェザーのデッキにエメラルドウィッチララのスリーブを付けて天使のはねとララちゃんランドセル!とかやってました。
軽い、また反対語の重いという言葉は物理的な重量だけでなく、行動や言動にかかる責任や意味を表す時にも使われます。
その状況における「軽い」は「価値が少ない」「大切ではない」と言ったマイナスの意味で使われます。
つまり、この「羽よりも軽やかに」という表現はケイオスの態度や口振りだけでなく、その発言内容もかかっているのではないかと考えられます。
要するにサクリファイス・グラスの話に適当に合わせてあしらっているだけであり、この返答は同意であって同意ではないと考えられますね。
なんなら謝った時に「そうだったそうだった」と二回繰り返しているのも適当さを感じさせます。
同じ言葉を二回繰り返すといえば「はいはい」という返事が代表的ですよね。
「はいはい」
「『はい』は一回!」
「わかってるわかってる」
「わかってないでしょう」
のようなやり取りは誰でもしたことはあるのではないでしょうか。
その際の自分の感情を思い出してみれば、感情のベクトルは指摘されたものと別の方向へ向いていて、適当にあしらうために口をついた言葉が「はいはい」だったのではないでしょうか?
少なくとも真剣な態度の時に同じ言葉を繰り返す言い方はしないですよね。
ざっくり言うとグランドグマ強火オタクのサク様に「君の話は解釈違いだ」と怒られたので取り敢えずその場をおさめるべく形だけ謝ったという感じですね。
ケイオスの感情を読み取る手がかりになりそうなのが次の文章です。
「何だい、今とても良いところだったじゃないか」
話の腰を折られたケイオスは、唇をちゅんと尖らせた。
「私はまだ君の荒唐無稽なお伽噺を聞かなくてはいけないのですか?」
「人聞きが悪いな。私の話のどこが荒唐無稽なお伽噺だっていうんだい。友人の君でも言って良いことと悪いことがある!」
唇をちゅんと尖らせる、という描写からから読み取れるのは不満です、まあ気持ちよく話していた所に横槍を入れられれば不満を覚えてもおかしくはないですね。唇を尖らせて拗ねるなんて子供のようだけど、なんで反応が可愛い感じなんだこの推定3000歳デーモン。問題はその後に続くやり取りです。
自分の話を荒唐無稽なお伽噺と言われたケイオスがサクリファイス・グラスに怒っているわけですが、この台詞を言った際のケイオスがどんな様子だったかの描写が一切ありません。
ちなみにミカニに対して「虚ろだね」と声をかける場面も同じく描写がありません。メタ的な視点からすれば今後に関わる内容なんでしょうね。
あくまでも唇を尖らせ、拗ねている描写は話の腰を折られたことに対するものです。
ここから該当台詞だけを抜き出してみると結構怒っているようにも見えます。
「私の話のどこが荒唐無稽なお伽噺だっていうんだい。」の箇所は疑問を投げ掛けているものの、クエスチョンマークがついてません。
これは疑問ではなく抗議としての言葉でしょう。ムキになっているとも言う
また、ケイオスがサクリファイス・グラスに使用する呼称は「君」です。
基本的にケイオスは他者を「名前+少年、少女」または「肩書き+名前」と呼びます。
例外は名前、もしくは愛称で呼ばれている従者のミカニとサクリファイス・グラスです。
この2人はケイオスからすれば比較的気易く接することができる間柄であることが察せられます。
その1人でもあるサクリファイス・グラスに対しても怒りや抗議の言葉を向けるということはケイオスにとってこの話が「嘘だと思われたくない事実」だという証拠ではないでしょうか。
勿論嘘を隠し通すには事実を織りまぜるのがよい。という通説もあるので、細かい嘘が隠れている可能性もありますが普段はニコニコ笑顔を崩さない混沌デーモンが抗議の感情をみせるあたり概ね真実だと考えられます。
真実だった場合、二人が出会ったのはケイオスが他者の夢を覗き見したのが切っ掛けというのがありえそうだと思いました。
夢というのはもっとも簡単な現実逃避の手段です。
他者の夢を覗き見していたケイオスならばは当然それを知っているはず。
にもかかわらず、夢でも辛い思いをしているグランドグマに興味を覚えて接触するのは十分にあり得る話じゃないかと思います。
『 つらくない どこか 』
『 しあ わせに 』
『 し あわせ って なぁに? 』
うっとりとした声は、切実であるにも関わらず輪郭はあいまいでぼんやりとしている。
今よりもすてきな、苦しみのないところに行きたいな。
そんな望みは薄ぼんやりとあるものの、そのための意思や方法を一切持ちあわせてはいない——
そうして形を持たずどろどろとした闇くらがりのなかに、甘やかなことばが一粒落ちる。
何もかもがあいまいな世界で、その音だけが水琴窟ひびく雨滴のように澄んでいる。
——可哀そうに。
慈悲の殻にくるまれたことばは、小さな小さなさざなみを起こし、あいまいな無数の望みたちへ薄皮一枚の柔らかな輪郭を与えていった。
この幸せを望む声と、可哀想にと哀れむ声の主はグランドグマとケイオスではないかと座布団は考えてしまうんですよね。
・ケイオスはグランドグマの夢に触れることができ、数多のパンやワインを生み出した
『いえ。この本によれば、無神期よりも前は実際にグランドグマによって“夢”が現実のものとなっていたらしいですよ。まぁ3000年以上前なので信憑性は微妙ですが。あ、92ページお願いします』
オブスクデイトがジラールから渡された本には3000年前にはグランドグマによって願いが叶っていたという記載があるようです。
3000年前って地球の現代日本から換算すれば縄文時代になります。
そこまで離れていれば正確にはわからないのも無理はないですし、信憑性も怪しいのですが火のない所に煙はたたないという言葉もあります。
多生の脚色はあれど、それに近しい出来事があったとは考えてよさそうですね。地面から掘り出された3000年モノのロロワ君は実質土器だった……?
ところでこの本、誰が書いたんでしょうか……?
詳しくは後述しますが、グランドグマを復活させようとする者を探すためにケイオスが書いたのかなと座布団は考えています。
夢を現実に叶える力があったとして、お腹をすかせている子供がパンを食べたいと願うのはわかりますが少女であるグランドグマがなぜ水ではなくワインを夢見たかが疑問ですよね。
これを読み解く鍵になるのもキリスト教です。
以前の記事でもケイオスとキリスト教について書きましたが、やはりキリスト教は関わってると見て良さそうですね。
ケイオスの衣装もキリスト教の司祭服ですし、身に付けてる後光冠は聖人であることを表す後光を装身具にしたものです。
ケイオスの話が本当であるならば、救世主グランドグマを見出だした存在として聖人扱いされていてもおかしくはないんですよね。
キリスト教、もといイエス・キリストといえば有名な最後の晩餐ですが、その場でキリストはパンを「自分の体」、ワインを「自分の血」といい弟子たちに与えたという話があります。
グランドグマがパンとワインを与え、与えられた者達がグランドグマの信奉者となったと考えれば順序は逆ですが構図は同じです。
となるとグランドグマの死後、魔力を捧げ眠りについた信奉者たちは殉教者ですね。
また、テグリアとメープルをはじめとする生贄達はマゼンタピンクの液体に満ちたサクリファイス・グラスの中に閉じ込められているようですが、これをキリスト教に結びつけて考えると『洗礼』ではないかと思います。
洗礼がキリスト教の儀式であることは知っている方も多いとは思います。
座布団はクリスチャンではないため、詳しくは知らなかったため軽く調べました。
まず、一口に洗礼と言ってもいくつか種類があるようです。
代表的なのは下記の通り
浸礼(しんれい)
全身を水で浸し、身を清める方法。
潅水礼(かんすいれい)
水を頭上から注ぐ方法。
滴礼(てきれい)
水に浸した手を頭に置く、あるいは水を頭に振りかける方法。
メジャーなのは浸礼ですが、教会によって方式が変わはりそうです。
また浸礼を行う教会でも身体的な事情を考慮して、潅水礼や滴礼を行うこともあるそうです。
クリスチャンではない人からすれば洗礼を受けなければクリスチャンになれないように思えますが、実際にはそうでないようです。
というのもクリスチャンになるために必要なことは洗礼を受けたか否かではなくイエス・キリストを救い主として心に受け入れることだそうです。
とどのつまり洗礼を受けずともイエス・キリストを信じ、受け入れさえすればクリスチャンにはなれるわけですね。
では何故洗礼を行うのか。
そもそも洗礼はイエス・キリストと一体となることを象徴する儀式であり、キリストと共に古い自分が死に、キリストと共に復活して新しい命を生きることを表すものです。
バプテスマとも呼ばれており、その語源はギリシャ語の「浸す」から来ています。
なぜ「浸す」という言葉が使われているかというと
「キリストと共に死に、甦る」
「キリストに浸かって染まる」
という意味があるためです。
ここで、サクリファイス・グラスのイラストと、群雄譚での描写をみてみます。
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ケイオスは『現実』のサクリファイス・グラスの肩に腕を回し、4つ並ぶガラス球のうちのひとつを指先でコンッと叩いた。
目を凝らし、ロロワは気づいた。
「——っ」
満ち満ちるマゼンダピンクのうちにはぎっちりと人々が詰まっている。
満ち満ちるマゼンタピンクはサクリファイス・グラスの頭部にあるガラス球に詰まっている物ですね。
恐らくなのですが、甘やかな好餌に描かれているマゼンタピンクの液体と同一だと思われます。
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オブスクデイトはサクリファイス・グラスの容姿を砂時計に例えました。
が、実際にガラス球に入っている物は砂ではなく液体であり、更にその液体に満ちたガラス球の中には生贄とされる人々が収まっていたわけです。
この構図は洗礼の1つ、浸礼ではないでしょうか?
また、クリスチャンの中では洗礼を受けることをキリストとの結婚と例えることがあるそうです。
キリスト教において信仰の対象であるキリストは神といってもいい存在であるため、キリストと結婚するということは神の伴侶になるという意味だと考えることが出来ます。
更に言うとキリストは男性です。その伴侶となるということは神の花嫁になると解釈できます。
キリスト教においては文字通りの意味で捉えていいと思うのですが、神の花嫁といえば人身御供、即ち生贄の隠語として使われる言葉。
また、洗礼を受けるためには条件や費用こそかからないのですが下準備のための学習の場が設けられており、そこで学び、全て納得した上で洗礼を受けるという流れになっています。
『下準備を終えた者が、水に身を浸すことで洗礼を受け、キリストと一体化して生まれ変わる』
というプロセスと
『聖好餌を食すか装身具を纏った者が、マゼンタピンクの液体に身を浸し、生贄としてグランドグマに取り込まれグランドグマとともに復活する』
という過程は似ていますよね。
ちなみに余談ですが、現実で洗礼。特に浸礼を受ける場合は簡易バスタブ──即ちお風呂で行う場合もあるようです。
あくまで儀式であり苦行ではないので冬場はお湯でする場合もあるのだとか。もしかしてサクリファイス・グラスがお風呂ではどの腕から洗う派かという話はこれからきていたりする?
・無神紀の訪れにより力を失ったグランドグマは敵に討たれ、眠りについた。
先程からの続きになりますが、キリスト教を語るにおいて外せないのがキリストの死です。
キリストが処刑された理由はユダヤの王を詐称し、ローマ帝国への反逆を扇動したという罪によるものです
何故、キリストがそのような罪に問われたのか。
キリストの信奉者にはユダヤ人も多くいました。
ローマ帝国の支配を受ける彼らにとって、今までにない教えを説くキリストは「ローマ帝国の支配を退け、自分たちを独立へと導く救世主」だと考えられたわけです。
しかし、キリストが説いたのは弱き者に手を差しのべる、助け合うなどの教えでありユダヤ人達が望んだ救世主像とは異なっていました。
自分達の望みを叶えてくれない者が救世主たりえるのか?この男は救世主を騙る偽物ではないか?
ユダヤ人達が抱いたその疑問が大きくなるにつれユダヤ人達の心はキリストから離れ、やがては処刑へと繋がっていきます。
グランドグマがキリストと同じ歩みをしていたのだとすると
『かつての自分のように飢えた弱き者に手を差しのべ救っていたが、次第に肥大化する信奉者の声にこたえらず最終的には味方に裏切られ、敵に討たれた。』
といった感じでしょうか。
また、キリストの処刑において忘れてはならないのがキリストの弟子であるイスカリオテのユダです。
ユダといえばキリストを裏切って身柄をローマ人へ売り渡したという逸話が有名ですよね
では、グランドグマをキリストとした場合、ユダにあたる存在は誰なのか。
現状討たれる前のグランドグマと面識があるのはケイオスのみなので、ケイオスがユダであると仮定して読み解いていきます。
まず、ユダが裏切りに及んだ理由については「悪魔サタンが身体の中に入り込んだから」という説があります。
悪魔サタンといえばイヴを誘惑し楽園追放のきっかけとなった蛇と同一視されています。
また、ヨハネの黙示録では冠をかぶった七つの頭と十本の角を持っているとされ、「年経た蛇」「赤い竜」と呼ばれます。
また竜や蛇ではなく人型で描かれることも多く、その場合は蝙蝠の羽を持つ姿や堕天前の名残を残す美を備えた姿で描かれるそうです。
これを踏まえた上でケイオスの容姿を見てみます。
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頭に冠を被り、蝙蝠のような羽を生やした顔のいい男ですよね。本編でも端麗なかんばせと記載があるので顔がいいというか美しい容姿なのは公式です。
背景に描かれた蛇もはっきり確認できる範囲では6頭です、これにケイオスを足せばちょうど7になります。最もこの蛇が巨躯であるならば無数にいるらしいのであまり参考にはならないですが、あくまでイラスト上ではです。
10本の角に関してはケイオスの被る冠の棘のような装飾が近しいのではないかと思います。プレイマットや絵師様のあげられてる拡大画像をみると棘は10本前後ありますね。
「年経た蛇」「赤い竜」という呼び名について。まず前者はケイオスと同一であろう巨躯の姿が蛇であることと、ケイオス自体が推定3000歳オーバーなので考える余地もないですね。本デーモンに言えば「私だってまだ若い!」とかいいそうですが、1000歳ちょいだったオリヴィを老樹呼ばわりしていたので3000歳の自分がそう言われても仕方ない。
逆に難解なのが「赤い竜」の呼び名です。
「ハッ」
リリミがせせら笑った。
「長虫使いが何を偉そうに」
長虫とは蛇の俗称である。
「な、が、む、し~っ?! 蛇ごときと気高いドラゴンを一緒にしないで!」
、地球においては竜、もといドラゴンは蛇や蜥蜴に似た空想上の生物です。
ラディリナには怒られてしまいそうですが
なので蛇の姿を持つケイオスや巨躯を竜とこじつけるのも無理な話ではないかと思います。
赤という部分で思い浮かぶのはケイオスの髪の色の変化ですね。
どういった理由で髪色が変わるのかは明確にはなっていませんが、その理由もそのうち明らかになるのでしょうか。
また、ケイオスが裏切り者であると考えられるのがこの記述です。
歪む時空のなか、その有様が断片的に映った。
ひとつのパンを奪い取って、老人を踏みつけにする子ども。
あたたかな土地を追い立てられる家族と、それを剣で追い立てる痩せぎすの男。
誰かのワイングラスに妖しげな薬を混ぜて微笑する貴婦人。
人々はやがて望みのままに天へと手を伸ばし、無数の黒い影は自他の境なくぐちゃぐちゃに混じり合って、ぬかるんだ泥濘を成していく。
因果の泡でのこの光景はまさに人々の欲望が引き起こした酸鼻極まる光景ですね。
この欲望にまみれた人々はグランドグマの信奉者だったと思われますが、グランドグマが救いたかったのは現状に苦しむ人達、つまり弱者です。
この光景を見ていると寧ろ弱者が自分より弱者を痛め付け、苦しみを生み出しているように見えます。
人が人を傷つける最たる理由は欲望であり、人の欲望には際限がありません。
一方でグランドグマは最初は虫の集ったパンと泥水しか生み出せませなかったとケイオスは言います。
その理由はそれしか知らなかったからです。
知らなければ、求めることはできません。逆を返せば無知は無欲であるわけです。
これを踏まえるとケイオスはグランドグマに救われた者達に更なる欲望を煽ったのではないでしょうか。
ロロワやミチュ、テグリアに呼び掛けたように。
それにより信奉者たちの願いは欲にまみれ、肥大化していきやがては因果の泡のような弱者が弱者を痛め付ける光景が見られるようになった。
そして無神紀に入り、願いが叶えられなくなったグランドグマは見限られ討たれた……といった感じではないでしょうか?
では、何故ケイオスは自らが謀殺したグランドグマの復活に関与するのか。
キリストは死後、復活を遂げています。
そしてキリストを主とするキリスト教はキリストの死によって設立した。
つまりキリストは一度死に、復活を遂げたことで神になったわけです。
グランドグマを復活させた後のケイオスは何をするつもりなのか、というのは前回の考察で出した『哀れな子羊達への聖譚歌ケイオス』のフレーバーテキスト通りでしょう。
『酸鼻の調べが、天を喰う。』
クレイ群雄譚の冒頭で巨躯はクロノスコマンド・ドラゴンを食らっていますよね。
食事によって接種した食材はやがて血肉となり一体化します。
そこから派生して、力ある者の肉を食らい取り込むことで自らがその力を得る。という考えも創作などではよく見られます。
この考えがクレイ群雄譚、ないしケイオスにあるならば復活して神となったグランドグマを喰らうことで自身が神になる、または神に等しい力を得れるわけです
これがケイオスがグランドグマを復活させる目的とは考えられないでしょうか。
そしてグランドグマの復活を誰かにさせるべく本を記したのではないでしょうか
ちょっと突拍子もないように思えますが、それを連想させる要素がないわけではありません。
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前々回の考察ではこのケイオスのイラストは「泥の中に咲く蓮の花とそこに座する仏」の暗喩ではないかと書きました。
開花した蓮に座するのは修行の果てに悟りを開いた仏です、そして仏教における信仰対象は仏。
つまりケイオスを神に見立てていると考えられます。
また、ケイオスとミカニの会話にもそれを連想させる言葉があります。
「ならば、この退屈を夢で侵さなくてはね。——ミカニ?」
「はい」
後ろに控えていたミカニは静かに答える。
「ロロワ少年を私に献げてくれるかい?」
「……貴方のご意志のままに」
ケイオスは、遥かなる天を仰ぐように両腕を広げた。
ここでのケイオスの台詞には「捧げて」ではなく、「献げて」という字があてられています。
一般的な「捧げる」は両手でもって高く上げることを意味しますが、「献げる」と書く場合は献身の意味があり、神前に花や供物をささげる場合もこちらの字を使います。
つまり、ケイオスがミカニへ命じた内容は
「ロロワを神への供物として自分に差し出せ」ということにならないでしょうか。
また、先程ケイオスのモチーフはユダ。ないしユダの体に入り込んだサタンではないかという内容を書きました。
サタンと同じく、神に反逆をした存在として有名なのがルシファーです。
ルシファーとサタンは度々同一視されていますが、ルシファーは天使だった頃は神を讃える歌、つまり讚美歌を司る天使だったといわれているのでケイオスにはその要素も入っているかもしれません。
ただし、サタンとルシファーには決定的な違いがあります。
ルシファーの目的は神から寵愛を受ける人間への復讐とされています。
一方で、サタンの目的は神に復讐し、神を越えることです。
ケイオスのモチーフにサタンが使われているとすれば、神になるという目的を持っていてもおかしくはないですよね。
更に、ケイオスとサクリファイス・グラスの会話をみてみます。
「そうだ、聞いたことなかったね。君の欲望も聞かせてくれないか」
上機嫌なケイオスとは真反対に、サクリファイス・グラスは機械的に答えた。
「“グランドグマ”をこの世界に顕現させること、それだけが私の欲望のぞみです」
「ハハハハッ! つまらないねぇ。私と同じだけ退屈だ」
ケイオスはサクリファイス・グラスの欲望を退屈と切り捨てています。
あらゆる欲望を讚美する男が何故こんなことをいったのでしょうか。
座布団なりに考えたのですが、サクリファイス・グラスはグランドグマの復活のみを目的としており、グランドグマに託す個人的な願いを持たないのではないでしょうか。
そう考えた場合、欲望とそれにより引き起こされる酸鼻を好むケイオスからすれば「つまらない」という感想を抱くのもおかしくはありません。
またケイオスは「私と同じだけ」という言葉を使っています。
座布団の解釈の上ではこの言葉を文字通りの意味で捉える場合、ケイオス自身も個人的な望みがないという意味になります。
そうなるとケイオスは
『神に匹敵する力を望んではいるが、それを使って自分がどうこうしたいわけではない。
自分の力を餌に欲望を煽って他者が破滅する様をみたい。』
という考えを持っているのかなと思います。
2.ミカニの名前について
今回更新された本編とはあまり関係がないのですが、考察する上で少し気になったので書きます。
ケイオスの従者であるミカニ、彼はケイオスから「ミカ」と呼ばれていますよね。
2人の関係性から考えればケイオスからの親しみを込めた愛称ではあるとは思うのですが、元々がわざわざ縮めて呼ぶ程長い名前ではないことや他に愛称で呼ばれているユニットがいないため、何か意味があるのではないかと思いました。そもそもあの混沌デーモンが何の理由もなく他者を親しみを込めた愛称で呼ぶなんて、考えにくいんですよね。
ミカニという名前がギリシャ語のμηχανή(機械)を由来としているというのは過去にも書いています。
一方でミカはフィンランドで一般的な男性の名前です。
座布団はF1好きなのですが、過去にはフィンランド出身のミカ・ハッキネンという選手がいました。
日本だと一般的に女性名として使われる名前なのでピンと来ないかもしれません。かくいう座布団の個体名もミカですので。英語のマイケル、スペイン語のミゲルと同じだと聞けば男性名だとわかりやすいですね。
そして、西洋圏の名前は大体聖書からとられていますが、ミカという名前は大天使ミカエルに由来します。
ミカエルといえば戦う天使のイメージですね。
ミカエルが守護する対象とされている者も兵士や悪魔祓い。身近なところで言えば警官、消防士、救急隊員などです。つまりミカエルは人命や治安を守るために戦う者を守る天使です。
惑星クレイ探検隊調査報告書によれば、ミカニも元々はブラントゲートの治安を守る役目を担っていたとありますね。地球風に言えば警察官が近いでしょうか
ちなみにミカニの英語版カードの綴りはMikaniです。
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前々回の考察記事でミカニの名前にも軽く触れていますが、μηχανήを英語にした場合は「メカ」になります。
メカはmechanicalないし、mechanismの省略であるため、こちらが由来だとすればミカニの綴りは「Mechani」、発音を考えても「Michani」あたりになるはずです。
一方で人名のミカの綴りは「Mika」です。
こうなると、ミカニの名前はμηχανήとMikaのダブルミーニングと考えれはしないでしょうか。
また、ミカエルの描かれた有名な絵画には「悪魔を倒す聖ミカエル」というものがあります。
槍を持ったミカエルが悪魔を成敗している絵画なのですが、ここにかかれた悪魔はサタンです。
ちなみに近年の説ではミカエルとルシファーは双子とされている者もあるそうです。
無関係ではなさそうな気もしますね。
おわりに
今回は座布団の解釈要素がかなり多めに入ってしまいましたが如何でしたでしょうか……?
勿論解釈違いであったり、そんな飛躍した考えが罷り通るわけないだろうという意見もありそうですが書いてる側としては1つの内容について調べるうちに他の要素とも繋がる内容が見つかったりして楽しかったです。
読んでくださった方の意見や考察も聞いてみたいのでまた座布団に教えていただけたら幸いです。
ここまで読んでいただきありがとうございました!