石川潤 「薄められていくハイドン」(2022)
概要 〜 ハイドン音列の消失
この作品はハイドンの音列に固執しながら溶解していく過程を描いた音楽である。
ハイドンの音列だったものはさながら浴槽に投げ込まれた砂糖玉のように、
面影を失い、自我を消失させていく。
それはまるで、咀嚼と消化の過程のようである。
十二音技法による自我の喪失
この作品は十二音技法を「自我の喪失」の効果として用いている。
十二音技法は、ドからシまでのオクターブ内の十二音を、一音ずつ重複しないように選出して生成された音列を用いる技法である。
こうすることで、全ての音を等価として扱う事ができ、どの音にも比重を置かない、重力感のない無調を理論的に作り出す方法として二十世紀音楽では重要視されていた。
しかし、「全ての音が等価である」というのはあくまで楽譜上でメロディ全体を包括的に見た場合の話である。というのもリアルタイムな時間上では認識の過程や実演奏上の肉体的な動きによる障害があるため、ただ十二音並べただけでは全ての音を等価に感じるのは物理的には困難だからだ
例えば今即興で十二音音列を歌うよう指示されたとする。初めの数音程度は任意に選ぶことが容易だが、後半になるにつれて「選ばなかった音を探す」ようになっていくであろう。こうなると出だしの音がいわばツカミとして印象を作り出す自由な役割を持ち、残りの音は十二音の穴を埋めていく作業となる。
このような即興演奏での思考はすなわち、あらかじめ完成した曲を聴取する際にも同様の現象が起こりうる。つまりいかに平均的に音程を配置したと言えども、最初に聴く音の印象がどうしても優位になってしまうのだ。
(これは音程のみで制御するから生じる問題なのでトータルセリエルと呼ばれるリズムや強弱などを制御する方法で対策できるが、今回はこの問題点を逆手に利用する都合上それらについての説明は割愛する。)
この時間経過の観点で見れば十二音技法のメロディは初めの幾音の印象から徐々に拡散していく傾向のある配列といえる。
この曲における十二音技法は、HAYDN音列含む歌い出しの四音を徐々に拡散させるエフェクトとして用いられており、全曲を厳密に統率するものではない。
音列は登場ごとに変化していくが、この変化もまた「溶解」の過程と言える。
ハイドン音列の自我
ハイドンの音列(シラレレソ)は古典的な和声のカデンツの動きをしている。
トニック(H)、サブドミナント(A)、ドミナント(YD)、トニック(T)
次にこの音列を集約した4音から12音音列を生成する。音列は4音ごとにハイドンの響きが薄められていくように選択される。各4音ごとにそれぞれHAYDN音列と同様にトニック、サブドミナント、ドミナントの機能が与えられる。そしてトニックに回帰するように冒頭の四音が末尾に与えられる。
このようにして、トニックに始まりトニックに終わる基本的な和声機能がHAYDN音列における一つの自我となる。これは曲全体の形式となる。
音列の溶解、世界の溶解
次にドミナント部からつながるように、新たなハイドン音列のような音列を提示する。この音列はハイドンより少し変容している。
そして同様に新たな12音音列を生成し、その作業を繰り返していく。繰り返すうちにハイドンだったものが半音階的な全く違うものになっていく。
そのうちリズムさえも和音となり徐々に面影をなくしていく。音列も譜例5の通り、HAYDNを含む起伏に富んだ音列が、最終的にはただの半音階になってしまう。
最終的には音列の一部を使ったクラスターの塊のようなものが低音でうごめき、ハイドン音列を一瞬思い出すようなメロディが現れるが、それは完全4度の音程の塊のなかに解けてどこか遠くに消えてしまう。
最後に現れた4音は、HAYDN音列の自我で定義した通りの、回帰するトニックを意味するが、もはやHAYDNではなく、最後の音が変わってしまっている為、HAYDC、HAYDJ、HAYDQ、HAYDX・・・いずれにしろハイドンではない何かであり、変わり果てて維持不能となった音列はこのまま停止し、静かに事切れる。
記号とは虚無であるか?
HAYDNの音名象徴についてかつてサンサーンスがこんな根拠の薄い馬鹿げたものに関わってはいけないと批判していた(※注)。確かにこの音列は、事前に定義された音列と文字の仕組みを理解しないと成立しない形而上の記号とは言える。
しかしながら多くの音楽は形而上の概念と実際に揺れ動く音響で感じるものとの相互作用で物語が成立している。そしてHAYDNの音名象徴も、このようにして歴史に残った以上、後世において意味のある記号の一つとなったのだ。
本作品はHAYDNの音名象徴の様々な記号性にあえて固執し、音楽的にそれを溶解していくことで、記号が人間の生理的な脳の働きによって消化され歪曲されていく過程を追体験する。記号は虚無かもしれないが、知る事でプロセスを知ることができるのだ。
それか、もしかしたら、ハイドン音列がただ薄められていくというシュールさを以って、何か聴くものにじわじわきてほしいだけかもしれない。
作曲者:石川潤のプロフィール
1991年生。5歳で作曲を始める。
都立芸術高校(現:都立総合芸術高校)および東京藝術大学音楽学部作曲科卒業。
クラシックや現代音楽で委嘱初演や企画公演を行う他、CM音楽や映画音楽、ギャラリー音楽等様々な楽曲提供を行なっている。
2014年 NHK Eテレにて「schola スコラ 坂本龍一 音楽の教室」のワークショップ「20世紀の音楽」に生徒役で出演。
2017年 チェリスト山澤慧氏のリサイタル『マインドツリー2017「全曲初演」』現代音楽作品「My Precious」公募選出、初演。
2018年 ロバート秋山「クリエイターズ・ファイル珈琲店」CM楽曲及びに珈琲店BGMのジャズアレンジ。ASAR 国際馬頭琴アンサンブルの委嘱作品「紫の追憶」初演。
2020年 加藤卓哉映画「完全なる飼育 etude」の音楽を担当。
2021年 リム・カーウェイ監督映画「いつか、どこかで」音楽を担当。マジカルラブリー野田クリスタル氏によるゲーム「スーパー野田ゲーParty」に楽曲提供、2021年度カワイサウンド財団主催:ピアノとジャンルを超えたコラボ全国コンクールにて、自作「Oriental Rhapsody」で第一位を受賞。
2022年 「伊藤万桜 ヴァイオリン・リサイタル」にて三堂信博氏のデジタルアートとのコラボレーション作品「デジタルアートのためのソノリティ」を委嘱作曲。
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