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おむすび通信 #6 特別インタビュー 〜 湯川紘恵(指揮)中江早希(ソプラノ)両氏を迎えて (1/2)

おむすび通信 第1シーズンを締めくくる#6、#7では、《NODUS vol.1 -失われた響きを求めて-》にご出演頂いた指揮の湯川紘恵さんとソプラノの中江早希さんを特別ゲストとしてお呼びしました。

本記事はお二人とNODUSメンバー5名で2020年7月5日に行ったオンライン対談を元に書き起こしたものです。

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NODUS:はじめにお二人の自己紹介をお願い致します。

指揮・湯川紘恵さん:ご無沙汰しております!皆さまお久しぶりです。
富山県生まれで幼少期は岩手県で、小学校半ばからは東京で育ちました。母が声楽家で幼い頃から母の歌を聞いて育ちました。
ピアノは幼い頃始めたのですが、中高での部活動がオーケストラとの出会いです!とても楽しく音楽と接している一方で、音楽の世界に進もうとは当時思っていませんでした。でも、幼い頃住んでいた東北での震災をきっかけに、音大受験を決意し指揮科を志しました。
準備を始めるのが遅く(高校3年生から…)少し遠回りもしましたが藝大の指揮科に進学、その後大学院でも指揮科で学びました。学部時代は学校で学ぶ以外に同期とオーケストラを作って公演をしたり、大学院では指揮における身体の使い方を自分自身を実験台に検証して論文を書いたりしていました。
とうとうこの3月に芸大の大学院を出ました。コロナの影響で卒業式もありませんでしたが、ギリギリ修了演奏会はできたからよかったかな…。
卒業したてホヤホヤです!よろしくお願いします。

ソプラノ・中江早希さん:北海道の生まれです。
小さい頃から歌うことが好きだったんですけど、本格的にクラシックを始めたのは大学生になった時からです。最初は教育大学に四年間いたので音楽の先生を目指していたんですけれど、実習中に教材の中のことを教えるって言うことに苦痛を感じて、自分自身がもっと経験していろんなことをの音楽を楽しさ伝えたいなと思い、芸大の修士課程に入りました。
博士過程も2年前ぐらいに卒業して(修論はハンス・アイスラーについて調べました)、今は無所属という形でオペラやソリスト等色々やらせて頂いています。
最近はコロナの関係で演奏会がほとんどなくなってしまってはいるんですけど、宅録にも挑戦していて、ゲームのサントラなど今までにはない経験を今年はさせて頂いてるなという感じで今おります。
すごくお久しぶりの方もたくさんいるのでこういう場所でみんなとまたお会いできるの不思議な感覚。コロナのおかげで言うと変ですが(笑)。

NODUS:実は私たちもコロナの影響でこの夏に予定していた演奏会を白紙にせざるを得なくなってしまったんです。今は目処も立っていない状況で…という感じなのですが。
卒業式のこともそうだったと思いますが、湯川さんは他にも活動でコロナで影響を受けていることはありますか?
(※2020年7月5日時点)

湯川さん:そうですね、多分皆さんも一緒だと思うんですけど、予定してた演奏会がなくなってしまったりだとか。お仕事させて頂いてる来年の公演なども「どうかな…」みたいな方向性で話が進んでいたりとかする場合もあるので、やっぱり状況としては厳しいのかなとは思いますね。

中江さん:3月から50公演以上は全部延期になってしまって…。あったらあったで嬉しい気持ちもあるんですけど、開催して本当にいいのかどうかと言う複雑な心境ではあります。
でも、この自粛中にあまり連絡取ってない人と連絡をとったり、例えば先輩と一緒に録音して一つの作品を作ったりとか。今までの生きていた視野の中ちょっと忘れかけてた人と繋がれたり、貴重な体験もできているので、そういう経験を大切にして、今年一年は過ごしていきたいなと思うんです。

NODUS(辻田):私も演奏会も飛んじゃったりしたんですけど、その分、新しい制作の方法にチャレンジしたり出来たので、辛い状況ですけどマイナス面ばかりではなく…

湯川さん:時間があるからこそいろんなことにチャレンジする余裕というか、何かに追われて、「やらなきゃ、やらなきゃ!」で過ごしていない分、できることがあるなあとは思いますよね。

NODUS(増田):何かの記事でみたんですけど、ワーグナーのトリスタンとイゾルデの公演を再開した国があって、でも密を避けるために愛し合っているトリスタンとイゾルデが距離をとってるっていう(笑)演出の仕方も変わってきますよね。

NODUS(青柿):演奏会のあり方みたいなの考えさせられるきっかけになりますよね。

NODUS(辻田):作曲家としては、この状況をいかに面白くするか、みたいな。そういうふうに考えて悲観的に捉えすぎないようにしている人は多い気がします。
これから先、生演奏の機会が戻ってくると思うんですけど、また何か新しい形のクリエイトができるといいですよね。

NODUS:ではこの辺りで今回の本題です。お二人に出演して頂いた「NODUS vol.1 -失われた響きを求めて-」の演奏会についてお話していきましょう。

湯川さん:この演奏会は、「月に憑かれたピエロ」と、ピエロの曲中にはない編成で書かれたNODUSメンバーの新曲で構成されている演奏会でしたが、なぜピエロ題材にしたのかなぁという所が気になっていました。

NODUS:実はこの演奏会、月に憑かれたピエロを当初からプログラムに据えて計画したものではなかったんです。
それにはまずNODUSの生い立ちからお話する必要があります。私たちは同じ大学の作曲科の同級生なのですが、大学の頃って授業の一環として自分たちの作品を発表する機会があったりするんです。でも卒業した後なかなか発表の機会がなくなってしまうので、最初は集まったメンバーで「とにかく外部で新作発表会をしよう!」と、このコレクティブを立ち上げました。
しかし、ただ新作を集めただけのプログラムではなく、新作と何かを結びつけて一つの演奏会としてこの会をきちんと成立させたい、という想いがありました。
そこで「編成」に着目し、当時自分たちがそれぞれ考えていた編成と関連のある作品をプログラムに加えることになり、「ピエロ編成」が候補に挙がったのが始まりです。
それで演奏会の計画を始めた時に、ソプラノの中江早希さんという方が博士過程のリサイタルでピエロを取り上げてらっしゃるというのを見つけて。他にも外部の新曲演奏会の企画でピエロを歌われていたの知っているメンバーがいたこともあって、ご依頼させて頂きました。

中江さん:作曲家さんの演奏会企画で歌わせて頂いたのを覚えております。その時が初めてのピエロでした。元々シェーンベルクや奇抜な曲が好きで、学生の時にはよく、作曲専攻の人たちの新曲を歌わせて頂いたりもしました。
ピエロ歌えるの嬉しいなあと思っていたらまた何度も機会が巡ってきて、これは湯川さんにタクトを頼みたいなと思い。湯川さんとも繋がったよね。

湯川さん:ありがとうございます。中江さんに私は大抜擢して頂いたので…!

NODUS:その時にお二人が出会ったんですか?

湯川さん:出会いとしては、中江さんが出られていた大学院のオペラに見学に行かせていただいてたのですが、初めてそういう所にきて右も左も、でちょこちょこしていた学部一年の私に優しく声をかけてくださいました。
初めて演奏をさせて頂いたのはあの博士リサイタルでしたよね。

中江さん:湯川さんは本当に勉強熱心で、大学院オペラの稽古に毎回見学にきていました。どんな指揮をしたいの?と話をしたときに、オペラを振りたいと言っていて。私の博士リサイタルで指揮が必要になったら、絶対湯川さんを誘おう!とその時に思っていました。

NODUS:良い話…!私たちもそんな素敵なお二人のご縁に携わることができて嬉しいです!ありがとうございます。

NODUS:次にピエロの曲と我々の新作初演を交互に演奏していくという演奏会形式につきまして、お聞きしたいことがあります。当公演時の試みとして、舞台上にはピエロ編成のセッティングを常に残したまま我々の新作を演奏していくことによって、その演奏会でしか味わえない過去と現代の結び目を感じられるのでは、と思い実践しましたが、それに対して、「ソロ曲やデュオの時に舞台上に譜面台や椅子が散らばっているのは不自然だ」という意見を頂き、我々も次回以降の課題として反省しました。この試みについて何か感じられたことはありましたか?

中江さん:新しいものを生み出すことってすごく大変だと思うんです。それこそ今のコロナにしても、それまでの当たり前を崩して新しい世の中の形に順応していく必要があって、それは決してすぐに全てを受け入れられるものではありませんよね。しかしそうしていかないと解決の糸口もないままずっと停滞してしまう。なので皆さんのその試みは今後の演奏会形式にとって、例え批判があったとしても決して無駄ではない意味あることだと思います。

NODUS:ありがとうございます!その様に感じ取って頂けたこと、とても嬉しいです!
関連してもう一つお伺いします。今回のように本来はチクルスとして構成された作品を細かくばらして演奏することに対して、奏者の方々はやりづらくはなかったでしょうか?

NODUS(増田):例えば僕の感覚では、抜粋に対する抵抗感は全然感じていないんです。その合間に全く異質なものが交互に投げ込まれたとしても、それは今だからこそ出来る演奏会の面白い側面だなと思います。ただ時代もスタイルも異なる作品へ瞬時に気持ちを切り替えることは、大変でないと言ったら嘘になりますが(笑)

中江さん:歌手の話で言いますと、例えばオペラハイライトであったり、R.シュトラウスの歌曲から数曲抜粋して歌ったりというのはよくあることなんですよね。それに比べるとピエロなんかは特に「全曲通して演奏するもの」という風潮は強いですが、やっぱり別々に演奏してみると、チクルスとは違った魅力が見えてくる。一つ一つがしっかり作品として成立しているんだと再認識出来たり、個別にフォーカスすることによって組曲全体の中の立ち位置とは異なった表現も生まれてきて、とてもいい経験でした。また、聴衆にとってシェーンベルクってどうしても難しい作曲家のイメージがありますが、そこに皆さんの新曲が挟まれることでいい感じに調和されて、シェーンベルクも聴きやすくなりますし、現代曲もただ奇抜なわけではなく、過去とのつながりの中で「これも一つの表現なんだ」と客席にも伝わって、とても良いのではないでしょうか。

NODUS:なるほど。現代音楽に脳内がチューニングされるといったことでもありますよね。

湯川さん:急にどこかに飛び込めー!ではなくて、ちゃんと扉を用意してもらえたような感覚でしょうか。あ、ここに入れば難しい曲も聴けるぞ!みたいな感覚がお客さまにはあるように思います。私も抜粋への抵抗は全くなくて、指揮でも二楽章だけ振ることやオペラをばっさりカットしたコンサートなんかもよくあります。カットしたことに対して何かしらの意味付けをすることさえ出来れば、抜粋というのは全然ありだと思います。

NODUS:ただし入れ替えだけは大変といった所でしょうか(笑)。奏者として或いは聴衆としても、抜粋すること自体はむしろやり方次第で、とても良い効果を発揮しますよね。おっしゃって頂いたような聴きやすさにも繋がりますし、創る側も現代ならではの創意工夫をふんだんに盛り込むことが出来ますよね!

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後編へ続く

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