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朝に人生をしたい

起きた瞬間、『会社に行くか?』迷う。
大体行く。(たまに行けない)この決心に、一日のエネルギー量の8割を持っていかれて、残量2割で通勤し働いている。
爆速シャワー爆速メイクで最近は25分で家を飛び出せる。
少しの遅延も許されない中、会社に間に合う最終バスに乗り込む。その時刻は6:40。はやすぎ。

家が遠い。一時間半かかる。その上に、始業が8:15と早い。
なんやかんや慣れるみたいなこともなくて、もはやだんだん無理になってる。
毎日会社についた暁には達成感がある。
『ついたーーーーーーー!!!!!』
『やっとついた〜遠かったなあ』
ほんとにこんな感覚がある。はじめて来た場所みたいに、
『やっぱなんだかんだ一時間半かかるんだなあ』
『思ってたより遠かったな』と思う。
これにまた腹が立つ。なんで労働してるのにこんなに長旅なのか。そして毎日毎日、『こんなに慣れてるんだから今日は一時間でついちゃうんじゃないの?』と信じてしまう心がかわいそう。労災だと思う。

6時半家を出ようとすると、母がパジャマでたばこをすって、スマホをいじっている。なにこれって思う。休日の権化?
でも母も働いている。
何時までそのままなの?と聞くと
7時!
それからなにするの?
シャワー浴びる!
何時に出るの?
8時5分!
じゃあなんでそんなに早く起きるの?
ゆっくりしたいのよ!

『ゆっくりしたい』猛烈にわかる。
私も朝ごはんをつくったり、ドリップコーヒーを淹れて香りを楽しんでみたい。朝に。
最低限のことじゃなくて、幸せになるための余計なことをしたい。余裕を持って家を出てみたい。朝に。
でも何時に出ようとできたことがない。
こういうことをきくと、
『明日からは早く起きて、ゆっくり過ごそう!』と思う。
でも現実は朝起きた瞬間は、現状維持で布団にいること、が最大のゆっくりするになってしまう。
『朝に人生ってできるんだ〜』と思った。

でも現実は、私が朝に人生するなら5時に起きないといけない。私は8時間寝ても満足ならないので、そうなると九時には寝ないと、ちょっと遅いな、みたいになる。
というか単純に九時に寝たら十時に寝た的な感じになり、十時に寝たら十一時に寝た的な感じになる。それが猛烈に無理だし、ロングスリーパー私にとっては、かなりの精神的負担になる。まあでもこのn−1時間の考え方する人は、早起き無理だな。

でもわたしは聞いた。
もしママが6時に出なきゃいけない仕事についたらどうするの?4時半に起きるの?

何時間寝たか、より、結局は何時に起きたか?ゲーだなというところもあると思ってるので聞いた。
ラジオ体操、四時半なら流行らないよね。
6時半っていう健康っぽい早起きならできそうと思うよね。

ママは言った。
『まずそうなるところでは働きません』

衝撃的だった。
ママは派遣社員。場所をある程度選べる。

私は朝無理民の割に、やたら朝シビアな環境にいる。
大学生の頃は謎に早朝バイトに勤しんだ。
家は周りの人よりいつもなんとなく遠い。(小中高?大)
社会人になり家も遠いし始業も早い。

でもそれは、朝を有意義に過ごせない、理由の一つ、『計算できない』から来てると思う。まあ選べないものもあるけど。
そしてそもそも朝を大切にしようとしていない。

朝大丈夫民は朝に人生できることがわかっているので、それを計算して朝を有意義に過ごせる環境を選択するよう意識できている。もうそこからちがう。

私は朝無理民に生まれ、どんどん朝が無理になっている。
このままじゃいつまでたっても朝に人生はできないようになっている。
もはや最近は、朝も昼も夜も約束の時間が近づくと眠くなるくらいになってる。

今更感が否めない。けど、いつか私も、朝無理民ながら、朝に人生したい。

この文章を書いてたら電車を乗り過ごしたので、今から走って会社行く。朝無理民の人生は家を出てから始まる。


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