果物をむいてくれる人は優しい
私のためにはじめて果物をむいてくれたのはおばあちゃんだ。
両親が離婚して、おばあちゃんの家に住んで育った。
りんごをむいてくれた。
むくどころか、すってくれたこともある。
梨も、桃も、むいてくれた。
一人で住んではじめて、果物がこんなにも高価なものだと知った。
一人で住んではじめて、果物をむくのがこんなにも面倒で難しいことだと知った。病気の時にむいてくれた果物。
一人で病気の時じゃとてもむく気にもなれない。
果物をむいてくれる人は優しい。
おばあちゃんは、私のことを大切にしてくれていることに気が付いた。
又吉さんの小説、「劇場」にでてくる彼女は、よく主人公に果物をむいていた。
大切な人に果物をむくって、幸せなことだろうと思った。
果物を食べさせてあげようって、愛じゃんと思った。
おばあちゃんしかやってくれないことだし。
高くて、めんどくさいけど、よろこばせたいからって感じがある。
ていねいで、繊細で、人がしてくれるあたたかみがある。
当時の私は、「愛されるよりも、愛したいマジで」って感じだった。
この歌詞の真意はよくわからないけど、
私は人間関係のコツはここにある気がしていて、
人をつなぎとめる方法をこれしか知らなかった。
今日は朝から、少し遠い直売所に、梨を買いに行った。
東京に住まなくなって、こんなにもお手軽に、そしてみたこともないくらいたくさんの種類の果物に出会うようになった。
きらきらした果物の中から一つ選んだ。
梨をむこうとすると、「危ないからやめて」と、包丁をとられる。
付き合ったころはそれが悔しかった。
私の手つきが不器用だからなのかもしれないけど、
果物をむいてもらえて、うれしくないの????と疑問だった。
自分の長年の夢というか人に果物をむいてあげるという、私なりの愛し方を無下にされた気がした。
果物をむかせてもらえないなら、どうやってこの人を愛したらいいのか。
果物をむいてあげないと、いつかいなくなってしまうんじゃないかと不安だった。
でもこの人とずっと一緒にいると、おばあちゃんに梨をむいてもらっていたことを思い出せる。
果物をむいてくれるから、わたしはおばあちゃんが好きなわけではない。
果物をむいてくれなくたって、おばあちゃんはおばあちゃんだから。
果物をむかなくたって、私は私だ。
本当はずっと、誰かに果物をむいて欲しかったのかもしれない。
自分のために、最大限に何かをしてくれるのはずっと自分か家族だと思っていた。
おばあちゃんじゃなくても、私に果物をむいてくれる人がいることが、うれしくて幸せだ。
きれいにむいて、出される梨。
「果物をむいてくれる人は優しいんだよ。果物をむいてくれる人は、自分のこと愛してくれる人なんだよ。」
「え?そうなの?俺、自分のためにむいてるけど」
明日は私が、シャインマスカットを用意しよう。
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