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ここは山形県

朝起きたら鳥の鳴き声が聞こえる。
リビングからテレビの音とか、家族の喋り声は聴こえなくて、他の住民の授業やバイトに行くであろう足音とか、寮の人の掃除機の音とかで、私がいつ起きるかどうかについて考えてる人はいない。
ここには家族がいない。

この部屋にいると、東京はどこにあるんだろう?と思う。
今この部屋の天井を見てるだけじゃ、ここが東京から遠いのか、近いのかよくわからない。少なくとも東京にいる家族の声は聴こえない。

外に1歩出ると、都会とは言えないけど、見慣れた文明社会があって、車が走っていて、信号機が縦で、山が沢山あって、東京じゃ見たことないような高くてとんがった木々がたくさんある。
そんなにところせましに生えてきて、根っこが絡まったりしないのか?
これが林業なのか?それとも自然に、木々が太陽を求めた結果、こんなに綺麗にまっすぐ生え揃ったのか?とか、4年間考えたけどググッたりもしないで見てた。
東京とは違うけど、同じように日本として機能していて、人もいて、私はもうこの街が私の街というか、住み慣れていて、特に不便もなく生きていける。欲しいものがあればどこに買いに行くかわかるし、どうやってたどりつけるのかわかる。お金も稼いで勉強もして、友達もいる。だから、東京にもすぐに帰れる感じがした。
だけどどんなに歩いてもなかなか東京にはつかないはずなのが不思議で、ここは東京から380キロも離れた場所にあって、遮るものがなくても、地平線で見えないのでは?と思う。
同じ空で繋がっている。地続き。みたいな、気休めに使う言葉しか合わないことが不思議に感じる。

インターネットがない時代なら、あっちに何があって、今何をしていて、どんな人がいてどんな暮らしをしてるのかなんて、想像もしないような関係の距離の場所に住んでいる。だからか、東京じゃ聞いたこともないような話し方の人に沢山出会った。
私だけの地図(なんか詩的だな!)でいうと、浦安で生まれ江戸川区で育って、ほぼ江戸川区みたいな江東区の高校を出て、一気に山形に進出した。突然のマップ解放みたいな。新エリア!って感じがする。
ポケモンでずっと壁だった道が開けてエリアが広がるみたいな。
そういえば教習所ではじめて、路上に出る日、なんとなく霧っぽくて、はじめて、路上への出口を案内されて運転する時も新エリア開拓って感じがした。

教習所の話はおいておいて、大抵の新エリア開拓は乗り物に乗っていく。
私は山形に新幹線で来た。
東京に行く時は新幹線にのれば3時間も掛からずにたどりつける。
もちろん夜行バスも。
人間の力により、乗れば着く。
だから、山形駅にドアがあって、東京につながっている感覚になる。
地続きは嘘で、上下なのでは?とか、くだらないことを昔友達と焼肉屋で話して笑った。
でもそんな感じがする。移動してる振りをしてるだけで本当は世界線を動いてるだけなのではみたいな。ネプリーグのトロッコがずっとその場所にいるみたいに。
いくら地続きと言われても遠くにスカイツリーは見えない。

私が山形か東京のどちらかにいるとき、いない方の場所も機能している。
東京にいる時、私の山形の部屋は何も起こることがなくただそこに存在していて、1ヶ月以上誰にもみられず何も触られず音を立てることも無い。冷蔵庫が調味料を冷やし続ける。
東京から帰ってくると、部屋は乾燥した匂いがして、冷蔵庫の中はそのままの状態でしっかりと冷えていて、突然ドアを開けたのにびっくりする様子もない。
いつもの道も相変わらず同じ場所にコンクリートの亀裂が入っていて、衣替えしたコンビニ店員がいたり、住民がいる。
この街は機能していたんだなと思うけど、東京にいる時それを全く信じられない。
いつもの知ってる道やいつもの知ってる亀裂を確認しに行くには東京駅のドアを開けないといけない。
ただドアを開けばいつでもそこに行ける。だからやっぱりあるんだろうとドアを開けるのは思い留まる。
新幹線に飛び乗ってしまおうかと迷うくらいには不思議な感覚。

東京にある荷物が必要だと山形で気づいた時、「知ってる場所にありいつでも声で繋がれて、あんなに近くにいた母の元にそれがあるのに、山形にいる私はどうやっても今すぐそれを手に入れることが出来ない」ことが信じられなかったりする。結局山形で調達する。これが自給自足?(違う)
山形で使うものを山形で手に入れて、東京の人は見た事ない触れたことがないものについて、夢になってしまうんじゃないかと怖い。
東京に帰った時にその思い出はエラーとなって、幻想になっちゃうんじゃないかみたいな。
だから私は山形で買ってずっと一緒に過ごした自転車を絶対に東京に持って帰ろうと思う。

東京で遊んでいる友達と過ごしてる時間も不思議で、遊んでいる間はお互い揃って行動して、周りの人と比べたら相対的に家族レベルで結束してるのに、バイバイといった途端、あんなに近くにいても380キロ離れる。
山形の友達も同じで、喋る人がこの人達しかいないみたいな密な人間関係な山形でほとんど毎日一緒に過ごしているのに、長期休みが来ると380キロ離れてしまう。
寂しい?というか、なんで?(私が勝手に移動してる)
絶対に会うはずもないような遠い場所で、同じ年に生まれたというつながりで、ずっと一緒に生きてきた人と、18歳で初めて出会うことも不思議な感覚だった。
私のSNSは大学アカウントとか分けていないので、みんな私のSNSを共通で見れるんだけど、東京の友達への私と大学の友達への私は良いとか悪いではなく、なんとなく違うんじゃないかと思う。
それは本質的にちがうんじゃなくて、場所がちがいすぎて、それこそ、ここの友人は山形で自給自足した夢となってしまいそうな感じがする。
だけどもう1人が東京に就職が決まったので、あーよかったと思った。
それと同時に、東京に東京の友達と山形の友達が一緒に共存することが不思議でたまらない。

こんな不思議な思いばっかりな大学生活がもうすぐおわる。
山形県は私にとってまた想像もつかないような遠い場所になると思う。
私は自称めちゃくちゃ律儀なので、きっと休みを縫ってここに来る。
でも、それはもう住処ではなくて、「住んだことがある場所」で、「のどか聖地」みたいな感じだと思う。私は自分のファンじゃないけど、聖地について色々な感情になると思う。だけどもう、今私がここに住みながらみている山形への感情にはなれないし、なんならもう、引越しの日は決まっていて、先がない山形ぐらしへの気持ちは、去年の今頃とは違った気持ちになってると思う。

母と電話をしていたとき、母が電話を切りたがったので、
「いいの?もう山形で私が電話をかけるのは最後だよ」
「いいよ、だってもう一緒に住めるんだから」
「でも、山形に住んでるのんちゃん(家でのあだ名)、は死ぬんだよ」と言ったけど、自分で言っててしんみりしちゃった。(切られたし)

思い出が色褪せないように、東京に帰っても山形のことを大切に想いたいなと思う。山形に住んだことがあるから、訪れて、これからも山形で思い出ができたらなと思うし、色々なことを感じられたらなあと思う。
いつか子供が出来た時に「そういえばママって山形に住んだことあるんだっけ?」って遠い昔の事のように思わせるんじゃなくて、「ママは山形に詳しくて山形で生まれたの?」とよくわからなくさせるくらいにしたい。

山形で暮らしたことがずっと意味のあるものであり続けるよう頑張りたい。

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