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日記(3/30)
2024年3月30日
1年半ほどご一緒していたお仕事が残り2日。あまりにも実感がない。明日は会わない方もいて、仕事終わりは今日も退職ムード。そんな風に想いを伝えてくれることは、紛れもなく幸せ。
夕方、オンラインで新規のお打ち合わせを予定していたけど、時間になっても現れない。滅多になかったけれど、たまにあるらしい、新規のお問い合わせに現れないという事件が。現れないのだから何も起こらないけれど、じわじわと悲しい。
仕事でお世話になっているPAさんから突然の電話。なんだろうと思いながら出たら「最近どんな感じ?」とのことだった。いつも陽気なコミュニケーションを取る方で面白いんだけど、今日の電話でのやりとりもまさしくそんな感じだった。あちらから電話が来たけれど、私から新規の依頼をお願いして電話を終えた。「いただいた電話ですみません」とこちらがいうと「かまわんよ〜」のテンション。ある種の営業電話だったのかもとまで思った。いい人。
そういえば、先日あるイベントでお花を買おうと るんるんで選んでいたところを、そのPAさんが見ていて「意外やな〜!乙女なんやな!」とケラケラ笑っていたけれど、驚くほどに悪気はなくて、もはやスカッとしている。それはその人にとってかなり衝撃でもあったようで、電話でも開口一番にその話題。笑(私、割とお花好きで通っておりますが?)
今日はSNSの発信をたくさんしてしまった。Threadsやストーリーに小さな気持ちをいくつも。お喋りしたい時期なんだと思う。そして日記を書いている。
素敵だなと思っている人がTheradsに、ハートを見つけたという内容を写真付きで載せていた(写真はハート型の苔と、ハート型になった青ネギの様子)とてもキュンとした。私は子どもの頃からずっと、キュートなタイプでもラブリーな好みでもないので、ハートを意識したことはあまりなく、日常の楽しみに「ハート探し」があるなんて思っていなかった。今、いろんなことが重なり、ときめき欲が高いので早速ハート探しをしようと思う。
ハッとしてコメントをしたら、ハート探しは 人のやさしさ探しに似ているとのことで、さらにキュンとした。
その後もぼんやりとTheradsを見ていた。(SNS見すぎているからそろそろ距離をおかなきゃとも思っている)友達が「たまに突然泣いてしまう」という内容の投稿をしていた。仲良くなったばかりだけれど、なんだかその人のことはすごく好きで、なるだけ楽しく居て欲しいと勝手に思っている人。声をかけたいと思って悩んでいたら、その投稿は消えていた。こうゆう時、自分の無力さを知る。でもこうゆう足りないことを知るのは、人間に良いことだと最近は思える。
大きい仕事を無事に終えた時、その日寝る前か次に起きた時に、私も驚くほど泣いていることがある。すぐに涙の理由が分からなくて、自分で抱えきれない負荷をかけていたんだとようやく気づく。その負荷を、どうにか背負いとげることだけはできるようになってしまい(それがいいのか、だめなのかは分からない)結局泣いているんだと思う。
社会人になってから、仕事の責任にはいつもそんな豪快な向き合い方をしてしまっているけれど、これも変化してゆくのか。
明日、ひと段落の仕事をおえるので、その気持ちの行方もたのしみ。