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結婚しない選択
「少子高齢化が問題となっているけど、結婚のお仕事をしている小林さんはどんな風に考えられますか?」
以前問われたその言葉を、もう何度も繰り返している。
今年の9月、ありがたいことに、市役所で事業説明をさせていただく機会をいただいた。対象は20~30代の職員さんたち。私は「県外から三重に戻り、若くして起業した人」として、結婚に関わる仕事について話をすることになった。
普段の仕事では、大体が3人(わたしと結婚するふたり)の対話なので、大人数の前でマイクを持ってお話しする機会はあまりなく、ドキドキしながら当日を迎えた。
お仕事として向き合っている結婚式のこと、このnoteに綴っているようなことを、どうにかこうにかと伝え終えたあと、まだ気持ちが落ち着かないまま質疑応答の時間に。
そこで、リアルな課題として「少子高齢化と結婚」の問題について質問された。
その瞬間、鋭い問いが私に向かい、皆さんの視線が集中した。マイクを持つ手に力が入り、私はこの日一番緊張した気がする。
きっとしどろもどろしながら、「少子高齢化はたしかに深刻な問題だと思います。ただ、結婚と出産を一体として考えるのではなくて、まずは結婚することも、しないことも、同じように認め、祝福することから始まるんじゃないかと思います。」のようなことを答えた。
※きっとその場にいた方がこれを読んだら、え、こんなに答えれてなかったよ。と思うかもしれませんが、私はこんなことを言った(言いたかった)ように記憶している。全然違ったら面白いので、こっそり教えてください。笑
結婚と社会問題が結びついていることは、よくよく頷けるので、だからこそ、この時しどろもどろしてしまった答えや、具体的な考えをもっと深めていきたいと思う。
そして同時に「結婚しない選択」を尊重する姿勢が、社会にはもっと必要なことだと感じている。
日常を振り返ってみても、「結婚している人」と「結婚していない人」に分けられる場面は少なくない。
例えば、久しぶりに親戚に会った時「まだ結婚しやんの?」などと、アイスブレイクのようにさらりと聞かれたことがある。
"まだ" という言葉には、その人にとって、私の未来には結婚が当然の出来事として想定されていることが滲み出ているわけで。
こんなように、社会でいう結婚適齢期に近づいたり、周りに結婚する友達が増えたりするごとに、こうした日常に潜む無意識なプレッシャーと出会ってしまう。
もちろん、人は一人では生きられない。気を許せる人がいると居心地がいいし、大切な人がいることは嬉しい。
ただ、それが必ずしも結婚という形になる必要はあるのだろうか。
私は、結婚しないという選択も尊重し、祝福できる社会であってほしいと、そう思う。
どの選択も、自分や相手と真摯に向かい合った結果なら、それはとても美しく、意味のあること。
こうした認識が社会に浸透することで、結婚の多様化も進むのではないだろうか。
少子高齢化対策として、自治体では、婚活イベントやマッチング事業も取り組んでいるみたいだが、その前に、「結婚→出産→幸せな家族」といった固定観念を問い直してみることをしてほしい。
結婚する・しないが同じ立場で尊重されることで、自分らしい未来を選ぶ喜びが生まれるのではないか。
あのとき、私が咄嗟に答えた言葉が、誰かの新しい問いを生むきっかけになっていたら、きっとそれが私の仕事の理由のひとつなのだと思う。
自分のことも、自分とは異なる他者のことも、祝福できる社会を望んで。
p.s 「結婚とは」と名付けて綴るこの取り組み、思いのほか多くの方に読んでいただいてるようで、とても嬉しいです。
タイトルを見ると大きなことを言っているように思えますが、内容はただ、私が日々の仕事を通じて感じていることを綴っているだけです。
どんなテーマで、何を書いていたとしても、結論はとてもシンプルで。
それぞれのふたりを祝福したい。そう思っています。