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家を間違えた|日記8/25-8/26

2024年8月25日

衝撃事実に今気づいたが、昨晩から今日のお昼まで、家の駐車場を間違えて、一つ隣に停めていたみたい。すみません。すみません。
いつも隣に停めている車はどこにも見当たらなかったが、とんでもなく申し訳ない。駐車場のお隣 ということしか繋がりがなく、謝りもできないまま今。

実は前にも、家の玄関を間違えて、鍵が開かない扉を焦りながらガチャガチャしてしまったことがある。

そういえば随分と子どもの頃、建売住宅?なのか同じデザインの家が並ぶ景色を見て、「これじゃ、家のドア間違えちゃうね。」と親に言っては「そんなことはないでしょ」と笑われていた。

その時は、幼心ながらに「そっか、毎日帰る家だしね」と思っていたものの、大人になってまさか自分がそれをしているとは。とほほ。


2024年8月26日

今日から東京に出張。
出張といったものの、仕事の予定が一つキャンセルになってしまい、ほとんどの時間がオフ。合間に仕事はしつつ、好きなお店を回ったり、街を散歩したりしながら過ごしたい。

生きの電車から見えたひまわり畑のひまわりが、もう全て枯れてしまっていた。栄養がなくなったというか、高さはそのままに、黒く焦げて顔が下向きに。

電車から流れるように見たそれは、初めてみる景色で、かなりショッキングな姿だった。季節の植物だし、きっと毎年のことなんだろうけど、なぜか初めて見た気がする。

はたまた、もしかすると、何度か見たことあるけれど、日々の記憶が積み重なり、思い出せないほどに忘れてしまっているのかも。

悲しいできごとを忘れて暮らすって、一瞬は「ハッピーでいいじゃん!」と思うけど、これはとてもシリアスなことなのでは。
日々、私の目の前で起こることも、もっと遠く誰かの目の前で起こっていることも、辛くても悲しくても、忘れずにいなきゃと思う。

もともと楽観的だし許容範囲が広いタイプなので、長くクヨクヨする訳ではないし、自分のご機嫌をとりながら過ごしている。その中で、無意識に嫌な記憶を消してしまっているのかもしれない。

これはかなりハッとするできごとだった。

東京に着く頃にはもう、ひまわり畑どころか、人人人で景色が埋まっていて、もう景色どころではない。
仕事を終えて、もう夜。地下や地上を行き来しながらホテルに向かう。地面の下を走っているって改めてやばい。
人が移動する上で、人がまた働いたり、生活しているのもやばい。先駆者として地下鉄を考えた人は、どうやって周りを納得させたんだろう。

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