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日記(2024/6/23~25)
2024年6月23日
欲しい連絡がこない、悲しい。
でもそれは、来そうな連絡ではなくて、来ない方が想像しやすい連絡。
だけれど願望を込めて、ずっと欲しいと思ってしまっている。
2024年6月25日
今日は夕方に打ち合わせがあるものの、他はお休み。お昼過ぎた頃すぐに、お気に入りのカフェへと向かう。NaYaさんは本が読みやすく、今日もひとりfuzukueを開催中。いつもながら、シフォンケーキが大きくて幸せになる。今日はティーソーダではなく、アイスコーヒーにした。
読み切るのに時間がかかってしまった、きくちゆみこさんの「だめをだいじょうぶにしていく日々だよ」を読み終えた。
三軒茶屋にあるtwilightという本屋でウェブ連載されていた短編集とそのアフタートークが一冊にまとまったもの。とても温かく、希望となる言葉たちだった。なにが?と言われたら戸惑いもあるが、きくちゆみこさんが確かに過ごした日々の記しが、正直で言葉を濁さず、でも敵意もなく、やわやわと大切にされている様子に、私も撫でられているような。
いつかのだめも、いつかだいじょうぶになる気がするし、もちろんそうでないこともあるだろうけど、それでも日々を生きる、と思える。
夕方の打ち合わせを終えて、用事があって実家によると、ご飯どきだったのでそのまま晩御飯を一緒に。
この後、買い物行くつもりだったんだ〜と伝えると、私も行こうかな と母が。きっと学生の頃ぶりに、母とスーパーに行くことに。
9本大特価のきゅうりを分けたり、桃買う?葡萄買う?など生活を気にかけてくれたり(買わなかったが)言葉にしないけど、母が十分以上に私を気にしてくれることが伝わる。
買い物に行く前も、母が 思いの外に行く気満々だったので、何か二人で話したいことがあるのか?と思っていたのだけどそんなことはなく。ただ、いつものように何気ない近況話と、昨日のアンメットが良かったという話をした。
私はというと、母と話す時は必要以上に、生活を楽しんでいる様子を話す。最近の家が心地いいこと、料理が楽しいこと、友達と交換日記をしていること、お客さんからお菓子をいただいて食べきれないことなど。
母からしたら、突然専門学校を辞めて、その翌年には東京に行くと言い出して、数年で部署がなくなり退社することになると電話で言われ、気づけば個人事業主になって帰ってきた娘。私が母なら、少なくとも安心なんてできやしない。
そんなわけなので、会えばとにかく、今の生活が以下に幸せかを伝えてしまう。最近はようやく「たのしんでていいなぁ〜」と素直に言ってくれてる。
アンメットが良かったと、同じ気持ちになれることが嬉しいし、「アマプラでしてる、1122ってドラマもいいよ!みてみて!」とのことで、なんだか素敵そうな作品をおすすめしてくれた。これもまた楽しみ。
なんだか、日常のようだけど、大切な一日だった。