「残す」を「記す」と言い換える
年が明けてからというもの、「今年の目標は?」という話を、何度も耳にし、声にした。
私の目標のひとつは、ルールを更新していくことだ。
少し思い出を振り返ると、私のウェディングプランナーという仕事の始まりは、5名ほどのプランナーで成り立つチームで、それぞれのふたりの
結婚式を全く違う形で祝福する、いわゆるオリジナルウェディングを手がけていた。
目指すものやチームの空気がとても素敵で、伊勢から東京にあるその会社に飛び込んだのが20歳の頃。
ほとんどマニュアルやフォーマットもない中で、憧れる先輩の仕事を見様見真似で学びながら、言葉通り手探りに、ウェディングプランナーとしての私の仕事は始まった。
その頃から考えてみると、祝福の数を重ねるごとに、自分の中のルールがいくつも増えていった。
その一つが、「残す」を「記す」と変換すること。
いつからそうしているのかは、あまり覚えていないけれど、なんとなくずっと「残す」という漢字を使わずにいる。
"写真を残す、記録を残す、日々を残す"
テキストでその文字を見る時、私の目にはどうしても「残す」が大きく映ってしまう。
きっと、小学生の頃に給食を残して昼休みに遊べなかったことや、宿題を残したまま遊んで怒られたことが原因なのだと思う。(今思うと小さな原因だが、子どもの頃の私には心が縮むできごとだったはず。)
そんなわけで、私の中では「残す」はすごく残念な印象がある。
一方、
"写真を記す、記録を記す、日々を記す"
そう変換すると、私の心はスッと軽くなる。
残す よりももっと、未来の希望として 大切にしたいという想いが溢れるほどに含まれる気がする。
今もまだうまく説明ができないけれど、こうゆうニュアンスの違いこそ面白く、人それぞれの細やかなこだわりを知りたいなと、毎日のように思っている。
ウェディングプランナーになりたいという夢を持った17歳の頃から「セブンルール」という番組を、毎週のように目を輝かせながら見ていた。
番組の中で出会う人はもちろんのこと、世の中にある素敵な仕事は、きっと皆さんが思い思いにルールを持ちながら、真っ当に向き合っているからこそ、素敵なんだと思う。
私だけのルールを重ねていくごとに、その輪郭がはっきりとしていくのであれば、私もそのささやかな一つ一つを大切にしていたい。
言葉を使わない日はないと思うと、日々のお喋りの中にも、まだ気づいていないルールを私は沢山持っているのだと思う。
そのルールをひとつずつ拾い集めて大切にしてみることが、2025年の目標。
p.s
普段からお祝いが身近にあるからか、年が明けたというめでたさに、未だに心が弾んでしまい、1月中はまだまだ「今年の目標は?」とお話ししたいところです。
皆さんのこだわりもぜひ、また聞かせてくださいね。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。