それなりにまじめに生きてきた若手公務員が変わりゆく社会の中で考えること
---【スーパー予防線タイム】-----------------------------------------------------
もしかしたら読まれる機会が増えるかもしれないと思い、タイトルを具体的にしました。ただし、多くの人に読まれることを想定せず思うままに書き連ねているので分かりにくいです。もし、見ていただいている方がいらっしゃいましたらありがとうございます。。
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いろいろと考えごとをしていたので記録しておこうと思ったけれど、いざPCの前に座るとなんだっけとなってしまいます。
手に職が欲しいと思いました。商標審査官を目指していた(結局落ちた)のも、専門的な知識が欲しいと思ったから。
初回に書いた交換可能な人材でいたいという考えとは矛盾するようだが、不器用な自分を脱して何でもそつなくこなせるようになりたいという願望は少なからずあるので、考えが180度変わったというわけでは決してなく、専門性についてはかねてよりほしいスキルとして考えてはいた。
今、自分の中ではすぐにでも転職したいという思いは薄れてきているが、何年後かには実現するためにも今から動き始めなければならないと感じている。あまり時間がなく、焦る気持ちはあるが、とりあえず来年度は東京2020大会があり、スポーツ関連部署の行政職員として見届けたい。令和3年度は別の部署に異動となる可能性があり、次はどこに行くのか楽しみではあるが、特に行きたい部署もない。ただ、なんとなく、私は頭が悪いのできつい部署に回されて精神的につぶされるんじゃないかという気がしてる。(うまく手を抜くのが下手で、自分の生活よりも仕事を優先しようと思えばできる性質上、限界まで残業できてしまうため)また、AIが何でもやるようになり、役所の事務能力なんて意味をなさない時代が到来しそうである。解雇こそされないかもしれないが30歳をすぎてからの公務員には市場価値がなく、そのころに今すぐやめたくなってもできないであろう。それを考えると、定年まで勤めようとは思えない。私が生きてきた20年ちょっとで時代はずいぶん変化したように思う。幼稚園の頃はまだカセットテープがあり、ビデオデッキがあり、テレビは分厚く、景品にテレホンカードがあった。小学生のころ、母親が使っていた携帯電話はもちろん分厚いガラケーで、つながらない地域もあり、アンテナを引っ張ると伸びたりした。中学生ぐらいでパソコンを使い始め、ニコ動やブログを見たりしていて、やっとTwitterのサービスがはじまっていたぐらいだった(ドラマ 素直になれなくて はTwitterがテーマの話だったが、今のTwitterの現状よりもポジティブな使い方をしていたと思う)。高校生でやっと携帯をもったが、スライド式のガラケーで、まだiPhoneは少数派だった。LINEも高校3年生ぐらいになって存在を知り、クラスの6割ぐらいしかやっていなかったんじゃないかと思う。
そういうことを考えるとあと20年後に世界は自分が想像した以上に代わっているのではないかと思い、現状維持では到底追いつけない。ただ、こんな未来を見据えようという気力も年齢と共に衰え、時代に取り残されそうだ。だから若いうちに動かないといけないのだと思う。このままでは会社に利用され、使えなくなれば捨てられる未来が見える。ただ、これは民間の事務職にも言えることなので、同じような考えをしている人も多そうだ。
そこでどうすればいいのかを考える必要があるが、AIを動かすプログラミングの技術や、ロボットにはできないコミュニケーション能力を高める必要があるのだろうか・・・。前者については、小学校で必修となり、今後プログラミングができる世代の子たちが後輩になることを考えると、習得すべきな気もする。後者については、いつの時代にも必要とされるものであり、とても重要なものと言われているが、どうやって身に着けるのかはよくわからない。とにかく人と話しまくったり、ビジネススクールに通ったりだろうか。
ここで思うのは、どちらも自分がかなり苦手としそうな分野であるということ。だから、これからの時代に適合していくには極端な話、今と正反対の人格形成をすることから始めないといけないのではないか。大げさかもしれないが、今までにしみついてしまった保守的な固定観念や、数字への抵抗感、自信の無さなどをすべて排除するには、そのぐらいの覚悟が必要だと思う。
昔から、自分と正反対な人にあこがれを持っていたし、うらやましくてひがんできた。容姿が整った子、足の速い子、元気で活発な子、体育会系の集団、先生とコミュニケーションがうまくとれる子、調整が上手な子、はきはきしゃべり物怖じしない子、機転が利き、てきぱきと動ける子、器用貧乏と言いながら覚えが早くてなんでもうまくこなしてしまう子、音感がある子、数字に強い子、地図が読めて方向感覚がある子、お金の計算が早い子・・・等々。
それに対して、他人に自分と似た性質を見出すと、同族嫌悪みたいになったり、下には下がいたと思って安心材料にしたり、その人には強めにものを言ってしまったり、気持ちが分かるふりをしてほかの人にはしないおせっかいをしたりする(親近感をもった場合は大変仲良くなる場合もあるがあまりないケースで、自分にはない長所を見つけるまで接触できたという要因が強い)
自己分析で自分の性格について客観的に見ることができず、いつも長所で悩む。短所の言いかえをすればよい、とも言われるがそんなこといわれたらもう短所という認識にしかならない。認知バイアスだとは思うが、その項目が短所になりうる頻度のほうが人生の中で圧倒的に多いような気になり、ポジティブにとらえようという気を削いでしまう。
過去の経験から洗い出そうとしたこともあるが、所詮は過去であり、嫌な思い出がよみがえるだけ。そんなんだったらもう先のことだけ考えたほうがさすがにわくわくできる。
本題にもどるが要は自分を変えていかねばならない。これまでの自分は捨てないといけない。容姿については、金を積んで直し始めているが、内面もどうにかしたい。今の強みを生かしつつ・・・とかいう折衷策もあるが、現状の自分にまったく誇りが持てないので却下。
ここで職場について思うことを書くと、みんな噂話が大好きで閉鎖的、制度に問題があっても手段がめんどくさすぎて変化を加えない方向で進む、個人のスキルというより人間関係ですべてが決まるのが嫌いなところ。いずれにせよここから脱却するにはかなりの努力を要しそうだ。
昔から、家族や先生に怒られないように(あわよくば褒められようとして)生きてきた。だから、いつも「うまくやろう」としてしまう。勘違いやうっかりミスが多く成功しないことが多いが。できそうもない、または初めてやることなのにうまくやろうとしているのははたから見たら滑稽だと思うが、そのときはいかに取り繕うかで頭がいっぱいなのでわからない。
今の職業だって、周りの大人にかなり影響された価値観の中での選択だ。親や先生の中での正解に沿うような職業を選び、自分でそれらしい理由付けをした。そのときは「子供ながらに現実的に考えられている」などと評価されたが、いまとなってはそんな評価は無意味だし、かえって自分の選択肢を狭める一因になった。現代国語が唯一得意科目だったが、出題者の要望に沿って当たり障りのない理由付けをする力があっただけかもしれない。高校のとき現国の先生がクラス担任だった時、進路について話したらもっと夢を見なさいと言われた。その時はなんだ、大人らしくないことを言うなあと思ったけれど、今の自分が当時の自分に声をかけるとしたら、先生の言う通りだよ、と言うだろう。
とりあえず今のままではよくないことに気づき始めたので、プログラミング講座のお試し版を申し込んだ。あとは、投資の勉強をしよう・・・。
いろんな項目を一気にカウントダウンできるアプリが欲しいな。前だけを見て頑張ろう。