陰謀論の誘惑
いまさらだが、陰謀論がなぜダメなのかメモしておく。「現象としての出来事は何かを原因とする結果であり、現象の背後にある原因を究明しないかぎり真実には到達しない」というのがもろもろの陰謀論の背後にある考え方だろう。ここでは出来事はいわば仮象であるとされるので、出来事との正面からの格闘は回避される。陰謀論者は、出来事と格闘する人びとの無知を冷笑し、真実を知るのは自分だけだと悦に入るわけである。
だが本当のところは、生起する出来事は必然的な出来事(現実)として私たちに与えられる全てであり、その原因が何かを私たちはアプリオリに知ることはできない。出来事と格闘する中で、帰納的に知ることができるだけなのだ。ある原因から演繹的に説明される出来事というロジックの立て付けは、従って幻想であり、現実からの逃亡を合理化するものである。
たとえばいまyoutubeでは陰謀論が花盛りだが、それはなぜか。いやおうのない過酷な現実があるからだろう。現実を変える力を持てないとき、そんな自分の無力さ、惨めさから目を逸らしたいという欲望が生まれ、この欲望によって現実を超える「現実を操る原因」に引き寄せられていく。なぜなら「原因を知れば、もはや現実に打ち負かされている無力な自分ではなくなる」という慰めを与えてくれるからである。
現象の背後にある原因こそ真理であるという考え方の起源は、現象とイデアを区別したプラトン主義にあり、プラトン主義こそ、ファシズムの温床であるとしたのはアドルノ/ホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』であったが、だとすれば陰謀論はファシズムへ傾斜していくものだと言えるだろう。ユダヤ陰謀論を全面的に活用し、権力を奪ったのがナチスに他ならない。
10/24 2019