見送りたいか見送られたいか
どうも、はじめましての方と再来の方へ、たつのこ龍次郎と申します。
人の心に触れる言葉を紡ぎたい、そんな男です。
私はビビりだ。
もしもバンジージャンプを飛ぶとなったら、30分…いや1時間はジャンプする直前で駄々を捏ねて周りの人たちを困らせてしまうかもしれない。
いつからだろうか、身の回りに良いことが起きているときも、ふともうひとりの私が「いつまで続くんだろ?」と言っている気がしてならない。
「ある」ときに「ない」が、頭を過ぎってしまう。
普段はあまりモノを考えずに、「感じて」終わっていることも多い。これじゃダメだと思って考えるようにしているけれど、昔から染み付いた『癖』というのはそうそう簡単には抜けないモノだ。
少し前に妻に言ってしまい、後悔している言葉がある。
「たぶんオレの方が先に死ぬと思うけど…」だ。
そのとき妻はとても悲しそうな顔をしていた。
※喜んでなくて良かった(笑)
本当に嫌味も何にもなくて、いろいろ自分の体を振り返ったときに寿命短し、と普段から思っていて。
「自分が居なくなったときの生活も、たまには 想像しておいて欲しいなぁ」という完全にデリカシーもなければ、余計なお世話200%な言葉を口にしてしまったのだ。
私自身の経験上、悪いことを想像しておくことで何か起きても「ハイハイ、そうきましたか」と言って『想定内』でありたいと思ってしまっている。
→しょうもないプライドが見え隠れしてて恥ずかしい…
でも、本当に家族のことを大切に思っているならば、「残される側」にいるよりも「先立つ側」にいる方がよっぽど辛さは少なく済む。
一方で残される側は、社会的な手続き、友人・知人への気遣い、自分の心も整理する時間も与えられずに煙と骨を見届けなければならないだろう。
じゃあ、大切に思うなら?
家族よりも健康に気を遣って、長生きすること。それが本当の優しさなんじゃないか、と後になって思えたのだ。
テレワークによって運動しなくなって段々畑のお腹に焦るだけでなく、そういう想いが湧いてきて、ようやく少しずつ自分の身体のことを気にするようになってきたんだ。
きっとそのとき受ける心の痛みも、覚悟を持って乗り越えられる気がする。
見えないけれど、そばに居て見守ってくれる。
あなたは、身の回りの大切な人たちに見送られたいですか?
その人たちよりも長生きしたいですか?
追伸 妻がこれを読めば「勝手に殺すな」と言う姿が思い浮かぶ(笑)
ではまた、どうぞお越しになってください。
2021.03.01(月)@2-010
#毎日エッセイ #365日 #VisionOceans #note
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