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なりたい未来の自分は、過去と現在を結んだベクトルの先にある

2年前、全然やったこともないくせに「クリエイターになろう!」と言い続けることにした四十五才の男です。

どうも、たつのこ龍次郎と申します。(以後お見知りおきを)


言葉を駆使するクリエイターになりたいという男は、一体どんなヤツなのか。ご興味を少しでも持っていただけるように、さらけ出していきます。

今の【実物大の私】というのは一言で表すなら「物を書くには足りないものが多すぎ」る状況で、思いつく課題多し。

1.元々、言葉に無頓着で言葉を知らない(語彙力がない)人間だった。

2.物事を知らなくて無知な人間だった。(これは未だに継続中…)

3.普段は記憶力がひどく悪いくせに、変などうでも良いことだけやたら覚えてしまう人間。

物を書こうというのに、「言葉を知らない」「無知」「記憶力が悪い」だなんて…オーマイガットトゥギャザー‼️(←こういうトコロ)

今回は「1.言葉に無頓着で言葉を知らない」こと、何がキッカケで変わったのかについて書きたい。

変わるキッカケになったのは、

『結婚後、妻と生活していく中で気付いた』

でした。

それまで私は、言葉に無頓着な毎日を過ごしていました。伝わればそれで良いと考えており、言葉が本来持つ意味などにこだわりはなく、むしろ邪険に扱っていました

一人で過ごしていた時にはそれが当たり前すぎて、言葉に無頓着だということすら気付いてなかったのです。

普段から丁寧に言葉を選んで使っている妻。
対して、大雑把で言葉の誤用も一切気にしない私。

妻は、どんなに小さかろうが「私が間違った言葉の使い方」をしていたら、「そういう使い方はしない。〜でしょ?」と指摘・訂正をしてくれるタイプ。(正直に告白すると、当初はそのことを鬱陶しく思っていました…)

夫婦で何気なく家事を一緒にやっていた時、妻と大喧嘩になりました。

「私が使った言葉の意味が間違えており、さらに言葉足らずだった」のです。

私の中では「そんなことは言わなくても前後の言葉から想像したらすぐ分かること/間違えていてもなんとなく言いたいことは分かるでしょう?」という傲慢な想いがあって、投げかけた言葉がキッカケになって、蓄積した妻の不満が大爆発。

完全に私が悪かったので、妻が冷静になるまで平謝り。言い訳もできないくらいの状況…

このときの経験が身に染みて、考え方がガラリと変わったのです。

人はことばを介して意思疎通するのだから、その共通言語が間違っていたら、間違った意思疎通しかできない


というごくごく当たり前のことを知るのです。

それからというもの、言葉を無頓着に使うことは、自分の身の回りに起きる出来事すら「大雑把」に変えてしまうことと同義だと感じるように。

今はことばが愛おしくて、
見える世界が変わっています。

妻には感謝しています。アイ ラヴ ユー♪(←こういうトコロw)

あの頃の自分に会えるならば、
『ホラ‼️今すぐ気付け‼️』
って言いたいですね(笑)

ではまた、どうぞお越しになってください。

2021.02.09(火)@016


#毎日エッセイ #365日 #VisionOceans #note

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