「好き」がうまく伝えられない、というか何か間違っている。
隣の芝は青く見える。
周りの先輩夫婦や婚約中の同僚、出産間近の友人。小さな子供の手を引いてface bookに「旦那と子供と〇〇行ってきました♩」の投稿。みんなから幸せオーラが見える。
う、うらやましい!
今まで同じように過ごしてきたはずなのに、いったい何が違うんだ!なんということだ!どこで間違えてしまったんだ!そんな風に思ってしまう小さな心は自分の部屋に閉じこめよう。
きっとどこも間違えていないし、もし少し前に戻ってやり直せるとしてもきっと今と変わらない。
そっと置いて軽やかに外に出よう。
相手を羨ましく思う心は誰にでもあるし、そう思ってしまうのは別に悪いことではないから個人的には気にしない。
「別に俺じゃなくてもいいんじゃない?」
過去の男たちから良く言われた。そしてそういわれる意味がわからなかった。
だって、きちんと相手を見続けて、尽くして、相手が喜ぶように時間もお金も使っているつもりだった。浮気だって絶対にしたことがない。
料理も作って部屋も片付けてベッドも整える、洗濯もしてアイロンもかける。相手が好きなもののストックは切らさないし、先手を打って準備しておく。寝落ちしてる彼氏の携帯をそっと充電器にセットする優しさだって持っている。
それでもきまって同じセリフを言われるのは何か自分に欠陥があるとしか思えない。でも認めたくない。今回は理解してくれない相手だっただけで、相性が悪かったんだ。きっとそうに違いない。
そう思ってまた次の相手へ。そしてまた次へ。
そんなこんなで10代が終わった。
好きってどういうことなのか。
自分本意になって愛情を押し付けない。こっちが何かしたことに対して見返りを求めない。相手を大きく包み込めるような。母の愛的な?
求めるばかりで本当に自分は相手のためを想い行動できているのか。相手が心地よく、くつろげる環境の提供ができているのか。
うーん、考えてみるとどうだろう。
結局は、相手よりも自分が大切だった。
相手に尽くして献身的に動いている自分が好きだっただけかもしれない。尽くしてる私、いい彼女。的な。
正直、見返りを求めてしまう心を今すぐにゼロにはできない。
まぁでも、気付くことで何かが変わるよね!
そんなこんなで20代の終わりも見えてきた。
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