ミチロウ
去年の春ぐらいからミチロウの「カノン」をカバーしていた。昔から好きな曲だったが、自分の中でド本命すぎてカバーできないのがミチロウの曲だった。いつまでもそんなこと言ってるのがバカらしいので歌いはじめた。
ぼくは今日フタのついた瓶の中で泳ぐ
玉虫色の光をきらりきらりさせながら
腹を出し尾っぽをながして
泳ぐ赤い金魚
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泳ぐことは頭をぶつけることだ
見ているあなたに痛さはわからないだろう
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ああもういやだと思うことだけが
まだこうしていれる力なのです
だからぼくをアイシテルというのなら
この瓶を手にとって
あの固いコンクリートの
壁に叩きつけてください
2000年10月に地元のライブハウスで聴いてから、つらい時に思い出す歌。この歌の金魚は父であり、母であり、ぼくであり、ミチロウだった。
写真は2001年の渋谷アピアの冊子と、当時ライブをみてはミチロウがこんなこと言っていたとか感想をメモしたノート。読み直したらやべえ奴の香りがした。
高校は思い出がない。人と関わることを放棄したから。だから写真はほとんど残っていないけど、ミチロウとのツーショットだけ残ってる。
はじめてライブみてショックうけて、スターリン追体験しては沼にはまるように「好き」を越えた奈落におちた。
自分が音楽をやるようになるまで割と時間かかったけど、ミチロウがいたからおれもやろうって思えた。ミチロウといつかやりたいとも思ったし、オファーしたこともあるが、叶わなかった。でもずっと見ていたから、対バンできたかどうかはあまり重要ではないや。
2002年にずっとソロだったミチロウが達也とユニットはじめて、リズムがついたミチロウの歌は衝撃だった。2005年にはキューちゃんとやっていたユニットに久土さん入って、スターリンの虫までやるから、それもぶっとんだ。2006年ぐらいから四ヶ月に一回くらいのペースで国立地球屋でライブしてて、そこで聞ける国立ぶどう園に住んでいた頃の話が好きだった。2010年、ミチロウバースデーライブ、M.J.Q、達也とのタッチミー、NOTALIN'S、各メンバー混じってのTHE STALINISM、かっこよかったし、バイタリティあふれるミチロウがかっこよかったし、誇らしかった、特別だと思った。2011年8月15日、福島でのライブ、現地に行けなかったけど、映像でみて何回も泣いた。ミチロウのバイタリティがとめどなく胸をうつから。
泳ぐことは頭をぶつけることだ
でもミチロウは何度も何度もぶつけて、周りが引いてるのにやめなかったよね。
「福島の未来はこれからだ」
最後のほうに叫んでいた声が、どうしようもなく勇気づけられて、こういう勇気のもらい方に慣れてないので泣けてしまった。
2011年震災直前、東高円寺二万電圧モーニングス企画。レッドクロスで直前までM.J.Qでライブしてて、なかなかミチロウが電圧こなくて少しざわついた空気の中、すっぴんで現れて、満員のお客の前でギター一本の「負け犬」、あれもしびれた。ふらっとやってきて、ガチハードなことしてる姿、焼きついたまま。
2015年THE ENDのライブ。ぼくはその年にリーマン再開して心身ともに疲れ果てて、一番音楽やめたいと思っていた。移転した碑文谷アピアのドアを開けると満員ですでに演奏中、やっていたのは「カノン」だった。もっとがんばろうと思った。
何度も頭をぶつけて、頭をぶつけることを厭わず、頭からつっこむ優しい人。
たまにダサい人。
無茶振りを自分と周りに課す人。
それをやり切る人。
書いても書ききれない思い出はミチロウとともにあって、これからぼくの生きるそばでミチロウの生き様が鳴り続ける。こんなに見てたんだもん。亡霊でもなんでもないさ。
20年近くいやらしい目線で見続けてきたミチロウ。ダサくてもこけても、頭ずるむけても、意思を示し、体現することの勇気をもらったと今実感している。
これからも思い続けるよ、絶賛解散中の「仰げば尊し」のアレンジは北田アレンジだとか、ザなしスターリンの「どてかぼちゃ」はライブ披露時「玉ねぎ」だったとかどうでもいい話をしながら。
もうすぐ終わりがやってくる、それは案外早かった。でも終わってわかったのは、愛はちっとも揺らがず、腐らず、ありのままでいようとする。
ぼくのヒーローになってくれて、今まで本当にありがとう。これからもよろしくお願いします。
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