チャットレディになるまでには理由がある。

こんにちは。のだあさみです。
今回はすっごく私事な記事になりますが、ご一読いただけると嬉しいです。

のだあさみの人生歴

1983年、東京都に誕生。
小学4年生の時に会社員だった父親が起業に失敗して父が別居になる。
借金取りの電話がかかってきたり、物件の査定員が勝手に庭に入ってきたり、幼少期としてはかなりビビる経験をしました。
中学1年生の時に両親が正式に離婚。
その後母に引き取られ、女手一つで3人の娘を育ててもらいましたが、母はヒステリー持ち。
3人姉妹全員家出歴があるという家庭です。

20歳でうつ病と診断

美術専門学校に進学したものの、メンタル不安定で2年目から通学しなくなりました。
1ヶ月泣き続けた後、メンタルクリニックへ行く決断をしました。
「メンクリへ行けば、口うるさい母も黙るだろう」
そんな考えで行ったのがきっかけです。
結果、うつ病という診断。
やっぱり、と思うとともに安堵しました。
母は報告を受けてショックを受けていたようでした。

27歳で双極性障害と診断

メンクリを転々としていましたが、実家の引っ越し先で通いだしたクリニックで双極性障害という診断に。
※うつ病から双極性障害へと診断が変わるのはよくある話です。
確かに、その時期は性的逸脱やアル中が今と比較にならないくらい酷かったです。

でも変わらない人生

人生はそう簡単に変わりません。
母も理解しようとしていましたがお門違い。
母が原因なのに自分が原因とは決して認めません。
診断から20年程経った今も、私を完全に理解はしていないでしょう。


チャットレディへの道

さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題の「チャットレディになった理由」です。
私は今まで殆どフリーターとして生きてきました。
転職歴は数えきれないほどで覚えていないです。
様々な仕事を経験できたことはとてもよかったと思ってます。
ただしやはり履歴書はめちゃくちゃだし、大きな声では言えないですが、詐称もしてます。
しかし過ぎてしまったことは、すべて諦めてます。

27歳、ノンアダチャトレデビュー

27歳から1年程、母の建てた新築一軒家に一人で住んでいました。笑
無職になった私は楽して生きたいのでネットでできる仕事を探していました。
そこで見つけたのがノンアダルトのチャットレディ。
当時わけもわからず登録し、楽して稼げないことを知り、お小遣い稼いで辞めました。

31歳、アダルトチャトレデビュー

再び無職になった私は、またチャットレディをやろうという決断をしました。
とりあえず病みすぎていたので、それでもできる仕事を求めて辿り着きました。
実家住まいだったので通勤で、幸い大きい駅が近かったので、2店舗に話を聞きに行きました。
1店舗目は事務所に案内してもらえず、チャットも「タイピングで」とのことだったので却下。(タイピング苦手です)
2店舗目は信用できる事務所で、アットホームだったのでそこに決めることに。
以前ノンアダで稼げなかったのを知っていたし、自分の年齢を自覚していたので、「アダルトやります!」と宣言。

チャットピアでデビュー!ランキング入りするも。。

事務所で登録サイトは勝手に決められて、人妻?!何で…?と思いましたが、稼働してみたら結果オーライ。
ランキングは事務所の壁に張り出されるので、ランキングに入って事務所の他のチャトレさんにたくさん声をかけてもらって嬉しかったのを覚えてます。
しかし病み期真っ只中の私は数ヶ月でフェードアウトしてしまい、今となっては勿体ないなと思ってます。
当時の事務所にはとてもお世話になりました。

コロナウィルス到来~チャットレディへ

今現在チャットレディになったのは、コロナウィルスが原因です。
コロナ流行当時ゲロ吐くくらい真面目なバイトをしていたのですが、未知のウィルスが原因で出勤拒否(強気)をしていて、その時に読んだ「東洋経済オンライン」の「コロナで変わった人々」的な記事を読んだのがきっかけです。
その記事に「ジムトレーナーからチャットレディに転身したら収入が3倍になった」というひとことを書いてあったのを見て(その頃チャトレの事はすっかり忘れていたのですが)、これだ!!!と思ったのが今に至ります。
エロは無くならないと確信していました。

もう失うものは何もなかった

その後始めたのはチャトレではなくチャットのプロダクションスタッフ。
某有名仕事検索サイトで「アダルト」と調べてたどり着きました。
何故その業界に?とよく聞かれますが、アングラの世界に興味があって、彼氏もおらずもう失うものは何もないと思って業界に入りました。

順風満帆かと思いきや


会社に入ってからもいろいろありましたが、最終的に在宅サポートスタッフに。
やりがいがあってとても楽しく過ごしていました。
しかし日に日に朝起きると、在宅勤務だったのもあって今日は休みなのか?出勤なのか?がわからなくなってしまい、ある日PCの前に座ると上手く息ができなくなっていました。
ワンオペ業務で仕事を増やしすぎてしまって抱えきれなくなり、不安神経症と診断され、休職することに。

異例のスタッフからチャトレへ

休職を2ヶ月していて快方には向かっていたものの、復職には程遠く、スタッフの知識として勉強がてらしていた副業のチャトレへ転身することを決意。
先輩社員に「チャトレからスタッフはよくあるけど、逆はかなり異例」と言われるも特に気にせず。
今はのほほんとチャットをして暮らしております。

のほほんと暮らすまでには様々な葛藤

今はやっと自分の人生を受け止めることができ、上手く舵が取れているような気がします。
しかしここまで来るにはチャトレ始めて約1年、結構苦労しました。
病気、家族関係、経験したことのない孤独。
孤独についてはまた別の機会に脱出法をお伝えしたいと思います。

病気マウントする気はない


病気を原因にするな、という声もよく聞きますが、振り返ると精神疾患がほとんどを占めている人生。
今が楽しい人生だからこそ文章に書けるのかもしれませんが、こうやって病気と付き合いながらもちゃんと一人で生きてる人いるよ、と伝えたいです。


駆け足でここまでザっと書いてみました。
お読みいただきありがとうございました!
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