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【ライブ・レビュー】アンダーグラウンド・シーンの現場から㉘ 高橋直康ソロ
高橋直康(electric bass) solo
2024年11月1日、江古田「フライングティーポット」にて。
闇にうごめく音の壁が織りなすラビリンス。これはもはやベース演奏というよりは電子音楽の一種として聴いた方がよいだろう。また映画のサウンドトラックにもなりうる、映像を喚起する力がある。オルガンにも似た低音がゆっくりと立ち上がってくるさまは不安や予兆を連想するが、くぐもった音響の耳障りは意外と心地いい。ホラーやサスペンスだけでなく、回想シーンなどにも合いそう。
いくつかの音が現れ、ゆるやかに上下し、重なり、層をなしてからみあい、ある音はねじれながら闇へと消えてゆき、ふいに別の場所へまた浮かび上がる。ていねいに織り上げられたきめの細かな黒いカーテン、それが風にあおられて陰影のひだを千変万化に揺らす、そんな場景のようだ。迫力ある音塊のクラスターが眼前に押し寄せ、不断に変化しながら往きつ戻りつするさまには、立体的な奥行きが感じられる一方、時間は凝固し、渦を巻いて停滞している。
音量が大きくなっても、激しさや騒がしさは感じない。鎮静だけが次第に質量を増してゆく。安楽椅子に全身が深く沈みこむように、いつまでも聴いていたいような感覚が意識を包む。覚醒から夢遊病のごとく定まらない思考へ、そして意識の一瞬の(どのくらいの時間かはわからないが)喪失から、ふいにまた覚醒へと、脳の状態は循環する。
意識の表層は落ち着き払っているが、奥底では預かり知らぬものが活性化され、思考の片隅ににゅっと顔を出す。音波の波間に精神を委ね、操られていくことは瞑想にも似て、不思議なリラクゼーションをもたらす。 強制を伴わないブレイン・ウォッシング。
会場に着く前に、バスのなかでロベルト・ムージルの短編小説を読んでいたが、どことなくその文体を思い出す。物語の小道具にランプが出てくるが、この演奏でもぼんやりと七色に光るランプが使われていた。そんな偶然にまで符丁を感じる。
「ランプは淡く揺れ動く五つの環を天井に投げていた。(略)天井で意味もなく揺れ動く五つの淡い環は、異様に興奮した空虚を見張る番人のようだった・・・・・・」(ムージル「愛の完成」より)
これほど複雑にして精緻に完成された演奏を、十分な高音質・大音量で浴びるように聴く体験は何物にも変えがたい。日常の澱みがリセットされ、本来の自我を取り戻した気分。料金はたった1,500円とドリンク代のみ。しかし観客は私一人だ。
高橋はいくつかのバンドに所属してベースを弾くだけでなく、自身でもさまざまな即興ユニットを主導し、またゲストとして即興のセッションにも呼ばれるという多忙なミュージシャンで、その活動の全体像は私も把握していない。ただ、このソロは彼の目指している音楽の本質がもっとも色濃く出ているものではないかと考えられ、彼のベース・プレイを知っている人でも改めて格別の注意を払うべきものだろう。