【ライブ・レビュー】アンダーグラウンド・シーンの現場から㉗ tsubatics、小山和朗

2024/08/29(木) TEN SOLOs 会場「阿佐ヶ谷天」(杉並区阿佐ヶ谷)

出演: SANAWANA(g)、cixa(canoice)、YUTASTAR(g)、tsubatics(b)、小山和朗(g,rb,synth)

*SANAWANAはこの日は欠場でした。

tsubatics による、ソロの即興演奏を集めた企画。彼は持続的に開催しているし、出演者もビギナーからベテランまで目配りして毎回組み合わせてある。「インプロ」の認知度を広めつつお互いにレベルアップを目指していこう、という志が感じられます。しかしそのことを担保しているのはまず彼 tsubatics 自身の演奏なのだ。

エレクトリック・ベースという、いろいろな面で機能の限られた「貧しい」楽器から、エフェクターに頼らずに、いかに多様な響きを引っ張り出すことができるか。彼は要所で声を発し、そのあいまいな音声の塊からすくい取った印象を、ベースの持つサウンド・パレットに反映させていく。基本となる音階のモチーフはあるのだが、その展開の仕方が常にリニューアルされている。探求的なプレイだ。

以前に比べると声自体にも力が宿ってきたし、それを受けてかき鳴らされるベースの音の束も、テクニカルなだけでなく「肉声」を感じさせる、より豊かなものになってきた。アコースティックなら当たり前のことでもエレクトリック・ベースでこの課題に取り組んでいる人は非常に珍しいです。過去にもジャマラディーン・タクーマぐらいしかいないのではないか。私にとってはタクーマに比べればジャコ・パストリアスなどパスする雑魚にすぎない。

一方、ベースラインを紡ぎだす際の俊敏さはエレキベースでしかなし得ないものだ。地を這う重低音から一気に天駆ける乱気流へ、この神速の機動性にかけては tsubatics は並ぶもののない境地にある。

また彼の演奏は見た目にもムダがなく機能的で美しいです。両手でネックをかきむしる特殊奏法の時の、拳の筋肉の盛り上がり具合など、それ自体が被写体の題材となりうる。体と楽器が一体となっている姿からだけでも音が聴こえてきそうだ。ここまで「叫び」を感じさせるベーシストはそうはいない。しかも音楽そのものは表面的な饒舌さにも関わらず、どこか圧し殺された寡黙さを感じさせ、派手な仕掛けで盛り上げたりはしない。一歩一歩を踏み固める行き方は堅実だし、求道的ですらある。

ジャマラディーンがファンクという黒人の肉体性に根差した、「ド派手な」音楽の表現手法を通じて「声」を獲得したのに対し、 tsubatics はそのような切り札を持たない。素っ気ないほどのソリッドでモノクローム的な演奏で、かなり調性をわきまえた、ホリゾンタルな、とでも言うのかな?ソロは、一見地味なのだが、引き締まったスタティックな展開の中に意表を突いた切断と思いがけぬ先への接続が差し込まれるさまは、じつにスリリングだ。 たとえるなら、高柳昌行の初期音源である「銀巴里セッション」での「グリーンスリーブス」でのギターソロ、平岡正明に「俺は岩だ、川の急流にも揺るがない岩だ、という演奏」(大意)と言わしめたソロの、その系譜に連なる今日的な現れの一つだと言ってもいい。彼には多才なベーシストとして無限の可能性がある一方、彼がソロでどこまで行けるのかも見届けてみたいという気持ちが今の私にはある。

この日のトリは小山和朗。(rb)というのが何の機材を示すのかよくわからないが、 tsubatics とは対照的にさまざまな機材を組み込んで使いこなすプレイだ。私は小山は鈴木美紀子との共演しか見たことがなく、自己のグループで即興演奏をしていることは知っていたが、ソロはかなり珍しいと思われる。

小山は「ノイズ」を巧みに使いこなす。「ノイズ・ミュージック」と呼ばれているラウドでヘビーな音塊ではなく、文字通り機材から不如意に出る電子的雑音としか思えない、いわば「ゴミ」のように貧弱な音なのだが、あたかもその「ゴミ」に生命が宿ったように操り、躍らせるのである。これには驚かされた。世の中には「ノコギリによる演奏」というものがあるが、それにも似て形態模写という音楽のプリミティブな形を思い出させる手法。

それにより、電子音なのに妙に生活感のある風景を現出させ、何となくしみったれた「臭い」すらも想像させてしまう。一見すると雑で無造作なような操作なのに、複数の機材を的確に駆使して、日本の住宅街のドメスティックなランドスケープを描き出す。そこにかぶせるギターもしっかりとしたテクニカルがありながら、どこかソラとぼけたような、とりとめのないフレーズを宙に浮かべる。複合的な音の層は刻々と、また気まぐれのように移り変わっていき、日常の延長のような旅をしている感覚があり、飄々としてどこか人を食ったようなそのさまは、インプロ界のなぎらけんいちとでも言おうか。

テクニックによって自らを追いつめていくような求心的な演奏とは真逆の、あっけらかんと開放的でありつつ、広大な空間の広がりを感じさせるプレイは、「音楽ならざるものの音楽性」をもすくいとっており、懐が広い。またスロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle)や初期の暴力温泉芸者を思わせるビザールなユーモア感覚や、メチャクチャなのか計算ずくなのか不明な急転回、得たいの知れない雑食性など、音楽家としての確かな見識を感じさせる。さすがに中堅どころの即興演奏家の中でも各方面からの信任が厚いだけあって、頭一つ抜きん出た内容だった。

この他にYUTASTARのギターも高度な技術を駆使しスピード感にあふれた、聞き応えのあるものだったが、あまりにも完成されてしまっており、柔軟性や可変性という彼の本質はソロよりもバンド・リーダーや各種のセッションにおいてより鮮明に現れると思われる。cixaの(canoice)とは、クッキーか何かの缶(can)を叩きながら即興ボイスを行うのだが、ルーパーやエフェクターも使っていた模様。まだ五、六回目ということで機材の扱いも当たりはずれがあるが、ボイスに関してはソロに取り組む以前から折に触れて行っており、徐々に自己に独自の質を探り当てつつあるし、既存のアイデアやテクニックに頼らない出たとこ勝負であるがゆえに、即興という現象がもたらす不可解さ・不条理さに直に向き合っている感触はある。彼女が今後どう「化ける」のか、期待したい。

https://www.youtube.com/live/Aa63-dADi2Y?si=qOoqIM6JR9aLcBbD

https://www.youtube.com/watch?v=6aVZvZJYEyw

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