【ライブ・レビュー】アンダーグラウンド・シーンの現場から㉖ パンク・バンド「桃鏡」について
2024年8月17日 土曜
桃鏡(じょん vo, e-g. 千草 ds, cho. おさむん e-b.)
ねたのよい
国立「地球屋」
新生なった「桃鏡」に新しく若いベーシスト「おさむん」が参加、今回は思いがけないところでファンキーなベースラインをかけ合わせるなど、いろいろな仕込みをしてくれたおかげで、曲のイメージが塗り替えられたり、オリジナル・メンバーの二人が煽り立てられるような面もあり、これまでのスタティックで完成された世界に替わり、不安定だが刺激的で「ロックな」ステージになった。よくバンドは生き物だと言われるが、まさにこういうのがバンド・マジックなのだろう。音楽的にこれまでなかった要素が入ってきて、それをどうやって消化しようかと一同そろって頭をひねってるような有様には、もっと遠くまで飛ぼうという意思がみなぎり、かつてなかった未知のエネルギーを感じる。
それにしても桃鏡の曲は変わっている。思わぬところで和風のメロディや言葉が入り込んでくるのは、他の有名なロック・バンドにも見られるアイデアなのだが、それが飛び道具的なものではなく、曲全体の醸し出すイメージと無理なく溶け合っている。にもかかわらず、テーマはことさらに日本風とか懐古的というわけでもなく、現在のメンタリティだ。歌詞は時に幻想的だったり、シュールでユーモラスだったりもするのだが、しかしサイケデリックな効果とか笑いを狙っているとかいうものではない。作者(作詞作曲の大部分はバンド・リーダーの「じょん」による)にとってはごく普通の「今」の情景だったり情感だったりするのだが、それを言い表す言葉は思いがけない屈折や飛躍を見せ、歌詞と見事にマッチした曲は、さまざまな予想外のタイミングの転調やリズムのバリエーション・・ワルツなど、を含んでいて、大づかみな外観からはロックとしか言いようがないのだが、ロックのイメージではとらえきれない。
今回の対バン「ねたのよい」がかなりストレートなロックンロールなだけにその異彩が際立つ。桃鏡を見に行くついでにこれまでいろいろなロック・バンドを見ることができたが、ロックという音楽はそんなにバリエーションはなく、基本はみな同じ。今まで存在した名だたるロック・バンドの影がそこここに感じられることが多い。しかしこの桃鏡は何にも似ていない。だからといって当人たちはことさらに変わったことを狙っているという自覚もないらしい。たしかに桃鏡は明らかにポップだし、聴きにくいようなノイジーな混沌とかもなく、リズムはノリが良く、カラフルでカワイげなイメージに満ちている。ガールズ・パンクとして「売れる」要素はそもそも備えているバンドでもあるのだ。
1980年代に欧と米のパンク・ムーブメントの中でこれまでのロックの枠に収まらない奇妙な音楽性を持ったバンドがいくつか現れた。そのインパクトは余波となって何度も日本に押し寄せ、さまざまな特異なロック・バンドが出現したのも事実で、特に女性が中心となったバンドはアイデアの新鮮さで異彩を放っていたようだ。そのことに引き付けて考えれば桃鏡のようなバンドも理解できないものではない。終演後にライブハウスの店員が「スリッツ」のアルバムをかけたので、われわれ取り巻きのオッサンの客は「さっすが、わかってるう!」と喜んだものだが、桃鏡の二人にその話を振っても「スリッツって何ですか?」というだけ。彼女らは「水玉消防団」も「ゼルダ」も知らない。最近の例でいえば「あふりらんぽ」も知らない。つまりオリジナルなのだ。そして無自覚。こちらとしては昔から「突然段ボール」や「おにんこ!」のアルバムを聴いているので、「こういう音楽はよくわかる」と思うのだが、それらを知らなかったら桃鏡をいきなり聴いて「しっくりくる」かどうかはワカラナイ。
とにかく、このバンドはさまざまな要素の混合物でできているのだが、方法論としてそういうことを指向しているのではないし、「ロック・ヒーローの伝説」みたいなものとは無縁なところで醸成されている。彼女らはやりたいことをやっているだけ、自ら楽しみながらの気ままなブリコラージュであり、手探りでかき集めたアイデアを目前の課題にどう活かすかという試行錯誤への熱中であり、そこに予測不可能な面白さがある。
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