【推しの子】の今後の展開を予想してみた②(原作ネタバレ有り)
※この記事では【推しの子】の原作第百二十三話までを踏まえ、著者がまとまらない展開予想をしていきます。まだ読まれてない方はネタバレにご注意ください。
今回は前回の記事で挙げたポイント②について考えていきたいと思うんですが、その前に前回“アクアが復讐を遂げる展開だと誰も救われない”と書いた理由を記しておきたいと思います。
──まずシンプルにアクアは本心からは復讐を望んでいません。カミキに対する憎しみは勿論あるでしょうが、それ以上にアクアを復讐へと駆り立てるのは、アイを守れなかった後悔と自分自身への怒りです。アクアは自罰の為に復讐を自らに課しているんですね…。
──そんな人間が復讐を遂げた時、果たして自分を許せるでしょうか?
仮に①で予想したような方法で復讐を遂げた場合、アクアは憎むべきカミキと同じ所にまで堕ちる事になります。その為に幸せを擲って、沢山のものを犠牲にして…。というかもうその方法をとる時点で、アクアは全てを捨てる覚悟なのだと思いますが…。
そんなアクアが救われるには、アクアの心に深く巣食う“罪悪感”を拭い去る必要があると考えます。
アクアは姫川大輝から自分たちの父親は既に死んでいると聞かされたことで(実際はその父親と目される人物はアイたちが引っ越す前に死んでいるので、教唆犯という線は消えています。)、一度は復讐を忘れて生きることを選ぼうとしていました。しかし有能すぎる黒川サンがアクアより先に黒幕の正体に気付き、復讐の幕を引こうとしたことが結果的にアクアをまた復讐の道へと歩ませることとなってしまいます──。
アクアが居なくなれば言わずもがなですが、重曹ちゃんも黒川サンも深刻なダメージを受けるでしょう…。(黒川サンは行方をくらますくらいだと絶対見つけ出しそうですけど…)もっと酷いのは身内の失踪が壱護さんに続いてとなるミヤエモン…そして最悪なのはルビーですね…。センセが生まれ変わって近くで生きていると知った矢先に失踪なんてされたらルビーの情緒はもうぐちゃぐちゃだよ()アクアが死にでもしたら絶対後追いするだろ←
なので僕はアクアがルビーに前世を明かしたのを見て心底ホッとしましたね…。ああ【推しの子】はハッピーエンドに舵を切ったんだなと。だってあんなに愛らしいなんか妙に距離が近くなった双子を揃って不幸にするなんて所業、鬼とか悪魔でもない限り出来ないですからね〜♪
さてさて、それでは今回の本題に入っていきたいと思いますが、ポイント②は詰まるところアイの想いを汲み取る試みとなります。
星野アイの存在は、【推しの子】という作品を語る上で欠かすことの出来ないものです。(なんたって“推し”そのものですからねぇ…。)しかし、そんな物語のキーパーソンであるにも関わらず、そのパーソナリティはここまで謎に包まれてきました。アイの本心は、幼年期に4年の歳月を実の親子として過ごしたアクアでさえも掴めなかったと語られています。
──と、ここまで書きながら一巻を読み直してたんですが、普通に勘違いしてました(笑)というのもアイはモノローグでは自分の気持ちを割としっかり語ってるんですね←
原作第九話でファンによって殺されるという衝撃の結末を迎えたアイ…。ですがアイの最期は、少なくともアイにとっては絵面ほど凄惨なものではなかったことを読者は知っていると思います。(アニメ第1話のこのシーンは演出とか引っ括めて本当に神がかっているので、人が刺されるシーン大丈夫な人は絶対見てください←)
でも最期に報われたアイの【嘘】を、アクアは恐らく知らない──。
旧『B小町』のドキュメンタリーやアイが遺したDVDの内容いかんによって、アクアがアイの“本当の願い”をどう捉えているかが変わってきそうですが、先程紹介した「俺はアイの事を結局何一つ知ることが出来なかった気がする」の台詞は『今ガチ』の時分の回想シーンなので、少なくともDVDはもう観ているはずなんですよね…。うーん…アクアくんはお母さんのこと知ってるのかい?知らないのかい?どっちなんだい!?
(まあ【推しの子】は細かい台詞回しとかぶっちゃけ整合性怪しいとこあるので、気にし出すと負けの精神で行きます。パワー!!)
さあここにきて【15】という数字が目につき始めましたね。アイの半生を語る映画のタイトルにもなっている『15年の嘘』というのは、アイにとってどういった意味を持つのでしょうか…?
アクアとルビーを出産したのはアイが16歳の時ですから、その一年前までということになります…。
──そして“良い出会い”というのはアクアたちの父親…カミキヒカルとの出会いということになると思われます。
──この時の二十歳になったアイの様子を見るに、カミキへの未練というのは微塵も感じさせないのですが、アイは単に母親になりたいからカミキを選んだというわけでも恐らくないようです。
ではここで少し視点を変えて、原作以外で語られたアイについても見ていきたいと思います。原作者である赤坂アカ先生が、アニメ【推しの子】のOP主題歌であるYOASOBIの「アイドル」。その楽曲の為に書き下ろした小説──『45510』が特設サイトで見られるのでリンク貼っときますね()
──なんというか胃が重くなるような内容でしたね…。多少露悪的に書いてるとは思いますが…でも現実のこういう手合いって論理性すらなく偶像という名の人間を弄ぶからなぁ…。だから罪悪感すら抱かないという地獄…。
話が逸れましたが、アイはB小町のセンターとして活動しながらも、明確に何かSOSを発していた──。アイに心酔する人間がそれに気付かないふりをしていただけで…。──そしてそんなアイにとってB小町は、決してただのバックダンサーなどではなかった…。
蛇足的にはなりますが、TVアニメ【推しの子】のYouTubeチャンネルで配信された【推しらじ】の第8回にて、第1話の病院の屋上でのアイの演技について語られる一幕があるのですが(42:58辺りから)、話を聞いてからこのシーンを見返してみるとちょっとゾクッとしましたね…。
アイの人生ってなんだったんでしょうね…。アイの生きてきた15年間を想うと、殺されたのが寧ろ救いのようにすら思えてくる…。アイにはアイなりの目的があってアイドルをやっていた──。それは幸せそうに、悩みなんてこれっぽっちもないように、まるで無敵であるかのように…。その裏には切実な願いがあった──。誰かを恨んだってお釣りが来るような人生に於いて、その願いは美し過ぎた──。透明すぎて誰にも見えない程に…。誰もがアイの【嘘】を愛した…。
もしアクアがそんなアイの『15年』に対して復讐を目論むのなら、僕にはそれを止める理由を見つけられないです。それはカミキに対する復讐ではもはやなく、アイを“アイドル”として祀り上げた全てに対する復讐だから──
なんか二次創作みたいなテンションで書いてたら随分斜め上な筋書きが出来上がりましたね←
まあ予想されるであろう復讐の計画の裏をかく意味では意外と筋は悪くないかなぁ?アカ先生は【推しの子】は「アイドルとファンとの関係性を問い直す作品でもある」って言ってたし。
で、書いてて思ったんですが、『15年の嘘』ってアイの半生を描く映画としては決定的な欠陥がありますよね(笑)
だって犯人役がいるんだから事件までちゃんと描くっていうのに、アクア役とルビー役が居ないんだから
ということで③に続きます()