子どもが生まれない
私の友人には、パートナーとの間に子がいない人が多くいる。
本当に多い。
そのほとんどが、
子どもを望んでいたけれど現在子どもがいないということ。
原因はさまざま
子どもが授からなかった(女性の子宮や卵巣の問題、男性の問題など)
子どもを授かっても死産や不育症。
私はシングルマザーだけれど、
3人の子どもを授かって、2人の出産を経験した。
現在は娘ひとりと暮らしている。人生いろいろです…。
自分のことはさて置き。
友人には、多産の人も。5人、6人、8人、12人!
この子どもがたくさん生まれる家庭
全く授からない家庭、
この違いについて話しました。
この話題は、友人同士でもデリケートでタブーになりがちな話。
でも、みな向き合って考えて答えは見つからないけれど、いろんな解釈をしていると思います。
その中で、たくさん出たのがこの話。
「赤ちゃんは親を選んで生まれてくる」という話。
池川明先生や、多くの人が話している。
そんな事を言われると、
「私は赤ちゃんに選ばれなかったのか…」そう思い、傷つく人もいる。
けれど、私も赤ちゃんは親を選んで生まれて来るのだろうと思う人は多い。
自分自身も、親を選んだ。
そう思う。
少し心が痛いけれど、自分の話をする。
私の母は、とても母として未熟であった。
気が強くわがままで自分が思うようにならないと怒り出す。
そして、完璧主義で頑張り屋。常に躁鬱状態。
とても不安定で、私は攻撃を受けて育った。
未熟な母には、たくさんの人の支えが必要だった。
とくに彼女をすぐそばで守る人。
それが子どもたちの存在。
私には兄と弟がいる。
私たちは生まれた時から、役割分担をしていた。
私は母にとっての「ムチ」を担当。
母の未熟さを真っすぐに突いた。娘である私は、拒絶されてもただ真っすぐ母の過ちを突いた。少し大人になるまで、手加減なく。
「アメ」担当は兄。
ただただ母を愛し、許容し続けている。言葉が得意な兄はリップサービス担当。
「観察者」と「最後の砦」は弟が担当。
母に対して、ニュートラルな状態で接する。不器用で優しくも無いけれど、最後は弟が母を守るだろう。
この母を守るには、得意分野の違う3人が必要だったということ。
父は子どもの頃の私たちから見れば、優しく頼りない存在であったけれど、とても繊細でありながら強い人だったと大人になってから気付いた。
母にも、私たち3人が必要であったし、今思えば「私の今を形成するには、未熟な母との時間が必要であった」と思うのだ。
親を選んで生まれて来たと実感した。
私の子どももまた同じ。私も、母として人間として未熟。
愛されている実感が無く育った私に、無条件の愛を注いでくれる子。それを感じた時、私は「初めて生まれて良かった」と心から感じることが出来た。
息子は自分を犠牲にして母を守る結果となり、娘は癇癪を通して気を引いてくれて、外界のストレスから私を守ってくれている。
子どもは親を選んでくる。
ひとり、あるいは複数人で家族というチームを組んでくるイメージ。
では、子どもを授からない二人は何が違うのか。
スピリチュアル的な話になるが、
人生で達成すべき「役目が違う」と、皆くちを揃えて言う。
私もそう思う。
例えば、
先祖からの血統や、やるべきこと、使命みたいなものを受け継ぐ役目の人には、やっぱり子どもがいる。
先祖からの役目を、自分で終わらせる「アンカー」になる役目の人は、自分自身や他のもっと大切な事に時間を使う必要があるから授からないという運命があるのではないか。
そしてアンカーの人は、
愛を周りの人に与えることが出来る。
それが、血族でなくても。
自分自身が楽しむことで、周りにそのHAPPYを配り歩くことが出来るひと。
子どもがいない友人たち
「子どもが授かれない…」と沈んでいた時もあるけれど
別の世界を見始めたら 途端に自由になった。
彼ら自身が「子どものまま」のピュアな状態で
人生を楽しむことが出来るようになったそう
「純粋に人生を楽しむこと」
それが授からない人の使命なんだろうなぁ。
笑ながら話す彼ら、彼女たちと話していて素敵だと思う。
油断すると、スルリと薄暗い世界が手招きするこの社会。
自らの輝きで、引っ張っていける人たちなんだろうなぁ。
もう一つ、授からない人たちの役目。
「授かれない人たちの光になる」ということ。
これは8歳の娘が言っていたこと。
「子どもがいないパパとママって良いねぇ」
それは何故か。
娘は、
赤ちゃんが生まれたらそれは可愛くって素敵なことだと思うけど、いなくて二人で色んなことが出来るのも素敵だと思う!
子どもが生まれなきゃいけないってことも無いでしょ。
私は、楽しい仕事が出来たら、その時間がたくさん欲しいと思っちゃうかも。
ということです。
娘はフレキシブルな考えをする子なので、
子育ては「祖母・母・子」の世帯でも良いし、「母・異母・子・子」や「母・友人・子」、「友人グループ・子たくさん」でも良いと考えます。
そんな考えの子どもたちも増えてくるんだろうなぁ。
もっと自由な選択ができる世の中になりますように。