意味のない人生に意味を持たせたい私


生きることの意味がわからなかったのだが、どうやら意味などないらしいと聴いた。
ずっと『意味』を探し続けていた私には、ガッツポーズものの情報である。
これを採用して生きてみる事にした。

「意味などない」っという言葉の前後の文脈を無視し、都合のいいところだけを取り出し、採用する私。どうなることやら。


5日目。

今までは、1日が長すぎて、早く終わらないだろうかと願っていた。

そして日記に何を書こうかと、昨日の事を思い出しているのだが、昨日1日が、近年稀に見る濃い1日であったので、先ほど「1日が長く感じていて、早く過ぎ去って欲しい」と感じていた自分とは、違っている事に気がついたしだいです。

1日が長いと感じるのと、濃いと感じるのでは違うものだな。

充実感という清々しい、爽やかさを感じる。
風になびくロングヘアーが美しい。
汗をかく姿にも清潔感すら漂う。

このイメージは、完全なる妄想ではあるが、事実充実していた。

頭で考える仕事は、やはり心の中の葛藤との折り合いなのか、逃げ出したい、放り出したい気分になった。
身体を動かすだけの仕事では、お客様の反応を観察する事、そして間を意識することで、面白い発見があった。

楽しくても、逃げ出したくても、そんな自分を観察し、待ってみる。

私は待つことが苦手だ。
待つことは、何もしないことと似ているが、違うということに、コレを書きながら気がついた。

私は待つことは苦手だが、何もしないことは得意だ。
怠惰な性格なので、諦めたり、逃げたり、隠れたりするのが得意なのだ。

ただ待つとは、待つ対象があるから、忍耐力がいるのだ。
私には、忍耐力がない。
結果をすぐ知りたくなる。
そうなのだ、私は自分の行動や言動に、意味を持たせたくなっているのだ。

意味のない人生は面白い!っと言いながら、都合のいいところは、面白がり、都合の悪いところには、意味を欲しがっている。

なるほど、自分という人間の矛盾と、いいとこ取りしたい人間性が浮き彫りになってきた。

意味のない人生に意味を持たせたくなっている、今日の私。

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