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『目に映す価値なし』の悲しみ
どうも。
書く習慣を身につける!と意気込んで、早々に萎んでしまった7日坊主です。
特に忙しくて書けなかった!とかではなく、ただnoteに書くほどのことが何もなかったというのが真相です。
じゃあなんで今回は書いているのか?というと、ただ今気持ちが昂ぶっていて、その宛口がここしかなかったという。
人には『妬み』という感情があります。
私は幼い頃から、そういった感情を表に出すと他人が嫌な思いをする、と学んでいたので、心内で押し殺すことが得意でした。
本当はコンプレックスの塊なんですけれど、それ故に、他人に悟られないようにして生きていました。
最近では『押し殺しすぎも良くない』と学んだので、多少ガス抜きも出来るようになったのですが、まだ他人の顔を見ながらの生活の癖は抜けません。
私の鏡合わせのような人がいました。
その人は、私と同じくらい、もしくはもっと多くの妬みを抱えていました。
私自身は、その人の才能の豊かさに妬みも多少ありましたがとても尊敬し、応援していました。
そしてその人はいつしか私を越え、色々な人に評価されるようになりました。
私は素直に喜びました。その人が真っ当に評価されていることをとても嬉しく思いました。
妬む気持ちは押し殺して、本当に、素直に喜び、これからも応援していこうと思いました。
しかし、その人の『妬む気持ち』は止まりませんでした
仕方がないことなのかもしれません。ずっと妬んで生きてきた、私のような人なので。
しかし、私のような者が目に入らないくらいに、その人の妬みはどんどんと強くなってしまいました。
私は、私達は、その人にとって『目に映す価値なし』と判断されてしまいました。
私はその事がとても悲しく、そしていつまでも妬んでいるその人に気付いてほしい一心で、普段押し殺していた私の『妬み』を口にしてしまいました。
もう嫌われても仕方がないなと思ってはいるのですが、あまりに悲しくて、ここに書き散らしている次第です。
ずっと妬みの目で見られていた、その苦しい気持ちを、少しは分かってもらえるでしょうか。
私は言語化することが苦手なので、きっとわかってもらえないかもなと思いながらも、映す価値なしの悲しみを素直にぶちまけました。
どうなるのかは、これから。