【連載#24】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜
第二十四話 自分の欲望を満たす
「むかしむかしあるところに、バスケが大好きな少女がいました。仮にAとしましょう」
タケルは指を組んだ手を膝に乗せてアヤノの声に耳を傾ける。
「小さい頃から体を動かすことが好きだったAは母親の勧めでミニバスを始め、すぐにバスケの虜になりました。中学、高校とバスケを続け、高校時代はインターハイにも出場し、全国的にも知られる存在となりました」
アヤノは地面に目を落としながら、いつもどおりの平坦な表情と口調で話を続ける。
「Aはバスケの強豪大学にスポーツ推薦で入学し、一年生からスタメンで活躍します。順風満帆なバスケ人生です。しかしAが二年生になり、一人の新入生が入部したところから歯車が少しずつ狂い始めます」
タケルは相槌を打ちアヤノの話を促す。
「その新入生を仮にBとします。Bは一般入試で入学した高校時代は無名の選手でした。でもそれはそれまで全国大会に出場した経験がなかっただけであって、B個人のバスケの才能はズバ抜けていました。半年経たないうちにBはチームの中心選手となります。AとBはプレースタイルが似通っていて、その年の秋にAはBの控えに回ることになります。バスケ強豪校の部活は実力が全てです。Aもそれは理解していました。だからAはレギュラーを奪い返すため必死に練習をしました」
高校時代に同じような経験をしていたタケルもAの気持ちはよく理解できた。
「Aが必死に練習を重ねますが、Bはそれにも増してその実力に磨きをかけていきます。Aは追いかけていたBの背中に触れるどころか、気がつけばもう見えないところまで遠くに行ってしまっていることに気が付き絶望的な気持ちになります。しかし、Aの精神を追い詰めたのはそんなことではありませんでした」
アヤノはフゥとため息をつく。
「Aが絶望的になった理由。それはBが自分の才能に無自覚で、Aの気持ちを全く理解していなかったことです。Bが高校時代までに目立った成果を上げてこなかったことが間接的な原因とも言えましたが、でも根本的にはBが他人の気持ちに無関心で興味がなかったことが一番の要因です。AがBをライバル視して努力を重ねているのに対して、Bはバスケットボールというスポーツにだけ向き合っていてAのことなど全く眼中になかったのです。Aはその事実に落胆し、そしてBの才能に嫉妬しました。激しく嫉妬しました。仕方がないことだと諦めようとしましたがそれも無駄な努力でした。そんな気持ちを抱えたまま、Aは四年生になりました。その年、Aにとって最後のインカレ予選の直前、決定的な事件が起きます。事件といっても、それはAにとっての事件という意味で、暴力沙汰のような表立った事件ではありません。Bがインカレ予選のチーム編成について、レギュラーをBではなくAにするようコーチに進言したのです」
最上級生に花を持たせる、という意味なのだろうか。
「それもありますが、Bは自分の実力とAの実力は拮抗していて、それならばチームの結束を強めるために最上級生であるAがレギュラーとして試合に出る方が良いと考えたのです」
確かにそういう効果もあるだろう。
「はい。しかし、それを人伝で聞いたAは、自分に対する侮辱だと受け取りました。当然です。Bとの実力差を誰よりも自覚していたのはAですから。A自身もこれまで実力主義の世界で生きてきた。だからこそBの態度が許せなかったし、そんなことをされた自分自身を許せなかった。その結果Aは最後のインカレ予選に出場することなく部活を引退し、バスケットボールからも身を引いたのです。そしてチームはインカレ出場を逃しました」
沈黙。アヤノの話はそれで終わりのようだった。
「アヤノさん。その後輩のBさんは今、どうしているのですか? 今もバスケを続けているのでしょうか?」
タケルの質問に、アヤノは少し驚いた表情を浮かべてタケルを見る。
「ごめんなさい。ちょっと言葉足らずでしたね。その後輩のBが私です」
「え……」
「私なんです。先輩を追い詰めたのは。私は先輩が辞めた原因が自分であることに、その時が来るまで全く気がついていなかった。自分の無神経さに失望しました。先輩が部活を辞めたあと、私もその大会を最後に部活を辞め、バスケットボールも辞めました」
「でもどうして……。アヤノさんだって、バスケットボールが好きだったんじゃないですか?」
「それはそう。でも、それはそれ。私は自分のことさえ見えていなかった。バスケットボールにかまけて自分と向き合うことを避けてきた。その結果、先輩の尊厳を傷つけてしまった。そんな自分を許せなかったんです」
「でも、先輩はアヤノさんにバスケを辞めてほしいなんて思ってなかったんじゃないですか」
「…………」
「先輩は、アヤノさんの才能と実力を認めていたからこそ、自分も追いつこうと努力して、最後には嫉妬までしたんじゃないんですか」
タケルから目を逸らしたアヤノが夜空を仰ぐ。
「そう。菅野くんの言うとおり。私はそれをずいぶん時間が経ってから理解した。私がバスケを辞めたところで状況は何も変わらない。むしろ辞めたことで先輩をさらに深く傷つけたかもしれない。そんなことにも考えが及ばなかったなんて呆れちゃいますよね。だからもう一度、バスケと、自分と向き合わないといけないと思ってコーチを志願したんです。困っていた菅野くんを助けようとしたんじゃない。自分の欲望を満たすために菅野くんを利用したんです」
無表情のアヤノの瞳が街灯の光を反射してユラユラと揺らぐ。タケルは組んでいた手の指に力を込めて言う。
「自分の欲望を満たすことは悪いことなのでしょうか? 自分のことを満足させられない人間が他人を満足させられることなんてない。おれはそう思ってます。自分の行動が結果として他者を助けることはあるかもしれない。でも最終的に人は自分で自分を救わなければならない。アヤノさんはそれが分かっているからこそ、おれと契約を結んだんじゃないんですか?」
アヤノに膝を向けるタケル。アヤノもそれに応ずるようにタケルと向き合った。
「そうだね。私たちは自分自身のために契約を結んだ」
「はい。おれは自分を変える。アヤノさんは自分を取り戻す。それが達成されるまでは契約は有効ですからね。それをお互い忘れないようにしましょう」
「分かりました」
アヤノの返事を聞いたタケルはベンチから立ち上がる。
「おれが……おれたちがアヤノさんをインカレに連れて行きます。その第一歩として、明日は絶対勝ちましょう」
頷いたアヤノも立ち上がり、二人は宿泊先のホテルに向かって並んで歩く。タケルとアヤノの間を冷たい夜風が抜ける。道路脇に雪が残る新潟の3月は、春と呼ぶにはまだ時期尚早のようだった。