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『暗いの、コワイの』・暗闇に潜む何か

みなさんこんにちは。職場の部下が渡辺美里の『マイレボシューション』を知らないという話を聞き愕然としたnock3です。ちなみに、小室哲哉さん作曲。今聴くと「らしさ」出ますわね。

さて。

秋も深まり、日没が早くなってきています。仕事が早く終わっても、帰る頃にはすっかり暗くなっている。そう考えると、夏って短いですよね。都市部であれば、街灯、お店の灯りなどで夜道もある程度明るいですが、私の自宅周辺は基本的に暗闇。ライトつけずに自転車に乗ろうものなら、即、田圃の側溝に前輪ズッポリです。。。気を付けなければ。。。

そして、田舎の家は基本的に大きい。わが家も最近、大正時代の建物を壊して建て直したんだけど、それなりに広いです。トイレは2カ所にあるんですが、リビングから離れていて、電気をつけないと真っ暗。子どもたち、特に長男はかなりのビビりで、廊下が暗いと1人でトイレに行けません。「小学3年生にもなってビビり過ぎだ!」と喝を入れてやるんですが、それでもビビって行けない。次男と三男はわりと暗くても平気みたいです。長男が弟たちに声かけて連れションしている。。。アニキとしての威厳ゼロだな。

でも、そこまでビビっているということは、何か理由があるはず。
自分の子ども時代を思い出してみたら、そう言えば、私も暗闇はとても怖かった記憶がある。何でだっけ?

上でもちょっと触れましたが、私が子どもの頃に住んでいた家は、大正時代に建てられたかやぶき屋根の古い家屋で、お風呂は五右衛門風呂、トイレは1度外に出なければならないという、同じ年代の人に話してもあんまり理解してもらえない環境でした。トイレが外ということは、夜は暗い中をサンダル履いて行かなければならない。灯りはもちろん裸電球で、夏は虫、冬は寒さに耐えなければならない。。真夜中1人で起きてトイレに行く時なんて、怖くて怖くて仕方なかった。星や月が出ていればまだ良い方で、それがないと真っ暗。小さい頃の私は幽霊とか、宇宙人とか、妖怪とか信じちゃってたので、どんなに「オバケなんて無いさ♪」と歌ったところでやっぱり怖いの。たぶん、人間が野生の中で暮らしていたときの、闇に対する恐怖を、本能的に感じていたのではないだろうか?

そんなことを考えていたら、長男が暗闇を怖がっていることに共感を覚えてしまった。。。

暗闇は、何も見えないだけで、そこに何も存在しないと言うことではない。

そして、子どもはその豊かな想像力で、暗闇の中に『何か』を見いだしてしまうのだろう。


そう思うと、私は長男に「オバケなんて出ないし、怖がる必要なんてないぜ!」とは、言い出せなくなった。

暗闇を怖がることは、たぶん、本能的なもので、暗闇を怖がることができるということは、つまり、そこに想像力があるからであって、決して悪いことではないと思い直した。

だからと言って、私はそれを長男に言うつもりはありません。調子に乗るし、トイレごときで家族を巻き込んでいては、家族みんな困っから。


ほっといても暗闇に対する恐怖は、社会化による想像力の低下とともに無くなっていくことでしょう。
私は、そんな長男の成長を見守ってやるだけにしました。 


それはそれで、早く連れション、卒業してね。
何より、いちいち連れて行かれる弟たちが迷惑してるんだわ。。。


頼むよアニキ!



終わり




サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。