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【連載#8】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第八話 結果が全て


 十一月の第三日曜日。青葉大学男子バスケットボール部主将の菅野タケルは同じ三年生でチームメイトの高橋ツムグと一緒に福島市内にある市民体育館に来ていた。一、二年生が出場する東北大学新人大会を観戦するためだ。 
 仙台から福島までは、高橋の車にタケルが同乗してきた。早朝から秋雨がシトシトと降り続けて実際の気温よりも肌寒さを感じさせたが、体育館の中はキュキュっというバッシュと床の摩擦音、レフリーの笛の音、電子音のブザーや選手たちの声などが混ざり合い、バスケットの試合会場独特の熱気に包まれていた。試合に出場しないタケルと高橋もその雰囲気当てられて自然に気持ちが上がる。
 青葉大学男子バスケ部はシードにより二回戦が初戦だ。先月コーチに就任した中村アヤノにとっても、この大会での指揮が公式戦の初陣となる。観客席に並んで座り試合を観戦しているタケルと高橋。コートに目を向けたままタケルは高橋に聞く。

「あれ、そういえば古川とサトシは?」

 高橋もタケル同じようにコートを見ながら答える。

「古川は学会の手伝い。サトシはバイトつってた」
「古川はともかく、バイトってなんだよサトシは。後輩の応援を優先しろって」
「まあ、それぞれの事情ってやつだ。しゃーないだろ。タケルだって大丈夫なのか?」
「何が?」
「そろそろ就活とかやるんじゃないのか? ノアもいろいろ動いているみたいだぞ」

 理学部物理学科の高橋は卒業後に大学院に進む予定だが、文系のタケルは就職するつもりでいた。タケルはフウとため息を漏らす。

「ツム、それは言わないでくれ。せっかく忘れてたのに」
「忘れちゃダメだろ」
「分かってるつもりだけど、今はバスケに集中したい」
「でも、バスケじゃ食っていけない」
「身も蓋もないな」
「おれたちのバスケなんて、本当に才能のあるやつらにとっちゃ遊びみたいなもんだからな。上には上がいる。インカレ常連の仙台体育大や広瀬学院大のメンバーだって、バスケで食っていけるのは一握りだ。おおかたはバスケに関係ない仕事に就くことになる。いわんやおれたちをや、だ」

 淡々と語る高橋。返事のないタケルに高橋が付け加える。

「おれたちは好きでバスケをやってるだけだからな」

 高橋は自分の言ったことが可笑しかったようで、声を出さずにニヤついていた。タケルもつられてフフっと声が出る。

「バスケやるのに、それ以外の理由なんていらないだろ」

 タケルはそう言って同じ志を持って試合に臨んでいるであろう後輩たちの試合に意識を戻す。試合は終盤を迎えていた。相手は同じ仙台市内の公立大学である青葉教育大学。仙台市内のリーグ戦で何度も対戦している相手だ。毎年メンバーが入れ替わる大学バスケでは、同じ相手でもその年によって力関係が大きく変わる。タケルたちが一年生の頃は勝ち目がないと思っていた青葉教育大も、近年では互角以上に戦えるようになっていた。この試合も終始、青葉大の優勢でゲームが進んでいた。第四クウォーター残り3分半で、13点のリード。このままいけば二回戦も突破できそうだ。

「アヤノさんの采配もそつがない。選手の使い方が上手い。適材適所っていうのか」

 高橋は感心したように言う。

「まあ、相手が相手だから、それほど策を講じるようなこともないしな」
「珍しく手厳しいな。アヤノさんと何かあったか?」
「何もねえし」

 高橋は何か言いたげにタケルの顔を見る。

「なんだよ、ツム」
「いや、見ちゃったからさ」
「何を?」
「先週の日曜日、タケルとアヤノさんが二人で街を歩いていた」
「ああ。まあ、別に隠すようなことじゃないけど。買い物に付き合っただけだ。ツムが思っているような、そんな関係じゃない」
「そんなってどんなだよ」
 
 含み笑いの高橋。

「そんなってのは、君らみたいに手を繋いで街を歩く関係のことだ」

 高橋の顔から一瞬にして笑みが消える。

「見た、のか?」
「見た、よ」
「ウソだろ?」
「信号待ちからの、右手と左手」
「そこから? 言っとくけどな、その時が初めてだからな」
「はいはい。初めてかどうか心底どうでもいいけどさ」
「タケル、あんまり言いふらすなよ。恥ずかしいから」

 タケルは返事をしない。何を恥ずかしいことがあろうか。羨ましい限りだ。とタケルは思う。彼女と手を繋いで街を歩くなぞ、タケルとって想像の向こう側の話だった。
 タケルと高橋が会話をしている間に試合は残り1分を切ったが、青葉大は最後まで集中力を切らさず、得点差を21点まで広げていた。残り10秒。青葉大の最後の攻め。二年生のフォワード、寺澤てらさわユウキが45度でボールを受ける。試合の終盤とは思えないキレのあるドライブでフリースローラインまで切れ込み、お手本のようなジャンプストップから打点の高いジャンプシュートを放つ。ボールはリングを通過し、相手チームがエンドラインからコートにボールを戻したところで試合終了のブザーが鳴った。98対75。一、二年生と同じく、新人コーチの中村アヤノにとっても公式戦初勝利だ。

「ユウキ、何点取った?」

 高橋がタケルに確認する。

「確実に30点以上は取ってるな。たいしたもんだよ。毎試合こんなんだと良いんだけどな」
「ムラさえなければ正真正銘のエースだ。あいつの性格なんだろうけど……」

 二年生の寺澤ユウキは天性の点取り屋だった。高い確率のアウトサイドシュート、高い運動能力を活かしたドライブ、そこからフィニッシュまで持っていくバリエーションも多彩。身長も185cmあり、マッチアップの相手次第ではインサイドもこなす。その能力は疑う余地もなく、一年生の夏ごろからコンスタントに試合に出場している。四年生が引退してからは、タケルたち三年生以外で唯一のスタメンだ。

「今のチームの現状だと、やっぱり古川と寺澤が得点源だ。安定の古川はいいとしても、寺澤にはコンスタントに得点をしてもらわないとゲームプランが立てにくい」

 高橋はチームの現状を的確に把握している。チームの中では高橋が最もコーチに向いているとタケルは思っていたし、もしコーチが見つからなかったら、高橋にコーチをお願いするつもりでいた。

「そうだなー。そのあたりをアヤノさんが上手くコントロールしてくれるといいんだけど」

 タケルの発言に高橋が食いつく。

「タケルは主将なんだからな。他人ごとみたいに言ってないで自分で寺澤を目覚めさせるてやる、ぐらい言えねえのか?」
「おう。善処する」

 タケルの頼りない答えに高橋はハアと大きなため息をついた。

 男子の試合が終わり、もう一つのコートでは青葉大学女子バスケ部の試合が始まろうとしていた。相手は東北一部リーグに所属する私立の奥州おうしゅう大学。数年前からリクルートに力を入れ始め、今年はインカレ出場の最有力と目される強豪チームだ。青葉大のベンチには男子の試合に続き、黒いパンツスーツ姿のアヤノがいる。三年生で女子バスケ部主将の小笠原ノアはコートの端でチームを見守る。青葉大女子バスケ部のプレーヤーは8人。その中には大学からバスケを始めた一年生もいて、実質的な戦力は7人だけだった。

「奥州大相手は厳しいな。相手のガード、高校の時にインターハイで準優勝したチームのスタメンだったって」

 高校、大学バスケにも通じている高橋の情報。戦う前から苦戦が予想される試合だ。
 青葉大女子バスケ部の二年生センター、183cmの上野ナギサと相手のセンターがセンターサークル内にポジショニングする。両者が腰を落としたタイミングでティップオフ。身長で勝るナギサが先にボールに触れ、最初の攻撃権を青葉大にもたらす。ボールを相手コートまで運んだ青葉大は、左サイドのペイント近くでポストアップするナギサにボールを入れる。ナギサはディフェンスを一度体で押し込んでスペースを作り、相手が間合いを詰めないと見ると、力の抜けたフォームで左手からシュートを放ち、先制の2点を奪う。

「お、ナギサ、良いんじゃないか」

 高橋が少し驚いたような表情を見せる。

「確かに。よく相手が見えてる」

 ナギサの先制点と積極的なディフェンスからリズムを掴んだ青葉大は、相手の得点を許しながらもナギサを中心としたオフェンスで得点を重ね、第一クウォーター終了時点で24対17と7点差の健闘。しかし、第二クウォーターからは相手のスリーポイントシュートが決まりだし、前半終了時点で49対35と14点差をつけられてしまった。ハーフタイム中、コート脇で見ていたノアがベンチに歩み寄り、アヤノと会話を交わしている。

「ツム、お前も何かアドバイスしに行った方がいいんじゃないか? ノアと一緒に」
「一緒に、とか言うな。アヤノさんがベンチにいるんだ。何か作戦を立てるだろう」

 後半開始直前、アヤノは円陣の中心でコートに片膝を立て、後半の指示をする。その内容は観客席いるタケルと高橋には聞こえなかったが、その真剣な眼差しがゲームを諦めていないアヤノの強い意志を示していた。チーム全員で拳を掲げてナギサが掛け声をかける。アヤノもその輪に溶け込んで声を出していた。タケルはその所作の中にアヤノのバスケへの情熱を垣間見たように感じた。
 相手チームのスローインで後半が始まる。相手チームはスタメン全員を温存し、ベンチメンバーを出してきた。青葉大は試合開始と同じスタメンの5人。前半の開始と違うのは、ディフェンスをマンツーマンからゾーンディフェンスに切り替えたことだ。

「ゾーンか。相手の得点はアウトサイド中心だったからな。体力面も考慮すれば、妥当な選択肢だ」

 高橋が解説する。後半戦の開始直後から青葉大のゾーンディフェンスが機能し、相手の得点はピタッと止まった。青葉大のオフェンスはセンターのナギサにボールを集めた。相手に対して身長のアドバンテージのあるナギサを起点にした攻めを繰り返す。それがアヤノの指示だった。ペイントエリアの少し外でボールを受けたナギサは、普段の練習で男子部の古川から教わっていたステップを駆使して積極的にリングにアタックし、確実に得点を重ねた。相手チームのベンチからナギサへのダブルチームが指示されると、ナギサは無理せずアウトサイドにボールを捌き、仲間の得点をアシストする。第三クウォーターが終了し、得点は62対56と6点差まで追い上げていた。
 最終第四クウォーター、相手チームはメンバーをスタメンに戻してきた。青葉大はここまで限られたメンバーでゲームを進めていたこともあり、体力的に優位に立つ相手の激しいディフェンスと高い確率のシュートに対応できない。ナギサがリバウンドとインサイドでの得点で孤軍奮闘するも最終的には99対64、35点差の大敗を喫した。
 センターサークルに整列した両チームは一礼して握手を交わし、それぞれのベンチに戻る。アヤノは相手チームのコーチと握手をしてからベンチに戻り、ベンチからの撤退を指示した。コートサイドに移動するナギサはタオルを顔に当て泣いていた。チームメイトがナギサの肩に手を回して言葉をかける。
 試合終了後、言葉を交わすことなく沈黙していたタケルと高橋に、コートから上がってきたノアが背後から声をかけてきた。

「二人とも応援ありがとな。悔しいけど、結果が全てだ」

 高橋が後ろを振り向いてノアに言葉を返す。

「ナギサ、ずいぶん悔しそうだったな」
「うん。今日は自分がチームを引っ張るって意気込んでいたから。でも、ナギサはちょっと真面目が過ぎるな」

 そう言ったノアも口を一文字に結び、悔しさを抑えるのに必死のようだった。タケルは場を和ますようにあえて明るく振舞う。

「まあ、結果は結果として受け入れて、今日はパーっと飲むしかないだろ」

 この日の夜、新人戦の打ち上げとアヤノの歓迎会を兼ねた飲み会が予定されていた。

「そうだな。ナギサには労いの言葉とアルコールを存分に送ろう」

 ノアの言葉に一抹の不安を感じるタケル。

「ほどほどにしとけよ」

 高橋の言葉もノアには届いていないようだった。



第九話につづく


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NOCK│ノック
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