【連載#3】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜
第三話 どういうご関係で?
青葉大学北キャンパスにある体育館。水曜日は二面あるバスケットボールコートそれぞれで男子バスケ部と女子バスケ部の練習が行われる。チーム練習が始まる前、男子部の練習が行われるコートのゴール下で、男女二人が一対一で練習をしていた。
「ボールを受けたら一度体を押し込んで、スペースを作るんだ」
ディフェンスをしながらアドバイスをしているのは、三年生で男子部副主将の古川トモミだ。オフェンスは二年生で女子部副主将の上野ナギサ。遠くから見ると小柄に見えるナギサも、実際には183cmある。相手が192cmの古川だからこその目の錯覚。練習する二人にダムダムとドリブルしながら近づくのは、三年生で女子部主将の小笠原ノアだ。
「ナギサ、今日も先輩のご指導、手取り足取りでよろしいですな」
「ノアさん。今、真剣なんだから茶化さないで」
後輩に一蹴されてふてくされるノア。
「そうだぞ。ナギサは少しでも上手くなろうと努力してんだ。ノアも見習え」
追い打ちをかける古川にノアは反論する。
「いやいや、あたしだって上手くなろうとはしてるぞ。ただ、努力と本音は見せないタイプなんだよ」
「ノアさんほど建前の隙間から本音が漏れ出してる人、稀有ですからね」
ナギサから古風なツッコミを入れられたノアはその場を離れ、コート脇で練習の開始を待っている男子バスケ部コーチの中村アヤノを次の標的にした。
「アヤノさん、こんにちは」
「こんにちは、ノアさん。ちょうど良かった。あの二人についてお聞きして良いですか?」
アヤノは古川とナギサに視線を向けながらノアに話しかける。
「ああ。残念ですが、あの二人、付き合ってませんよ」
眉をハの字にし、心の底から残念そうな顔をするノア。
「いえ、そういう話ではなくて。プレーについてです」
「それを先に言ってください。あたしがまるで色ボケみたいじゃないですか。どちらから聞きたいですか?」
「じゃあ、まずはナギサさん」
「ナギサ。ええと、あの子は二年生で女子部の副主将です。うちのチームのインサイドの要。ポニーテールにヘアバンドがトレードマーク。とにかく真面目な子なので、デュフェンス、リバウンドなんかの泥臭いプレーをしっかりやってくれます。ただ、バスケは高校から始めたので、経験不足は本人も自覚しています。左利きだし、オフェンスもハマるとすごいんですけど、安定感が欲しいところですね」
「性格的にはどうですか?」
「文学部らしく、物静かな文学少女。顔の作りとかスタイルとか、外観は派手なんですけど。あ、ナギサのお母さんイタリア人なんです」
「そうですか。どことなくヨーロッパ選手の雰囲気が漂ってると思いました」
「さすがアヤノさん。プレーでそんなことまで分かるんですか?」
「いえ。全然。話に乗ってみただけです」
「アヤノさん。真顔で冗談を言われると困ります」
ノアの苦言に顔色一つ変えないアヤノ。何事もなかったかのように話題を変える。
「古川くんについて教えてください」
「古川は見てのとおりですよ。デカい。男子部が昨シーズンに1部リーグに上がれたのも、引退した四年生の活躍もありましたが、センターの古川の存在が大きかったと思います」
インカレ出場の切符は、東北1部リーグのチームにしか与えられない。今年の青葉大学男子バスケ部は、その切符を手にする条件を一つクリアしていることになる。ノアが話し終えたタイミングで、男子部のコートから三年生の高橋ツムグが二人に近づいて話しかける。
「おいノア、うちのコーチに何を吹き込んでんだ? どうせ誰と誰が付き合ってるとか付き合ってないとか、下世話な話だろ?」
「相変わらず失礼なオカッパだな。あたしはアヤノさんと真剣にバスケについて語り合っている」
「どうだかな」
二人のやり取りにアヤノが割って入る。
「あの、高橋くん。今、ノアさんから古川くんのことについて聞いてたんです。高橋くんからも教えてください」
「はい、いいですよ。古川は練習を見ていれば分かると思いますが、バスケの強豪校にいてもおかしくないレベルの選手です。このチームではインサイドプレーヤーですが、ガードもできるスキルとセンスがあります。医学部ということもあって、頭の良さもチームで一番だと思います」
「人柄はどうですか?」
「良いやつですよ。性格的に優しすぎるのがプレーヤーとしての欠点なのかなー。ノア、どう思う?」
「うーん。正直、古川ってちょっと優等生過ぎる感じがして、あたしはそこが苦手と言えば苦手かな」
「それはお前の個人的感想だろ。そんなんだから後輩に舐められんだぞ」
「舐められてない、舐めさせてるんだ。いや違うな。そう、後輩と壁を作ってないだけ。ツムみたいに怖い先輩じゃないの。つっても、ツムはあたしよりチビだから迫力ないし。オカッパだし」
「身長は同じだろ! また一対一でボコしてやっかんな」
「望むところだカッパ!」
「おれはオカッパだ」
「オカッパは認めたな」
「ぬ! 後で絶対泣かす」
中学生のような二人のやり取りをアヤノはサラサラと聞き流す。体育館の入り口からは男子バスケ部主将の菅野タケルがコートに駆け込んでくる。
「チーッス。悪い、ちょっと遅れてしまった」
午後5時から始まる全体練習開始の5分前。タケルは急いで着替えを済ますと、集合の声をかける。ナギサは古川に頭を下げて、ノアと一緒に女子部のコートに戻った。
アヤノはセンターサークルに集まった男子部員に対して練習中の留意点を短く告げると、コート脇の二人のマネージャーの隣に移動した。ランニングが始まると同時に、二年生のマネージャー、山家ミドリがアヤノに話しかける。
「あの、アヤノさん、ちょっとお話良いですか?」
「はい、もちろん」
ミドリはアヤノとの距離を少し詰める。長身のアヤノの隣に小柄なミドリが並ぶと、母と娘のように見える。少しだけ茶色に染められた髪を一つに束ねた山家ミドリの小さな顔には、クリッとした大きな目と意志の強そうな太めの眉がバランス良く配置されている。ミドリは見上げるようにアヤノに顔を向けて話しかける。
「アヤノさん、部活には慣れましたか?」
「まだちょっと慣れないです。顔と名前、なかなか一致しません」
「そりゃそうですよ。こんな短期間で覚えられたら、それはそれで一つの才能です」
単なる世間話。アヤノは油断していた。
「で、アヤノさん。菅野先輩とはどういうご関係で?」
唐突な質問に、アヤノは一瞬、言葉に詰まる。
「同じゼミに所属してます。そして今はコーチと主将という関係ですね」
アヤノとタケルの『契約』は交わされたばかりで、具体に何かをしたわけではない。まして、マネージャーに話す内容でもない。
「そうですか。詮索するつもりはないんです。ただ、わたしは菅野先輩が主将になったことにちょっと違和感を感じていて……」
アヤノはコートの練習風景を見つめたまま黙ってミドリの話を聞く。その様子を伺いながらミドリは続ける。
「菅野先輩は『自分を変えたい』みたいなこと言ってませんでしたか?」
アヤノはその言葉に頬を引かれるように顔をミドリに向ける。アヤノと目が合ったミドリは、見開いたアヤノの目の中に自分の質問に対する答えを見つけたようだった。
「そうですか。あの……」と、ミドリが何かを言おうとしたとき、タケルがミドリを呼ぶ。
「おーい、ミドリ。フットワークの笛吹いて!」
「あ、はい!」
タケルに指示されたミドリは、アヤノに一礼してその場を離れる。
ピッ、ピッ、ピッ、とミドリの吹く笛の音がコートに響く。
休憩時間。ミドリはコート脇に座って水分補給をするタケルに歩み寄り、隣に座る。
「菅野先輩、調子はどうですか?」
「ん? まあ、普通だ。シュートの感覚も悪くない」「そうじゃなくて。精神的な話です」
ミドリの言葉に、タケルは周囲の様子を伺う。そう遠くない場所に、アヤノが立っていた。
「ここでその話はやめるんだ」
嗜められたミドリは不満そうに口を一文字に結ぶ。
「わかりましたよ。でも先輩はレミちゃんのこと、一人で抱え込んでいるみたいだから。これでも心配しているんですよ、ミドリは」
タケルはミドリの言葉を無視して立ち上がる。
「ミドリ、時間だ。練習を再開するぞ」
「はい」
ミドリはピッっと笛を吹き、部員たちは再びセンターサークルに集まった。ここから、3対2、3対3と実戦的な練習が始まる。アヤノもコートに出て、プレーに対するアドバイスをする。
最後にゲーム形式の5対5。三年生主体のチームと、二年生主体のチームに分かれての試合。二年生チームに三年生の古川が入っているため、ゲームのパワーバランスはうまい具合に取れていた。バスケットボールは5人で行うスポーツ。大人数でプレーするサッカーやラグビーのようなスポーツに比べ、選手一人一人の個人能力がチーム力に大きく影響する。2ゲーム行われたこの日の5対5の結果は1勝1敗だった。
全体練習終了後、マネージャーのミドリが再びアヤノに話しかける。
「休憩時間の話、聞こえてましたか?」
「なんのことですか?」
アヤノは無表情かつ平坦な口調で答える。
「そうですか。まあ、コーチには関係のない話ですけど」
「ええ。部員のプライベートに過度に立ち入るのは、コーチとしては好ましくないですから」
「コーチとしては、ね……」
ミドリはそう言い残してその場を去る。
一人残されたアヤノは目の前に転がっていたボールを拾ってスリーポイントラインまで進み、いつもどおりのリズムでスリーポイントを放つ。ボールは『ゴン』と鈍い音を立ててリングに弾かれた。
サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。