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父ちゃんの決断(その2)よし、実家に住むことにしよう!

前回は親として避けて通れない、子どもに名前をつけることについて記事にしました(「父ちゃんの決断(その1)子どもの名前を決める×3」)。今回は、転勤族の私が、自分の実家に戻ってそこを拠点にした経緯と、その理由について書きたいと思います。

東日本大震災の翌月に、カミさんの故郷である山形県山形市で長男が生まれ、2年後に同じ山形県の新庄市に転勤。新庄市で次男が生まれたあたりから、私の中で漠然と「ああ、そろそろマイホームを建てたいなあ。。」と思うようになりました。もともとカミさんも私も田舎の一軒家に生まれ育った環境もあって、一軒家を建てる事については私たち夫婦は一致してました。間取りを考えるにしても、まずは家を建てる敷地が必要です。それをどこにするか決めなければならない。私は福島県出身。カミさんは山形県出身ということで、拠点にするならどちらか。もしくは、その間をとって仙台あたりかな?なんて話をした覚えがあります。

仕事を優先するのであれば、拠点は仙台。でも、この時は東日本大震災の直後で、いざというときに助けてくれる身内の近くに住みたいという思いが強かった。また、長男、次男が生まれて子育てで心身ともに余裕が無かったこともあり、孫の面倒見の良い私の母親の元で子育てするのが、カミさんとしても助かるということに。また震災後に子育てスタートした後で、私の転勤が4年の間に3回も続いてしまい、家族での引っ越しにウンザリしていたという理由も重なって、私の実家近くに家を建てるという話が急速に現実味を帯びてきました。

そんな流れで帰省の際に、私の両親に相談。そしたら、私が生まれ育った古い家屋(大正3年建築)が地震で基礎から柱がズレて、全壊判定を受けている事を知りました。全壊判定を受けた家屋は、解体費の助成と、新たに住居を建てるときの補助が出るとのことで、トントン拍子にマイホーム計画が決定、スタートしました。長男である私が実家に戻るということは、私の父親がずっと思い描いてきた生活の形であったことも、トントン拍子に話が進んだ要因の1つだと思います。

そこからカミさんと私はこれまでの引っ越し経験を基に、家の間取りを考えては夜な夜な議論する日々を送ります。実家に家を建てる事が決まってから、私たち家族は山形県新庄市から福島県福島市に引っ越し、帰省するたびに地元の設計士さんとの打合せを重ねて新居の設計が決まりました。その年の秋から建築工事が始まり、翌年の夏前に建物引き渡しというスケジュール。帰省のたびに建築状況を確認していたのですが、建物引き渡しの年となるタイミングでまた転勤が決まります。でも職場が配慮してくれたのか、転勤先は実家から最寄りの郡山市の事務所となり、晴れて新居からの通勤が可能となったのでした。

記事の中にも出てきたとおり、私の職場は転勤が多く、同じ職場の先輩たちも家族での転勤、引っ越し経験が豊富な人ばかりです。先輩たちのアドバイスも、私の決断の後押しになったことは間違いありません。ある先輩は、「奥さんの実家近くに住む方が良い」と話していたし、他の先輩は、「便利な仙台に家を建てるのが良いよ」と言ってくれたり。でも、一番心に残ったアドバイスは、「子どもの面倒を見てもらうことも自分自身や奥さんの助けになるし、親も歳を取るから、親の面倒を見てあげることも考えて住む場所を決めた方が良いよ」というものでした。家族ができるまでの私自身は、刺激の無い田舎にある実家に戻ろうと思ったことはありませんでした。郷土愛も強くないし、父親との関係も良いとは言えなかったから。

でも、結局私は実家に戻ってきた。ただ、戻ってきたというのは事実なんだけど、感覚的には、「家族で住む場所」として見つけた場所が、自分の実家だったという風に思っています。高校を卒業して家を離れた18歳の自分と、家族と共に戻ってきた36歳の自分は、同じような見た目、同じ名前を持っていたとしても、全く別の人間として地元に戻ってきたのだと。それは、自分が親という立場になったことで、自分の両親に対しても違った感覚で接することができていることに気が付いたときに強く実感しました。

いつだったか、家族で親友の自宅を訪ねた時に、親友のお母さんから言われた、「子どもたちを可愛がってくれる人が多い場所で子育てしてあげるのが一番だと思うよ♪」という言葉が心に響いた。そのとおりだと思った。そういう想いで私が選んだ場所が、たまたま自分の育った実家だったというだけなんだと思った。

今、この記事を読んでる方で、マイホームをどこに建てようかと悩んでいる方もいるかもしれません。仕事や子育ての環境を考慮したり、両親との関係も人それぞれなので、私のように実家に戻るという選択をすることが最善ではないと思っていますが、「家族が幸せに暮らせるように」という想いで新しい住処を探すという気持ちは、誰もが共通するところではないでしょうか。そういう想いで見つけた場所であれば、それが世界のどこだって構わない。私はそう思います。

予定していたとは違って堅い文章になってしまいました。「父ちゃんの決断」シリーズ(その2)はこれで終わりです。次回は、趣味の世界に没頭していた私が、子育て中に趣味をお休みしようと決めた経緯と、趣味をお休みするための行った対策(?)について書きたいと思います。

以上です。



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