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【連載#6】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜

第六話 推理をしましょう


 十一月の最初の週末、金曜日から日曜日まで三日間の日程で、青葉大学では大学祭が開催される。この三日間、青葉大学体育会バスケットボール部が使用している体育館は大学祭のイベントの関係で使うことができない。練習が休みとなったこの日、男子バスケ部主将で経済学部経営学科三年の菅野タケルは、午後から図書館でゼミの課題に取り組んでいた。
 十月中はずっと晴天が続いていたが、大学祭の初日の金曜日は生憎の雨だった。タケルは図書館の窓から外を眺める。雨が雑木林の間に幾筋ものラインを引いて地面に落ちる。
 午後三時、勉強に一区切りつけたタケルは、図書館を出て文系キャンパスの生協に移動する。自動販売機でコーヒーを購入したタケルが食堂の窓際に並ぶテーブル席に向かうと、そこに一人の少女が座っていることに気がついた。小学校の中学年から高学年くらい。髪はショートで顔がはっきりと見えるが、その表情には少し陰りがある。着ているのは制服のような紺色のワンピース。周りには多くの学生がいたが、タケル以外にこの少女に気がついている者がいないようにも見えた。タケルは、その少女に声をかける。

「あの、きみ、こんなところで何をしてるの?」

 その少女は眉間にしわを寄せてタケルを一瞥いちべつし、すぐに目を逸らした。

「話しかけないでください」

 予想外の言葉にタケルは一瞬怯んだが、話を続ける。

「あのね。お兄さんはさ、心配してるんだよ。この大学は平和な場所かもしれないけれど、悪い人が紛れ込んでる可能性もないわけではないんだから」
「はい。今、わたしの目の前にいる人が極悪人かもしれません」
「…………」

 取り付く島もない。  
 次の言葉を探しているタケルに近づく黒い影が一つ。

「菅野くん。こんなところで何をしているの?」

 黒い影は、青葉大学男子バスケ部のコーチでタケルと同じゼミに所属する大学院生の中村アヤノだった。今日もいつもどおり、影よりも黒い服で全身を包み、銀縁メガネの奥の切れ長の目でタケルを見据えている。

「あ、アヤノさん。何をしてるかっていうと、この子に声をかけてたところです」

 それを聞いたアヤノは立ったままタケルとその斜め前に座っている少女を交互に見る。

「なるほど。菅野くんはその少女に声をかけてフラれたところだと。つまり、菅野くんはロリ……」
「違います。断じて違いますから。心配で声をかけただけです」
「ふーん。まあ、そういうことにしておきましょう。ところで……」

 タケルの隣、少女の向かいの席に座ったアヤノは、少女に目を向ける。

「あなたは小学生のようだけれど、どうしてこんなところにいるの? 親御さんは一緒じゃないの?」

 少女はアヤノの顔を上目遣いで覗きながら 

「お兄ちゃんを待っているんです」

 と小さな声で答える。

「だ、そうよ、菅野くん。それはあなたのような一般名詞的もしくは概念的な『お兄ちゃん』ではなく、血の繋がった実の兄のことだと思う」
「まあ、それはそうでしょうね」
「つまり、あえてトラディショナルな言い方をすれば菅野くんは『お呼びでない』ということね」
「それはたいへん失礼いたしました」
「とぼけてもダメ。あなたが少女に手を出そうとした事実を打ち消せるものではない」
「いや、今のは会話の流れで……」 
「でも、このままではこの子が救われない。だから菅野くん、推理をしましょう」
「はあ」
「この子はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」
「壮大な冒険譚が幕を開けてしまいそうですね」

 アヤノとタケルの会話を聞いていたその少女は、自分の存在を改めてアピールするように言う。

「あの。わたしがどこから来てどこに行くとか、そんなことはどうでもいいと思うんですけど……」

 アヤノとタケルは会話をやめ、その少女を見る。

「あら、少しは話す気になった? 私はここの大学院生で中村アヤノと言います。こちらのロリ……失礼。このお兄さんは菅野タケルくん。ここの大学生で、私の知人です。まずは、あなたのお名前を教えてもらえるかしら?」

 少女は怪訝そうな表情を浮かべる。

「名前は言いたくありません。あなた達を信用したわけではないので、個人情報は話せません」

 小学生にしてはしっかりとした受け答えだった。アヤノは質問を続ける。

「まあいいです。それはそうと、そのお兄ちゃんはとやらは、いつやってくるの?」
「待ってれば、必ず来ます。今日、会う約束だから」
「ここに来るの?」
「ここにいれば、会えると思っています」

 少女はそう言って口を閉ざす。三人の間に沈黙が横たわる。

「そう。あなたどうしても私たちに推理をさせたいようね」

 アヤノは右手の中指でメガネの位置を直し、その流れで拳に顎を乗せて目を細める。そして数十秒の間を置いてからアヤノは話し始めた。

「あなたがここに来たのは、以前、ここに来たことがあるから。そして、あなたのお兄さんがこの文系キャンパスに通っている学生だから。違う?」

 少女は俯いたまま黙秘。

「否定しないところを見ると、当たりみたいね」
「アヤノさん、そんな尋問みたいな」
「菅野くんは黙って聞いていて。これは心理的な駆け引きから推理を行う知的なゲームなのだから」

 アヤノの表情から、それが冗談であるかどうかは読み取れない。アヤノは続ける。

「あなたのお兄さんは、経済学部の三年生。出身は宮城県仙台市。メガネをかけた、優しそうな人」

 俯いていた少女が、バッと顔を上げてアヤノと目を合わせる。

「また当たりかな?」

 アヤノは何か確信を得たように一人で頷き、ほんの少しだけ口の端を上げた。

「謎は全て解けた」
「アヤノさん、それ、言いたいだけですよね?」
「誓って違う。祖父の名にかけて」
「きっと真実は一つなんでしょうね」
「ちょっと待っていて」

 アヤノはそう言い残して食堂のテラスに出ると、スマホをタップして電話をした。そして、何事もなかったかのように元の席に戻って少女に言う。

「今からお兄さんに会えるよ」
「え?」

 少女とタケルは同時に声を発する。 
 五分ほど経過したころ、食堂に一人の青年が駆け込んできた。

「ミズキ! こんなところにいたのか!」

 その青年は、アヤノとタケルのゼミに所属する、タケルの友人、中嶋なかしまだった。

「お兄ちゃん!」

 少女は中嶋の姿を見た瞬間に笑顔を見せて席から立ち上がり、中嶋に抱きついた。

「どういうことですか?」

 タケルはアヤノに問いかけるが、アヤノは答えず、抱き合う兄妹のそばに寄る。

「中嶋くん、良かったね。妹さんと無事に会えて」
「中村さん、本当にありがとうございます。後日、改めてお礼をさせていただきます」

 雨の中、中嶋と少女は相合傘で大学祭の会場となっている北キャンパスに向かって歩いて行った。
 兄妹を見送ったタケルとアヤノは、再び食堂に戻ってテーブル席に腰を下ろす。タケルは宙ぶらりんになっていた疑問を再びアヤノにぶつける。

「アヤノさん、教えてください。なぜあの子が中嶋の妹だって分かったのか」
「私は人の心を読む特殊能力がある。と言いたいところだけど……」

 アヤノはそう前置きしてから話し出す。

「以前、ゼミの飲み会のときに中嶋くんが年の離れた妹さんがいることを話していたことがあった。それを私は覚えていた。あとは、あの子の着ていた制服が仙台市内の私立小学校のものだと私は知っていた。中嶋くんも仙台市出身。そしてここは主に文系の学生が利用する食堂。これらを総合的に考えて答えを導いた。何かご質問は?」

 タケルは頭を振る。

「中嶋の話、よく覚えていましたね」
「記憶力だけは良いんです」
「でもやっぱり不思議です。バラバラに思える情報が結びつくなんて……」
「菅野くん、それはちょっと違う。物事は勝手には結びつかない。それを結びつけようとする意志が存在しない限りは。私は中嶋くんとあの子が結びつくんじゃないか、結びついたら良いなと思った。そしてそれを確かめるためにあの子に質問をした」
「つまりハッタリってことですか?」
「有り体に言えばそう。正直、予想が当たってしまったことに、とても驚いていたのは事実だけれど」
「それは気がつきませんでした。驚愕のポーカーフェイスです」

 アヤノは続ける。

「でも予想が当たるかどうかは本質じゃない。大事なのは、想像力を働かせて考えること。そしてその考えを信じて行動すること」
「その可能性が限りなくゼロに近くても?」

 タケルの質問にアヤノは平然と答える。

「可能性が低いことを理由にしてその考えを捨ててしまったら、その時点で可能性はゼロになってしまいます」
「諦めたらそこで試合終了ってやつですね」
「はい。それも今言おうと思っていたのに……」

 アヤノは少しだけ悔しそうに眉をひそめた。

「そして菅野くんは私に感謝すべきだと思う」 
「おれが? なぜです?」
「だって、犯罪者になるのを未然に防いであげたのだから」
「だからそれは……」
「冗談です。菅野くんは、あの子を心配して声をかけた。それは信じます」

 その言葉を聞いたタケルは改まって言う。

「あの子が中嶋に会えたのは、間違いなくアヤノさんのおかげです。ありがとうございます」
「はい。でも、どうして菅野くんがお礼を言うの?」
「どうしてって……あの子の笑顔が見れておれも嬉しかったから、ですかね?」
「そうですか。何にしても、良かったです」

 これで一件落着。タケルは席から立ち上がる。

「じゃあ、おれ、帰りますね」
「あ、菅野くん。最後にちょっとだけ」

 立ち上がったタケルをアヤノは呼び止める。

「さっきの件とは全く別の話で、私からお願いがあるのだけれど」

 席に座りなおしたタケルは、アヤノの言葉を待つ。

「付き合って欲しいんです」
「…………え?」

 タケルはアヤノの顔を凝視する。
 いつもと変わらぬ無表情は、やはり冗談を言っているようには見えなかった。

 

第七話へつづく


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