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牡鹿半島サーフトリップ

今からもう11年前のお話。

当時、春から秋にかけては毎月のようにサーフトリップに出かけていたMさんと私は、2010年の春に一つの目標をたてました。それは、

「牡鹿半島で良い波を当てること」

です。そしてその年、それを実行に移しました。


〇旅の目的地『牡鹿半島』

牡鹿半島は、宮城県の北東部沿岸にある半島で、仙台市から車で1時間半ほど北上した場所にあります。半島の大部分が「石巻市」、半島中部に「女川町」が存します。東北電力の「女川原子力発電所」があるのもこの半島です。

宮城県の観光地で有名な『松島』よりも東北東側に位置し、地形的には入り組んだ地形と切り立った海岸線が特徴の『リアス式海岸』です。リアス式海岸にはほとんんど砂浜というものがありません。なので、よっぽど地域に詳しい人でなければサーフポイントを見つけることも難しい。

先輩のMさんと私はこの地域に詳しい訳ではありませんでしたが、Mさんが過去に一度、この半島のあるポイントで入ったことがあるということで、そのポイントを中心に自分たちの足でポイントを探すという旅としました。春先に計画した旅はMさんが都合によりキャンセル。春はカミさんと私の二人旅になってしまいましたが、リベンジという形で再び秋に計画を実行しました。


〇1日目『波探し』

2010.9.25。出発の日は生憎の雨模様。台風が東北の太平洋側を通過しており、翌日には遠ざかる経路を辿っていたので、とりあえず出発。仙台市内に前泊していたMさんを私が車で迎えに行き、三陸道を北上する。台風の影響か、9月にしては気温が低い。石巻市内で三陸道を降り、半島へ向かって東に進む。雨も断続的に降っている。


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海沿いの道をひたすら進むが、風の影響を受けて海は荒れていた。断崖の上から波チェックして、何とか乗れそうな波を発見するも、そこまでのアクセス方法が分からない。


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風も強く、今日は諦めるしかないのかの思い始めてきた。女川から北へ向かっている途中、お昼も近くなってきたので雄勝でお昼休憩。冷えた体を温めるためにラーメンを食べる。


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私はチャーシュー麺。Mさんは海鮮物が入った「磯ラーメン」を頼んだが、そこに入っていたカキが食べられないということで、私がいただくことに。Mさんは苦手な海鮮が多いということは知っていたが、海沿いの店に来ると積極的に海鮮物にチャレンジする。ある意味、「お約束」になってしまっているのかもしれない。なんかスイマセン。。。カキ、美味しくいただきました。


お腹もいっぱいになったところで再び波探し。Mさんが昔行ったことがあるというポイントに向かう。そこは牡鹿半島の南端に近く、金華山という島の真向かいに位置するポイントだった。ポイントまでは駐車場から遊歩道を5分ほど下る。鬱蒼とした林の中を歩いていくと、林の先に海が見えた。浜辺に降り立つも、ウネリの方向が合わないのか、そこに乗れそうな波は無かった。


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仕方なく私たちはそのポイントを後にして、宿に向かって車を走らせた。

その途中、小さな漁港の近くの小さな入り江で波待ちしているサーファーの姿を見つけた。そこではローカルサーファーたちがシークレットポイントでサーフセッションを繰り広げていたのだ。


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Mさんと私は興奮しながらこのセッションを眺めていたのだが、よそ者の我々がここで入るというわけにもいかず、この日は波乗りを諦めて宿へ向かった。そして翌日のグッドコンディションを願い早々に床に就いた。



〇2日目『台風一過』

2010.9.26。トリップ2日目。朝起きて宿の窓から見た空は雲一つない快晴だった。Mさんと私は宿の食堂で朝食をとりながらも良い波への期待を膨らませていた。


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焦る気持ちを抑えながら準備をして、昨日チェックした半島南端のポイントを目指す。駐車場に着くと、すでに何台か車が停まっている。爽やかな青年サーファーが準備をしていたので声をかけると、彼も今からそのポイントに入るとのこと。少しの間3人で会話をしてテンションが高まる。そして波チェックのために遊歩道を下る。


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海の見える場所まで来ると、眼下には力強いウネリを受けて大きな波が割れていた。東を金華山に阻まれたこのポイントは、南方面からのウネリにしか反応しないだろう。私たちは絶妙なタイミングでここに来たということになる。


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Mさんと私のテンションはマックス。急いで車に戻り、荷物を持って遊歩道を下る。浜辺に着いたときに、右足の甲にチクっと痛みを感じたので足元を見ると、5センチくらいのヒルが足にくっ付いていた。ヒルに嚙まれている場合じゃあないわ。それを振り払ってウェットに着替えた。砂浜には私たちの他に3人のサーファー。皆、台風からのバックスウェルを狙って来たようだ。快晴の空に美しい海と波。皆、笑顔で海へパドルアウトしていった。準備を終えたMさんと私もパドルアウト。波は力強くブレイクは早かった。波をキャッチしたら素早くレールを入れないとそのまま波に叩きつけられる。だいぶアウトに出たつもりだったが、波に巻かれると海底に体が付くほどパワーのあるブレイクだった。上手く波に乗れば、チューブとはいかないまでも、顔の横に波の壁を感じながらもの凄いスピードでライドできた。

1時間以上が経過すると、海にはMさんと私の2人だけ。潮が引くにつれて波は見渡す限りの長大なダンパーになって私たちに向かってくる。ラストと決めて乗った波で私は派手に巻かれ、サーフボードが左太ももあたりに直撃した。私は軽い打撲で済んだが、愛用のグリーンフィッシュのレールはパッカリと割れてしまっていた。

3時間近く波乗りを楽しんだMさんと私は浜辺を後にし、疲れた身体でまた遊歩道を登って行った。


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海の見える小高い丘の上から眺める金華山と海。

爽やかな風に揺れるススキを見ながら、私たちは波を当てることができた充実感で満たされていた。

そして帰り道に行きつけのサーフショップにマイボードのリペアを依頼し、Mさんを仙台駅まで送って私は自宅に帰った。



〇記憶と記録

この記事を書くにあたって、私は当時の記憶がかなり薄れていることに気が付きました。まず、この旅を日帰りトリップだと思い込んでいた。Mさんに当時のことを聞いてみたら、「いや、泊まった記憶があるよ。宿の様子も覚えている」と言われ愕然としました。春に一緒に泊まったカミさんに聞いても、宿のことを鮮明に覚えていた。私だけが同じ宿に2回泊ったのに覚えていないのはなぜだろうか?記憶喪失?

こんな時は記録を紐解こうと、当時の日記を出してみた。するとちゃんと書いてあるじゃあないですか。パソコンのデータを保存している外付けハードディスクを調べたら、写真や動画が残っていました。記憶って、かなり曖昧なものなんですね。。。


〇終わりに

せっかく当時の映像データが残っていたので動画を編集してみました。映像が荒い上に素人編集ですが、当時の旅の雰囲気を感じてもらえれば幸いです。




この他にも当時の映像データが残っていたので、折を見て編集し、トリップ記事としてアップしたいと思います。


おわり



サポートいただけたら、デスクワーク、子守、加齢で傷んできた腰の鍼灸治療費にあてたいと思います。