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【連載#17】教えて!アヤノさん〜青葉大学バスケ部の日常〜
第十七話 コーチっぽいじゃないですか
文系キャンパスの生協には授業を終えた学生たちが講義棟から続々とやってくる。生協の外に置かれたベンチに座った古川とアヤノの顔が自動販売機の青白い光に照らされる。人の波が去ると再び静寂が訪れた。
「部活を辞めようと思ってるんです」
ベンチに座って下を向いたままの古川は言った。アヤノは横目で古川の顔を覗って次の言葉を待ったが、古川は沈黙を続けている。
「古川くん。これは相談ですか? それとも報告ですか?」
「前から考えていたことなので、そういう意味では報告になるんですかね」
頷くアヤノに対して古川が話を続ける。
「四年生になれば臨床実習も始まって忙しくなります。本当はもっと早く辞めるつもりでしたが、ズルズル先延ばししてたら年が明けちゃいました」
「古川くんがそう決めたのであれば、それを止める権利なんて私にはありません。このことを菅野くんたちには話してるのですか?」
古川はかぶりを振る。
「まだ話せてません。新チームになってすぐに辞めるとは言いにくくて……」
言葉を切った古川は、ショルダーバッグの中をごそごそと探り、煙草とライターを取り出した。
「ここは禁煙ですよ」
「ああ、そうですよね……」
古川は取り出した煙草をバッグに戻す。
「学生の本分は勉強ですから、勉強をがんばることは大切なことです。それは間違いありません。でも、大学の四年間がバスケットに集中して取り組める人生最後の期間であることもまた事実です」
古川はアヤノの目を見る。銀縁メガネの奥にある切れ長の目が鈍い光を帯びている。
「アヤノさんは、辞めない方がいいと思ってるんですか?」
「いえ。さっきもお話しましたが、私は古川くんの決断に対して意見する立場にありません。部活を辞めることを後押しもしなければ引き留めもしません。あなたが自分で決めるだけです。ただ、自分の気持ちに対して嘘をつくことだけは絶対にしないでください」
古川は再びアヤノに目を向ける。アヤノの凛とした表情は揺るがない。古川は観念したように眉を上げて苦笑する。
「なんだか見透かされたみたいですね。アヤノさんのご想像のとおり、おれはバスケを辞めたいとは思ってません。これから勉強と部活の両立が厳しくなることは事実ですが、おれはその状況から逃げたいだけ。報告とか言っておきながら、部活を辞めるという選択をアヤノさんに認めてもらって自分の考えを正当化したかった。ただの根性なしです」
古川の言葉を聞いたアヤノは首を傾げる。
「自覚があるかどうかは別にして、自分の考えを正統化することなんて誰しもがやっていることではないでしょうか?」
「アヤノさんも、ですか?」
「もちろんです。私の場合、大学でバスケを辞めてからずっと過去の自分を正当化しようともがいていました。結局失敗に終わりましたけどね」
そう言ったアヤノは目を細め、ほんの少し口元を緩めた。
「部の目標であるインカレ出場には古川くんの存在がとても重要になってくると思っています。正直、古川くんのいないチームを私は想像できません。今、私が言えることはこれくらいです」
アヤノの発言を受けた古川は、少し間を置いて答える。
「あとは自分で考えて決めます。面倒な話を持ち込んですいませんでした」
「いいんです。こういうのってコーチっぽいじゃないですか。選手から相談されるコーチの役、一度やってみたかったんです」
古川とアヤノは互いに下を向きながら低い声で笑った。
生協の中から大勢の人の波が再び現れる。それを見たアヤノはベンチから立ち上がり、黒いトートバッグから小ぶりな電子タバコの箱を取り出して古川に見せた。
「経済学部棟に喫煙所があります。そこで一服しましょう」
カツカツとヒールを鳴らしてアヤノは経済学部棟へ歩いていく。黒服に身を包んだアヤノの姿はあっと言う間に闇に紛れてしまった。古川は慌てて立ち上がり小走りでアヤノに追いつく。
喫煙室で二人は無言のまま煙草を燻らせた。古川はアヤノに「明日、みんなに話します」とだけ言って喫煙室を出た。アヤノは二本目の煙草を吸おうとしたが、箱は空になっていた。
「もう、やめどきなのかもしれない」
アヤノは空の箱を握りつぶしてトートバッグに放り込んた。
翌日、古川は誰よりも早く体育館に入り、全体練習前のシューティングを始めた。まずはランニングシュートで体を温める。その後はペイントエリアからのジャンプシュートから始め、少しずつシュートレンジを広げていった。スリーポイントラインの外に出ても古川のシュートは高確率でリングを通過する。額から汗が流れたところで長袖のスウェットシャツを脱いだ。脱いだ服をコートサイドに置いてコートに戻ると、男子バスケ部主将の菅野タケルが体育館に入ってくるのが見えた。
「お、古川。今日は早いな」
そう声をかけてきたタケルに、古川は右手を上げて応える。
タケルはコートサイドで着替えをしながら古川に話しかける。
「入部当時のことを思い出すよ。おれが初めてバスケ部を見学しに来たときも、お前は一人でシューティングしてた。背もデカいし、シュートも上手いし、てっきり先輩だと思ったよ」
「そうだっけ? おれは覚えてないな」
シュートをしながら古川はタケルに言葉を返す。
「おれははっきり覚えてる。元々おれは入部するつもりはなかったんだ。でも古川がもう入部を決めたって言ったから興味が湧いた。お前と一緒なら、今までよりももっと高いところを目指せるんじゃないかって思ったんだよ。おれが今もバスケをやっているのは古川のせいなんだからな」
「はあ? おれが悪いみたいな言い方するなよ」
「悪いとは言ってない。ただ、責任はとってもらいたいね」
古川はシュートを止め、反対側のゴールに向けてドリブルを始める。センターラインを越えたところでドリブルの速度を上げ、フリースローラインからボールを持ってステップを踏み、片足で跳躍する。192cmの体はその速度を保ったままリングに向かって滑空し、両手でボールをリングに叩きつけた。久しぶりに見た古川のダンクにタケルは見惚れた。
「見せつけてくれるねえ。素直に嫉妬するわ」
いつの間にか体育館に来ていた三年の高橋ツムグが声を上げた。一緒に来ていた三年の南サトシは頭の上で大げさな拍手をしている。
少し息を切らせた古川は、ゴール下からコートサイドに集まっていた三人に向かって歩み寄る。
「お前らにも責任はとってもらうぞ」
「責任って何のことだよ?」
「おれがバスケを辞めれないのは、お前らのせいだって言ってんだよ」
タケルとツムグは顔を見合わせて古川の意図を探り合うが、お互い首を横に振るだけだった。
四人がシューティングをしていると、コーチの中村アヤノが全身黒の服に身を包み、新調した黒のバッシュを履いて現れた。アヤノを見た古川がコート脇のアヤノに駆け寄る。
「もうしばらく、お世話になります」
古川は深くアヤノに頭を下げる。アヤノも同じようにお辞儀をした。
「おい、今さら何の儀式だよ?」
ツッコミを入れたツムグに古川が答える。
「感謝と決意の儀式だよ」
そう言ってコートに戻った古川はそのままゴール下まで走り込み、レイアップシュートのような気軽さでこの日2本目のダンクを決めた。
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